京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

祇王寺の秋の草花

2014-09-30 05:17:35 | 寺院・庭園

この何日間は、気持ちよい秋晴れの日が続いています。
でも、日中は暑くなりますので、やはり散策は朝のうちです。
昨日は、嵯峨野祇王寺に秋の草花を見に行ってきました。
私の大好きな祇王寺、今回も期待を裏切ることはありませんでした。

ニシキギの紅葉が出迎えてくれます。
これからもっと赤くなります。





相変わらず、苔が美しい、幻想的な景色です。





水が撒かれたシダは、生き生きしています。





この景色を見たくて、いつも訪れています。










昨日撮影した祇王寺の草花を紹介しましょう。

ツバキの実です。







草庵に秋の草花が生けられています。





山芍薬の熟した実です。





ピラミッドアジサイがまだ咲いていました。





鬼柚子です。





蹲(つくばい)とギボウシ









アケビの実です。
子どもの頃、山に入っては取って食しました。





ムラサキシキブ





大イヌタデ生けられていました。
趣があります。




今が見頃のタマアジサイです。





キレンゲショウマです。





草庵です。




草庵の中の「吉野窓」です。





これからの紅葉が楽しみですが、今はまだ緑です。





でも、紅葉した葉っぱがこ苔の上に落ちています。





着色したような赤です。





洛西大原野で自生している藤袴を株分けした藤袴です。
国の準絶滅危惧種、京都府では絶滅寸前種になっていますが、
最近、原種の藤袴を増やそうという動きが多いのは、嬉しい限りです。





いかがでしたでしょうか。
もう10月です。来週はぐっと気温が下がるとの予報でした。
京都の紅葉の見頃は、11月以降です。
これから一月ほど、ゆっくりとすすむ、京都の紅葉を楽しみたいと思います。




詩仙堂、曼殊院、修学院離宮への散策

2014-09-29 11:21:20 | 寺院・庭園

京都市内に住んでいますが、いまだに足を運んでいない場所があります。
それは、詩仙堂や曼殊院、修学院離宮などの地です。
道幅狭く、車で行く気にならず、さりとて、市バス停留所から遠く、
退職後時間がとれ、ゆっくりしたら訪れようと思っていたのです。

近くに住む知人から、紅葉シーズンは芋の子を洗うように混雑する、
とも聞いておりましたので、シーズン前の昨日早朝訪れた次第です。

まずは、詩仙堂です。
江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡で、国の史跡に指定されています。
私が着いたのは、拝観時間(9:00~)前なので、拝観できません。
入り口付近まで入れましたので、そこまでの画像です。





掃き清められた参道














次に向かったのは、臨済宗南禅寺派の圓光寺です。
毎週日曜日に、早朝座禅会の看板がでていました。





門前の苔がきれいだったのが印象的でした。





境内の水芙蓉もきれいでした。





天台宗真盛宗も西圓寺の入り口、一部色づいていました。






天台宗の門跡寺院、 曼殊院に向かいます。
門跡は、皇族や摂関家の子弟が門主となる寺院のことです。

緑深い参道です。









土塀と青紅葉のコントラストが気に入りました。





苔むし、朽ちた大木の後から新たな命です。




ギボウシが咲いていました。





曼殊院から修学院離宮に向かう道中
黄花コスモス





関西セミナーハウス修学院きらら荘





この辺りは、かなり山際に入り込んでいます。
この看板、ちょっとドキッ。




関西セミナーハウスの近くに看板が立っています。
「雲母坂」の案内です。難しい読み方ですが、「きららざか」と言います。
ここは古来、都から比叡山への主要なルートの一つでした。
都から勅使や修行僧がよく、行き来した古道で、
修学院離宮の外縁を沿うように比叡山に登ります。
昨日も、しっかりと装備したハイカーが雲母坂を登っていきました。

市内中心部よりかなりの高台です。





道中のコスモス





アザミ




修学院離宮です。
前もって宮内庁に申し込まないと入れません。





最終地は赤山禅院です。
平安時代に創建された天台宗の寺院で、秋の紅葉の名所の一つです。










紅葉時期はきれいでしょうね。




ここはお参りする人が絶えないですね。





少し歩き疲れました。
それでも、お昼前には帰宅できました。
これからの紅葉シーズン、もう一度訪れたいですが、、、、。
やはり、アクセスが良くないです。
















『第61回 日本伝統工芸展』日曜美術館

2014-09-28 20:30:12 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は『 風と土と技と 第61回 日本伝統工芸展 』です。





昭和29年始まった日本工芸伝統展は、戦後急速に失なわれつつあった、
工芸の技を守り育てるために開催されました。
以来毎年開催され、陶芸や染色などの受賞作が選ばれます。

今年の伝統工芸展は、1,600点以上の中から、15 作品が受賞しました。
そこには、日本の"風土"に育まれた美の世界が広がって います。
東京を皮切りに、主要都市でこれらの作品が巡回展示されます。

