マル鉄・鉄道写真館

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583系:寝台特急「なは」

2011-07-22 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
583系:寝台特急「なは」


特急「なは」は、昭和43年10月、それまで「かもめ」として運転されていた新大阪~西鹿児島間のキハ80系による気動車特急を分離独立して誕生しました。誕生時は新大阪~宮崎を結ぶ気動車特急「日向」を併結しています。
昭和48年10月の改正で鹿児島本線電化にやや遅れて電車特急となり、「日向」と分離運転され、昭和50年3月のダイヤ改正(新幹線博多開業)まで昼行電車特急として九州連絡の役目を担いました。
同改正により山陽の昼行特急が全廃になり、廃止になると思われた「なは」ですが、その名称を与えられた経緯から存続することになり、改正前まで京都~西鹿児島を結んでいた581・583系寝台特急「きりしま」のスジを引き継ぐことになり、ここに新たな電車寝台特急「なは」が誕生することになります。

誕生当初は、583系独特の黄緑色で「なは」の文字マークが使用されていましたが、昭和53年10月のダイヤ改正から他の電車特急と同様にイラストマークが採用され、その後の客車寝台特急化、機関車のヘッドマーク復活時におけるマークデザインの礎となりました。



昭和55年8月 京都駅にて クハネ583を使用した寝台電車特急「なは」



583系の行先表示

昭和55年ですので既にヘッドマークはイラスト化されたものです。
横サボは関西特有の発駅と着駅を一緒に表示するタイプで、東日本の着駅のみの表示とは趣が異なります。

私的には「きりしま」という名前の方が好きだったので、「なは」に愛称が決まった時点で『なにも乗っ取らなくても良いのに・・・』なんて思ったものでした。
高校2年のとき、EH10やキハ181系「やくも」の撤退を知ったときに強引に撮影を挙行し、夜行乗り継ぎがてら関西の列車も出来る限り撮影してきました。この写真は、そのときの1コマです。

その後、客車化を経て「あかつき」との併結。なんとか生き永らえた「なは」ですが、平成19年3月の改正を以ってとうとう廃止となってしまいました。

沖縄の日本復帰の願いを込めて生き長らえてきた特急「なは」。そんな願いをもってしても廃止の運命となってしまった今の時代。切ない、寂しい以外の何モノでもありません。


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