京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

京町屋 中京(5)山本邸、湯波半、奇竹堂、山田伊織、堀内長生庵、井尻邸、小野邸

2019-08-31 17:22:01 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き第5回です。

山本邸
歴史的意匠建造物
中京区押小路通御幸町西入橘町









湯波半
歴史的意匠建造物
中京区麩屋町通御池上る上白山町
1716(享保元)年創業の湯葉の専門店です。
ばったん床几に、格子戸、むしこ窓と代表的な京町家の落ち着いた店構えです。
暖簾をくぐるとすぐに作業場が広がり、職人たちの湯葉づくりが見学できます。














奇竹堂
歴史的意匠建造物
中京区押小路通富小路東入橘町
明治24(1891年)創業の竹の茶道具の名匠「奇竹堂」です。

















亀山伊織
歴史的意匠建造物
中京区二条通衣棚西入大恩寺町
京都でも知る人ぞ知る干菓子の名店です。茶会に合わせて注文を行い、受け取るという形式です。
創業約400年、当代18代目。








    
堀内長生庵
歴史的意匠建造物
中京区釜座通二条上る大黒町
堀内家は代々表千家の宗匠を務める茶家、堀内家の庵号は長生庵といい、利休形二畳台目の茶室を指します。
wikipedia以下
堀内家の家祖は国学者と伝えられる堀内浄佐(1612~1699)であり、茶の湯を山田宗徧に学んだと伝えられる。初代、堀内仙鶴は浄佐の養子で、はじめ水間沾徳の門で俳諧を学び、のちに江戸を去り表千家6代覚々斎の門下に入った。俳人としても著名であり、同時代の茶人たちに大きな影響を与えたと伝えられる。4代方合斎が高槻藩の出身であったため、以後高槻藩永井家の茶頭を務めた。8代松翁宗完は明治8年(1875年)にタワフル夕顔蒔絵の立礼卓を考案し、表千家に立礼式を受容した。12代兼中斎は茶家には珍しい京都帝国大学理学部の出身で独特の茶風で知られる(当代分明斎も京都大学理学部卒)。

















井尻邸
歴史的意匠建造物
中京区姉小路通堺町東入木之下町










小野邸
景観重要建造物、歴史的意匠建造物
中京区 東木屋町通四条上る二丁目下樵木町















京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。

虫籠窓は表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。

犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。

駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。

鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。



国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。






古美術・画廊・古書店が並ぶレトロな寺町二条(1)

2019-08-31 05:35:17 | 京都の町 町屋・建造物


私の好きなレトロで味わいのある寺町二条界隈をぶらぶら歩いてきました。
寺町通は南北の通りで、北は紫明通から南は五条通までの約4.6kmです。
三条以北は平安京がつくられた当時の東端・東京極大路にあたります。
寺町という名前は豊臣秀吉の京都改造で通りの東側に寺院が集められたことからきています。
かつては主要な通りでしたが、河原町通りができてからは、通りの役割が大きく変わりました。
四条から高辻までは電気店街、四条から御池の区間はアーケードの「寺町京極」商店街で、いつも修学旅行生が歩いています。
御池から丸太町は古美術店や画廊、古書店などが並ぶ味わいのある通りです。

御池通りと寺町通りの交差点





右手は京都市役所です。
1927年(昭和2)設計は武田五一、中野進一です。
ガラス張りの西庁舎が今年4月1日に完成したばかりです。





丸太町通までぶらぶら歩きます。














西庁舎前は憩いのスペースです。









聞香処 
お香や書画用品などの老舗・鳩居堂が昨年オープンした店舗です。
鳩居堂本店と同じように文具用品や和雑貨販売だけでなく、香道を体験できるお店です。
香木の香りを聞き楽しむことを「聞香」というそうです。
私は毛筆などを鳩居堂本店で購入していますが、本店は向かいに引越しされています。





寺町二条です。





寺町二条の東南角に果物屋八百卯がありました。





梶井基次郎の小説「檸檬」1925年発表の舞台としてよく知られていました。
主人公が三条通にあった丸善・旧京都店の書棚に、爆弾に見立て置き去ったレモンを買い求めた店です。
「そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。」(梶井基次郎「檸檬」より)
私もよく通った丸善も、八百卯も既に閉店しました。
八百卯のビルはまだあるのですが、シャッターは閉まったままです。
 
村上開新堂と熊谷道具處、川越芋





村上開新堂
明治40年(1907)創業の京都で最も歴史ある洋菓子店です。
看板の文字,カーブのついたショーウィンドウなどレトロな佇まいが歴史を感じさせます。
店内には木枠のショーケース,タイル貼りの床などが当時のまま残されています。
2年ほど前よりカフェをオープン、ほうじ茶シフォンが美味しいです。
これには一保堂の極上ほうじ茶が使われています。


熊谷道具處
明治期に建てられた虫籠窓と達筆な看板を持つ店舗型の町家です。
店内は創業当時と同様,茶道具類や古美術品が多数並べられ,地域の景観を形成しています。





川越芋の思い出
知る人ぞ知る焼き芋の名店でした。
御夫婦で、奥さん亡き後は御主人一人で焼き芋を売っていました。
店内は焼き芋の釜の熱気でいつも熱かったです。いつも釜の側に小銭が無造作に置かれていました。
茶色の紙袋に熱々の焼き芋を入れてくれます。
美味しい美味しい焼き芋でした。当時で創業100年と聞きました。
2005年御主人が亡くなられました。跡取りはいないようです。
以来川越芋ビルのシャッターは閉められたままです。
いつも通ると思い出す一店です。





