京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

雨の日の雑感と『ジョルジュ・デ・キリコ』日曜美術館

2015-01-31 05:50:15 | 美術・博物館

昨日は朝から雨が降り続く寒い一日でした。
雪なら雪景色の撮影にと思ったのですが、あいにくの雨続きで、散策は中止です。
私の退職後の生活は、晴耕雨読ではなく、晴散策雨読?と決めていますので、
好きな本を読み一日を過ごすことに決めこみました。

大好きな東山魁夷の画集を書庫から取りだし、眺めたりして過ごしました。
東山魁夷が京都の四季を描いたのは、1964~66年(昭和39~41)です。
私は、魁夷が描いた五十年前の京都の景色の現状と変遷を、
私のカメラで追いたいとの想いを強くしました。

川端康成が「古都」を書いたとき、「京都がなくなっていく」と嘆きました。
その頃は、日本が高度経済成長に入り、京都だけでなく、
全国でビル建設のラッシュがはじまりました。

消えゆく京都の街並みに危機感を抱いた魁夷は、京都の四季を切り取りました。
そこには今は消えてしまった、美しい京都の町の景色がありました。
そして今も変わらぬ庭園や四季のうつろいがありました。

いずれ、それらをテーマにブログにも投稿したいと思います。


昨日は散策できませんでしたので、以前放送された日曜美術館を紹介します。

『謎以外の何を愛せようか ジョルジュ・デ・キリコ』です。




ジョルジョ・デ・キリコ(1888ー1978)は、20世紀のイタリアを代表する画家と言われています。
影や構図を自在に操り、何気ない日常の一場面を、見る者の不安をかきたてるように描い作品が特徴です。
そして、シュルリアリズの父と呼ばれた画家です。
キリコが愛した言葉は、「謎以外の何を愛せようか」だそうです。

キリコ




同じくシュルリアリズの巨匠、サルバドール・ダリが憧れた画家でもあります。

ダリ




ダリ「記憶の固執」1931





キリコはイタリア人の両親のもと、ギリシアで生まれます。
早くから絵の才能を発揮し、10代で美術学校で学びはじめます。
ニーチェやショーペンハウエルの哲学に深く傾倒しながら、画家を志します。

キリコ21歳の頃の作品
「ケンタウロスの戦い」1909
ギリシア神話にでてくる場面です。





「通りの神秘憂愁」1914
ホドラーの代表作品です。
輪を転がして遊ぶ少女、強い陽差しが人の形をした影を映し出しています。
陽を受けている少女も黒く塗りつぶされています。
晴れているのにどんよりとした空。





「福音書的な静物」1916
形而上絵画と呼ばれているそうです。





20世紀前半パリで誕生した美術運動シュルリアリズは、
現実を超え、人間の無意識の領域を表現しようとした画風です。
そのメンバーたちが崇拝したのがキリコです。

「林檎と葡萄のある静物」1931
シュルリアリズとは全く異なる絵です。





「自画像」1922~25頃
首から下が石像のように固まってて、腕の大きさがアンバランスです。
現実と非現実が入り交じった作品です。





「海岸の2頭の馬」





「赤と黄色布をつけた座る裸婦」





「考古学者たち」1927





「白い馬」1930頃





キリコは90歳で亡くなるまで創作を続けました。

「不安を与えるミューズたち」1974
キリコ86歳の作品で、顔のないマネキンのような像です。





「古代的な純愛の詩」1070頃




「イタリア広場」1968年頃





「吟遊詩人」1960年代





「燃えつきた太陽のあるイタリア広場、神秘的な広場」1971






「神秘的な動物頭部」1975





シュルリアリズの絵画は好みが分かれますね。
私はキリコまでは許容範囲です。










散策ー奥嵯峨 愛宕念仏寺

2015-01-30 05:40:58 | 京都めぐり

昨日も寒い朝で、今にも雪がちらつきそうな気配です。
車の上にはうっすらと雪がのっています。
それで昨日の散策は、もう少し雪がありそうな奥嵯峨にしました。
愛宕念仏寺まで行けば、少しは雪化粧も見れるのではと思ったのです。
奥嵯峨は何度も足を運んでいますが、愛宕念仏寺のなかに入るのは今回が初めてです。

