マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

185系大宮車:日光集約臨

2018-08-20 00:42:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
185系大宮車:日光集約臨


夏休み中はオフシーズンとなる修学旅行。関東ではメジャーである日光集約臨も9月から運転が再開となりますが、ダイヤ情報によるとすべての設定が現在余剰となって疎開しているE257系による運転となるようです。

中央東線の特急が353系化されるとともに、E351系はすべて廃車、E257系は「踊り子」への転用が発表されていますが、何らかの改造など整備が必要になると思われます。しかし、特に工場への入場もないままに、E257系が集約臨に使用されるということは、半室グリーン車を連結したまま運用されることになるようです。

そんな急な情報であったため、185系による集約臨はあまり撮影する機会が無いまま、突然に終焉を迎えることになってしまいました。



平成25年9月14日 185系C3編成ほか10連 9584M 日光集約臨

まだ189系元チタ編成から置き換わったばかりの頃。
グリーン車を外した6連、4連が誕生し、日光へは有効長の関係で、6+4の10連が多用されました。まだ塗装変更も実施されていない頃です。



平成25年9月23日 185系B2編成 9583M 日光集約臨

背後から襲われて撮り損なった集約臨。
拡大してみるとB2編成の札が掛かっていました。画像を見るとパンタグラフの位置関係から既に8連化されているようで、この姿での集約臨は非常に短い期間だったようでした。



平成26年9月13日 185系B2編成 9584M 日光集約臨

前の写真からちょうど1年後、B2編成は塗装が///に変更されました。



平成30年5月27日 185系B7編成ほか10連

上野東京ラインの開通により、集約臨も上野経由となるものが誕生しました。
終焉となった平成30年、「修学旅行」幕をあまり撮影していなかったことを意識したため、敢えてこのシチュエーションを狙いに行ったのですが、見事に本線下りにカブられてしまい、後部を押さえたものです。

この後梅雨入りしてしまったため撮影の機会を逸してしまいましたが、そのままこれが最後の写真になってしまうとは思いもしませんでした。

地元ネタがなくなってしまってからついででこのような集約臨を撮る機会も無くなってしまい、活躍の期間も短いものとあって、非常に少ない記録で終わりました。



E653系勝田車:団体列車「2012東京旅のプレゼント」

2018-08-10 23:55:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
E653系勝田車:団体列車「2012東京旅のプレゼント」


毎年、秋に設定される団体列車「旅のプレゼント」。
いつ頃から運転されるようになったのか良くは知りませんが、近年は特急形電車による運転が殆どです。
過去ログで183系による「旅のプレゼント」をご紹介したことがありましたが、今回はE653系勝田車を使用した「旅のプレゼント」号の写真をご紹介いたします。



E653系 9151M 団体列車「2012東京旅のプレゼント」

まだE653系が「フレッシュひたち」でバリバリに活躍していた頃です。
地元では極まれに郡山への回送等で見ることができるくらいで、大体は近場でも武蔵野線経由で東北本線方面へスルーしてしまうため、まずお目に掛かることはありません。
185系もまだ廃車が出ていない頃で余裕があった筈ですが、なぜこのような運用が設定されたのか不明です。

オリジナルのE653系が消滅してから久しくなりますが、ここ数年は新潟で活躍するE653系リニューアル車が大曲花火臨などに運用されて毎年上京するため、以前よりも見られる機会が逆に増えたかもしれません。



185系:団体列車「これからの新金貨物線を考える会」

2018-07-04 00:19:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
185系:団体列車「これからの新金貨物線を考える会」


とある鉄道仲間のお誘いがあって、団体列車に乗ってきました。
団体列車に好んで乗ることは過去にもなく、前回が結婚前に12系お座敷客車「江戸」によるビール列車以来で、結婚前だからもう20年以上も前になります。

今回の団体列車、お誘いはあったもののタイトルや趣旨等はまったく伝えられておらず、「新金線」を通る185系10連によるものだということだけ。現地集合して初めて趣旨が伝えられるという非常にアバウトな集まりでした。
それはそれで面白いですが、「新金貨物線を考える会」といういたってまじめな政治的なものであり、自分としても身近な存在で興味のあった部分でしたので、大変有意義なものでした。