丁字屋 
町家のお店で古今東西の工芸雑貨などを販売しています。





古梅園京都支店 
奈良の墨匠「古梅園」の京都店として1714年に創業。墨、筆、硯、紙を専門に扱うお店です。





店の前に「藤原定家京極邸跡」の石碑があります。
藤原定家(1162~1241)京極邸は平安京左京二条四坊十三町にあったと伝えられています。
その邸地より定家は京極中納言と称されていました。
九条家に出入りし、良経(1169~1206)や慈円(1155~1225)の知遇を受け,後鳥羽院(1180~1239)に見出され、歌風を大成させます。
治承4(1180)~嘉禎元(1235)年に及ぶ日記『明月記』を残しています。
その墨蹟も「定家風」と呼ばれ古筆として尊重されています。





龍枝堂 
天明元年(西暦1781年)創業の老舗京筆のお店です。
紙、硯、墨、筆の専門店。





唯一の京筆販売





紙司
1845年江戸時代創業の「紙」の専門店です。
国産の生漉き紙や友禅紙など数多くの和紙、洋紙類を扱っています。
「手染懐紙」や季節の一筆箋など、オリジナルの小物も充実しています。
「紙を通して文化を創造する」を理念に掲げ、「言の葉大賞」を主催しています。





一保堂  
私もほうじ茶を買うときはここです。
京都を代表する日本茶の専門店、享保年間1717年創業の大きな町屋です。
近江出身の初代が「近江屋」として創業、弘化3年(1846)山階宮より、「茶、一つを保つように」と「一保堂」の屋号を賜ります。















左折すると夷川通り
昔は家具専門通りで、たくさんの家具屋が軒を並べていました。
私たちの結婚家具一式もここで購入しました。
しかしリーズナブル家具が世の中を席巻し、ここの家具屋はどんどん少なくなってしまいました。





次回夷川通から丸太町まで。




京町屋 中京(4)平井産業、細野福蔵商店、堀邸、金翠堂、宮脇売扇庵、大極殿、万足屋

2019-08-30 17:25:47 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き第4回です。

平井産業
歴史的意匠建造物
中京区新町通姉小路下る町頭町





























古い郵便ポストの下にあった説明
正式名称は「郵便差出箱一号丸型」、京都で最初に設置されたのがこの場所だそうです。





平井産業近くの町屋






細野福蔵商店
歴史的意匠建造物
中京区高倉通御池下る亀甲屋町
















 
堀邸
歴史的意匠建造物
中京区御幸町通御池下る大文字町





金色の鍾馗さんは珍しいです。








     
金翠堂
歴史的意匠建造物
中京区六角通富小路西入大黒町





















宮脇売扇庵
歴史的意匠建造物
中京区六角通富小路西入大黒町













大極殿本舗六角店(芝田邸)
景観重要建造物、歴史的意匠建造物
中京区六角通高倉東入堀之上町

















万足屋
歴史的意匠建造物
中京区蛸薬師通麩屋町通東入蛸屋町

















京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。

虫籠窓は表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。

犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。

駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。

鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明

国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。







本能辻子、南蛮寺跡

2019-08-30 05:37:52 | 京都の町 町屋・建造物


昨日の「旧本能寺と織田信長」の続きになります。

本能辻子

京都は古くから図子(辻子)や路地が多いと度々投稿していますが、本能辻子は新たにつくられた現代版の辻子です。
旧本能小学校の跡地には、京都市立堀川高等本能学舎、消防団、本能自治会・老人クラブ、特別養護老人ホーム、老人デイサービスセンター、京都市在宅介護支援センターの複合施設が建っていますが、辻子も初めから設計されたものです。
その複合施設の中を通って、油小路から小川通りまで出入りできるのが本能辻子です。
突き当たりが袋小路になっているのが路地、隣の通りまで行けるのが図子(辻子)です。





石畳で敷かれた辻子にはギャラリーや休息できるベンチなどがあります。
私も通ってみます(油小路から小川通り)





施設名





堀川高等本能学舎





駒札










本能自治会・老人クラブハウス





ギャラリー



















広場になっています。





小川通りに出ました。
本能辻子小川門と表示されています。









この辻子は建築・環境デザイン部門・環境デザインでグッドデザイン賞を受賞しています。


南蛮寺跡
旧本能寺を東に歩いていくと南蛮寺跡があります。
南蛮寺はキリスト教の教会堂のことで、京都には室町通と新町通に挟まれた蛸薬師通北側にありました。
イエズス会宣教師オルガンティーノが信長の信任を受けて、キリシタン武将として有名な高山右近らの協力を得て天正4年(1576)に建立したものです。
『洛中洛外名所図扇面』には鐘楼を備えた3階建ての建物が描かれています。
同志社大学による発掘調査では、大きな礎石が見つかりました。また、ズボンをはいた人物を描いた線彫りがある石製硯が出土しています。
出土した礎石は同志社大学今出川キャンパス構内に移設され、現在でも見学することができます。
南蛮寺は正式には被昇天の聖母教会です。バテレンの寺は新たな京名所として見物人で賑わいましたが、天正15年に豊臣秀吉が出した宣教師追放令によってキリスト教を弾圧に転じたのです。