奥嵯峨鳥居本のつたやさんと平野屋さんです。
屋根がうっすら雪化粧です。










ロウバイです。





愛宕念仏寺の創建は770年頃と伝えられ、現在の地に移されたのは1922年です。
私が一番興味があるのは、やはり膨大な数の羅漢石像です。
1981年から10年間、1200人の一般参拝者が自身の手で彫ったものです。
まだ30年余りしか経っていませんが、苔むした石像はなんとも言えない趣があります。
御自身の現世の姿に似せて作られた羅漢像もあり、非常に微笑ましくも思えます。





愛宕念仏寺の仁王門です。
江戸中期創建、仁王像は鎌倉時代のものです。





拝観受付を済ますと、あちこちに羅漢像が見えます。
像の後ろには彫られた方の名前も彫られています。










赤ちゃんを抱いた母子像です。





三宝の鐘










鎌倉様式の美しい屋根の曲線が特徴的な本堂





テニスのラケットでしょうか。
きっとテニス好きの方が彫られたのでしょうね。











多宝塔です。



























メガネをかけ、大きな口を開けた石像もあります。
その口の中に、賽銭が入れられています。











ふれ愛観音堂の観音様です。
手で触れることで心身の痛みを癒してくれるそうです。





私が自身に似せて彫るとしたらこういうのを作りたいです。
寝そべって何を考えているのでしょうか。
気持ち良さそうです。





最後にいつもの嵐山渡月橋の景色です。
昨日は水量が多かったですね。









京都御苑の梅も開花

2015-01-29 05:46:56 | 京都めぐり

昨日は前日の暖かさが嘘のように、寒い一日になりました。
日中の最高気温も4.8度と5度以下です。
ときどき晴れ間もあるのですが、一時小雪混じりの雨も降ってきました。
昨日の私の散策は、京都御苑です。
北野天満宮の梅が開花し、直に京都御苑の梅林にも開花のたよりがあるはずです。

比叡山はうっすら雪化粧のようです。





京都御苑の梅林は中立売御門の南にあり、桃林に隣接しています。

一本の紅梅が開花していました。
寒風のなかでも力強く咲いています。















ロウバイも咲いています。





梅林全体の開花はこれからです。










しばらく寒さが続きそうです。
皆様もご自愛ください。



散策ー西陣大黒町界隈の景観

2015-01-28 05:39:26 | 京都の町 町屋・建造物

昨日朝の散策は、西陣大黒町界隈です。
西陣といえば、織物の町として知られていますが、西陣という地名の由来は、
1467年の応仁の乱にさかのぼります。
東軍(細川勝元)と西軍(山名宗全)が激しく争い、京都の町を焼きつくしました。
その時、戦火を逃れるため多くの職人は京都を離れますが、 戦いがおさまると、
再び京都に職人が集まりました。
その場所が西軍のあったあたりだったので「西陣」と呼ばれ、
そこで織られた織物を「西陣織」と呼ぶ ようになったと言われています。

大黒町は今でも西陣織の中心にあります。
町並みも住民の方々によって通りが石畳に変わり、電線は地中埋設され、
外壁は原色を避けるなど、職・住が一体の景観 づくりがされています。

まだ朝早い時間帯で、人出が少ない西陣の町並みを紹介します。




















真横に撮影してみます。





昭和の懐かしい郵便ポストがありました。



















昔の商家にはよく見かけます。





ばったり床几
普段はしまってありますが、必要なときばったり張り出します。
商品を置いたり、腰かけもできます。










路地の奥です。
















大黒町周辺の景色も撮影しました。















鍾馗さん、魔除けとして屋根に置きます。






































北野天満宮の梅が開花

2015-01-27 05:40:34 | 京都めぐり

待ちに待った北野天満宮の梅が開花しました。
今年は例年よりずいぶん寒かったので、梅が咲くのは来月と思っていました。
一昨日初天神の日に、近くの上七軒まで散策にでかけたのですが、
梅はまだだろうと思い、境内には入りませんでした。
ところがその夕方、ニュースで初天神と梅が映し出されていました。
梅が咲いているではありませんか。

