京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

東山魁夷展(Ⅲ) 京洛四季習作

2018-09-11 16:17:41 | 京都百景

京洛四季習作 1964ー66(昭和39,40)年

春静  鷹が峯
「鷹が峯の勁く、おおらかな稜線は、光悦、宗達を想い起こさせる。
濃緑の山に対して私は一本の桜を白く配した。」 作者解説





行く春  祇王寺
「祇王寺の苔の庭一面に散り敷いた落花。筧から流れ出る水は、細い流れとなって庭をめぐる。
花びらは浮び、たゆたい、やがてゆるやかに流れ去る。」





青い峡  周山街道
「夏の周山街道まで来ると、町なかの暑さから、身も心も解放される。
北山杉の峡が青の交響曲を奏でる。」





夕涼  修学院離宮西浜
「空と水のひろがりの中を、堤の直線が水平にきる。
豊かな形に刈り込まれた松の繁みが、そのままの姿を投影する。
修学院離宮浴竜池に見る幻想的な風景。」





夏深む  勧修寺
「風景との巡り合いは、ただ一度のものと思う。
ある年の晩夏、山科の勧修寺の庭が、あのように荘厳な静けさに包まれて見えたのはーー」





年経る樹  青蓮院の楠
「青蓮院楠。幹と枝に張る力。地表を這う錯綜した根。
幾百年を生き抜いたこの巨樹の、葉の繁りの若々しさ。」





初紅葉  高桐院
「大徳寺高桐院は、紅葉の庭として名高い。庭一面に植えられた楓樹、一基の物静かな灯籠。
茶室の傍に若い楓の一枝が、苔の色を背景に、恥じらうように浮かび出る。」





照紅葉  栂尾
「栂尾高山寺の石水院へと、石段を踏んで登る。
対岸の山の斜面が濃紫色に沈み、逆光を透かす紅葉の鮮やかさ。」





秋寂び  光悦寺
「光悦寺の庭。大胆な意匠の光悦垣の前に、萩の葉は黄ばみ、
もみじの赤が渋みを加える。すでに秋も深い。」





北山初雪  周山街道
「初雪が淡く降った朝、北山杉の山は、清浄な祈りに道隆幻想の山となった。」





年暮る  京の街
「年暮る京の街に、しんしんと雪は降る。年が逝き、年が明ける。
流転する相こそ生命のあらわれであると、京都の四季は私に語り続ける。」

[京都市中京区、京都ホテルオークラ屋上より望む京都の町]





現在の景色
京都の町屋がいかに失われたかお分かりいただけると思います。
川端康成が失われつつある景色とした一つだと思います。





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島原出口の柳、角屋、角屋の障子

2017-09-08 08:11:46 | 京都百景

江戸幕府公認の花街として栄えた島原と角屋(重文)を紹介します。

昨年徳力富吉郎『版画京都百景色』の作品を紹介していますが、
今回思い出したように「島原出口柳」、「島原角屋」、「角屋の障子」の三作品をお届けします。

作品 「島原出口の柳」昭和20年(1945)





作品解説文

島原旧遊郭の入る門まだそのまま残っている。門のわきの柳「出口の柳」という。
客を島原の住人見立て、住人からすればここは出口ですよという遊郭側のしゃれた思い入れである。
これに対して裏口という門が残っている。表門から乗り込む客は「角屋」「わちがい屋」等の大きな店へ遊びにいく人たち、裏からコッソリ行く客は、小さな店でひっそり遊ぶ客、この方がいわゆる通であろうか。
今はないが、それでも少々のお茶屋が残り、太夫もいて、島原情緒をそこはかとなく味わえるのは嬉しいことである。
かつて千賀勇という踊りの名手がいた。高砂太夫は今も残っている。


作品 「島原角屋」昭和13年(1938)





作品解説文

寛永18年(1641)の遊郭建築として国宝に指定されている名建築である。
この遊郭はもと六条三筋町という京の町のまんなかにあった。
その頃、時の所司代板倉周防守重宗が二三の供を連れて市中見廻りの途中、鋲打ち乗り物と言われる駕籠に出会った。鋲打ちというのはきらびやかな駕籠で、公卿のお姫様の乗り物である。所司代は馬から降り、道の端に寄り目礼をしてその駕籠を見送ったが、ちょっと気になって供の一人にその後をつけさせたところ、乗っていたのは三筋町の太夫であったから、板倉周防守は多いに怒った。
そこで市中より遊郭追放冷が出て、早刻三日の内に立ち退きがされ、テンヤワンヤの大騒ぎであった。
ちょうどその頃九州肥前島原で天草の乱が起こり、幕府方の大将板倉重昌が戦死し、これまた大騒ぎだったので、京の町の人々が板倉と大騒ぎを引っかけて、皮肉にもこの遊郭を島原と呼んだという。
本当の名は西新屋敷揚屋町だが、旧市電の停留所名も島原口と言った。
東京国立近代美術館にも同刷のものが保存されている。


作品「角屋の障子」昭和39年(1964)





作品解説文


遊郭建築というものは寺院建築と違って特に珍好んだのであろうか。
「角屋」の座敷にはいろいろと趣向がこらされている。
たとえば青貝の間という部屋は壁に青貝がはめこまれており、蝋燭の照明にチラチラと反射する効果をねらっていたり、当時としては珍しいオランダ風のベランダがあり、椅子も用意されていたり、当時非常に高価であったギヤマン(ガラス)のはまった障子も用意されている。
版画の障子はいろいろの線を使った変り障子の一つで、外の窓と交わって美しい模様をかもし出している。
島原の角屋の塵はなつかしや
元禄の塵、享保の塵 勇


