昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(137)ミニミニ風みたか散策(3)

2016-03-09 15:55:19 | 三鷹通信
 そして、太宰治は山崎冨栄とまさに運命の出会いをする。
 
 彼女の父親は日本最初の美容学校、お茶の水の「東京婦人美髪美容学校」の創立者だった。
 その次女として冨栄は女学校を卒業後YMCAで聖書や英語、演劇を学び、聴講生として慶應義塾大学に学んでいる。
 そして軍人の夫と結婚するが、新婚10日目で夫はマニラで招集され行方不明になっている。
 その後、ミタカ美装店で美容師として勤めている時に、たまたまうどん屋で太宰と知り合う。

 多情な太宰は彼女に一目ぼれしたのだろうか、「死をかけた恋をしないか」と誘ったそうだ。そして最終的に本気になったのはむしろ彼女の方だった。
「死ぬ気で彼に恋した」と記している。
 そして28歳で玉川上水に彼と投身する。
 
 2番目に仕事場にしていた小料理店「千草」が捜索本部の遺体検死の場となった。

 入水現場には故郷金木町産の「玉鹿石」が置かれている。
 
 ところが入水した玉川上水のふちではなく、風の散歩道を挟んで反対側に置かれている。
 ガイドさんの説明によると、玉川上水は東京都の管轄下にあり、すんなりと設置できず、三鷹市所有地の方に置かれたとか。
 こんな所にも行政の縦割りの頑なさが見て取れる。

 太宰を敬愛する又吉直樹が「火花」で芥川賞をとったが、それでまた太宰ブームが再燃したようだ。
 
 
 太宰がよくウイスキーを買いに訪れたという伊勢元酒店跡が今、太宰治記念サロンになっている。
 
 彼が使っていたという火鉢が飾ってあった。
 
 太宰ゆかりの相関図というのが飾ってある。
 
 昭和の文学界を一望にして壮観だ。

 ─続く─
 
 <好奇心コーナー>
 
 韓国のトッププロ囲碁棋士。イ・セドルが、100万ドルを賭けて、グーグルの開発した人工知能アルファ囲碁に挑戦しましたが、5番勝負の第1局は中押しで負けちゃいました。
(セドル棋士が先番)
 
 
 第2局は今日行われます。

 

 


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