京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

緑深い下鴨神社糺の森

2014-05-31 06:17:11 | 2014初夏青紅葉の京都

暑い日は、涼を求めたくなります。
まだ5月だというのに、、、、。

昨日も、午前中のうちに下鴨神社まで足をのばしました。
下鴨で知人が医院を開業しているので、知人を訪ねたときに神社にも寄ります。
















糺の森、鴨社神宮寺の池跡です。
平安時代、嵯峨天皇の勅願寺として建立された跡地で、倒木を使った子供たちの遊び場でもあります。
この日も、保育園の子供たちが遊んでいました。
街中で、自然の森とふれあえる貴重な場所です。
























縁結びの神様、相生社です。





青紅葉きれいです。












大徳寺高桐院の青紅葉

2014-05-29 12:57:04 | 2014初夏青紅葉の京都

連日の30度超えです。
まだ涼しい朝のうちに大徳寺高桐院に足をのばしてきました。
ここは、細川家の菩提寺として、そして秋の紅葉の名所としても有名ですが、苔と青紅葉もとても素敵なところです。




門から入った苔の絨毯、参道の景色が美しいです。
外が暑くても、この中は涼しい別世界のよう。
皆さんにも、涼をお届けします。










2010年初夏、JR東海の「そうだ京都行こう」のポスターです。
さすがにプロの撮影は違いますね。








































植木屋さんが作業中でしたので、拝観は後日にしました。















高桐院ではありませんが、変わった土塀です。






帰り、鴨川に寄りました。
いつ見ても落ち着く景色です。
サギも見つけました。














暑さに戸惑い、植物園のアヤメ、菖蒲など

2014-05-29 06:04:48 | 京都めぐり


急に真夏のような暑さになり、少し戸惑っています。
街では半袖姿が目につくようになりました。

昨日の京都市の最高気温は30度超えの31,4度、真夏日です。
この暑さ、しばらく続きそうです。
暑さに弱いわが身としては、少々つらい季節に突入のようです。

わが家のジャンボアマリリスも咲きました。




今日は、先日訪れた植物園で撮影した花を紹介します。

ネギボウズに似ていて、愛嬌があります。
アリウムギガンテウム(ネギ科)





キソケイ(モクレン科)




もう少しで、紫陽花の季節になりますね。
街中ではもう咲いているのもあります。





カルミア(ツツジ科)





ヒオウギアヤメ




菖蒲も一部咲き始めています。
山野辺





沿海州





変わり花です。カナリア諸島の植物です。
エキウム・ウイルドプレッテイ




その花でしょうか。







芍薬とさつき展

2014-05-28 06:10:33 | 京都めぐり

今日は、芍薬とさつき展をお届けします。

芍薬の見頃は過ぎたのですが、まだ何種類か綺麗に咲いています。





マイフリューリ




ときめき





波の花





プリマーベラ





佳人の夢




火祭




さつき展も開催されていました。
ご存知のように、さつきはツツジ科の常緑低木です。
5月~6月にかけ、ツツジ類の花が終わった頃に花をつけます。
陰暦の5月に花が咲くところから、サツキツツジとも呼ばれます。




























































植物園の薔薇

2014-05-27 05:51:47 | 京都めぐり

散歩の足をのばし、京都府立植物園の薔薇を見に行ってきました。
午後は気温が上がりすぎるため、開門の9時過ぎに行ってきました。

ここの薔薇は、オーソドックスな飾り付けです。
さまざまな種類の薔薇がちょうど見頃です。
薔薇園の中に入ると、芳醇な香りが鼻腔を刺激します。

薔薇はほんとうに華やかで、気分が高揚します。





絵日傘




ペルニールポールセン




通称アンネの薔薇














クイーンエリザベス




インカ








プリンセスチチブ










ピース









フリュイテ









ミツコ









連弾




ダイアナプリンセスオブウエールズ




















ケアリーワンダー












『祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画』日曜美術館

2014-05-26 06:05:49 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、 『祈りの仏画 鈴木空如と法隆寺金堂壁画』です。