日曜美術館で紹介された受賞作品の画像をお届けします。

最も栄えある高松宮記念賞に輝いた作品
長板中形着尺「漣紋(さざなみもん)」松原伸生・千葉
江戸時代の古紋を再現したそうです。










日本工芸会奨励賞
陶芸彩色「寒威」溝口堂央・福岡
雪がしんしんと降るなか神事に参加する少年の人形です。





日本工芸会新人賞
栃拭漆十角飾箱 市川正人・京都
表面をカンナで削り、微妙な曲線になっています。





日本工芸会会長賞
透網代箱(すかしあじろばこ) 松本破風・千葉
透網代の美しさが見事です。





日本工芸会新人賞
久留米絣(かすり)着物「思い出」柿本真木子・福岡





日本工芸会保持者賞
銀打ち出し火器「風韻」大角幸枝・東京










日本工芸会新人賞
木芯桐塑(もくしんとうそ)布紙貼「しだかじ」 満丸正人・大阪
祖母の姿を和紙で表しています。
「しだかじ」とは、涼やかな風を意味する沖縄の言葉





日本工芸奨励賞
彩刻磁(さいこくじ)鉢 石橋裕史・京都










文部科学大臣賞
蒔絵八角箱「月華」 大角裕二・石川
黒い漆の上に貝殻の螺鈿と銀をちりばめたススキがいいですね。
蓋をはずすと、金粉で描いたウサギとキツネ










日本工芸奨励賞
乾漆(かんしつ)蓋物「暁」 山田勘太・石川





日本工芸奨励賞
友禅訪問着「群れ」 水橋さおり・神奈川
描かれているのは羊の群れです。










朝日新聞社賞
黒描鳥花文鉢 米田和・石川
大胆な筆遣いです。





日本工芸奨励賞
朧(おぼろ)銀花器「纏う(まとう)」清水竜朗・福井





日本工芸奨励賞
黒柿有線寄木像嵌(ぞうがん)箱 渡辺晃男・東京





NHK会長賞
截金(きりかね)硝子長方皿「流衍(りゅうえん)」山本茜・京都
截金は、金箔などを細く直線状に切り、
筆と接着剤で貼って文様を表現する伝統技法です。
私が一番気に入った作品で、素晴らしいの一言に尽きます。

私は過去の番組のなかでですが、截金を見て感動した作品があります。
2007年急死された人間国宝、江里佐代子さんの代表作、
京都迎賓館の晩餐室「藤の間」の舞台扉に截金を施した、
「響 流光韻」です。感動物です。
















山本さんの作品、これも実に素晴らしいと思います。





山本さんにとっ ては、平安の美意識が今に息づく京都にいることが、
作品づくりの原動力になっているそうです。


この作品展は、全国を巡回します。

日本橋三越本店 ~9月29日
名古屋栄三越 10月1日~10月6日
京都高島屋 10月8日~10月13日
あべのハルカス大阪芸術大学スカイ キャンパス 10月16日~10月22日
石川県立美術館10月31日~11月9日
岡山県立美術館 11月13日~11月30日
島根県立美術館 12月3日~12月25日
香川県立ミュージアム2015年1月2日~1月 18日







秋晴れの半日、妻とドライブ

2014-09-28 05:26:22 | 京都めぐり

前日に続き、朝から素晴らしい秋晴れです。
久しぶりに妻が、土曜日休みとなりました。
私「久しぶりにドライブにいきましょうか」
妻「行きま~す」

ということで、 可哀想なくらい乗っていない、
わが家の車を動かすことにしました。
年間 2,000kmも走れば、大上等です。
「たまには、少し走らせないとバッテリーがあがってしまいます」、
と車屋さんのアドバイスをいつも受けています。

向かった のは、洛北の集落、静原と大原です。
市内中心部からでは、二山越えます。

途中、上賀茂の柊野で、探し求めていた稲架掛けと思いきや、
脱穀が終わった稲ワラが干してあっただけでした。残念です。









山を超え、静原の集落です。
長閑な、山村集落の景色が広がります。





コスモスがきれいです。





田んぼが黒いと思って見たら、黒米でした。










もう一山越えると、大原です。
三千院や寂光院などが有名ですが、今回はドライブ優先で拝観しません。
ここも、長閑な山里の景色です。





大原に来たら必ず立ち寄る、道の駅ならぬ「駅の里」
どう違うのといつも思いながら、、、。





地元の野菜やお米、手作り食品などが販売されています。
でも、私たちが入った時は、ほとんど売り切れでした。

ここで見つけた和花

ホトトギス、私も妻も好きです。





黄花ホトトギス





黒花ホトトギス





モモシキブ
ムラサキシキブの桃色版?