洛中洛外名所図扇面




南蛮寺跡の駒札と石碑









旧本能寺跡と南蛮寺の場所








京町屋 中京(3)柊家旅館、柊家別館、旧前川邸、島津三条創業記念館、嶋臺、誉田屋

2019-08-29 18:21:56 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き第3回です。

柊家旅館
景観重要建造物、歴史的意匠建造物、京都を彩る建物第11号
文政元年(1818年)創業の旅館です。
麩屋町側の外観は駒寄せと樹齢80年余りのムベ,御池通り側は黒塀からなり道行く人の目を楽しませています。
旧館の表側は切妻造りで,入母屋造の角屋を出す大塀造りです。
通りに面して連担する土塀は,アクセントとなっている与力窓もあり,通り景観に存在感を示しています。
また土塀の入口部分を切り上げ,塀瓦の妻を見せることで,町家とは違う老舗旅館の玄関らしい趣を作り上げています。
中京区麩屋町通御池下る中白山町









御池通りの黒塀が特徴的です。





柊家別館
景観重要建造物、歴史的風致形成建造物、
中京区 御幸町通二条下る山本町















旧前川邸
景観重要建造物
中京区 壬生賀陽御所町49番
1863年から2年間、壬生の前川荘司邸は将軍警護のため江戸から上洛した浪士組(のちの新選組)の屯所となりました。





島津三条創業記念館 
国登録有形文化財、京都を彩る建物第102号
中京区西木屋町通二条下る東入西生州町
北棟
建築 明治27/1894 木造2階建、瓦葺、建築面積168㎡1棟
島津源蔵の住宅兼研究所として,南棟の北に増築された本二階建ての建物です。
屋根は片寄棟造とし,南棟よりも棟を高めています。
大斗肘木状の柱頭飾り,ステンドグラスを用いた欄間,軽快な吹き寄せ垂木などのデザイン要素を巧みに取り入れた質の高い和風建築です。










南棟
建築 明治21/1888 木造2階建、瓦葺、建築面積138㎡1棟
明治期の科学研究の礎を築いた島津源蔵の住宅兼研究所であった建物で,現在は内部を改装して資料館としています。
木造二階建,切妻造,桟瓦葺の伝統的な町家の形式を基調とながら,近代的なデザインを取り入れ,二階は土蔵造風にして大きな窓を並べています。















島津製作所の創業者 島津源蔵の住宅として明治期に建てられ,約45年にわたり本店として使われました。
現在は島津製作所が製造した機器などを展示する資料館です。
近代化を進める明治期の京都において科学技術発展の拠点だったことを伝えています。
創業者の初代・島津源蔵(1839~1894)は,仏器製造業の家に生まれ,後に独立して木屋町通二条で鋳物業を営みます。
明治8年(1875)居宅で理化学器械の製作を始めたのが,島津製作所の創業にあたり,同地に残る明治期の事務所の建物が島津創業記念館として活用されています。
敷地にはいずれも木造2階建,瓦葺の南棟,北棟が現存します。
南棟は明治21年(1888)に建築され,1階を下見板張り,2階は縦長窓を嵌める洋風外観。北棟は,明治27年(1894),大工・橋本林蔵により上棟し,1階は下見板張りで窓上部にステンドグラスを嵌めています。
2階は縦長窓を嵌めるが,その下部には舟肘木,板蟇股状の部材等を,上部には人字型の間斗束を用いています。
いずれも法隆寺等の古代寺院の細部を引用した特異な意匠です。
明治期には両棟ともコロニアル風の外観でしたが,大正4年(1915)の御大典時に外観が改修されたことが判明しています。
島津製作所の発祥を伝える,特徴的な外観の町家として重要です。


嶋臺
国登録有形文化財、歴史的意匠建造物
中京区御池通烏丸東入仲保利町
建築 明治/1883 木造2階建、瓦葺
御池通りに南面して建っています。切妻造,桟瓦葺,平入で,西側を一段高く葺いています。。
正面には庇をかけ,出格子を設けています。庇上の壁面は土壁とし,横長の虫籠窓を設けています。
平面ほぼ中央南北に土間を通し,1階はその両脇を広い2室としています。近代初頭京町屋の好例です。















嶋臺巽蔵 
明治/1883 土蔵造2階建、瓦葺、建築面積44㎡
御池通に面して建つ土蔵。3間四方の平面で,東と北の酒店側に扉口を開いています。
外観は腰縦板張,上部は漆喰塗とし,軒まで塗込め,屋根は本瓦葺です。
内部は1階・2階とも柱を現し,いずれも一室し、京都の近代初頭の景観を今日に伝える建築です。

嶋臺は元治の大火後、明治16年(1883)に再建された明治期の大店の構えを今に伝える京町家の遺構として重要な建造物です。
慶長13年(1608)に現在地を取得、生糸商として創業、江戸中期から酒業を兼業、清酒「嶋臺」の販売を始めました。
