それで昨日、急遽北野天満宮に足を運んできました。

やはり梅、開花で~す。


まずは楼門前の梅園の白梅です。





楼門を通ると撫で牛の白梅も咲いています。





近くの紅梅も開花です。






三光門(中門)の近くも咲き始めです。















以前紹介したロウバイも咲いてます。






本殿北側の梅も開花です。












「天満書」が展示されています。





まだまだ寒い日が続きますが、梅の開花は春の訪れが遅くないことを教えています。
あと1週間で節分です。節分が過ぎればあちこちの梅も咲き始めます。
楽しみです。





京都の花街の一つ上七軒と初天神

2015-01-26 05:52:28 | 京都の花街

昨日の散策は、京都の花街の一つ上七軒にしました。
近くの北野天満宮ではちょうど25日は初天神が行われます。

京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町の五花街があり、
別に島原も加えて六花街と呼ぶこともあるようです。

上七軒は北野天満宮の東に位置しています。
もともとは室町時代に、北野天満宮の再建の際に残った機材を使って、
七軒の茶店を建てたのが「上七軒」の由来とされています。
西陣が隆盛の時代、花街として西陣の旦那衆がよく利用して繁盛したようです。
今は西陣織りの衰退とともに、上七軒のお茶屋や芸妓さんも少なくなりました。

京都の花街では毎年春、花街のをどりが開催されますが、
上七軒も歌舞練場で 『北野をど り』が上演されています。


花街の雰囲気を残した上七軒の通りです。












3月に開催される北野をどりのポスターが貼られています。











郵便局も町並みに合っています。
















落ち着いた町並みです。




















黒い格子もよく見ると違います。
















黒格子でない木目調の格子もあります。










和菓子の老松










昨日は25日、北野天満宮の天神市です。
ここも多くの露店が境内、周辺道路にも並び、多くの人出で賑わいます。





















昨日の散策ー青苔の祇王寺と北嵯峨の景色

2015-01-25 05:47:54 | 京都めぐり

昨日に続き、妻は朝から長男宅に孫の子守りにでかけました。
熱は下がったようですが、インフルエンザで保育園にあずけられないのです。

昨日朝の散策は、奥嵯峨入口の祇王寺にしました。
私のブログをご覧の方は、よく祇王寺がでてくるのに気づかれると思います。
私はここの青苔の景色が好きなのです。
今の時期はどうしても、町の中に緑や花が少なくなります。
そうなると、無性に緑の景色を見たくなります。

厳冬の嵯峨野で祇王寺の青苔が一番美しいと思います。
木々は立ち枯れていますが、地面は青苔で青々しているのです。

拝観入り口前のロウバイが咲いていました。










受付を通るとまず目に入ってくる草庵と青苔の景色
草庵の屋根が朝陽に照らされています。





今日は今の時期の青苔を見ていただきましょう。




















朝陽に照らされた木々の影もいいです。















草庵前の苔庭です。










木々は立ち枯れています。





しかし、青苔は生き生きしています。





傘がさされたボタンが開花しました。











カラスウリです。





今回も野鳥が餌を食べにきていました。
ヤマガラです。





手の上にも食べに来ていました。





メジロもいます。





青空に葉を落とした木々





祇王寺をでて、北嵯峨の田園風景を撮影にでかけました。

民家のロウバイも咲いていました。






私の好きなのどかな田園風景














(続)昨日の散策ー祇園、先斗町

2015-01-24 16:24:57 | 京都の花街

昨日八坂の塔と石塀小路を歩き、次に向かったのは祇園花見小路です。
建仁寺の日曜朝の座禅会にでかける際、よく車で通ります。
また、在職中は仕事で花見小路界隈によく通いましたが、今はとんとご無沙汰です。
実は仕事のつきあいの飲食で、美味しいと思ったことはほとんどないのです。
もともとアルコールがそんなに好きではないというのもあります。
でも祇園には美味しいお料理店も多くありますので、妻とでかけてもいいのですが、
私はカニとエビ、妻は肉類(特に牛肉や鴨肉)が食べれないので、
どうしても足が遠のくのです。

祇園で一番格式があると言われるお茶屋、一力の近くから撮影です。
一力は大石内蔵助、近藤勇、大久保利通、西郷隆盛も通ったそうですよ。










花見小路から東西の通りです。
日中は静かですが、夜はにぎやかになります。
私がよく通ったお店もあります。
















舞子さんが平服でおでかけです。










祇園巽橋です。





テレビにもよく出てくる辰巳大明神です。





観光客の舞子変身体験です。
最近観光地のあちこちでよく見かけます。





祇園白川、春桜が咲く時期が一番好きです。





祇園新橋の茶屋様式の町並み、伝統的建造物群保存地区に指定されています。
ここは江戸時代から茶屋町として発展してきたところです。










鴨川です。





久しぶりに先斗町を歩きます。
以前は狭い路地が、張り出した看板でよく興ざめしたものですが、
京都市の景観条例で看板規制が行われ、ずいぶんすっきりしました。















最後に高島屋に寄り、買い物と特別展『天皇皇后両陛下の80年』を見ました。
約170点の写真と130点の両陛下ゆかりの品々が展示されています。
無料ということもあり、会場はいっぱいでした。
この特別展は2月2日までです。