彼岸花、そろそろ見納めです。





帰り道、市内に戻り、私が散策でよく来る、
広沢の池と北嵯峨の景色を妻にも見せることにしました。
広沢の池は、大分の初沢池、奈良の猿沢池とともに、
日本三大沢の一つとして、古くから有名です。
観月の名所としても有名で、松尾芭蕉が詠んだ地とされています。

『名月や 池をめぐりて 夜もすがら』









池に大鷺(ダイサギ)がいました。





広沢の池付近の北嵯峨の景色です。










ここもコスモスがとてもきれいです。





後宇多天皇陵墓の近くで見つけたチュウサギ?





北嵯峨から嵐山渡月橋を通り、帰路に向かいました。





家に帰り着いたのはお昼前、お昼ご飯を作っていると、
妻はソファーで寝ていました。
やはり、疲れていたようです。




「藤袴と和の花展」朱雀の庭

2014-09-27 05:21:23 | 京都めぐり

梅小路公園の朱雀の庭で、「藤袴と和の花展」が昨日から開催されました。
以前はよく、梅小路公園を訪れましたが、水族館ができて以降は、
大混雑に圧倒され、足が遠のいていました。

会場入り口




藤袴はキク科の多年草で、9~10月に藤色かかった白い花をつけます。
昔から河原や野辺に咲く山野草として親しまれてきました。
「日本書紀」に最初に登場し、「万葉集」には秋の七草として、
詠まれています。

園芸員の方にお聞きしますと、藤袴は結構強い花だそうです。
株分けと挿し芽で、ほぼ100% 増やせるとのことでした。
それなのに、激減しているのは、藤袴の育つ環境そのものが、
減少しているからだと仰有っていました。

今回の展示会では、藤袴の鉢を、朱雀の庭の「水鏡」の上に配置しています。





「水鏡」とは、黒御影石を敷き詰めた上に、1cmほどの水を張り、
鏡のように演出した池のことです。
夜は月を映すそうです。
「水鏡」に映された十五夜の月は、さぞかし素晴らしいと思います。
一度見てみたいですが、閉館時間なのが残念です。









入り口の藤袴の2鉢は、冷泉家からお借りしてきたものだそうです。
少し葉が大きく、背丈も高いのが特徴だそうです。
和歌の家、冷泉家では、藤袴は男性をあらわすそうです。








朱雀の庭は、山里の景観を現し、野筋や築山もあります。














広い園内をゆっくり、秋の和花を観賞しながら歩きます。





撮影した花を紹介します。

サワギキョウ(準絶滅危惧種)





イヌハギ(絶滅寸前種)





黄花ホトトギス





青葉山大文字草





フジウツギ





オヒガンギボシ





ヤマノホトトギス





カワミドリ





シュウカイドウ





イワシャジン





ヤマジノギク(絶滅危惧種)





キノシタ





アサマフウロ(準絶滅危惧種)





キブネギク





スズムシバナ





ナンテンハギ





ホトトギス





トリカブト





ヒダカミセバヤ
日高地方で発見された、ミセバヤは見せたいという古語だそうです。





ハギ





カメオ





彼岸花






画像が多かったですが、いかがでしたか。
見終わって、大広場や水族館の方へ行こうと思ったのですが、
暑すぎて断念しました。

私は梅小路公園の大広場に立つと、少し興奮します。
この場所は、平清盛と一族の邸宅、西八条第があった場所だからです。
平安京好きの私には、たまらない場所のひとつです。

『夏草や兵どもが夢の跡』

芭蕉が、平泉で奥州藤原一族が繁栄した地で詠んだものですが、
私は梅小路公園の大広場に立つと、いつもこの句を思い出します。





























松尾大社から東海自然道を歩く

2014-09-26 05:03:51 | 京都めぐり

昨日は台風の影響もなく、青空も見えました。
散策は四条通りの西の端、松尾大社から出発です。
まずは、松尾大社の赤鳥居です。





鳥居の上部に、小枝を束ねたものが垂れ下がっています。
これは「脇勧請(わきかんじん)」と言います。
鳥居の原始形式を示し、榊の束は十二(閏年は十三)あり、
月々の農作物の出来具合を占った、太古の風俗を、
そのまま伝えていると言われています。


松尾大社から、桂川河川敷の東海自然道を北上します。
途中、道路の一画にたくさんの花が植えられていました。
思わず、カメラを向け、シャッターを切りました。
今回、花の名前は省略します。
















































































散策でこれほどのお花に出会えると、とても嬉しくなります。
定年退職後しばらくは、朝に会社員の出勤風景を見ると、
なんだか申し訳ない気持ちになりました。
最近はほとんど気になることもなくなり、出勤風景をよそ目に、
ほとんど毎日、散策を楽しんでいます。

行き先は、京都市内の東山区、左京区、北区、上京区、中京区、
下京区、右京区、そして、南区や西京区の一部です。
比較的狭い範囲をウロウロしているわけです。
しかし、狭い割には、世界遺産の寺社仏閣、美術館も多く、
大好きな庭園や植物園もあります。
そして鴨川、桂川もあり、東山、北山、西山に囲まれた山紫水明の地です。
散策しながら多くの季節の草花を楽しめます。
京都で定年後の生活をおくれていることを感謝しています。