※撮影は、平成30年7月1日です。



185系B4編成ほか10連 「これからの新金貨物線を考える会」 松戸駅にて

団体行動なので、編成をチェックできませんでしたが、185系6連+4連です。当初は6連だったそうですが、応募が予定数を超えたので10連になったそうです。しかし、実際に乗った1号車でも精々6割程度の乗車率くらいでした。



クハ185-207 車内

185系に乗るのも久し振り。この車両はATC対応でしょうかね?機械箱があります。



新金線 国道6号線

お隣金町の中線に入り、一旦停車後、いよいよ新金線へと入ります。
私としては初めての乗車。ワクワク感が高まります。
急カーブから地上に下り、まもなく国道6号線の踏切へ。本来なら交通のネックになる踏切ですが、新金線では列車本数が極端に少ないためか、連続立体の区間からも除外され、今もって踏切が残されています。




途中の踏切でも見通しの良い場所では熱心な鉄道ファンがカメラを構えています。
案内では、途中区間で葛飾区長と衆議院議員の平沢勝栄先生が手を振って待っているということだったのですが、場所が良く分からなかったので気が付いた時にはあっという間に過ぎてしまいました。ちょうど加速区間に入ったので余計に間に合いませんでした。



新金線 新中川築堤

新金線のハイライトはやはり新中川に架かる橋梁でしょう。当然、ここにもファンがいました。



新金線 新中川橋脚

新金線では全線にわたって複線分の用地が確保されており、新中川では橋脚もしっかり構築されています。しかし、今もって使用されていないのはご承知のとおり。



新金線 総武本線合流

そしてあっという間に総武本線の元新小岩操車場に合流です。





当該団体列車は目的地を成田にしたため、ここで方向転換して逆向きに出発となります。この間、30分の停車時間がありますが、ダイヤの調整というよりは大きな目的があったようです。
主催者、これを支援する葛飾区、江戸川区の議員の方々からご挨拶が次から次へと。そして、松戸から積み込んだお弁当とお茶が配られます。



185系から見たホキ1622

この日は工臨や配給列車はおらず、ホキ800が多数留置されていました。なんか、ピカピカに見えました。




そう言えば、185系だから窓が開くんですよね。でも、今は全開ができないようにしてしまったようです。
かつては広大な敷地を誇った新小岩操車場と新小岩車両センターもなくなり、グランドや遊歩道として整備されました。
この敷地の遠方に見えるマンション群のあるところは、かつて私が勤めた事務所があり、この操車場を眺めながら仕事をしていました。そこに居た3年間の間に、入換をしていた貨車が消え、検修庫が消え、線路が消え、整地され、グランドへと化けていったという風景を見ていました。





新金線旅客化実現弁当

趣旨が趣旨だけに、仰々しい名前の特製掛け紙のお弁当。中身は千葉駅の駅弁で有名な万葉軒の潮干狩り弁当のようです。
新小岩を出発してしまえばやることはありませんので、久し振りに車内で食する駅弁を満喫しました。

そして、これまた久し振りに来た千葉方面の撮影地を車窓から散策。113系や古くは183系を撮りに来た記憶が蘇ってきます。






成田では折り返しまで2時間ほどしかありません。団体は成田山へ行ったと思いますが、私らテツとしてはそんな勿体ない時間は過ごせません。わずかな時間ですが、充実した乗り鉄を楽しんできました。

帰路は全くの逆行程で、再び新小岩から新金線を走ります。
185系の運転台から、新中川を渡るショット。ちょっと景色が見えづらいですね。

今回の団体列車。鉄的には行程が短く、マニアックな内容ではありませんでした。周りの団体客もおおよそ町会の老人会、或いは家族連れの行楽列車な感じでした。

しかし、ここで重要なのは、金町から新小岩まで、新金線がどれほど便利さを秘めているかということにあると思います。あれだけスピードを上げずに走行しても、わずか10分で走破してしまうのです。
これに対し、通勤時間を電車で移動するとなると、50分も掛かってしまいます。これは金町や新小岩のそれぞれの隣接駅で考えても、新松戸以遠の常磐線利用者の便を考えても、旅客化のメリットは非常に大きいのです。