昨日の散策ー八坂の塔、石塀小路

2015-01-24 05:51:09 | 京都の町 町屋・建造物

一昨日降り続いた雨は、昨日の朝まで残りました。
その雨も10時過ぎにやっと止みましたが、そのあとも晴れたり曇ったり、
そして雨もありと不安定な天気でした。

昨日は一人で京都の町並みの撮影にでかけました。
妻は孫の一人がインフルエンザにかかり、子守り番をすることになったのです。
私一人向かったのは、京都を代表する景色の一つ、八坂の塔です。
八坂の塔、正式名称は法観寺です。
清水寺や高台寺にも近く、京都観光で訪れた方も多いと思います。
臨済宗建仁寺派の寺院で、現在の塔は1440年足利義教によって創建されたものです。

東大路通りから東に坂道を上がると、すぐに正面に見えてきます。






八坂の塔のすぐ手前に八坂庚申堂(こうしんどう)があります。





境内にはくくり猿がたくさん奉納されています。
よく見ると、このくくり猿には願い事が書かれています。
周辺の民家やお店の軒先にはくくり猿が吊るされています。
五匹の猿は「御縁があるように」「家庭円満」などの願いが込められています。











八坂の塔を正面に見て撮影






八坂の塔の周囲の落ち着いた町並みです。





消火栓も町並みに合うように工夫されています。





別角度からも八坂の塔を撮影










八坂の塔の近く、石塀小路を歩きます。
平日で小雨混じりのあいにくの天気のために、観光客が少ないのが嬉しいです。
石畳に石塀、板塀、落ち着く景色です。




























いつもは観光客が多い通りです。
















立ち小便をするフトドキ者がいるのでしょうか。





石塀小路から花見小路を通り、祇園、先斗町を歩きました。
その画像は明日投稿します。







妻の定年退職後3週間余

2015-01-23 05:55:19 | 定年後生活

昨日は朝から雨が降り、ほぼ一日続きました。
雨の日は日課の散策もお休みです。

年末に妻が定年退職して3週間余り経ちました。
私もやっと妻がいつも家にいる生活に徐々に慣れようとしています。
それまでは、私は妻が仕事にでかけた後、朝の散策にでかけるのが日課でした。
退職後は当然ながら、ずっと妻が家にいます。
しばらくは私は散策に出るタイミングを失うといった状況でした。
それも、ようやく慣れて、今はいつも通りの生活に戻りつつあります。

一昨年3月末、一足早く定年退職した私の生活は、毎朝5時起床、
パンを焼き、6時半朝食、その後朝の散策にでかけます。
昼前には帰宅し、昼食後に家の中の掃除、庭掃除、買い物、洗濯物の片付け、
夕食づくりが日課でした

それが、妻が退職後はすべて妻がするようになりました。
私は家事の分担はいくらでもするつもりでいましたので、
ある日妻に、「○○さん、夕食づくり私がしようか」と言いました。
すると「やっとあこがれの専業主婦になれたんだから」と手を出させてくれません。

私としては少し、手持ちぶさたで少し寂しい気もしています。

最近は、私が早朝散策に出かけている間に、妻は家事を済ませ、
私が散策帰宅後に一緒に買い物に出かけます。
午後もお天気であれば、なるべく一緒に散歩に出たりしています。

妻の厚生年金の受給申請は、先月の誕生日に申請は済ませていますが、
退職後いくつかの手続きが必要になります。
その一つは健康保険の任意継続ですが、年明け早々に手続きを終え、
昨日新しい任意継続 の保険証が妻に届きました。

もう一つは、失業保険給付です。
妻は年始明け早々にハローワークに申請に行き、先日講習を受けてきました。
聞くと何度かハローワークに足を運ばないといけないようです。
私は在職中は経営者でしたので、失業保険の対象外だったのです。
当然、失業保険の受給資格がありませんし、手続きも実感がないのです。
妻の場合で150日受給できるそうで、失業保険をもらうのが嬉しいようです。