散策の終盤、阪急嵐山駅の近くに出てきます。
そして、いつもの、渡月橋に寄り、フィニッシュです。





嵐山の山肌も深い緑から、少しずつ変化しています。









京都洛西大原野の田園風景

2014-09-25 05:24:40 | 京都めぐり

台風の影響で、午後から天気が崩れるというので、
昨日の朝早く、車で洛西大原野に行ってきました。
ここには、 勝持寺、大原野神社、正法寺などの寺社があり、
もう少し足を伸ばせば、善峰寺もあります。
紅葉も美しいところですが、何せ公共交通機関が不便なのが残念です。

先日、北嵯峨の秋の田園風景を撮影しに行った際、
小鳥の撮影に来ていた方とお話しました。
京都市内で北嵯峨のような長閑な景色はなくなってきた、
という話のなかで、「洛西大原野はまだいいですよ」と、
アドバイスを受けたのです。

北嵯峨では見れなかった、 刈り取った稲を木で作った柵に干す、
稲架掛け(はさかけ)が見られるかもとの期待もありました。

稲架掛けは、昔はどこでもよく見られた光景ですが、最近は、
コンバインで稲刈り、脱穀、袋詰めを全て行ってしまいます。

結果は大原野でも見ることができませんでした。
京都市内では、 稲架掛けはもはや心象風景となってしまったのでしょうか。

お天気がいまひとつでしたが、京都の秋、大原野の景色をお届けします。


大原野の田園風景(稲刈り後)






黄金色の稲穂の景色





農作業するお年寄りの方





手作り案山子





稲藁を燃やした後






田んぼの中に大鷺(ダイサギ)がいました。





田園に咲いていた花です。

見頃開始の秋桜




彼岸花もまだ見頃です。









ちょっと、ボケ気味ですが、アザミ





タンポポも撮影しておきましょう。





タンポポの綿毛、よく吹いて遊んでいました。






黄花コスモス























蝶々です。





たくさんのヒマワリも咲いていました。





最後に、秋の味覚も大原野でみつけました。










もうすっかり秋です。
わが家には、以前柿の木がありました。
桃栗三年柿八年と言われるように、苗木から8年くらいで、
甘い柿が実りました。
隔年ですが、多いときは100個ほど実り、美味しくいただきました。
勿論、鳥たちもです。
柿の木の前は、桜だったのですが、あまりにも虫がつき、
植え替えたのでした。
今は、柿の木ではなく、わが家の主木は、モミジとハナミズキです。





萩まつり、晴明祭り

2014-09-24 05:22:29 | 京都めぐり

いつもは、朝散歩にでかけると、昼までには帰宅します。
午後は掃除をし、足りない食材の買い物にでかけ、
洗濯物を片付け、夕食づくりなどで終わります。
でも日曜日は、あまりの秋晴れに気持ち良くて、午後もでかけました。

向かったのは、「萩まつり」が行われている梨木神社と、
「晴明祭り」が行われている晴明神社です。

梨木神社の境内の萩の枝には、短歌や俳句の短冊が結ばれています。















境内には「梨木神社萩の会」の初代会長、湯川秀樹の歌碑が立っています。

『千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れさく萩』





私は残念ながら、俳句や短歌などの素養がありません。
現役時代、美術鑑賞や、庭園めぐりくらいしかできませんでした。

茶道や俳句、短歌などを勉強しておけば、
もっと退職後の生活が豊かになるのではと、悔いているところです。

妻は、「今からでも始めたらどうですか」と言ってくれますが、
どこから始めていいかもわからずにいます。





古の都人は、句を詠んで、愛しい人に思いを伝えたのでしょう。
万葉の時代、男女とも髪に萩の花を飾り、
恋文を荻の花の小枝に結んで、贈りあっていたそうです。

平安の昔も、萩の花は、紫式部などにも愛されていました。
素朴な花ですが、いとおしくなります。

花言葉は、過去の思い出、 思案、物思いです。





次に向かったのは、晴明神社です。
以前の晴明神社は、ひっそりとしていたのですが、
漫画や小説の影響でしょうか、急に参拝客が増えた感があります。





お参りする方々です。









出店もでています。
夜は、迎え提灯のお練り歩きや、湯立神楽もあります。
昨日が神幸祭で、総勢500名の鼓笛隊列が西陣地区を練り歩きます。
本祭に行きたかったのですが、避けられない用事のため断念です。
来年にとっておきましょう。







北嵯峨稲刈り後の景色と渡月橋

2014-09-23 05:21:46 | 京都めぐり

先日、北嵯峨の稲刈りと、彼岸花、案山子をお届けしました。

昨日、北嵯峨の稲刈り後の景色を見たくなり、朝の散歩にとでかけました。

彼岸花はどこも見頃になりました。
やはり、名前の通り、お彼岸に見頃になりますね。


北嵯峨に向かう道中、桂川に咲く彼岸花です。





背後に、小さく渡月橋が写ってうるのがわかりますか?





