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153系:急行「比叡」

2019-10-14 18:24:00 | 国鉄・JR急行列車
153系急行「比叡」


東海道本線の名古屋~大阪を結んでいた急行「比叡」は、昭和32年に同区間に設定された80系電車による準急列車に端を発する、由緒ある列車でした。

設定当初は名称を持たなかったようですが、直ぐに「比叡」という名称が与えられ、翌昭和33年には新製の153系電車が導入となり、東海道新幹線の開業前までは最大で8往復も設定されていたそうです。

東海道新幹線の開業及び増発により4往復体制へと削減、昭和41年には準急列車から急行列車へと格上げされます。当時はサハシも連結された豪華編成だったようですが、運転時間が短いために利用者が少なかったようで、昭和47年3月のダイヤ改正で営業が休止され、運転本数も2往復へと縮小してしまいます。※ほかに臨時列車の設定がありました。



昭和55年8月 神足~山崎間にて 急行「比叡1号」

153系8連で大阪へ向かう急行「比叡1号」。
当時はヘッドマークのない急行列車などに興味はありませんでしたが、中間に新快速色のクハ153低窓が連結されていたために慌てて後部から撮影したようです。
ちょうど新快速の117系化が完了した頃で、状態の良い新快速色の153系は大垣電車区へと異動したため、東海道本線の普通列車修学旅行列車の急行「こまどり」などにも連結されていました。
8連の中間には自由席グリーン車が連結されており、こちらのみサロ165となっていました。



昭和55年8月 大阪駅にて 急行「比叡2号」(再掲)

1枚目の写真を撮影後、大阪駅に移動した際に再び撮影できました。
とは言っても特急「雷鳥」を撮影したものであり、並び写真として偶然に写っていたものです。
「比叡1号」と同じ編成の折り返しのようで、中間に新快速色のクハ153系が連結されていました。
詳細なメモは残していないのですが、当時の時刻表から、急行「比叡2号」と特急「雷鳥17号」の並びのようです。


この写真を撮影した2か月後の55・10改正で1往復に削減され、さらに59・2改正でとうとう廃止になってしまいます。
153系の全廃に伴い、165系化されたのは東京口の急行「東海」と同様で、Wikipediaには165系化された末期の急行「比叡」が掲載されています。

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