マル鉄・鉄道写真館

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クハ180:特急「とき」

2012-06-24 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
クハ180:特急「とき」


クハ180は、横軽通過用に連結器の開放装置を装備した車両で、クハ489-0番代車と同様に開放テコを常設していました。これは、補機となるEF63の双頭連結器にある自動連結器のナックルが固定式(一体)であるため、機関車側での開放作業が出来ないことによるものです。開放作業を特急列車側に求めたために出来上がったスタイルと言えるでしょう。

運用は「あさま」用と言って良いと思いますが、同じ長野車の運用である「あずさ」にも使用されていました。しかし、協調運転が出来ないことから編成が8両までとされたため、輸送上のネックになっていました。
その後、189系の誕生によって12連化が可能となり、これに合わせて昭和51年、早々に専業である「あさま」から撤退することになります。そして、任を解かれたクハ180は、181系唯一となる「とき」に使用されるようになりました。



昭和52年頃 上野駅にて

文字マーク時代の「とき」。やはりこの組み合わせが良いですね。



昭和54年頃 蕨~西川口間にて

53・10改正から約1年後、ボンネット型にもイラストマークが導入されました。
古い181系には色合いと言い、似合いませんね。



昭和54年頃 上野駅にて



昭和56年頃 蕨駅にて


昭和56年8月 蕨~南浦和間にて



昭和56年8月 蕨~南浦和間にて



撮影時期不明 蕨~西川口間にて

写真を本格的に撮り始めた頃は、どうもこの車両があまり好きではなかったらしく、クハ180の写真が殆ど無い状態でした。したがって、文字マークのクハ180は上野駅で撮った1枚だけのようです。ロングスカート車への注目が強かった頃でしょう。

その後、全国に先駆けてボンネット車へイラストマークが入るようになり、181系のイメージを損ねることとなってしまいました。
この頃から特急列車の写真への写欲が薄らいでしまいましたが、それでも貴重となったクハ180は良く撮っていたようです。

クハ180は全て100番代に該当する形式で単一ですが、何故か-5のタイフォンだけは開閉式のカバーが付いていました。

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