昨日の渡月橋
少しずつ嵐山が色づいているようです。





北嵯峨の稲刈りを終えた田んぼです。





うろうろ歩いていましたら、農家の方がおられましたので、
少しおしゃべりさせてもらいました。

私「彼岸花はモグラよけと聞いたことがあるのですが、
このあたりもそうなのでしょうか。」

農家の方曰く。
昔はモグラが穴を堀り、田んぼに入って食い荒らすのを防ぐために、
球根に毒がある彼岸花を田んぼの畦道に植えたそうです。
そして、その大事な彼岸花が、取られないように、
家に持って帰れば、その家が火事になると言って、戒めたそうです。
でも今では、田んぼの周囲にプラスチックの板を入れたので、
モグラも田んぼに入ってこれないとのことでした。

ですから、以前のような彼岸花の役目でなくなっきたと、
農家の方は仰有っていました。

田んぼのプラスチック板





私「以前はよく、稲刈りの後の稲ワラを田んぼで燃やす光景が、
目に焼き付いていたのですが、今はされないのですか?」

農家方曰く。
手刈りのときは、家で使う分以外は、積み上げて肥料にしたり、
稲ワラは田んぼで焼いていたそうです。
でも今は、コンバインで収穫後、粉々に粉砕し、そのまま、
田んぼに蒔いておき、耕運機で粉砕したワラごと、土を耕し、
畑に転用するか、翌年また田んぼにするそうです。





畑に転用するため、稲刈り後に耕した田んぼ
写真は手刈りのたんぼです。
十数名で田んぼを借り上げ、手刈りを楽しんでいる田んぼです。





でも、やはり、稲ワラは出るので、多少は燃やすそうです。
まさか、京都市の有料のゴミ袋に入れて出すわけにもいかない、
と仰有っていました。

田んぼに残った稲ワラ





稲ワラではないかもしれませんが、燃やしていました。





燃やした稲ワラを田んぼに蒔いたのか、それとも直焼き?





子ども時分の農家のことしか、頭になかったもので、
今回、大変勉強になりました。

まだ、稲刈り前の田んぼと手作り案山子
先日の案山子は、美術作品のようでした。
やはり手作りの方が、風情があります。





時間が経つにつれ、青空になってきました。





畦道に藤袴も咲いていました。





前回に続き、北嵯峨の彼岸花です。















帰り道、青空に映えるノゲイトウ





北嵯峨の稲刈り後の景色、いかがでしたか。
北嵯峨も京都市内ですが、私には、どこか別世界のようにさえ思えます。



妻と秋の花探し散策

2014-09-22 11:14:53 | 京都めぐり


妻は12月に60歳となり、年内いっぱいで定年退職となります。
私としては、もうそろそろ役職も降りて、
のんびりしたらと思うのですが、そうもいかないようです。
しかも、最近は特に忙しく、先日の三連休もほとんど仕事でした。

一昨日の土曜も仕事でした。
日曜日は久しぶりのお休みでしたが、疲れに加え、
風邪気味でいまいち体調が良くないようです。

私は、妻をゆっくり休ませ、一人で散歩にと思っていましたが、
声をかけると、「私も行きたい」と言います。
暖かい秋晴れの一日になりそうな朝でした。
二人の久しぶりの散歩デートなので、
秋の山草花を見つけに行くことにしました。

私の草花好きは、妻の影響です。
妻は生け花をやっていましたが、山野草が好きです。
野山の散策で、「この花は○○」と、
いつも妻から教えてもらっているうちに、私も好きになったのです。
わが家の小さいながらも3つの庭には、
妻が好きな山野草が植えられています。

昨日の散歩で、出会った秋の花を紹介しましょう。


ノゲイトウ





彼岸花の白





藤袴(フジバカマ)





女郎花(オミナエシ)





ツリガネニンジン





ナンバンギセル





ベンケイソウ





ボタンボウフウの蝶





ススキ





ミズアオイ





ミツガシワ





カリガネソウ





ノカンゾウ





スズムシバナ





ミツデコトジゾウ





ミズヒキソウ





青空に映えるコスモス






日中は暑いくらいでした。
少し歩き疲れて家に帰ると、わが家の彼岸花も咲いていました。





今はタマスダレもきれいです。

























『民藝の巨人・芹沢銈介』日曜美術館

2014-09-21 20:54:05 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、 『あふれ出る"デザイン" 民藝の巨人・芹沢銈介』です。
私は、芹沢銈介の作品を、今まで何度か目にしてきました。
そのつど、斬新さ、奇抜さ、多彩な色使いと、
デザイン力に驚かされてきました。
今回、日曜美術館で取り上げられ、非常に嬉しく思っています。





