緑深い下鴨神社糺の森 2014-05-31 06:17:11 | 2014初夏青紅葉の京都 暑い日は、涼を求めたくなります。 まだ5月だというのに、、、、。 昨日も、午前中のうちに下鴨神社まで足をのばしました。 下鴨で知人が医院を開業しているので、知人を訪ねたときに神社にも寄ります。 糺の森、鴨社神宮寺の池跡です。 平安時代、嵯峨天皇の勅願寺として建立された跡地で、倒木を使った子供たちの遊び場でもあります。 この日も、保育園の子供たちが遊んでいました。 街中で、自然の森とふれあえる貴重な場所です。 縁結びの神様、相生社です。 青紅葉きれいです。
大徳寺高桐院の青紅葉 2014-05-29 12:57:04 | 2014初夏青紅葉の京都 連日の30度超えです。 まだ涼しい朝のうちに大徳寺高桐院に足をのばしてきました。 ここは、細川家の菩提寺として、そして秋の紅葉の名所としても有名ですが、苔と青紅葉もとても素敵なところです。 門から入った苔の絨毯、参道の景色が美しいです。 外が暑くても、この中は涼しい別世界のよう。 皆さんにも、涼をお届けします。 2010年初夏、JR東海の「そうだ京都行こう」のポスターです。 さすがにプロの撮影は違いますね。 植木屋さんが作業中でしたので、拝観は後日にしました。 高桐院ではありませんが、変わった土塀です。 帰り、鴨川に寄りました。 いつ見ても落ち着く景色です。 サギも見つけました。
暑さに戸惑い、植物園のアヤメ、菖蒲など 2014-05-29 06:04:48 | 京都めぐり 急に真夏のような暑さになり、少し戸惑っています。 街では半袖姿が目につくようになりました。 昨日の京都市の最高気温は30度超えの31,4度、真夏日です。 この暑さ、しばらく続きそうです。 暑さに弱いわが身としては、少々つらい季節に突入のようです。 わが家のジャンボアマリリスも咲きました。 今日は、先日訪れた植物園で撮影した花を紹介します。 ネギボウズに似ていて、愛嬌があります。 アリウムギガンテウム(ネギ科) キソケイ(モクレン科) もう少しで、紫陽花の季節になりますね。 街中ではもう咲いているのもあります。 カルミア(ツツジ科) ヒオウギアヤメ 菖蒲も一部咲き始めています。 山野辺 沿海州 変わり花です。カナリア諸島の植物です。 エキウム・ウイルドプレッテイ その花でしょうか。
芍薬とさつき展 2014-05-28 06:10:33 | 京都めぐり 今日は、芍薬とさつき展をお届けします。 芍薬の見頃は過ぎたのですが、まだ何種類か綺麗に咲いています。 マイフリューリ ときめき 波の花 プリマーベラ 佳人の夢 火祭 さつき展も開催されていました。 ご存知のように、さつきはツツジ科の常緑低木です。 5月~6月にかけ、ツツジ類の花が終わった頃に花をつけます。 陰暦の5月に花が咲くところから、サツキツツジとも呼ばれます。
植物園の薔薇 2014-05-27 05:51:47 | 京都めぐり 散歩の足をのばし、京都府立植物園の薔薇を見に行ってきました。 午後は気温が上がりすぎるため、開門の9時過ぎに行ってきました。 ここの薔薇は、オーソドックスな飾り付けです。 さまざまな種類の薔薇がちょうど見頃です。 薔薇園の中に入ると、芳醇な香りが鼻腔を刺激します。 薔薇はほんとうに華やかで、気分が高揚します。 絵日傘 ペルニールポールセン 通称アンネの薔薇 クイーンエリザベス インカ プリンセスチチブ ピース フリュイテ ミツコ 連弾 ダイアナプリンセスオブウエールズ ケアリーワンダー
『祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画』日曜美術館 2014-05-26 06:05:49 | 美術・博物館 今回の日曜美術館は、 『祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画』です。 明治から昭和のはじめにかけ、失われゆく古い仏画をありのままに模写し、後世に伝えようと格闘した仏画師・鈴木空如(1873~1946)を取り上げています。 空如は、世俗の名誉から離れ、信仰を支えに、祈るがごとく、ひたすら古い仏画を世に伝えることをみずからに課した人です。 生涯、地位も名誉も名も求めることはありませんでした。 今、空如の母校である東京藝術大学の美術館で開催されている「法隆寺展」で、空如の金堂壁画模写が目玉として登場しています。 空如は秋田県大仙市に生まれ、幼い頃から絵の才能は飛び抜けていたようです。 空如10歳の時の絵です。 とても、10歳とは思えない完成度の高さです。 日清戦争に出征し、 九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、5000にも及びます。 中でも最大の画業は、法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を、単独で生涯三度も行ったことです。 大きいものは、3m四方にもなります。 空如は、昼なお暗い金堂に50回以上通い模写し続けました。 明治30年代半ばから20年間かけ1度目を、その後、大正から昭和にかけ2度目、3度目と模写し続けました。 以前、私も法隆寺金堂を拝観したことがありますが、確かに薄暗い印象でした。 空如のその集中力たるや、驚愕すべきものがあります。 その一方、生前の空如は、画壇とは一切かかわりを持たず、展覧会に出品することもしなかったのです。そのため、その名はほとんど世間に知られていませんでした。 しかし、昭和24年に法隆寺金堂の火災による壁画の焼損後、にわかに脚光を浴び、昭和42年に行われた再現模写事業に、空如の模写は貴重な 資料となったのです。 近年は、ふるさとの秋田・大仙市が大規模な研究調査を実施、その芸術性が認められ、再評価 が急速に進みつつあります。 私は下手ながら、自宅で写経をしていました。 般若心経を写しとるだけで、かなりの集中力が必要になります。 書いている間は、何も考えず、ひたすら紙に向かっています。 空如もただひたすら、無心になって模写し続けたのでしょう。 その姿は、修行僧のようだったのではないでしょうか。 故郷の大仙市に残る空如の仏画です。 空如は愛娘を5歳のときに亡くします。 わが子の面影を仏画に写しとりました。 私は、清貧のような空如の生き方を垣間見て、感動を覚えました。
現代の花魁道中 2014-05-25 06:09:35 | 定年後生活 昨日の地元紙京都新聞に、気になる記事がありました。 「臨済宗妙心寺派の管長に就任した嶺興嶽氏(71)の晋山式が24日、京都市右京区の大本山・妙心寺で営まれた。臨済宗各派の高僧や檀信徒たち約1200人が就任を祝った。」というものです。 新管長は、緋色の衣と金襴の袈裟で、境内を練り歩いたそうです。 京都新聞の写真です。 私は不信心者ですが、坐禅会で妙心寺にお世話になっています。 しかし、権威付けの色衣をつけ、本山配下の禅僧を従えて歩く姿は、失礼ながら、現代の花魁道中のようです。私の一番見たくない光景です。 臨済宗中興の祖、白隠禅師、そして信濃信州飯山に住んだ白隠禅師の師、道鏡慧端禅師も、権力を嫌い、物ももたず、地位も名誉も求めなかったと聞きます。 この禅僧たちは、生涯色衣を持たなかったのではないでしょうか。 私は批判めいたことはブログに書かないつもりでいたのですが、、、、。 私の独り言でした。
ちょっとパリまで、ず~っとパリで―渡欧日本人 画家たちの逸品 2014-05-24 06:15:49 | 美術・博物館 泉屋博古京都館で、特別展 『住友グループの企業文化力 ちょっとパリまで、ず~っとパリで 渡欧日本人 画家たちの逸品』が開催されていましたので行ってきました。 この美術館には、毎年春と秋の特別展の2回、足を運んでいます。 展示作品は、明治時代に住友グループの礎を築いた住友家が、長年にわたって、グループ各社で収集した絵画など50点ほどです。 作者は、19世紀末から20世紀前半期にパリに留学し、帰朝後に日本の「洋画」を切り拓き、 またはパリに居続け異邦人画家として活躍した画家たちです。 