明治から昭和のはじめにかけ、失われゆく古い仏画をありのままに模写し、後世に伝えようと格闘した仏画師・鈴木空如(1873~1946)を取り上げています。

空如は、世俗の名誉から離れ、信仰を支えに、祈るがごとく、ひたすら古い仏画を世に伝えることをみずからに課した人です。
生涯、地位も名誉も名も求めることはありませんでした。

今、空如の母校である東京藝術大学の美術館で開催されている「法隆寺展」で、空如の金堂壁画模写が目玉として登場しています。





空如は秋田県大仙市に生まれ、幼い頃から絵の才能は飛び抜けていたようです。
空如10歳の時の絵です。
とても、10歳とは思えない完成度の高さです。














日清戦争に出征し、 九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、5000にも及びます。













中でも最大の画業は、法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を、単独で生涯三度も行ったことです。 大きいものは、3m四方にもなります。

空如は、昼なお暗い金堂に50回以上通い模写し続けました。
明治30年代半ばから20年間かけ1度目を、その後、大正から昭和にかけ2度目、3度目と模写し続けました。

以前、私も法隆寺金堂を拝観したことがありますが、確かに薄暗い印象でした。
空如のその集中力たるや、驚愕すべきものがあります。



















その一方、生前の空如は、画壇とは一切かかわりを持たず、展覧会に出品することもしなかったのです。そのため、その名はほとんど世間に知られていませんでした。

しかし、昭和24年に法隆寺金堂の火災による壁画の焼損後、にわかに脚光を浴び、昭和42年に行われた再現模写事業に、空如の模写は貴重な 資料となったのです。

近年は、ふるさとの秋田・大仙市が大規模な研究調査を実施、その芸術性が認められ、再評価 が急速に進みつつあります。

私は下手ながら、自宅で写経をしていました。
般若心経を写しとるだけで、かなりの集中力が必要になります。
書いている間は、何も考えず、ひたすら紙に向かっています。
空如もただひたすら、無心になって模写し続けたのでしょう。
その姿は、修行僧のようだったのではないでしょうか。

故郷の大仙市に残る空如の仏画です。

空如は愛娘を5歳のときに亡くします。
わが子の面影を仏画に写しとりました。




















私は、清貧のような空如の生き方を垣間見て、感動を覚えました。









現代の花魁道中

2014-05-25 06:09:35 | 定年後生活


昨日の地元紙京都新聞に、気になる記事がありました。

「臨済宗妙心寺派の管長に就任した嶺興嶽氏(71)の晋山式が24日、京都市右京区の大本山・妙心寺で営まれた。臨済宗各派の高僧や檀信徒たち約1200人が就任を祝った。」というものです。

新管長は、緋色の衣と金襴の袈裟で、境内を練り歩いたそうです。

京都新聞の写真です。





私は不信心者ですが、坐禅会で妙心寺にお世話になっています。

しかし、権威付けの色衣をつけ、本山配下の禅僧を従えて歩く姿は、失礼ながら、現代の花魁道中のようです。私の一番見たくない光景です。

臨済宗中興の祖、白隠禅師、そして信濃信州飯山に住んだ白隠禅師の師、道鏡慧端禅師も、権力を嫌い、物ももたず、地位も名誉も求めなかったと聞きます。

この禅僧たちは、生涯色衣を持たなかったのではないでしょうか。

私は批判めいたことはブログに書かないつもりでいたのですが、、、、。

私の独り言でした。



















ちょっとパリまで、ず~っとパリで―渡欧日本人 画家たちの逸品

2014-05-24 06:15:49 | 美術・博物館


泉屋博古京都館で、特別展 『住友グループの企業文化力 ちょっとパリまで、ず~っとパリで 渡欧日本人 画家たちの逸品』が開催されていましたので行ってきました。
この美術館には、毎年春と秋の特別展の2回、足を運んでいます。




展示作品は、明治時代に住友グループの礎を築いた住友家が、長年にわたって、グループ各社で収集した絵画など50点ほどです。

作者は、19世紀末から20世紀前半期にパリに留学し、帰朝後に日本の「洋画」を切り拓き、 またはパリに居続け異邦人画家として活躍した画家たちです。

外光派のラファエル・コラ ンに学んだ黒田清輝や、ルノワールに師事した梅原龍三郎、同僚の安井曾太郎、フォーブの巨匠ブラマンクの 刺激を受けた佐伯祐三、エコール・ド・パリの一員として知られる藤田嗣治(レオナール・フジタ)などです。