芹沢銈介(1895~1984)は、型紙を使ってひとりで布を染め上げる、
型絵染の人間国宝です。





型絵染は、まず、紙に書いた下絵に沿って小刀で、
模様を切り抜き、型紙を作ります。
そして型紙の上から、布に色を塗ると、
色をつけたいところだけ染めることができます。
本来分業であった工程を芹沢はすべて一人でこなしたのです。

芹沢銈介は、静岡の名家に生まれ、東京高等工業学校図案科を卒業後、
図案や手芸の指導をし ていました。
その後、民藝運動をけん引した柳宗悦と出会い、人生が一変します。
「用」と 「美」の手仕事で作られた、日用品の持つ美しさにひかれます。

さらに沖縄伝統の染物「紅型(びんがた)」と出会い、
独自の道を切り開いていきます。
芹沢は晩年、目に見えたあらゆるものは模様に見えたと言います。


静岡市 芹沢銈介美術館
生前寄贈された600点の作品が収蔵されています。










「鯉泳ぐ文着物」
海外で高く評価された着物です。
朱色の海を力強く泳ぐ鯛の群れ










「薪文のれん」




「縄のれん文のれん」





「貝文着物」





「ばんどり図四曲屏風」





「ばんどり図」型紙





「小川紙漉軸」
強い陽射しに照り映える赤や青、軒先で板干しをする和紙の里の光景















「沖縄大市」





「津村小庵文帯地」型紙





「津村小庵文帯地」
上の型紙がこんなきれいな色彩に変わります。





「芭蕉文着物」
沖縄の芭蕉布に青で染めた芭蕉の葉





1976年、フランス政府の招待で渡仏し、パリで注目されます。
「風」の文字をデザインしたのれんが大人気を博 しました。






文字をデザインした代表作
「風の字文のれん」





「結び寿文のれん」






「いろは文六曲屏風」
文字と絵を組み合わせた作品です。





「天の字文のれん」





「春夏秋冬二曲屏風」





「福の字文(竹と牡丹)のれん」






芹沢銈介の展示会の巡回先です。
京都は年明けの1月、楽しみです。















無鄰菴(むりんあん)とハレの岡崎

2014-09-21 05:22:06 | 京都めぐり

前日、平安神宮神苑を訪れたばかりですが、
美術館に寄る時間がありませんでした。
それで、昨日の散歩は、無鄰菴→美術館にしました。
京都市美術館では、『第99回院展』と『第33回汎具象展』、
京都国立美術館では『ホイッスラー展』が開催されていたのです。
美術館の記事は後日、投稿します。

無鄰菴は、明治の元老山縣有朋の別荘だったところです。
庭は山縣自らの設計、名造園家小川治兵衛の作庭による、
池泉式回遊庭園です。





中に入りまーす。

飛び石を歩きます。






すぐに目に飛び込んでくる景色です。
東山が借景です。





鑓水と池のまわりを歩きます。















苔が美しい世界です。
紅葉の葉も映っていますが、わかりますか。





果物が落ちているのかと思いきや、
庭師さんにお聞きしますと、草木瓜(クサボケ)の実だそうです。





万両ですが、まだ実が赤くなっていません。





ムラサキシキブです。





母屋です。





中では、お茶をいただくことができます。





久しぶりに洋館に入ります。
ここで 無鄰菴会議(1903)が行われ、日露戦争開戦直前の日本の外交方針が決められたのだそうです。
部屋の中は、薄暗くしてあります。





無鄰菴の向かいは、瓢亭さんです。





無鄰菴を出ますと、比叡山が見えます。





ところで、土日は「京都岡崎ハレ舞台」と称し、
「京都国際マンガアニメフェア」、「京都岡崎レッドカーペット」、
「あかりとアートのプロムナード」のイベントが開催されていました。

レッドカーペット




公園では、ご当地グルメフェスティバルも開催





特に、マンガアニメフェアはみやこめっせで開催されているのですが、
入場待ちの超ー長蛇の列に驚きです。
会場から南側の疎水を一周し、さらに、美術館、動物園にまで、
並んでいるのです。
若い方がほとんどですが、外国人も目につきます。
私はアニメとかマンガは、読みませんが、案外こういう文化が、
これからの成長戦略になるのかもしれないと、行列を見て思いました。














平安神宮神苑の初秋の花

2014-09-20 05:25:55 | 京都めぐり

昨日19日は、平安神宮神苑が無料公開日でした。
なんでも理由は、南神苑の「平安の苑」の開設記念日だからだそうです。
開苑時間は8時半、私が着いたのはその少し前です。