誉田家源兵衛店
歴史的意匠建造物
中京区室町通三条下る烏帽子屋町
誉田屋源兵衛は京都室町で 創業280年を迎える「帯の製造販売」の老舗です。
現在は十代目である山口源兵衛が、代々受け継がれてきた技術とともに、 「革新」の精神で着物業界に次々と作品を発表しています。
社名の「誉田」は、「こんだ」と読ませますが、 その読みは遠く、応神天皇陵の「誉田八幡宮」に同じです。HPより
















祇園祭の後祭で、室町通りの誉田家源兵衛店では「祇園会無病息災と誉田家源兵衛281年を慶ぶ 281匹の鯉たちが時空を舞う」大幕が張られました。











京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。

虫籠窓は表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。

犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。

駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。

鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明

国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。






旧本能寺跡と織田信長

2019-08-29 05:39:00 | 京都歴史散策


今回の散策は「旧本能寺跡」です。
本能寺といえば「本能寺の変」を思い浮かべる方が多いと思います。
1582(天正10)年6月2日早朝、明智光秀により本能寺を襲撃された織田信長は本能寺で自刃、本能寺は炎上した事件です。
信長の死により豊臣秀吉の政権になっていきます。
現在の本能寺は寺町通御池交差点の南東側にありますが、これは天正19年(1591)に秀吉の命令で移転したものです。





旧本能寺跡へ行くため、四条通の油小路を北へ上がり、錦小路を過ぎると京都市立堀川高等学校本能学舎と本能特養老人ホームなどの建物が見えてきます。





ここは以前は京都市立本能小学校があった場所です。
その建物の油小路沿いの一角に「本能校跡」と「本能寺跡」の石碑が建っています。





本能寺跡










石碑には「本能寺跡記」があります。





応永22年(1415)御開山日隆聖人は、本門八品の正義を弘通せんがため、油小路高辻と五条坊門の間に一寺を建立して「本応寺」と号されたが、後に破却されたので、永享元年(1429)小袖屋宗句の外護により町端に再建、次いで永享5年(1433)如意王丸の発願により、六角大宮に広大な寺地を得て移転再建、本門八品能弘の大霊場として「本能寺」と改称された。
その後、天文5年(1536)天文法乱によって焼失。天文14年(1545)第八世伏見宮日承王上人によって旧地より四条西洞院の此地に移転、壮大なる堂宇の再興をみた。然るに天正10年(1582)彼の「本能寺の変」によって織田信長とともに炎上、天正17年(1589)、この地に再建せんとし上棟式の当日、豊臣秀吉より鴨川村(現在の寺町御池)の地に移転を命ぜられる。一山の大衆声を放って号涙つと。 
因みに本能寺は度々火災に罹りたるをもって「ヒヒ」と重なるを忌み、能の字を特に「䏻」と書くのが慣わしである。大本山 本能寺

それで今でも本能寺の能は「『ヒ』(火)が『去』る」という「䏻」というわけです。

特養老人ホームの北東角にも石碑があります。





ここは京都市本能特別養護老人ホーム、京都市本能老人デイサービスセンター、京都市本能在宅介護支援センターの複合施設です。





石碑が立っています。





目的の旧本能寺跡ですが、この2つの石碑の北側にあるのです。
本能寺の変の時には、北は六角通、東は西洞院通、南は蛸薬師通、西は油小路通に囲まれた「1町」120m四方にありました。
青い線で囲った範囲です。





以前は石碑のあった旧本能小学校付近が旧本能寺の跡と考えられていたのです。
その後の2007 年に行われた3回の発掘調査で、赤い線で囲まれたエリアで、周囲が堀で囲まれ、内部も石垣を備えた堀で区画されていることがわかりました。
また境内中央部分には礎石をもつ建物があり、瓦葺きの建物で火災で焼失したことも明らかになりました。
出土遺物には輪宝を額に戴いた鬼面や龍が巻き付く意匠の鬼瓦、本能寺の寺号「能」の異体字である「 」の文字を刻んだ軒丸瓦、掛け軸の琥珀製の軸端、火災の激しさを物語る熱を受けて赤く変色した瓦や焼けた壁土などが発掘されました。
青い線の南側(石碑のある場所)はすでに寺とは関係ない遺構が出土しています。

民間調査会社「国際文化財」(東京)による発掘調査

従来より旧本能寺の場は北は三条通りまでとする「2町説」がありました。
マンション建設に伴い平成28年8月から3カ月間、赤い線エリアの北隣を発掘調査しています。
その結果、寺の建物の存在を裏付けるような跡は出ず、当時の土器を含む耕作土や水だめ用とみられる長径2m前後の穴が2カ所出土。
検討した結果、本能寺の変当時は畑だったことが判明しました。
同社は「今回畑の跡が出たことで、さらに本能寺に関係する建物跡が出る可能性は極めて低い」と結論づけています。
ということで旧本能寺跡は最初で触れた北は六角通、東は西洞院通、南は蛸薬師通、西は油小路通に囲まれたエリアとなります。

信長が足利義昭を擁立して入京したのは1568(永禄11)年です。
本能寺の変の1582年までの14年間、京都には居館を構えず、政治拠点としませんでした。
信長が京都に居館、城を構えていたら、本能寺に泊まることもなく、歴史は変わっていたかも知れません。