今のところ妻は、仕事に行かなくてもいい日々を満喫しているようです。
二人とも定年退職し、家にいる時間が多くなりましたが、
長年連れ添っていると、お互いに楽と思う間合いはある程度わかってきます。

私は妻がしたいようにすればいいと思っていますので、
妻がすることに干渉しないようにしています。
男でも女でも、夫婦と言えども束縛や干渉しあうのは疲れてしまいます。
お互いの私的時間は尊重しあいと思っています。

今は寒い時期なので、旅行などはまだです。
少し暖かくなれば、でかけるつもりです。
でも、妻も私も長期の旅行は好きではなく、せいぜい一泊二日が良いところです。
どちらかと言えば、旅行より京都にいる方が好きです。

当面は桜シーズンに入る前に観光旅行にでかけようとと思っています。

昨日は散策ができず、私と妻の近況を綴りました。

















東寺初弘法

2015-01-22 05:47:46 | 京都めぐり

昨日は東寺の初弘法でした。
東寺の広い境内で、弘法大師(空海)の命日である21日に毎月弘法市が行われます。
毎年1月は初弘法、12月は終い弘法と呼ばれ、特に人出が多くなります。
在職中はなかなか来れませんでしたが、退職後は平日でも足を運べるのは嬉しいです。
弘法市には、骨董品、花や植木、衣類、漬物、様々な食品、手作り品、
道具類、加工品など1,000以上の露店が出ます。
境内は歩くのもままならないほどの混雑です。
私は行列や混雑しているところは苦手なのですが、弘法市の賑わいは好きです。
昨日は早朝散歩はせずに、午前中妻と買い物にでかけ、昼前に東寺にでかけました。

東寺の東門(慶賀門)から入りましたが、すごい人出です。










さまさまな露店がでています。
見て歩くだけで結構楽しいです。





絵画も売られています。





家具もでています。





衣類関係はいっぱいでています。





露店と五重塔










金堂前は露店とお参りでいっぱいです。










南大門前です。





南大門の外の歩道にも露店がでています。











明治時代の書面悵です。





大工道具の露店






干物、乾物類も多いです。





東寺のお坊様が東大日本震災と長野県地震も救援募金集めをしていました。











私と妻は1時間余露店めぐりし、お花を買って帰りました。






昨日早朝散策ー大徳寺高桐院

2015-01-21 05:54:10 | 寺院・庭園


昨日の早朝散策は、大徳寺高桐院です。
私のブログではお馴染みの定番散策コースです。
専属の庭師さんたちは早朝より、庭の手入れをします。





入口の門です。
履き清められた石畳と青苔が見えています。





青苔の庭です。





昨年末、新しい青竹に取り替えられた参道もきれいです。










中門をくぐると垣根が見えますが、これも美しい。





拝観入口ですが、当然拝観時間前です。





帰り参道






厳冬の一月、緑が少ない時期ですが、ここは青苔の緑が生き生きしています。
しばし、苔の緑を楽しんでいただきたいと思います。






































一見、真冬とは思えない緑が豊かな景色、いかがでしたでしょうか。











散策ー双ケ丘、蛇塚古墳

2015-01-20 05:27:32 | 京都歴史散策

昨日の散策は双ヶ丘登りです。
双ケ丘は東に妙心寺、法金剛院、少し北に歩けば仁和寺があります。
徒然草を書いた吉田兼好が晩年庵を結んだ地としても知られています。

単なる丘ではなく、24基の古墳がある 双ケ丘古墳群がある丘なのです。
この古墳群は、古代の豪族、秦氏の首長の墓と考えられています。

丘は、北から一の丘(119m)、二の丘 (102m)、三の丘(78m)で構成され、
国の名勝に指定されています。
それほど高くはないので、ハイキングにもってこいです。
地域の方々は勿論、保育園児も日常的に登っています。

古い地図ですが、双ケ丘の全体像です。(京都市画像より)





私が登るのは今回で二度目です。
前回も妻と登りましたが、その時は直接一の丘を目指しました。
今回は、三の丘→二の丘→一の丘のルートです。
ひとりで登るより、会話をしながらの方がやはり楽しいです。