應天門を通り抜けると、いつもの白砂の広場は、
翌日のイベント用でしょうか、舞台が設置され、
たくさんの椅子が並べられています。





無料の神苑に入りまーす。

南神苑の平安の庭は、平安時代の庭園の特色である、
野筋(入り組んだ道筋)と鑓水(小川の流れ込み)があり、
日本人が古来より愛でてきた植物が植栽されています。

まず目に入ってきたのは、萩です。
『さ夜なかに 友よび渡る 雁がねに うたて吹きそふ 萩の上風』
ー源氏物語 乙女の巻ー
















鑓水が流れ込んだ小池に、萩の花が散っています。
なかなか、風情のある景色です。





咲いていた花を紹介します。
オミナエシ(女郎花)
『 女郎花 しをれぞまさる 朝露の いかに置きける 名残なるらん』
ー源氏物語寄木の巻ー





藤袴も咲いています。
『おなじ野の 露にやつるる 藤袴 あはれはかけよ かごとばかりも』
ー源氏物語 藤袴の巻ー





紫苑(シオン)

『ふりはへて いざふるさとの 花みんと こしをにほひぞ うつろひにける』
ー古今和歌集ー





彼岸花です。




西と中神苑の池には、睡蓮が咲いています。














ここにも萩の花が見頃をむかえています。










お休み処の野点傘です。





神苑の池に映る野点傘もいいものです。





東神苑の泰平閣です。





ススキと尚美館です。





平安神宮神苑の初秋の景色いかがでしたか。












源氏物語「空蝉 中川の家」梨木神社

2014-09-19 05:20:53 | 京都めぐり

先日、萩の名所のひとつ、梨木神社の萩をお届けしました。
一部咲いていましたが、見頃には少し早いものでした。

今月20日~23日、「萩まつり」が開催されますが、
毎年大勢の方がお見えになり、境内はたいそう混雑します。
それで昨日、「萩まつり」前の景色をと思い、足を運びました。

前回より、萩の花の開花は進んでいますが、
全体的にはもう少し先のようです。

本殿前の景色





境内の様子をお届けしましょう。

























ここの「萩まつり」には、何度も訪れているのですが、
今回、恥ずかしながら、初めて社務所前の案内板に気付きました。
毎年、混雑していて、どうやら案内板に目が行っていなかったようです。

案内板には、梨木神社のあたりは、源氏物語の、
空蝉の住んでいた中川の家だと言うのです。
この神社のすぐ近くの盧山寺は、
紫式部の邸宅跡というのは知っていたのですが、、、。










その説明文を読むと、私はたちまち、
光源氏と空蝉の世界にひきずりこまれてしまいました。

源氏物語をお読みいただいた方には、お分かりと思いますが、
まだの方もいらっしゃるのではと思います。
そこで、お話の概略文を掲載しておきます。
京都の観光情報サイトからの引用したものです。


『中川の女 空蝉』
空蝉(うつせみ)は受領(ずりょう)の妻である。
受領とは地方官のことで、 貴族とはいえ身分は低い。
彼女は元々相当の身分の人で、天皇の妃となるはず の女性であった。
が、父親が死んで、一挙に勢力を失う。
入内の夢も破れ、現在 の境遇に甘んじている。
夫は伊予介(いよのすけ)で、光源氏の恩顧を受けてい る男。
老いているが日焼けし首太くたくましい。
得た空蝉を掌中の珠とし全身全 霊で「二心なく」愛しているのだけれども、
彼女には、その愛がうとましい。

といった状況の中、たまたまか意図的か不明であるが、
彼女が身を寄せていた 中川の宿に、
方違え(かたたがえ)にやって来た光源氏に踏み込まれる。
この 時、彼女は「際(きわ)は際」と強く言ったが、
光源氏は意に介さなかった。
「際」とは身分のことで、私は貴方の世界の人間ではないという意味である。
光源氏の行動は違っていて、貴女は私の世界の人である、
と言っているに等しい。
光源氏の行為は、空蝉の心の奥底を激しく揺り動かしたのであるけれども、
彼女 は受領の妻であるという屈辱の現実を変更しようとはしなかった。
娘時代に何故 光源氏に逢えなかったのか。
逢えたら一年に一度の七夕にでもなったのに。
時と 運命を心底恨みつつも、以後、厳しく光源氏を拒む。

光源氏は、その後二度やって来ている。
彼女の弟の小君(こぎみ)を味方にして、
遣水 (やりみず)の涼しい中川の宿を訪れる。
絶対秘密のスリリングでスキャンダラスな真夏 の夜の行動。
一度は、渡殿の女房達の中に身 を隠し、二度は近づく気配を察し、
寸前で衣 装を抜けだし下着で逃げた。
「空蝉」(蝉の 脱け殻の意味)と呼ばれるゆえんである。
二 度目の拒否は、「空蝉巻」という短い巻で強く語られている。
光源氏は業を煮や し、情に流されやすく従順な夕顔と出会ったこともあって、
強情な空蝉に腹を立 て、諦める。

空蝉の葉に置く露の木隠れて忍びしのびに濡るる袖かな

(空蝉の羽に置いた露は木の葉に隠れて見えません。
私もあの蝉のように人知れ ず涙で袖を濡らしています。)

