マル鉄・鉄道写真館

鉄道・バス・航空機・はたらくクルマなど、乗り物全般の歴史をご紹介しています。

クモニ83:荷物電車

2012-04-21 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
クモニ83:荷物電車


鉄道の列車が客車ばかりだった時代、荷物の輸送は鉄道として当たり前の事業であり、どんな列車でも当たり前に荷物車が併結されていました。
電車化が進むにつれ、これらの電車列車にも荷物車を併結する必要が発生し、戦前ではクハニやクハユニといった合造車が製作されていましたが、戦後には荷物車の不足も顕著となり、クモユニ81の新製に始まり、さらには旧型国電を改造した荷物電車が大量に製作されました。

今日はこれらの荷物電車より、クモニ83をご紹介いたします。



昭和52年 品川駅にて

東海道線では荷電でもクモユニ74の割合が高く、クモニ83は非常に少なかったように思います。
113系普通列車への併結列車が多い中、1日に何本かの単独荷電が設定されていました。2両編成であり、何故に単独だったのか、今となっては分かりません。



昭和54年頃 クモニ83+クモユ141+115系

長岡行きの普通列車です。郵便車は既に新性能化されクモユ141に変わっています。
郵政省の作業環境改善策はかなり早い時期から対応されており、郵便車の冷房化は普通列車の車両などと比べると格段に早かったですね。



昭和55年頃 赤羽駅にて クモニ83003

赤羽駅の高架化以前の時代。何を撮りたかったのか良く分からないアングルです。



昭和55年頃? 上野駅にて クモニ83800番代

上越方面の荷物電車は、クモユニ74200番代やクモニ83の一般型の湘南色が走っていましたが、旧型の晩年の頃になると中央本線から転配があったらしく、スカ色の車輌が見受けられるようになりました。特にこのクモニ83800番代は、張り上げ屋根と窓枠のRが美麗で、荷電の中でも一番好きな車輌でした。



昭和57年頃 クモニ83+クモユ141+115系

コレは珍しく上り列車を捉えたシーンです。しかも、先頭車はクモニ83です。
この写真をアップしようと思ったとき、昭和57年と整理していたので???だったのです。この頃は、普通列車併結車は新性能化されていた筈なのでおかしいと思ったのですが、前後のコマからどう検証しても昭和57年なのです。何らかの事情があって復活したのか、それともクモニ143の予備車がなくて点検の際に良く運用に入っていたのかは不明です。



昭和57年1月頃 東北本線 西川口~蕨間にて

こちらは旧型国電の最晩年の頃です。3+3の6両編成が2+2の4両編成に減車されるようになってしまいました。
中央東線で余剰になったクモニ83800番代が転入してきており、スカ色のまま普通列車に併結されたり、ご覧のように岡山地区でしか見られなかったような湘南色の出で立ちで上越線に進出してきました。
私的にはこの800番代の張上げ屋根車が大好きだったんです。しかし、気が付いた時には中央線の115系が新宿に乗り入れなくなってしまい、撮る機会を逸していましたので、このような形態でも同車を記録できたのは非常にラッキーでした。

荷物のコンパクト化、さらには宅配便の発展などもあり、需要の無くなった荷物電車は新性能車共々淘汰されてしまいました。

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国鉄荷物電車:クモニ143(&クモユ141)

2011-11-20 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
国鉄荷物電車:クモニ143(&クモユ141)


上越新幹線が開業する前、上野~長岡間に2往復の普通列車が設定されていました。1往復は夜行列車です。
この列車には古くからに荷物車及び郵便車が併結されており、クモニ83が連結されていました。後年はクモユ141も連結されていましたが、クモユニ74が併結されているのは見た記憶がありません。
旧型車の老朽化が進み、荷物電車にも1M方式の新性能車が導入されるようになりました。それがクモニ143です。ただ、製造両数が少なかったためか、荷物専用車にはあまり使用されることはなく、専ら上野~長岡間の普通列車に運用されていたようです。