これらの作品は、普段、 社長室や重役室に掛けられているそうです。

主な作品

黒田清輝 《花と婦人》1892年

浅井 忠 《グレーの森》 1901年


和田英作 《こだま》 1902年



鹿子木孟郎 《ノルマンディーの浜》 1907年



藤島武二 《黒衣の婦人》 1909年

藤島武二 《幸ある朝》 1908年
斎藤豊作 《秋の色》 1912年

安井曾太郎 《放牧》 1911年



岡 鹿之助 《堀割》 1960年代頃



佐伯祐三 《鯖》 1925年頃
北村四海 《蔭》 1911年

木下孝則《バレリーナ》1950~60年代



などです。


私の好きな美術館中庭の景色です。





孫の誕生

2014-05-22 21:48:48 | 定年後生活

昨晩遅くに、長男夫婦の3人目の女の子が無事生まれました。
長男夫婦にとっては初めての女の子です。

私たち夫婦にとっては6人目の孫になります。
以前のブログにも書きましたが、孫はみな可愛いのですが、初孫が女の子で、そのあと男の子が4人続きましたので、無責任ながら次こそ女の子が欲しいと思っていました。


早速、赤ちゃんを見に行ってきました。
生まれたての赤ちゃんは、いつ見ても面白い顔です。

二人のお兄ちゃんたちは、赤ちゃんに触りまくりです。
聞くと、お兄ちゃんたちも分娩に立ち会ったそうです。

これから、一日一日大きくなるのが楽しみです。





真如堂の青紅葉

2014-05-22 06:03:13 | 2014初夏青紅葉の京都

一昨日夜、京都も強い雨が降り、翌日午前中まで雨が残りました。
昼前から晴れ間もでてきたので、久しぶりに真如堂に足をのばしました。
しかし、雲の流れも早く、晴れたと思ったら小雨もありと、台風一過のような天気です。

真如堂は、春の桜、秋の紅葉が有名で、訪れる人も多いのですが、今の時期は比較的閑散としています。
桜や紅葉もいいのですが、私は青紅葉も好きで、時々ここを訪れては散策します。


通称赤門です。





本堂前の参道です。







本堂です。





真如堂の説明板です。





境内の青紅葉です。



















移動介助支援ロボット「SASUKE(サスケ)」

2014-05-21 06:54:38 | 科学・宇宙・歴史

久しぶりに先日放送された夢の扉を取り上げます。

タイトルは、『世界が絶賛!“頭脳を持つモーター”で未来を変 える!
NASAや米大手企業も着目した日本発 テクノロジー』という長いものです。
ドリームメーカーは、大阪市 マッスル株式会社 社長の玉井博文さんです。





玉井さんは、安倍首相も視察に訪れるなど、今、国内外から熱い視線が注がれる、 世界屈指の技術で人手助けをするロボット作りをしています。





番組前半は、 玉井さんのロボット開発の苦労が描かれています。

30代後半で、産業用ロボットの会社を辞め、頭脳を持つモーターを開発するが、国内大手企業からは門前払 いされます。しかし、アメリカではNASAや巨大企業の関係者に大きく評価されます。

私が興味深く思ったのは、玉井さんが開発した、ベッド⇔車イスの移乗を手助けする「介護ロボヘルパー」です。
医療や介護の現場から、腰痛による離職者が後を絶たないと、最も多く寄せられた要望に応える技術開発です。

移動介助は、介助者が中腰の姿勢になることから腰痛者になる人が多いのです。

今回、玉井さんが開発したのは、移動介助支援ロボット「SASUKE(サスケ)」です。





このロボットは、優しく抱き上げる動作で、在宅で介護を行う一般の人が一人でも扱えるというものです。
指先の操作ひとつで、人を持ち上げ、ベットから車椅子、車椅子からベッドへと移動できるのです。