外光派のラファエル・コラ ンに学んだ黒田清輝や、ルノワールに師事した梅原龍三郎、同僚の安井曾太郎、フォーブの巨匠ブラマンクの 刺激を受けた佐伯祐三、エコール・ド・パリの一員として知られる藤田嗣治(レオナール・フジタ)などです。 これらの作品は、普段、 社長室や重役室に掛けられているそうです。 主な作品 黒田清輝 《花と婦人》1892年 浅井 忠 《グレーの森》 1901年 和田英作 《こだま》 1902年 鹿子木孟郎 《ノルマンディーの浜》 1907年 藤島武二 《黒衣の婦人》 1909年 藤島武二 《幸ある朝》 1908年 斎藤豊作 《秋の色》 1912年 安井曾太郎 《放牧》 1911年 岡 鹿之助 《堀割》 1960年代頃 佐伯祐三 《鯖》 1925年頃 北村四海 《蔭》 1911年 木下孝則《バレリーナ》1950~60年代 などです。 私の好きな美術館中庭の景色です。
孫の誕生 2014-05-22 21:48:48 | 定年後生活 昨晩遅くに、長男夫婦の3人目の女の子が無事生まれました。 長男夫婦にとっては初めての女の子です。 私たち夫婦にとっては6人目の孫になります。 以前のブログにも書きましたが、孫はみな可愛いのですが、初孫が女の子で、そのあと男の子が4人続きましたので、無責任ながら次こそ女の子が欲しいと思っていました。 早速、赤ちゃんを見に行ってきました。 生まれたての赤ちゃんは、いつ見ても面白い顔です。 二人のお兄ちゃんたちは、赤ちゃんに触りまくりです。 聞くと、お兄ちゃんたちも分娩に立ち会ったそうです。 これから、一日一日大きくなるのが楽しみです。
真如堂の青紅葉 2014-05-22 06:03:13 | 2014初夏青紅葉の京都 一昨日夜、京都も強い雨が降り、翌日午前中まで雨が残りました。 昼前から晴れ間もでてきたので、久しぶりに真如堂に足をのばしました。 しかし、雲の流れも早く、晴れたと思ったら小雨もありと、台風一過のような天気です。 真如堂は、春の桜、秋の紅葉が有名で、訪れる人も多いのですが、今の時期は比較的閑散としています。 桜や紅葉もいいのですが、私は青紅葉も好きで、時々ここを訪れては散策します。 通称赤門です。 本堂前の参道です。 本堂です。 真如堂の説明板です。 境内の青紅葉です。
移動介助支援ロボット「SASUKE(サスケ)」 2014-05-21 06:54:38 | 科学・宇宙・歴史 久しぶりに先日放送された夢の扉を取り上げます。 タイトルは、『世界が絶賛!“頭脳を持つモーター”で未来を変 える! NASAや米大手企業も着目した日本発 テクノロジー』という長いものです。 ドリームメーカーは、大阪市 マッスル株式会社 社長の玉井博文さんです。 玉井さんは、安倍首相も視察に訪れるなど、今、国内外から熱い視線が注がれる、 世界屈指の技術で人手助けをするロボット作りをしています。 番組前半は、 玉井さんのロボット開発の苦労が描かれています。 30代後半で、産業用ロボットの会社を辞め、頭脳を持つモーターを開発するが、国内大手企業からは門前払 いされます。しかし、アメリカではNASAや巨大企業の関係者に大きく評価されます。 私が興味深く思ったのは、玉井さんが開発した、ベッド⇔車イスの移乗を手助けする「介護ロボヘルパー」です。 医療や介護の現場から、腰痛による離職者が後を絶たないと、最も多く寄せられた要望に応える技術開発です。 移動介助は、介助者が中腰の姿勢になることから腰痛者になる人が多いのです。 今回、玉井さんが開発したのは、移動介助支援ロボット「SASUKE(サスケ)」です。 このロボットは、優しく抱き上げる動作で、在宅で介護を行う一般の人が一人でも扱えるというものです。 指先の操作ひとつで、人を持ち上げ、ベットから車椅子、車椅子からベッドへと移動できるのです。 実際の介護現場での試験では、神戸の老人介護施設での様子が紹介されました。 現在介護現場で主流となっているのは、吊り下げ式支援ロボットです。 玉井さんの開発した、抱きかかえ式 ゆっくり、持ち上げられていくおばあちゃん。 