昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(214)市民大学・哲学コース(19)

2017-09-30 02:26:47 | 三鷹通信
 芦花ホーム 石飛幸三医師「幸せな最後とは」
  1935年広島県生まれ、御歳83歳。慶應義塾大学医学部卒業、同大学外科教室に入局後、ドイツのフェルディナント・ザウアーブルッフ記念病院に血管外科医として勤務。1972年東京都済生会中央病院に30年勤務、副院長となる。一方、慶應義塾大学医学部兼任講師としても活躍。2005年芦花ホームに勤務、診療の傍ら講演や執筆、メディアを通して、老衰末期の看取りのありかたについての啓発に尽力している。
 
 大学に入って、最初は癌を治す医師になりたいと思った。
 癌は身体にとりついたゾンビだから一粒でも残したら母屋を食い荒らされて倒れる。怪しいところはみんな取らなければいけないということで、「拡大根治手術」が格好いいと思って、一生懸命手術した。
 そして血管手術の重要性に気づき、難しい手術だったがドイツに渡り技術を磨いた。
 ドイツから帰って済生会中央病院に勤務、副院長になったが、当時の組合活動に巻き込まれて裁判沙汰にもなった。
 還暦のころから、自分の人生は何だ、老いや死に抗う医療についても考え直すようになった。
 ロンドンのホスピス運動の創始者を訪ねる機会があり、目が醒めた。
 終末期の人間に科学を押しつけるのは無意味ではないかと・・・。
 そして、常勤医を探していた特別養護老人ホーム「芦花ホーム」の常勤医となった。

 「芦花ホーム」世田谷の京王線芦花公園駅の近く、地上4階地下1階の103名定員の立派な特別養護老人ホームだ。
  
 地域の介護施設でもあり、看取りの場であることも重要な役割であることを認識した。
 昔は結核で20歳の若者が死ぬ時代だったが、今はメタボになっても長生きしている高齢者がいっぱいいる。
 メタボでも死ねない、癌でも死ねない人が長生きしてボケてくる。
 胃ろうをつけられて、美味しくもなんともない流動食を直接胃に入れられて、がんばれ、頑張れ、と言われている。
 
 延命治療する意味がない人をどうしたらいいかを家族と正直に話し合うことは、もう一つの医者の役割だと思った。
 自分が長年「治せる医者」を目指してやっていたことは、「対症療法」でしかないことに気づいたんだ。

 長いこと「胃ろう」で生きているおじいさんが、ある日硬直した指の指している先を見ると、おじいさんが好きだった缶ビールが置いてある。 
 ・・・飲みたいんだな・・・そう思って誤嚥が心配だったが敢えて飲ました。おじいさんは家族が見守る中、ゆっくりだったがおいしそうに飲み干した。
 おじいさんはそれから何日か後に満足したように天に昇って逝った。

 我々は生き物であり、自然の一部だから、いつまでも生きていたら化け物だよ。
 でも現在の法律では「植物人間」になっても生かし続けなければならないんだ。
 本当は政治家や法律家が、自然な老衰死のありかたと、その穏やかな看取りについて、人間の生き方と言うのはこうあるべきだということを勇気をもって発言すべきだと思う。しかし、連中はめちゃくちゃ保守的だからとてもそんな勇気のある人はいない。
 だいたい、「胃ろう」で長生きしている人は60万人もいる。
 一人年間500万円かかるから、締めて3兆円のロスだ。(人の死を計算づくで考えるべきではないなんて言われそうだが・・・)
 ・・・食べないから死ぬのではなくて、死ぬのだから食べないのだ・・・
 ・・・介護施設に入ったら、一人として坂を上る人はいない。骨は溶けていくから下るのみだ・・・
 施設では、その日その日が平穏で、しかし楽しい生活を職員共々心がけている。
 
  
 医療の意味が一番分かるのは医者だから「平穏死」、これはやはり医者が考える問題だ。
 

 今ボクは81歳になるが、介護施設のお世話にはなっていない。
 今日の石飛先生の講話を聴いて「平穏死」の意味が理解でき、かつ「死を覚悟してはじめてどう生きるかが決まる」ということが何となく分かった気がする。
 ありがとうございました。