現在の本能寺












信長公廟
ここはいつも観光客がいます。
最近は来日観光客も増えています。










本堂


















京町屋 中京(2)藤野邸、旧村西邸、吉川料理旅館、京料理中村、NEST family club、Contenporary Art Jewelry、井山邸

2019-08-28 17:30:58 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き第二回です。

藤野邸
登録有形文化財、景観重要建造物、歴史的意匠建造物、京都を彩る建物認定第141号
中京区 高倉通竹屋町上る坂本町
大正15年(1926)建築の京町家です。
白生地問屋の大塚商店(中京区)で番頭格を務めていた藤野外次郎によって建築されました。
主屋と土蔵に御幣が残され,棟梁三上吉兵衛の施工により,大正15年(1926)に上棟したことが分かります。
建物は,木造2階建,桟瓦葺の建物、通りに面して高塀(大塀)をつくり,門を設ける「大塀造」形式をとっています。
藤野邸は京都夏の旅で特別公開されます。9月1日から9月30日
撮影可能ならまた投稿します。















旧村西邸  現在らくたび京町屋
国登録有形文化財、景観重要建造物、歴史的意匠建造物
中京区 蛸薬師通高倉西入泉正寺町
昭和前/1932 木造2階建、瓦葺一部銅板葺、建築面積135㎡、門及び塀付1棟
通り沿いの高塀の奥に建物を配する、いわゆる大塀造町家の外観です。
一方で正面に洋間と茶室を配して奥は中廊下式とし、さらに二階にも洋風の書斎を設けるなど、近代の住宅思潮を取入れた平面形式と意匠です。
洋風生活への対応を進めた近代京町家の好例です。















建物の内部は『kikoがスタート』さまが詳しく紹介されています。
投稿日は2019/8/1,8/2,8/3,8/7,8/8,8/11の6回分です。


吉川料理旅館
京都を彩る建造物選定番号第2-058号
中京区
数寄屋造りの純和風建築と小堀遠州の作庭と伝えられる百坪あまりの庭園を有する料理旅館です。
建物は大正7年建築で4部屋の茶室を有しています。今では手に入らない材木が各所に使われています。



















吉川料理旅館の近所の町屋です。

京料理 中村















二軒隣りの町屋





右側 NEST family club





左側 Contenporary Art Jewelry














井山家
京都を彩る建造物第3-012号
中京区
元は生糸問屋をされていた現在の建物は,元治元年(1864年)の京焼後に即復興されたものです。
一部改修されていますが,駒寄・出格子等は原形を留めています。
巽蔵から見出だされた町式目は,平成版「姉小路界隈町式目」としてまちづくりの基本理念となっています。










姉小路界隈町式目 平成版





各種建造物指定の説明

国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。

 











団栗図子 宮川筋、大黒町通りの路地と図子

2019-08-28 08:48:36 | 京都の町 町屋・建造物


朝6時前、佐賀県、長崎県、福岡県で大雨特別警報が発表されました。
読者の皆様、どうぞお気をつけくださいますように。

京都の代表的な図子の一つ、「団栗図子(どんぐりずし)」を紹介します。
路地は行き止まりの細い通りに対し、通りをつなぐ細い道を図子と言います。
図子は辻子とも書かれることがあります。

団栗橋
四条大橋の一つ南の橋です。





団栗橋から見える鴨川









団栗図子
川端通と大和大路通までの東西の通りです。










名前の由来は江戸時代にこの鴨川沿いに大きな団栗の木があったことから名付けられたようです。
天明の大火の後に拡幅され、現在は団栗通と呼ばれています。
団栗図子が有名なのは、京都の歴史上最大規模の大火・天明の大火の火元だったからです。
この大火で当時の京都市街の8割以上が燃えてしまいました。京都を焼け野原にした応仁の乱の戦火をも上回る大火でした。

1788年旧暦1月30日(新暦3月7日)の未明に団栗図子の町屋から出火、空き家への放火だったと言われています。
折からの強風に煽られ瞬く間に南は五条通にまで達し、更に火の粉が鴨川対岸の寺町通に燃え移って洛中に延焼しました。
二条城本丸が炎上、洛中北部の御所にも燃え移ったのです。
鎮火は発生から2日後の2月2日(3月9日)早朝でした。
この火災で東は河原町・木屋町・大和大路まで、北は上御霊神社・鞍馬口通・今宮御旅所、西は智恵光院通・大宮通・千本通、南は東本願寺・西本願寺・六条通まで達し、御所・二条城のみならず、仙洞御所・京都所司代屋敷・東西両奉行所・摂関家の邸宅も焼失したのです。
幕府公式の「罹災記録」によれば、京都市中1967町のうち焼失した町は1424、焼失家屋は3万6797、焼失世帯6万5340、焼失寺院201、焼失神社37、死者150だったそうです。死者150は清浄華院には1800とも言われています。