区間が短い割に収益的なメリットが望めないためか、JR東日本はあまり乗る気はなく、過去に何度も要望・検討を繰り返しながら未だに実現していません。現在はトラムによる旅客化も検討されているようですが、それでも利便性は高いことでしょう。

転職したばかりから数年、江戸川・葛飾を根城として仕事をしていたため、縁のある路線です。実際に、当時の先輩方でも、常磐線から不便な通勤経路で通っている方々が多くいました。
是非、旅客化を実現してもらいたいものです。



189系 M51編成(豊田車)

2018-04-29 18:59:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
189系 M51編成(豊田車)


189系豊田車M52編成に続き、平成30年4月27日、国鉄色のM51編成がラストランを迎え、廃車回送を兼ねた団体列車として長野まで運転され幕を閉じました。
あまり気にしていませんでしたが、伝統の国鉄特急色としても最後の編成となっていたため、新聞・ネットニュースでも多く取り上げられていました。


このM51編成も先にご紹介いたしましたM52編成と同様、OM(元田町)のH81編成とH101編成から混合して編成した6両で、平成27年からはシンボルマークの復元も行われていました。

M52編成と比較すると、臨時列車等への充当率が高かったように思え、過去ログ『189系:臨時特急「わかしお82号」』と『189系 M51編成(豊田車):快速「ホリデー快速富士山」』でご紹介済みです。



平成26年1月18日 大月駅にて 豊田M51編成 団体列車

富士急の撮影に行った際、自分の後を追ってきた団体列車がM51編成でした。
往年の西側スター同士の並びでしたが、ほんの少しの切り遅れで残念な構図になってしまいました。



平成28年10月22日 189系 豊田M51編成 9529M

地元ではなかなか見ることのできない豊田車。この時も記録ではM52編成の充当を期待していたようでした。
結果的には国鉄色でしたが、地元でのキャッチは貴重な機会でした。


史上最後の国鉄特急色が消滅してしまったのは残念ですが、時代の流れとしてこれを止めることはできません。それでも気が付けば民営化から30年が経過し、今まで良く残っていたとも思えます。



183系OM車:団体列車「旅のプレゼント」

2018-04-07 20:24:00 | 国鉄・JR団体・臨時列車
183系OM車:団体列車「旅のプレゼント」


183系OM車が無くなってから久しく、地元で国鉄特急色を見掛けなくなってから随分と時間が経過しました。
かつては臨時列車への充当と言えど、183系や185系にはヘッドマークが用意されることが多く、昨今のように時刻表に掲載される臨時列車でありながらも「臨時」や「臨時快速」で茶化されてしまう設定にはなんの興味も湧かなくなってしまいました。


未整理の写真を眺めていると、団体列車にもかかわらずヘッドマークが掲載されている列車が残っていたため、この時期を捉えて整理しておこうと思います。


※撮影は、平成24年10月13日です。



183系OM101編成 9325M 「旅のプレゼント(信越線)」

この日、2本の団体列車「旅のプレゼント」が走行しました。
当日は別の列車の撮影をしていましたがマークしておらず、現地調達の情報から返しのみ撮影できました。
写真は横川発着の信越線バージョン。



183系OM102編成 9855M 「旅のプレゼント(上越線)」

こちらは、約1時間後を後追いした水上発着の上越線バージョン。
同じ写真を撮っても仕方ないので、場所を変えてみました。


この時の記事を辿ると、高崎線で人身事故があって運転を見合わせた時間があり、返しの列車が定時運転されるか微妙だったようですが、両列車ともなんとか定時出発ができたようです。

拡大すると判るのですが、いずれの列車のヘッドマークもピッタリと貼られておらず、手作り感MAXのある意味微笑ましいヘッドマークでした。

毎年運転される旅のプレゼントも時代ごとに運用車種が変更され、専用のヘッドマークも用意されることがほぼなくなってしまいました。