体が起こされます。 そして車椅子に乗せます。 今まで3人がかりだった移動が、ひとりでできました。 利用されたおばあちゃんも、安心できて、喜んでいました。 この 「SASUKE(サスケ)」は、最大で110kgの人まで持ち上げられるそうです。 今後介護保険が適用されれば、月々数千円(メーカー予想)で利用できるようになるそうです。 この「SASUKE(サスケ)」、一般の方々も集まる、「総合福祉バリアフリー2014」で御披露目され、大勢の方が集まっています。 車椅子の方や、在宅で介護をしている方に大きな評価を得ていました。 玉井さんは、「温かい雰囲気のなかで最後まで介護できる環境を手助けしたい」と。 かつては、国内で見向きもされなかった技術が、今回の 「SASUKE(サスケ)」ではうってかわり、商談攻めでした。 こういう新しい介護支援ロボットが、どんどん開発され、身近に使えるようになったらいいと思いました。 私もいずれお世話になるかもわかりません。
嵯峨鳥居本の散策 2014-05-20 05:54:26 | 京都めぐり 昨日は散歩日和、久しぶりに嵐山から嵯峨鳥居本(さがとりいもと)まで散策しました。 嵐山渡月橋です。 いつ見ても、この橋の形状は嵐山にマッチしています。 平日のせいでしょうか、いつもより、観光客が少ないです。 嵯峨鳥居本は、嵯峨二尊院や祇王寺から、もう少し北に歩いたところにあります。 無縁仏の石仏が多い化野念仏寺が有名ですが、古くは「化野」と呼ばれ、京の人々の埋葬 の地でした。 現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展し、化野念仏寺を境に瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区と、茅葺きの農家が多い上地区と二つの風景が共存しています。 1979年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。 私は、観光地の喧騒をはずれた、ここの町並みが好きです。 愛宕山一の鳥居の場所に二軒の風情ある茶屋、宿屋があります。 一軒目は、茶屋として有名な平野屋さんです。 もう一軒は、鮎の宿、つたやさんです。 タイムスリップしたような感じになります。
続 『明治の工芸 超絶技巧』 2014-05-18 05:00:42 | 美術・博物館 東京日本橋にある、三井記念美術館で明治工芸を集めた展覧会が開催されています。 そのなかのいくつか、番組で紹介されました。 錫や銅など金属で作られた「自在置物」と呼ばれる工芸品です。 龍や伊勢海老、蛇などです。 どれも本物そっくりで、しかも関節なども曲がります。 この「自在置物」にも時代が深く関わっています。 戦国時代、武将の甲冑を作る、明珍という名門甲冑師がいて、大きな勢力をもっていました。しかし、江戸時代戦乱がおさまると注文が激減します。 そこで新たな活路を求めたのが、献上品などとして作り始めたのが自在置物だったのです。 「スズメ蜂」(素銅製) 今では少なくなった自在置物の工房が京都にあります。 金工師5代目の冨木宗行さんです。 先祖代々、得意としてきたのが「伊勢海老」(銀製)です。 「孔雀図屏風」 刺繍絵画と呼ばれるものです。 数ある細密工芸のなかでも、刺繍絵画が特に西洋で高い人気だったそうです。 奈良時代に作られた国宝「釈迦如来説法図」も刺繍です。 刺繍は6世紀頃日本に入り、最初は仏教に使われていました。 その後、着物などの装飾に使われるようになり、京都を中心に発展します。 しかし、そこにも時代の波が押し寄せます。 明治に入り、東京に文化の拠点が移り、京都の染色産業は顧客を失います。 そこで、目をつけたのが、刺繍絵画です。 世界でも例がないと西洋で絶賛されます。 滝の図 下絵を担当したのは、日本画家竹内栖鳳をはじめとする、日本画壇の巨匠たちです。 栖鳳「雪中蒼鷹図」と刺繍絵画 現代の刺繍工芸、人間国宝の福田喜重さん 福田さんの作品です。 刺繍絵画の「読書図」 油絵のようです。