団栗図子の中ほどの路地
ここを団栗図子とする見解もあります。









路地の猫





団栗通から宮川筋を南に歩きます。
以下歩いた方角です。





宮川筋二丁目





宮川筋三丁目






蛭子図子(えびすの図子)
東山区の恵比寿神社の西門から宮川筋へ通る図子です。










えびす神社東門





いちょう路地










雅屋は簡易宿泊所(民泊)です。










南天路地
店舗の一部が出入り口になっています。













北薬路地














大黒町通り





石畳路地















八朔路地









田中図子
宮川筋までの通りで、昭和2年の標石があります。





バイク、自転車は歩いて通りましょうの看板









宮川筋沿いが空地です。
旅館建設されるようです。






宮川筋





舞妓さん





宮川筋の図子









やましろの路地















やましろの路地の少し南に先日投稿した「あじき路地」があります。





京町屋 中京(1)吉田邸、川崎家住宅、小島邸、西島邸、キンシ正宗堀野記念館、俵屋旅館

2019-08-27 17:26:33 | 京都の町 町屋・建造物


このシリーズも本日より中京区の町屋に入ります。
1929年(昭和4)京都市の増区により、旧上京区の丸太町通以南と旧下京区の四条通以北が中京区になりました。
町衆の心意気と高い自治意識に支えられ、政治・経済・文化の機能が集積してきた行政区です。
京都市のほぼ中央に位置し、御池通、烏丸通、河原町通、四条通沿いに、官公庁や政治・経済団体、金融機関、商店などが集中しています。
中世より商業の盛んなところで、京町屋も数多くあり、現在も残されています。

吉田邸(無名舎)  
国登録有形文化財(平成25)、景観重要建造物(平成18)、歴史的意匠建造物(平成11)
中京区 新町通六角下る六角町
建築 明治1898~1912/1935改修
木造2階建、瓦葺、建築面積180㎡1棟
通りに東面して構える表屋は上下階とも出桁造で、一階南寄りを土間の戸口とし、北寄りに出格子をたてて中央に揚げ店構を設えています。
2階は両端の半間を除き平格子です。玄関奥の居住部は田字形四間取です。
内外ともに良質な意匠の表屋造の町家です。
京呉服の問屋街「室町」の一画六角町にあり、建物は白生地問屋を商った京商家の表屋造りです。

現在京都の夏の旅で特別公開中(9月30日迄)
祇園祭後祭で賑わう「北観音山」町内に、明治42年に建てられ、現在も住まいとして使われています。
かつて白生地問屋であった建物は、通りに面した店舗棟から「通り庭」と呼ばれる土間に沿って奥へと玄関棟、住居棟、土蔵が続き、中庭と座敷庭から構成される典型的な「表屋造」です。
風の通り道と採光の機能を兼ね備えた洗練された中庭の美しさや、葦戸や網代など涼を取り込む伝統的な夏の室礼が見事です。
見学の様子は8月7日付けで投稿しています。










外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いでデザインが異なります。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。





駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣で、元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われています。





鍾馗さんが屋根に上がっています。
厄除けの瓦人形は京町屋の象徴です。





店庭、玄関庭から台所、敷地奥の蔵まで通り庭がつながっています。





台所 現当主夫妻の日常の生活の場です。
太い梁が走る天井を見上げれば、湯気や煙を排出する煙り抜け(火袋)の天窓や高窓から陽が燦燦と降り注いでいます。












川崎家(紫織庵)閉館
京都市指定有形文化財
綿布商を営む井上利助が大正期に建てた大規模な都市型住宅で,その後川崎家の住宅として使用されました
茶室(紫織庵)は4畳板入で,3畳の水屋が付いています。洋館は外壁に大谷石と煉瓦タイルを用いてライト風の意匠に仕上げています。
主屋は中廊下をもつほぼ総二階の建物で,2階にも本格的な座敷や洋間を設けています。
棟札によると,大正13年(1924)に二十八畳蔵,大正15年に主屋や便所浴室棟が建てられています。
大工棟梁は上坂浅次郎で,京都帝国大学教授の武田五一も設計に参与しています。











現在建物は閉館しています。
東京都内の業者が土地と建物を購入、2019年1月29日市に解体する意向を伝えていました。
京都市は直ちに所有者に異例の警告文を送付、建物が京都市指定有形文化財条例に違反し、解体しないように強い警告をだしました。
現在建物はそのままです。






小島邸 「新柳居」
景観重要建造物
中京区 新町通錦小路上る百足屋町





ばったり床几




虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。





現在京都先端科学大学の京町屋キャンバスに活用されています。





西島邸(山茶花美術館)

国登録有形文化財、景観重要建造物、歴史的意匠建造物、京都を彩る建物認定第103号
中京区 車屋町通夷川上る少将井御旅町
主屋 明治/1880 木造2階建,瓦葺,建築面積119㎡
街路に東面して建つ中規模の町屋です。
間口4間、奥行7間半の規模を持ち、1階の格子と犬矢来、2階の虫籠窓が外観を特徴づけています。
通り土間を設けるなど標準的な表屋造の構成を示しており、明治期の商家の様子を今日に伝えています。
現在は山茶花美術館として使われています。




















キンシ正宗堀野記念館(旧堀野家本宅)
国登録有形文化財、歴史的意匠建造物
中京区 堺町通二条上る亀屋町
主屋 明治/1868-1911 木造2階建、瓦葺、建築面積210㎡
京都市中京区堺町通二条上る亀屋町
堺町通に東面して建つ間口6間半規模のやや大型の町家です。
主体部は南北棟,切妻造,桟瓦葺で,正面は階下に2本切子格子,階上に虫籠窓を並べ,黒漆喰で仕上げています。











屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
格子、虫籠窓、駒寄などがあります。










俵屋旅館
国登録有形文化財、京都を彩る建物認定第33号
中京区麸屋町通姉小路上る中白山町
明治/1868-1911 木造2階建、瓦葺、建築面積283㎡1棟
京都に現存する最古の旅館として知られています。
宝永年間(1704~1711年)に太物問屋として創業です。
次第に宿を本業とするようになり,江戸末期には,様々な京都の地誌に「寄宿」として記載されています。
蛤御門の変(1864年)で全焼しましたが,明治初年には旧館が完成します。
木造2階建の建物で、玄関は麸屋町通りに面し,敷地の中には複数の中庭・外庭が全客室から見えるように配置されています。
洗練された数寄屋風建築に優雅さと風格が感じられます。
近現代における旅館の歴史を体現する貴重な遺構です。





犬矢来の意匠が特徴的です。




















京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。

格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。

ばったり床几は元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。

虫籠窓は表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。

犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。

駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。

鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。



各種建造物指定の説明

国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。















散策 金戒光明寺

2019-08-27 06:46:01 | 京都めぐり


昨日朝の散策は金戒光明寺です。
慣れ親しんでいるコースです。

三門















鐘楼





本堂





三門





阿弥陀堂





寺務所





蓮池





一花だけさいていました。
蓮はもう終わりのようです。





三重塔へ上ります。










市内眺望














三重塔の横 少し色づいています。
季節は秋へ秋へと進んでいるようです。






釈迦仏




















下りてきました。





極楽橋より









京町屋 上京(16)有斐斎弘道館、小堀邸、千本ゑんま堂、大将軍八神社、法輪寺、竹林寺

2019-08-26 16:55:35 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋上京区もやっと最終回です。
今回は町屋以外の建造物も多いです。

有斐斎 弘道館
京都を彩る建造物認定番号第5号
上京区
江戸中後期の京都を代表する儒者,皆川淇園が創立した学問所「弘道館」の址地とされる敷地に建てられた数寄屋建築です。
庭は南北にあり,茶庭として使われています。
認定理由
通りから奥まった静寂なところにあり,京都の伝統文化を継承する場として受け継がれてきた意義は大きい。
庭園を舞台としてお茶会が催されるなど,「市中の山居」として地域に雅な雰囲気を醸し出しています。























小堀邸(麩嘉) (再投稿)
歴史的意匠建造物
上京区西洞院通椹木町上る東裏辻町
麩饅頭で知られる「麩嘉」の本店です。創業は江戸時代後期。
既に投稿したのですが、撮影当日が休店日でしたので再投稿します。
暖簾が可愛いです。














京都府庁旧本館 麩嘉の近くです。

1904,明治37年建築で重要文化財に指定されています。
設計は松室重光です。
1971,昭和46年まで京都府庁本館として、現在も執務室や会議室として使用されています。
創建時の姿をとどめる現行の官公庁建物としては日本で最も古く、2004年に国の重要文化財に指定されました。京都市上京区下立売通釜座





千本ゑんま堂・引接寺
京都を彩る建造物選定番号第4-002号   
上京区
ゑんま堂は厨子虹梁絵様から17世紀に建立されたと考えられています。
近年の火災で屋根と天井を焼失するが,残された閻魔王とその脇侍をまつる厨子が他にはない迫力を見せています。
境内には重要文化財の石造十重塔等の文化財があります。
正式名称は引接寺ですが、市民の多くはゑんま堂と親しみをこめて呼んでいます。





大将軍八神社
京都を彩る建造物選定番号第7-006号   
上京区
北野天満宮の南に建つ神社で,本殿は昭和3年(1933)に建てられています。
本殿と拝殿は一体となっており,背面に縋破風がつく、洗練された意匠で,特に錺金具は見事です。

















法輪寺
京都を彩る建造物選定番号第8-036号   
上京区
だるま寺の名で親しまれているお寺、臨済宗妙心寺派で,享保12 年(1727)に創建されました。
だるま堂には奉納されただるま八千体余りが並んでいます。二月の節分には多くの参拝者で賑わいます。









竹林寺
法輪寺の向かいにあり、朱色の門が印象的です。
平野国臣をはじめとする六角獄舎殉難志士37士の墓があり、幕末ファン必見の場所です。










次回から中京区の町屋になります。








季節が巡る昨日の法然院、安楽寺

2019-08-26 05:46:29 | 京都めぐり


昨日朝の散策、訪れるのは八月最後になるだろう法然院です。









白砂壇
両方とも半渦巻きです。















講堂 展示会開催中でした。


















青苔









本堂前





法話日です。










夏花の蓮は終わりました。





ミズヒキ





コムラサキ色づいてきました。





安楽寺










日中は残暑が厳しいですが、季節は秋に少しずつ変わろうとしています。




京の町屋 上京(15)四君子門、国定織物、岩上ホール、織成館、太田家、be京都、バザール カフェ

2019-08-25 18:24:55 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋上京区の続きです。

