485系:特急「いなほ」(貫通型)
「いなほ」は、上野~秋田を上越・羽越本線経由で結んでいた特急列車です。
誕生当初は羽越本線に非電化区間が残っていたため、「つばさ」のキハ181系化により押し出しとなったキハ81系が使用されていました。
昭和47年に羽越本線が全線電化となり、これに合わせて青森運転所の485系が使用されるようになります。また、上野~青森間を結ぶ1往復が増発され、2往復体制となりました。
今回は485系200番代貫通型の写真を並べます。
昭和51年 上野駅にて
上野駅19・20番線で583系「みちのく」と顔を揃えた「いなほ」。昭和53年10月のダイヤ改正まで長く見られた風景です。確か、「やまびこ」からの折り返しのため、上越線経由の特急ながらも地平ホームから発車していました。
昭和52年 西川口~蕨間にて
下りの「いなほ」号です。併走する京浜東北線の103系低窓クモハも今や懐かしい思い出。
昭和52年 東十条~赤羽間にて
現在の埼京線側から撮影したもので、高架化される前は、赤羽駅の東十条寄りに踏切があり、安全に撮影することが出来ました。奥の土手が京浜東北線の線路です。
昭和52年 蕨~西川口間にて
定番の場所での写真。この頃の東北特急は、「あいづ」を除き全てが12連又は13連。全ての昼行特急は食堂車を連結・営業しており、特急列車としての貫禄を備えていました。
昭和53年3月12日 新前橋駅にて
新前橋駅構内を通過する特急「いなほ」。現在では昼行全ての特急が停車する新前橋駅ですが、当時は1本も特急が停まることはありませんでした。
昭和55年 西川口~蕨間にて
昭和57年 上野駅にて
青森から到着した上り「いなほ」ですね。もう57・11改正にかなり近い時期のものではないかと思います。
左側には新特急移行前の185系急行が停車しており、さらに、右側には1枚も撮影したことの無かった103系時代の山手線がバッチリ写っていました。
こんな何気ない駅撮り写真ですが、当時の状況が良く反映されていますね。
昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて
上越線の撮影に行った時に撮影したものです。逆光だったので写りが悪いですね。
イラスト化後唯一のカラー写真だったのですが、色合いが判明しないような写真しかなくて非常に残念です。
「いなほ」は2往復設定されており、昭和52年以降、上野~秋田間を結ぶ列車は秋田運転所持ち、上野~青森間を結ぶ列車は「はつかり」「やまびこ」などの列車とともに共通運用を持つ青森運転所持ちでした。
したがって、貫通型は青森運転所持ちの1往復にしか見られることができませんでした。
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「いなほ」は、上野~秋田を上越・羽越本線経由で結んでいた特急列車です。
誕生当初は羽越本線に非電化区間が残っていたため、「つばさ」のキハ181系化により押し出しとなったキハ81系が使用されていました。
昭和47年に羽越本線が全線電化となり、これに合わせて青森運転所の485系が使用されるようになります。また、上野~青森間を結ぶ1往復が増発され、2往復体制となりました。
今回は485系200番代貫通型の写真を並べます。
昭和51年 上野駅にて
上野駅19・20番線で583系「みちのく」と顔を揃えた「いなほ」。昭和53年10月のダイヤ改正まで長く見られた風景です。確か、「やまびこ」からの折り返しのため、上越線経由の特急ながらも地平ホームから発車していました。
昭和52年 西川口~蕨間にて
下りの「いなほ」号です。併走する京浜東北線の103系低窓クモハも今や懐かしい思い出。
昭和52年 東十条~赤羽間にて
現在の埼京線側から撮影したもので、高架化される前は、赤羽駅の東十条寄りに踏切があり、安全に撮影することが出来ました。奥の土手が京浜東北線の線路です。
昭和52年 蕨~西川口間にて
定番の場所での写真。この頃の東北特急は、「あいづ」を除き全てが12連又は13連。全ての昼行特急は食堂車を連結・営業しており、特急列車としての貫禄を備えていました。
昭和53年3月12日 新前橋駅にて
新前橋駅構内を通過する特急「いなほ」。現在では昼行全ての特急が停車する新前橋駅ですが、当時は1本も特急が停まることはありませんでした。
昭和55年 西川口~蕨間にて
昭和57年 上野駅にて
青森から到着した上り「いなほ」ですね。もう57・11改正にかなり近い時期のものではないかと思います。
左側には新特急移行前の185系急行が停車しており、さらに、右側には1枚も撮影したことの無かった103系時代の山手線がバッチリ写っていました。
こんな何気ない駅撮り写真ですが、当時の状況が良く反映されていますね。
昭和57年1月5日 八木原~群馬総社間にて
上越線の撮影に行った時に撮影したものです。逆光だったので写りが悪いですね。
イラスト化後唯一のカラー写真だったのですが、色合いが判明しないような写真しかなくて非常に残念です。
「いなほ」は2往復設定されており、昭和52年以降、上野~秋田間を結ぶ列車は秋田運転所持ち、上野~青森間を結ぶ列車は「はつかり」「やまびこ」などの列車とともに共通運用を持つ青森運転所持ちでした。
したがって、貫通型は青森運転所持ちの1往復にしか見られることができませんでした。
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文字のみのヘッドマーク良いですね。
そして「みちのく」のクハネ583スリットタイフォーンです、向日町か南福岡からの転属車でしょうね。
青森で不評だった貫通型ですが今となってはこういう取り合わせも貴重ですね。
全然関係ないネタですみません。
3日ぐらい前から、神田広美さんの「人見知り」が頭の中に浮かんでます。
私が中学生になったころの曲ですが、透き通ったファルセットボイスとボサノバ風アレンジの音作りがいい感じです。
「ドンファン」もこの人の曲ですがこれは拓郎節ですね。
一説によるとこの「ドンファン」中原理恵さんが歌う予定だった?とも。
昭和52年という事でマイナー歌謡についてコメいたしました。
この貫通型と言うのはどうして生まれたのでしょうね。分割併合だったら、もっとシンプルな構造でも良かったように思いますが、北国には最悪の造りだったようです。後に誕生した簡易型の貫通扉の方が余程利用価値があったかもしれません。
神田広美、なつかしいですね。別に好きでは無かったので歌はまったく記憶に残っていませんが、かなり人気はあったように思います。なんかエロ系に転身したイメージがあるのですが、違ってたかな?当時は大きなライバルが多過ぎましたね。