実際の介護現場での試験では、神戸の老人介護施設での様子が紹介されました。
現在介護現場で主流となっているのは、吊り下げ式支援ロボットです。





玉井さんの開発した、抱きかかえ式
ゆっくり、持ち上げられていくおばあちゃん。




体が起こされます。





そして車椅子に乗せます。






今まで3人がかりだった移動が、ひとりでできました。





利用されたおばあちゃんも、安心できて、喜んでいました。

この 「SASUKE(サスケ)」は、最大で110kgの人まで持ち上げられるそうです。
今後介護保険が適用されれば、月々数千円(メーカー予想)で利用できるようになるそうです。

この「SASUKE(サスケ)」、一般の方々も集まる、「総合福祉バリアフリー2014」で御披露目され、大勢の方が集まっています。





車椅子の方や、在宅で介護をしている方に大きな評価を得ていました。

玉井さんは、「温かい雰囲気のなかで最後まで介護できる環境を手助けしたい」と。
かつては、国内で見向きもされなかった技術が、今回の 「SASUKE(サスケ)」ではうってかわり、商談攻めでした。

こういう新しい介護支援ロボットが、どんどん開発され、身近に使えるようになったらいいと思いました。
私もいずれお世話になるかもわかりません。





嵯峨鳥居本の散策

2014-05-20 05:54:26 | 京都めぐり


昨日は散歩日和、久しぶりに嵐山から嵯峨鳥居本(さがとりいもと)まで散策しました。


嵐山渡月橋です。
いつ見ても、この橋の形状は嵐山にマッチしています。
平日のせいでしょうか、いつもより、観光客が少ないです。








嵯峨鳥居本は、嵯峨二尊院や祇王寺から、もう少し北に歩いたところにあります。
無縁仏の石仏が多い化野念仏寺が有名ですが、古くは「化野」と呼ばれ、京の人々の埋葬 の地でした。

現在の町並みは愛宕神社の門前町として発展し、化野念仏寺を境に瓦屋根の町家風民家が並ぶ下地区と、茅葺きの農家が多い上地区と二つの風景が共存しています。
1979年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。

私は、観光地の喧騒をはずれた、ここの町並みが好きです。

愛宕山一の鳥居の場所に二軒の風情ある茶屋、宿屋があります。
一軒目は、茶屋として有名な平野屋さんです。









もう一軒は、鮎の宿、つたやさんです。











タイムスリップしたような感じになります。








続 『明治の工芸 超絶技巧』

2014-05-18 05:00:42 | 美術・博物館

東京日本橋にある、三井記念美術館で明治工芸を集めた展覧会が開催されています。





そのなかのいくつか、番組で紹介されました。

錫や銅など金属で作られた「自在置物」と呼ばれる工芸品です。

龍や伊勢海老、蛇などです。
どれも本物そっくりで、しかも関節なども曲がります。






























この「自在置物」にも時代が深く関わっています。
戦国時代、武将の甲冑を作る、明珍という名門甲冑師がいて、大きな勢力をもっていました。しかし、江戸時代戦乱がおさまると注文が激減します。
そこで新たな活路を求めたのが、献上品などとして作り始めたのが自在置物だったのです。

「スズメ蜂」(素銅製)





今では少なくなった自在置物の工房が京都にあります。
金工師5代目の冨木宗行さんです。





先祖代々、得意としてきたのが「伊勢海老」(銀製)です。





「孔雀図屏風」
刺繍絵画と呼ばれるものです。
数ある細密工芸のなかでも、刺繍絵画が特に西洋で高い人気だったそうです。










奈良時代に作られた国宝「釈迦如来説法図」も刺繍です。









刺繍は6世紀頃日本に入り、最初は仏教に使われていました。
その後、着物などの装飾に使われるようになり、京都を中心に発展します。





しかし、そこにも時代の波が押し寄せます。
明治に入り、東京に文化の拠点が移り、京都の染色産業は顧客を失います。

そこで、目をつけたのが、刺繍絵画です。
世界でも例がないと西洋で絶賛されます。

滝の図





下絵を担当したのは、日本画家竹内栖鳳をはじめとする、日本画壇の巨匠たちです。





栖鳳「雪中蒼鷹図」と刺繍絵画





現代の刺繍工芸、人間国宝の福田喜重さん





福田さんの作品です。










刺繍絵画の「読書図」
油絵のようです。















『明治の工芸 知られざる超絶技巧』日曜美術館

2014-05-17 06:14:20 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、『明治の工芸知られざる超絶技巧』です。
私は、番組で紹介された素晴らしい明治工芸を見ていると、以前の展覧会『皇室の名品』で見たのと同じ感動を覚えました。