昭和56年頃 南浦和~蕨間にて

300mm×2の超望遠で。



昭和56年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

クモニ143を激写!なんでこんな写真を撮ったのだろう・・・。



昭和56年頃 上野駅構内にて

これから長躯長岡に向けて発車した普通列車。高校の授業が早上がりのときに撮影したものと思われます。



昭和57年頃 蕨駅にて

こちらも上の写真と同時期と思われますが、対向する181系「とき」がモハ1ユニット抜きの10連となっていますので、上越新幹線が開業目前に迫った頃と思われます。



昭和52年頃? 大宮駅にて クモニ143+115系

通常は郵便車のクモユ141とのペア運用がほとんどなのですが、この時はクモニ143が1両のみの併結になっています。窓ガラスに「〒」マークが張ってあり、クモユニ代行となっている様子が判ります。もしかすると、クモユ141とセットになっていない編成は見たことが無かったので、ちょっと謎な写真です。

以上、115系普通列車併結の荷物電車を全てアップいたしました。
なお、上野~長岡間の荷物列車併結普通列車とのペア運用で、上野~新前橋間の普通列車にも同様の併結列車があったような記憶があります。今回アップした写真の中で、上野~新前橋間の列車が混在している可能性もありますのでご了承くださいませ。


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キハ22604:簡易荷物車

2011-11-16 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
キハ22604:簡易荷物車


昭和時代では重要な業務であった鉄道荷物輸送ですが、幹線を走る荷物列車や荷物車両という位置付けに対し、編成両数・輸送量が少ないローカル線では客荷合造車があてがわれている例が多く見られました。
しかし、これらは編成の中間に連結できないなど運用面で融通の利かない部分もあり、一般型車両の車内の一部を仕切って荷物輸送を行っていた例が多く見られました。
このような荷物輸送に適した簡易改造を施した車両も存在し、殊に気動車に多く見られたようです。

北海道ではキハ22型に簡易荷物車としての改造を施工したものが多く見られ、特に600番代と区別されていました。



昭和56年3月 白石~厚別間にて 最後尾にキハ22604を連結した普通列車

当時、全区間架線の下を走る普通列車が沢山あり、特に本線系の普通列車は6両編成くらいの長いものが多く存在しました。キハ22は未だ廃車もほとんど出ていない頃ですが、写真のようにキハ47系が主力になりつつある途上だったようです。

この各形式600番台というのは、車内の一部(1/2~1/3くらい)をアコーディオンカーテンで仕切ることができ、車内を座席のまま荷物室に使えるように改造したもので、北海道では他形式でも改造例がありました。
あくまでも簡易荷室ですので、荷物取扱の無い列車に連結するときは、通常の全室客車として使用することができます。

現在の函館本線電化区間では、新型電車も大量増備されており、足の遅い気動車列車は限りなくなくなってしまいました。写真では見づらいですが、キハ46の標準色車も連結されており、車輌、塗装、雑多な混結具合と、どれをとって見ても懐かしい時代の写真となってしまいした。

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常磐線荷物気動車(キニ55・キニ56・キニ58)

2011-06-16 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
常磐線荷物気動車(キニ55・キニ56・キニ58)


常磐線の隅田川~水戸間には、いつ頃からかわかりませんが、気動車の荷物列車が昭和50年代まで走っていました。
常磐線には急行荷物列車も走っていましたし、普通列車にも荷物輸送を目的とした客車列車もやはり昭和50年代まで設定されていました。
確かに、本線系では短距離用の荷物電車が設定されていたことを考えれば、常磐線に荷物列車が設定されていてもなんら不思議ではないわけですが、なぜ気動車だったのでしょうか?



昭和57年10月12日 常磐線 荒川沖~土浦間にて

首都圏では最後まで見られた10系列の気動車で、大変貴重な存在でした。走っている時間帯も良く、常磐線に撮影に行くと良く出くわしましたね。





昭和57年10月12日 常磐線 土浦~荒川沖間にて キニ563+キニ553

上の写真が進行方向先頭で、下の写真が後追いです。

1両目の車輌は「キニ563」で、元「キハ5514」からの改造車です。昭和49年12月17日に大宮工場で改造・竣工し、水戸機関区に配置されました。
種車の「キハ5514」はキハ55型の初期車で、妻面にRが付いた独特の形状をしており、改造後もRが付いたままの車体で特徴がありました。昭和61年12月18日付けで廃車となっています。

2両目の車輌は「キニ553」で、元はキハ10系の2エンジン車「キハ5110」からの改造車です。3は昭和40年9月2日に多度津工場で改造・竣工し、他の1・2・4とすべての車輌が竣工とともに水戸機関区に配置されました。キニ55の2と3が昭和58年6月17日に、1と4が昭和59年5月8日に廃車され、10系気動車として最後まで残った形式でもあります。



