昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(66)三鷹跨線橋

2013-01-11 06:39:13 | 三鷹通信
 三鷹に住んでから50年以上、初めて知る人ぞ知るという<三鷹跨線橋>を渡った。
 三鷹駅から西方徒歩7分の所に上り口がある。
 
 案内板があって、昭和4年建造され、そのままの姿を今に保っているとある。
 
 砂利石むき出しのコンクリートの階段を上る。
 
 鉄骨造りの素朴なものだ。所々錆びついている。
 
 お正月、日の出を見ようとかなりの人たちが上ったようだが、今は誰も通っていない。
 近くに地下道もあるし、南北を渡る手段として利用する人はあまりいないようだ。
 
 案内板にも記してあったが、かの太宰治も友だちを連れてここを何回も訪れているようだ。
 三鷹駅の北側にそびえる超高層マンションの住人であるぼくの友人の作家先生に、「どうだ、富士山も見えるんだぞ」と見せられたことがあったが、太宰もそんな気持ちで友人を案内したんだろう。
 
 東京タワーも、東京スカイツリーもなかった当時としてはかなり魅力的な所だったのかもしれない。
 中央特快やスーパー特急・あずさ10号などが眼下を通り過ぎて行った。
 中央線の車両基地にもなっている。
 
 夕方には夕焼け富士が見えることもあるそうだ。
 

 今でも、知る人ぞ知る三鷹の名所だ。

 NHKのあさイチで、宮崎県の天岩戸神社を訪問していた。
 
 
 天照大御神が高天原の天の岩戸に隠れたとき、天手力雄命(たじからをのみこと)が強力で岩戸を開け、世に光を取り戻したという神話で有名な所だ。
 なんとその時投げ飛ばした岩戸は信州の戸隠山まで飛んだという。