『明治の工芸 知られざる超絶技巧』日曜美術館 2014-05-17 06:14:20 | 美術・博物館 今回の日曜美術館は、『明治の工芸知られざる超絶技巧』です。 私は、番組で紹介された素晴らしい明治工芸を見ていると、以前の展覧会『皇室の名品』で見たのと同じ感動を覚えました。 京都の清水寺に向かう参道の途中に、清水三年坂美術館があります。 展示されているのは、幕末から明治、大正にかけて作られた工芸品の数々です。 目を引くのは、細密を極めた職人の技です。 古びた瓦にとまる一羽の鳩が、蜘蛛を狙っています。 蜘蛛の大きさは、わずか8ミリです。 金工「古瓦鳩香炉」 七宝「蝶図瓢形花瓶」 高さ20センチほどの花瓶に施された見事な技です。 こういう職人たちを駆り立てたのは、激動する時代の空気でした。 明治維新を機に、西洋の文化が流れ込み、日本は近代化の波にさらされます。 そうしたなか、時の政府は新たな政策を打ち出します。 外貨獲得のため、日本独自の工芸品を海外に輸出しようと考えたのです。 甲冑や刀装金具などを造っていた金工師、和装から洋装という変化に影響を受けた繊維業など、社会の変化によって職を奪われた職人たちは、海外に活路を見出しました。 19世紀ウィーン万博などの博覧会に出品されるなど、日本の輸出産業品として海を渡ったのが そうした工芸品でした。 伝統的な日本の美とは少し異なった、緻密で繊細、超絶技巧を駆使 して作られ品々は、高い評価を受け、欧米人たちを驚かせました。 しかし、そうした多くの工芸品は、海外のコレクターの手に渡り、日本ではやがて忘れられた存在になっていきました。 それに再び光をあてるきっかけになったのが、清水三年坂美術館です。 海外のオークションにも参加し、1万点を越えるコレクションを収集したのです。 そのなかから、いくつか紹介します。 「竹の子、梅」象牙の作品です。 彫刻家の前原冬樹さんは、この素晴らしい作品に感激です。 前原さんの作品も紹介されました。 明治の作品に戻ります。 「蜂の巣」 竹の子や蜂の巣を作ったのは、同一人物で、安藤録山(明治18年頃~?)という方です。 でも詳しいことはほとんどわかっていないそうです。 「老人二童」石川光明 象牙を使った際密な作品です。 象牙に色をつける技法は、古くは正倉院の宝物に見られます。 象牙の小石です。 象牙を彫ってから模様を書く撥鏤(ばちる)という技法です。 安藤録山の「石榴」です。 柿やミカンの作品もあります。 今回は画像が多いので、次回に続きます。
葵祭 2014-05-16 06:02:14 | 京都めぐり 前日の天気予報では、雨も予想されましたが、なんとかもちこたえてくれました。行列途中、小雨が落ちてきましたが、すぐ止みました。 葵祭の行列は、京都御所を10時半に出発し、下鴨神社で「社頭の儀」を行い、上賀茂神社に向かいます。葵祭は「賀茂祭」とも言われ、起源は6世紀に遡るそうです。 私が京都御所に着いたのは9時半前ですが、すでに撮影に適した前列は場所とりされていました。なんとか、2列目をゲットして、行列の開始を待ちます。 私の前には、若いお嬢さんたちと、外国の方がいます。 お嬢さん方に、何時頃来られたのか聞くと、8時には来ていたそうです。 葵祭の行列は、本列と斎王代列に別れ、本列は勅使代が中心です。 斎王代列は女人列とも呼ばれています。 本列の行列を先導する騎馬隊です。 検非遣使の役人です。現代の警察というところです。 位の高い者が、馬に乗っています。 牛車、俗に御所車と呼ばれ、勅使の乗る車で、藤の花などを軒に飾ります。 勅使です。勅使は天皇の使いで行列の最高位です。 風流傘です。 大傘の上に牡丹や杜若など、季節の花が飾り付けられています。 皆さんが目当ての斎王代の行列です。 最初に先導するのは、女官です。 斎王代です。 平安時代は内親王が選ばれましたが、現在は未婚の市民女性から選ばれます。 先導の女の子が可愛く、愛嬌がありました。 斎王代の牛車で、俗に女房車とも呼ばれています。 葵の花の他、桜や橘の花で飾り付けられています。