法金剛院を少し歩くと登り口があります。





お花のきれいなところです。説明板もつけておきます。





落葉の絨毯を踏みしめて登ります。





一の丘頂上付近





頂上付近(78m)からの眺望





二の丘を通り一の丘です。





一の丘頂上(119m)からの市内眺望です。





北には仁和寺が見えます。





少しアップします。





頂上に基本(国土地理院)が埋められています。





付近に大きな古墳跡があります。
古墳の入口は塞がれています。





保育園の園児たちも先生に引率されて登ってきました。
年齢を聞くと2歳児とのこと、驚きです。





一の丘の登り口にある説明板です。










休憩所になっています。
また丘裾は桜の木が植えてあり、春は散策に良さそうです。





お地蔵様もあります。





次に向かったのは、右京区太秦にある蛇塚古墳です。
京都府下最大の横穴式石室を持つ、前方後円墳です。
古墳時代末期のもので、秦氏一族の首長の墓と言われています。
これも国の史跡に指定されています。

住宅地の中に、鉄柵に囲まれています。





以前、石室の中に入ったことがありますが、今は何もありません。





角度を変えて撮影してみました。

















早朝散策ー平安神宮、南禅寺、青蓮院

2015-01-19 05:41:46 | 京都めぐり

昨日の日の出時刻は7時04分、気温2度と寒い朝です。
身体は着こんでいるので平気ですが、やはりシャッターを押す素手は冷たいです。
私はなるべく晴れた朝は、早朝散策を楽しむようにしています。
昨日のコースは、平安神宮→南禅寺→青蓮院です。

早朝の八坂神社西門です。
薄明かりのなか、車のライトと神社西門の赤、街灯、早朝ならではの景色です。





平安神宮の大鳥居です。





平安神宮応天門
まだ誰もいない静かな景色は好きです。






早朝のため、門には柵がしてあります。










応天門から大鳥居を見た景色です。
朝陽が上っているのがわかるでしょうか。





少し雪まじりの東山の景色です。





次に向かったのは、南禅寺です。
いつもの三門です。





ここもまだ観光客がいません。





三門大屋根と朝陽





法堂も静寂そのものです。





境内の青苔です。





振り返り、三門を撮影します。





誰もいない水路閣もいいものです。
















白いl南天






天授庵の空です。





次に向かったのは青蓮院です。
ここはクスノキの巨木を撮影したかったのです。
















苔の張った大きな根が長い時を感じます。










知恩院の山門を撮影して終わりにしようとおもったのですが、
山門は工事中で、シートで覆われていました。

昨日三十三間堂で恒例の通し矢が行われました。
今年は行きたかったのですが、早朝散策の後は孫守りです。
娘夫婦が能観賞に出かけ、子守りを頼まれたのです。
来年再チャレンジです。

テレビで映像から





散策ー六角堂、錦、寺町

2015-01-18 05:40:26 | 京都の町 町屋・建造物

昨日の散策は妻と二人です。
少し寒かったですが、散策にはちょうどよいくらいです。
まず向かったのは、烏丸通り六角東入るの六角堂です。
京都のおへそにあたると言われ、聖徳太子が開基、華道発祥地としても有名です。

六角堂、正式名称は頂法寺です。









わらべ地蔵
小さな子どもを守ってくれる地蔵様です。





一言願い地蔵
少し首を傾けているのは、お参りにこられた方の願叶えてあげようか、
どうしようかと考えられている姿だそうです。
聞き届けられるかは信心次第ということで、欲張らずに、
一つだけ願い事をしてくださいとのことです。





六角堂の御幸桜
早咲きの桜で、最初は白い花、次第にピンクに色づいていきます。
桜の下には十六羅漢像があります。





六角通りから南下し、錦通り商店街に入ります。
ここはいつも賑わっています。
外国人の観光客も多く、さまざまな言語が飛び交っています。










ここから寺町通りを歩きます。
豊臣秀吉が京都の町を御土居で囲み、御土居の中の東に寺院を集めました。
寺町通りです。今もお寺が非常に多いのです。
先日のNHKのブラタモリで紹介された、錦天満宮の鳥居です。
鳥居の上部が建物の中に入っているのです。





錦天満宮です。










なで牛は、皆さんに撫でられ、ピカピカです。





梅のつぼみです。





大願梅です。
願い紙に願い事を書き、中に封じて奉納します。










蛸薬師堂です。



























初代住職は中古三十六歌仙 和泉式部と言われている誠心院です。












最後は誓願寺です。











扇が奉納されています。





河原町に向かう途中、鰻店のかねよです。
ここは二階で寄席が行われます。