昭和60年8月25日 常磐線 神立~高浜間にて キニ56+キニ58

この写真は後追いです。
番号は未確認ですが、後尾車(右側)の「キニ56」は水戸機関区に1台のみの配置ですので、「キニ563」で間違いないでしょう。
先頭車(左側)は「キニ58」で、老朽化した前述「キニ55」の代替車として、2エンジングリーン車である「キロ58」からの改造で誕生しています。昭和53年7月から9月にかけて名古屋工場・幡生工場で3両が改造・竣工し、全車水戸機関区に配置になっています。荷物輸送の廃止により、昭和61~62年にかけて全車が廃車になっています。(「キニ581」は「碓氷峠鉄道文化むら」にて保存・展示。)

水戸機関区配置の荷物気動車は、全国に配置された改造荷物気動車に比べてバラエティーさには欠けますが、常磐線用に2エンジン車を配置していたのが特徴といえます。これは、平坦路線の常磐線ですが、電車のダイヤに影響させないための措置と聞いております。

交流又は交直両用の荷物電車が今もって製造・改造されたことが無かったのは、交流区間における普通列車が客車列車主体であり、特別に専用の荷物電車を用意する必要がなかったという時代背景でしょう。もし、現在も荷物輸送が活発に行われていれば、もしかしたら誕生していたかもしれません。


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荷物・郵便合造電車:クモユニ74

2011-03-22 00:30:00 | 荷物列車、荷物車
荷物・郵便合造電車:クモユニ74

クモユニ74は、昭和37年~40年くらいにかけて、それまで旧型国電同士にしか連結できなかった荷物電車の区間において誕生した新性能車への併結を可能にした、荷物・郵便合造車です。すべての車両がモハ72に車体を載せ替えた改造車となっています。

連結相手や運用される地域によって、0番代、100番代、200番代があり、さらに番代ごとの製造時期、再改造により形態にやや複雑さがあります。



昭和51年 総武本線 錦糸町駅にて

スカ色のクモユニ74です。オートハーフでの撮影ですのでブレブレのどうしようもない写真なのですが、錦糸町辺りに房総急行など複数回撮影に行っている割にはあまり出くわしたことが無い様で、残念ながらこの1枚しかありません。
全国的にも、このスカ色クモユニ74は珍しかったようです。写真は角にRの付いた形態で、シールドビームとなっていますので、012~014のいずれかと思われます。



昭和52年 高崎駅にて

この頃、たまたま立ち寄った高崎で信越線の80系を知り、2度ほど連続で訪れています。メインは80系の写真でしたが、この頃は両毛線にも本数は少なくなっていましたが、70系電車が走っていたのでやはり何枚か撮っています。

その中でも、偶然居合わせていたのがこの列車で、高崎寄りにクモユニ74を連結しています。シールドビームとなっていますが、車体角にRが付いたシールドビームとなっていますので、201~207のいずれかと思われます。寒冷地仕様のためホイッスルカバーが付いているのが判りますね。勾配抑速ブレーキも付いており、主に上越地区で活躍していました。

次位にはサロ85改造の両毛線名物クハ77も見えて、如何にも両毛線らしい編成となっています。


昭和53年か54年くらい 品川駅にて

0番代の車両で、グループとしても一番多い形態です。同形式同士または新性能車としか連結できません。したがって、113系や153系との併結は見られましたが、80系と組む運用は存在しなかったようです。



昭和56年2月1日 早川~根府川間にて



昭和56年9月28日 東戸塚駅付近にて



昭和58年7月24日 東戸塚駅付近にて

東海道線へ撮影に行く都度、このようなクモユニ2連の写真を撮っていたようです。おそらく、撮影しやすい時間帯にスジが設定されていて、同じ列車を何回も撮影していたのではないかと思われます。



昭和52年頃 東北本線 西川口~蕨間にて

この写真はブローニー6×6で撮影しています。
クモユニ74を連結した6両編成の荷物列車。私が小学生の頃からずっと存在していました。
子供の頃は何が繋がっているのか理解できませんでしたが、クモユニ74やクモニ83で組まれていましたね。寒冷地仕様のクモユニ74200番代も居たのですが、この大目玉の74も必ず連結されていました。
方向幕を見ると、どうも「豊橋」の上の部分が見えているような気がします。東海道線と共通運用だったのでしょうかね。

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