昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(213)市民大学・哲学コース(18)

2017-09-28 03:18:30 | 三鷹通信
 西谷修 立教大学特任教授「戦争とはなんだろうか?」(その2)

 「戦争」それは人間集団間の組織的武装抗争、つまり武器を使って戦うということです。
 
 日常には「平時」があって「非常時」がある。
 そして戰爭が起きるときを「非常時」と呼ぶ。
 「非常時」の特徴は、「個」に対して集団が圧倒的に優位に立つということです。
 ・・・一人ひとりの「生」には意味がない。つまり一人ひとりは死んでも、集団が生き延びればいい、ということです。
 非常時には個を呑み込んで集団全体が励起される。
 個にも個を超えた力を発揮する。
 ・・・もうひとつ、「非常時」には「殺人」が解禁される。
    平時の社会規範は失効。敵を倒すのが目的となり、攻撃は義務として強制される。
    
 現代は、主権国家をプレイヤーとする国家間戰爭。
 国益が語られ、社会は国家のすることを支持する。
 兵器の発達により効率的大量破壊兵器、そして遂には人類は最終兵器<核兵器>を持つことになる。
 
「ウエストファリア体制」
などはグローバル化した世界では通用しない。
 大国間では<核抑止力>により、かろうじて人類は崖際にとどまっている。

 そんな中、非国家的アクター、テロリストが出現。
 まさに国家が責任をとらない「戦争」の民営化、無法化である。
 その背景には巨大兵器産業が存在し、「戦争依存経済」という現状がある。
 現在のグローバル経済の下では、もっとも力をもつのは多国籍企業とかエネルギー企業。それに巨大金融機関や投資家だ。
 彼らは共通利害で結びつき、実際に戦争の恒常化で一番儲かっているのは軍需産業だ。
 そして実質的な物の生産による世界の「経済成長」は限界に達し(ローマクラブの「成長の限界」参考)、それ以降、経済活動の金融領域シフトで「成長」の惰性を保ってきたが2008年の「リーマンショック」による世界金融恐慌で破綻に瀕している。
 その破綻が決定的にならなかったのは、スポーツ界のドーピング麻薬のように、全世界でお札をたくさん刷ってお金があるようにして、どうにか維持しているようなものだ。


 人類は強欲に駆られた「科学技術」と「金融資本」の暴走そして「テロリズム」を止められるのだろうか? それともこのまま自滅の道へと突き進んで行くのだろうか? 

 <日米個人資産投資比較>
 日本では現金や預金が大半。
 米では投資意欲旺盛