北村美術館四君子苑表門
国登録有形文化財、京都を彩る建物認定第76号
上京区御車道通清和院口上る梶井町
建築 昭和前/1944 木造平屋建、瓦葺、建築面積14㎡1棟
長屋門形式ながら格式ばった構えとせず,細い?丸太の柱・梁を用い,緩い勾配の桟瓦葺切妻屋根をかけ数寄を凝らした造りです。
疎らに配した丸太垂木上に丸竹を密に打ち並べた化粧屋根裏や,門口上小壁のむしこ窓風の欄間など,随所に斬新な意匠です。
認定理由
四君子苑は山林地主で昭和の数寄者である北村謹次郎の邸宅として,昭和19年(1944)に数寄屋造の名工北村捨次郎により建てられました。
表門,玄関・寄付,渡り廊下・腰掛,離れ茶席は,同氏の作意溢れる技巧を凝らした構成となっています。
昭和38年(1963)に改築された主屋は,吉田五十八の設計によるもので,数寄屋とモダニズムを融合した空間は近代の数寄屋の名作です。
敷地には重要文化財の宝篋印塔をはじめとする多彩な石造品を配し,敷地南端には細長い露地,敷地中央には流れや池,園路を配した庭,離れ茶席の東側には,比叡山,如意ヶ岳を望める庭がああります。
四君子苑は,数寄を凝らした造りの建物や趣向に富んだ庭で構成される遺構として重要です。










国定織物株式会社
上京区寺之内通大宮西入大猪熊町










岩上ホール
京都を彩る建物選定第1-009号
上京区
推薦理由(抜粋)
昭和30年(1955)頃に建築されています。
織工場を改装した落ち着いた木造の建物で、どこか懐かしい外観が,石畳のまちなみとみごとに調和しています。










懐かしい郵便ポスト(使用不可)





染釜
















織成館
京都を彩る建物選定第1-010号   
上京区
推薦理由(抜粋)
京都を代表する町家が現存する西陣大黒町の中心的な存在です。
店の間,前の坪庭,住居そして倉と,昭和初期の代表的な建物です。
















太田家(旧太田喜二郎アトリエ)
京都を彩る建物認定第134号
上京区
認定理由
 太田喜二郎(1883~1951)は,大正期から昭和前期にかけて活躍した洋画家です。
東京美術学校を卒業後渡仏し,新印象派を学んで帰国。
大正9年(1920),京都帝国大学建築学科の絵画実習講師に着任し,同学科で教鞭をとる藤井厚二と交友を持った。
藤井に設計を依頼し,大正13年(1924)に主屋を建築する。
この後,烏丸通の拡幅に際して現在通りに面する東側敷地を入手し,現アトリエを含む東側棟を増築した。
木造2階建,桟瓦葺きの建物で,烏丸通に面して玄関を設ける。
玄関脇には応接室を配するが,同室は増築以前にはアトリエとして使用された。
応接室東側にはアトリエ,和室からなる増築棟が接続する。玄関から奥に進むと食堂(居間)となり,さらに奥には台所など水廻り空間が設けられる。主屋の南側には太田が自ら選んだとされる植栽からなる庭が配されている。
アトリエは太田自身が設計し,一定した採光の確保のため北側に大きな窓を設ける。
一方,居間には一段高くした畳敷や,格天井に障子を嵌めた埋込式照明が見られ,藤井風の空間となっている。
洋画家・太田喜二郎のアトリエ空間を現在に伝えるとともに,藤井厚二の初期の住宅作品としても極めて重要であり,高く評価される。










be京都
京都を彩る建物選定番号第4-004号   
上京区
推薦理由(抜粋)
空き家から貸しギャラリー兼イベントスペースとして再生され,「美しい“美”の京都がここにある」という思いをこめ命名されています。
江戸期からの歴史を持つ京町家であり,隣接する寺院の山門と連続した良好な景観を形成しています。



















バザール カフェ
京都を彩る建物選定番号第7-007号   
上京区
推薦理由(抜粋)
大正8年(1919),キリスト教宣教師の住宅として建てられました。
設計はヴォーリズで,現在はカフェです。
オープンデッキのある庭,室内の暖炉など,建物と食事を楽しめる癒やしの場です。















京都を彩る建物

京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。

 
国登録有形文化財

緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。






今熊野観音寺、来迎院、善能寺祥空殿、悲田院で葛の花

2019-08-25 05:31:48 | 京都めぐり


東福寺からの続きです。

今熊野観音寺
鳥居橋





子まもり大師





本堂と医聖堂





三重石塔 平安様式














ぼけ封じ観音





大師堂














鐘楼





熊野権現社 稲荷社





次向かったには来迎院です。





駒札





大石内蔵助ゆかりの遺跡があります。 有料庭園





寺務所









重要文化財 日本最古さん ゆな荒神





布袋さん人形が山積みです。
おみくじが入ったものでしょうか。










弘法大師独鈷水





善能寺祥空殿


















泉湧寺・月輪は皇族のお墓が多いです。
宮内庁月輪基盤区事務所があります。





悲田院










秋の七草の一つ葛の花です。
これで萩、芒、桔梗、撫子、女郎花、藤袴、葛とすべて撮影できました。



















オミナエシ、ナツズイセン、ハマアザミ、ヒゴダイ、レンゲショウマ、キレンゲショウマ

2019-08-24 16:51:00 | 2019 花


オミナエシ 女郎花










ナツズイセン

















ハマアザミ










ヒゴダイ





レンゲショウマ










キレンゲショウマ





スズムシバナ





タヌキマメ





ゼフィランサス キトリナ





タマスダレ





タイリンウツボグサ





ガガブタ
京都府絶滅寸前種










ダリア





ヘビウリ、瓢箪





アケビの花