昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(393)日本は「和を以って貴しとなす」国か?

2017-09-12 02:20:11 | エッセイ
 日本は「和を以って貴しとなす」国か?
 国際日本文化研究センター教授であり、建築を専門とされる井上章一氏は、これを疑っていると言う。
 
 時は第二次世界大戦末期、イタリアは日本、ドイツと共にアメリカ等の連合国と戦っていた。
 アメリカ空軍は東京空襲の1年3か月後に、ローマにも爆弾を落とした。
 
 まさかバチカンやコロッセウムなどローマ帝国の遺跡がいっぱいあるローマに爆弾を落とすはずがないと高をくくっていたイタリア人はパニックになった。 
 反ムッソリーニだった参謀総長は、それまで優柔不断だった国王に「ムッソリーニをやめさせるよう陳情した。
 空爆6日後、ムッソリーニは逮捕され、参謀本部は「イタリアは戦争をやめる、連合国側につく」と宣言、一か月半後にイタリアは休戦を宣言した。
 日本では「イタリアはいくじなし、人間の屑!」と批判した。
 ・・・ボクが戦後ドイツに行ったとき、「今度はイタリア抜きでやろう」とドイツ人から言われた。・・・
 
 翻って日本はどうだったか。東京空爆で焼けつくされても「進め、一億火の玉」で戰爭を続行した。広島・長崎に原爆を落とされるまで。
 建築の面でみると、東京には守るべき建築はなかったということだろうか。
 昭和13年ごろから東京の政府機関・オフィスビルは木造のバラック建てで造られるようになった。
 ・・・これから大変な時代なんだ。中央官庁でもこんなみすぼらしい建物で我慢しているんだ・・・とアピールしたのだろう。その際、かの鹿鳴館もバラック街に取って代わられた。
 建築家谷口吉郎氏は、「鹿鳴館は偉大な文化財とは思わないが、明治の記憶がいっぱい詰まっている。せめて記念館として残す手立てがなかったものか・・・」と悔やんでおられる。
 ちなみに、三田のキャンパスは彼の作です。 また明治建築を愛知県犬山に集め、「明治村」設立に貢献した。
 

 西洋人というと、我が強くて和を貴ぶ気持ちは弱いと言われるが、西洋の街並を見ると、西洋の地権者はあまり自我を通さず、むしろ建物は「和を以って貴しとなす」ようにしている。
 ちなみに構図かずおの家のようなのはまずない。
 表現の自由という点では日本の方がはるかに自由だ。
  (交詢社雑誌NO.622、井上章一「日本の姿、戦争と街並みから見えること」より)