京都の清水寺に向かう参道の途中に、清水三年坂美術館があります。
展示されているのは、幕末から明治、大正にかけて作られた工芸品の数々です。





目を引くのは、細密を極めた職人の技です。





古びた瓦にとまる一羽の鳩が、蜘蛛を狙っています。
蜘蛛の大きさは、わずか8ミリです。
金工「古瓦鳩香炉」










七宝「蝶図瓢形花瓶」
高さ20センチほどの花瓶に施された見事な技です。










こういう職人たちを駆り立てたのは、激動する時代の空気でした。
明治維新を機に、西洋の文化が流れ込み、日本は近代化の波にさらされます。
そうしたなか、時の政府は新たな政策を打ち出します。
外貨獲得のため、日本独自の工芸品を海外に輸出しようと考えたのです。

甲冑や刀装金具などを造っていた金工師、和装から洋装という変化に影響を受けた繊維業など、社会の変化によって職を奪われた職人たちは、海外に活路を見出しました。





19世紀ウィーン万博などの博覧会に出品されるなど、日本の輸出産業品として海を渡ったのが そうした工芸品でした。





伝統的な日本の美とは少し異なった、緻密で繊細、超絶技巧を駆使 して作られ品々は、高い評価を受け、欧米人たちを驚かせました。

しかし、そうした多くの工芸品は、海外のコレクターの手に渡り、日本ではやがて忘れられた存在になっていきました。

それに再び光をあてるきっかけになったのが、清水三年坂美術館です。
海外のオークションにも参加し、1万点を越えるコレクションを収集したのです。

そのなかから、いくつか紹介します。

「竹の子、梅」象牙の作品です。









彫刻家の前原冬樹さんは、この素晴らしい作品に感激です。





前原さんの作品も紹介されました。










明治の作品に戻ります。
「蜂の巣」










竹の子や蜂の巣を作ったのは、同一人物で、安藤録山(明治18年頃~?)という方です。
でも詳しいことはほとんどわかっていないそうです。


「老人二童」石川光明
象牙を使った際密な作品です。





象牙に色をつける技法は、古くは正倉院の宝物に見られます。
象牙の小石です。
象牙を彫ってから模様を書く撥鏤(ばちる)という技法です。





安藤録山の「石榴」です。





柿やミカンの作品もあります。












今回は画像が多いので、次回に続きます。













葵祭

2014-05-16 06:02:14 | 京都めぐり

前日の天気予報では、雨も予想されましたが、なんとかもちこたえてくれました。行列途中、小雨が落ちてきましたが、すぐ止みました。

葵祭の行列は、京都御所を10時半に出発し、下鴨神社で「社頭の儀」を行い、上賀茂神社に向かいます。葵祭は「賀茂祭」とも言われ、起源は6世紀に遡るそうです。

私が京都御所に着いたのは9時半前ですが、すでに撮影に適した前列は場所とりされていました。なんとか、2列目をゲットして、行列の開始を待ちます。
私の前には、若いお嬢さんたちと、外国の方がいます。
お嬢さん方に、何時頃来られたのか聞くと、8時には来ていたそうです。

葵祭の行列は、本列と斎王代列に別れ、本列は勅使代が中心です。
斎王代列は女人列とも呼ばれています。


本列の行列を先導する騎馬隊です。





検非遣使の役人です。現代の警察というところです。
位の高い者が、馬に乗っています。

























牛車、俗に御所車と呼ばれ、勅使の乗る車で、藤の花などを軒に飾ります。










勅使です。勅使は天皇の使いで行列の最高位です。





風流傘です。
大傘の上に牡丹や杜若など、季節の花が飾り付けられています。














皆さんが目当ての斎王代の行列です。
最初に先導するのは、女官です。










斎王代です。
平安時代は内親王が選ばれましたが、現在は未婚の市民女性から選ばれます。
先導の女の子が可愛く、愛嬌がありました。


































斎王代の牛車で、俗に女房車とも呼ばれています。
葵の花の他、桜や橘の花で飾り付けられています。