むなしく独りこの歌を詠んだ空蝉の心の底。君知るや。
やがて空蝉は、夫に連 れられて任国伊予に去る。
そしてその後、夫が常陸の介となると空蝉も付いて関 東に行く。
そのころ光源氏は失脚、須磨明石に沈淪(ちんりん)していた。
二人 の距離はさらに開いたわけである。この光源氏暗黒時代に、
夫が大国である常陸 の介になり出世しているということは、
夫が光源氏を裏切ったということでもあ る。
空蝉を愛してやまぬ老いた夫は、 光源氏に殉じて、
落魄する道を断乎として選 ばなかったのだと想像される。
彼は死ぬ時、この空蝉を守るために、
この身は死 んでも魂を残しておきたいと思った。
老いた夫の「二心なき愛」。空蝉もって瞑 すべし、ではないか。

光源氏が政界に復帰し、石山寺にお礼参りにゆく。
同じころ常陸から京に帰る 空蝉一行と逢坂山の関所で出会う。
紅葉の美しい「関屋」。短いが印象的な巻 だ。
「関迎えに来ました」とわざとらしい冗談を光源氏は言い、
一行の中にいた 昔の小君を呼び出し久闊を叙する。
このあたりの光源氏の遣り口は、嫌味ったら しい。
言葉に「変わる心」をつかった者たちへの棘(とげ)がある。
が、空蝉に は、忸怩たる思いがあった。
自分の心は、流れて絶えないこの関のこの清水のよ うに、
昔も今も光源氏にあったのに。この心、君知らず。

夫に先立たれた後、空蝉は義理の息子の下心を知り、出家する。
その空蝉を光 源氏は自邸別院に引き取り、生涯世話をした。
彼は空蝉の心を知っていたのだろ うし、それよりも何よりも、
彼女がいるべき本来の世界に彼女を救いとったのだ と思う。

なお、中川の宿は、紫式部が住んでいたあたり。
空蝉には作者の面影があると よく言われる。

以上です。
今の世の中では、あり得ないように思いますが、
たまには、源氏物語の世界に想いをはせるのもいいものです。


家に帰り、庭をながめていますと、
ムラサキシキシブの実が色づいていました。






真如堂の藤袴(ふじばかま)と彼岸花、萩

2014-09-18 05:27:08 | 京都めぐり

彼岸花や萩が見頃になってきました。
北嵯峨の田んぼの畦道に咲く彼岸花はとても美しいものでした。
萩もそろそろ、見頃になります。
萩と言えば、先日訪れた梨木神社が有名ですが、
他にどこかないかと思案していました。

朝の会話

私「○○さん(妻の名前)、萩や彼岸花のきれいなところ、
どこだったか知ってる?」。
妻「真如堂の境内に咲いてなかったかしら。」
私「そうだね、じゃあ行ってきます。」

ということで、昨日の散策は真如堂にしました。

真如堂の赤門です。





三重塔のまわりも少し色づいています。
この塔の近くに黒谷さんの五重塔もあるのですが、
私は、真如堂の方が好きです。






社務所前に藤袴(ふじばかま)が咲いていました。










ご存じのように、藤袴は秋の七草の一つです。
昔、都人は藤袴の香りを楽しむために、
乾燥させた葉を匂い袋して、そっと着物に忍ばせたそうです。
万葉集や源氏物語、古今和歌集にも詠まれています。

紀貫之
『やどりせし 人のかたみか 藤袴 忘れがたき香ににほひつつ』

源氏物語で、夕霧が詠んだ和歌
『同じ野の露にやつるる藤袴 あはれはかけよ かことばかりも』

古の都人は、花に想いをこめて、歌を詠んでいました。
現在では、伝わらないでしょうね。
「言いたいことは、言葉にして」というところでしょうか。

真如堂藤袴は、近年絶滅危惧種に瀬している、
原種のものだそうです。
園芸店のは、同属他種または、雑種だそうです。


山茱萸 (さんしゅゆ)の実(ミズキ科)
春には黄色の花をつけ、今の時期には、グミのような実をつけ、
その実は漢方薬にも用いられます。




『 山茱萸にけぶるや雨も黄なんとなんぬ』 水原秋桜子


芙蓉も見頃でしょうか。






白と赤の混合色





真如堂の境内一面に萩が植えられています。
見頃は、もう少し先でしょうか。















秋の定番、彼岸花も咲いています。















赤葉赤花トキワマンサク





万両と蛙の置物





境内に咲いている花










櫨(はぜ)の木の紅葉








ケイトウ





真如堂の近く
「洛東九番 萩の霊場 迎称寺」の萩です。














風雪に傷んだ土塀と萩の花






昨日は、9時半過ぎまで所用があり、その後でかけましたので、
帰宅は正午過ぎになりました。
比較的、涼しい一日で、散策も汗もかかずで快適でした。