現在の島原の大門
今も柳があります。




明治10年頃の写真です。
江戸時代末期の面影が見えてきそうです。









現在の角屋は美術館になっています。
春と秋に建物内を公開しています。





私が行ったときは閉館中でした





角屋ホームページより画像を借用しました。









角屋はさまざまな歴史の舞台にもでてきます。











一方ここは平安京初期には国の迎賓館があった場所でもあります。





島原太夫は歌舞、茶道、華道、俳諧など の多彩な芸と豊かな教養で知られ、かつては天皇に謁見できる官位が与えられていました。
現在活動するのは数人おられるようで、京都市は島原の文化を 含む「花街の文化」を市独自の無形文化遺産に選定しています。

京都の市電は1978年全廃となりましたが、現在も市バス停留所に「島原口」はあります。






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東福寺芬陀院の雪舟庭園

2016-11-02 17:24:57 | 京都百景

芬陀院は東福寺の塔頭の一つで、雪舟作の庭園を伝えることから、雪舟寺の名前で知られています。
鎌倉後期の元寇年間(1321ー24)、関白一條内経公が創建し、以来一條家の菩提寺として今日に至っています。
その後二度の火災にあい、現在の建物は1899年改築のものです。

入り口








雪舟作と伝える鶴亀の庭があるところから雪舟寺で知られる。元 享年間(1321-24)に関白一条内経が創建。庭園は禅院式枯山水。‘茶関白’一条 恵観ゆかりの茶室図南亭が有り、遺愛の勾玉(まがたま)の手水鉢が残されて いる。

大玄関



玄関を入った内部



禅寺らしい「照顧脚下」の文字



中に入ります。
まずは庭園を拝観します。







南庭
鶴亀の庭と呼ばれています。雪舟(1420ー1506)の作庭です。
雪舟が少年期を過ごした備中(岡山県)宝福寺は東福寺の末寺であり、雪舟が東福寺来山のおりは 芬陀院に起居したと伝わっています。
一條兼好公の所望で雪舟が 作庭しました。
禅式枯山水で京都で最古の枯山水庭園の一つとされています。
向かって左「鶴島」は折り鶴を、右「亀島」は二重基檀で亀の姿をあらわしています。











室内から見た庭園



室内の襖絵






















坪庭の手水鉢と崩家形燈籠



図南亭
「図南」の扁額は石川丈山


















茶室から東庭



障子の意匠



海北友樵(1815ー1868)四季花鳥図屏風(1854年)







朝の気温がグッと下がってきました。
紅葉も進みそうです。

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京都百景ー詩仙堂

2016-10-29 18:49:18 | 京都百景

思いついたように紹介していますが、今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「詩仙堂」です。

作品 「詩仙堂」昭和41年(1966)






作品解説文
大阪夏の陣で戦功があったといわれる徳川家康の臣、石川丈山が隠栖して建てたものである。
小堂に中国の詩人三十六人の肖像を掲げて詩仙堂といったとのこと。
庭は風雅を極め、はるかに京の町を眺めて、閑寂の地である。
獅子おどしの音も幽邃であるが、実は徳川方の間諜を務め、三層楼上から二条城と連絡をとっていたとか、北白川に住む仙人白幽子とは兄弟で駿府(現在の静岡市)の家康との連絡は、白幽子が走ったとか、なかなかおもしろい話が残っている。


昨年撮影の画像です。
詩仙堂の紅葉も色づきはじめたようです。
11月に入ったら拝観に出かけます。












掃き清められた参道













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京都百景ー京の料亭大市

2016-10-21 17:12:06 | 京都百景

今回お届けする徳力富吉郎「版画京都百景」は「京の料亭大市」です。

すっぽん料理で有名な「大市」は江戸中期元禄年間に創業した老舗の料理店です。
約330年もの間すっぽん一筋に17代続き、現在の店舗も当時のままです。
志賀直哉『暗夜行路』、川端康成『古都』、開高健『新しい天体』などでも取り上げられています。
 

作品 「京の料亭大市」 昭和45年
夕刻の雪景色の景色です。





作品解説文
すっぽん専門の店である。幕末の建築らしく、新撰組荘子たちの刀痕もある。
六番町にあるが、建物は北の五番町で以前は有名な花街があった。
京の町独特の家の形をよく残し、一見の価値がある。
古い老舗である時、客が人気のない店を訪問すると、衝立の後ろにうたたねをしていた仲居が、ヒョイと顔を上げたが、すっぽんの顔をしていたとかの怪談も残っている。
終戦時の首相、近衛文麿公が大好物でよくお出かけになられた。


本日の大市
今も当時と変わっていない建物です。















大市のある六番町の近くはかつては有名な花街で、水上勉の代表作「五番町夕霧楼」の舞台でもあります。
売春防止法施行(1958)まで存在していた五番町遊廓を舞台に家族を養うために、
丹後から出てきた少女とその幼馴染の学僧との悲恋の作品です。

また以前は千中ミュージックというストリップ劇場も近くにありました。
明治末に芝居小屋から始まり、大正時代には寄席になり、戦後ストリップ劇場になったところです。
1987年に火災焼失し、現在はありません。

大市のメニューは○鍋のすっぽんコースのみです。
料金は一名24,000円(税込)となっています。



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京都百景ー宇治平等院

2016-10-14 17:00:46 | 京都百景


徳力富吉郎「版画京都百景」作品 「宇治平等院」昭和20年(1945)





作品解説文
宇治川に面して建てられている。藤原頼通の別荘を後になって寺にしたものである。
本堂を鳳凰堂というが、堂の屋根の上に二匹の青銅の鳳凰が向かい合っており、
風に従って舞う仕掛けとなっていたが、現在の模造品では動かない。
以前は川の堤防がなく、堂から宇治川の流れが眺められたらしい。
平安朝の代表的な建築で構想も美しく、本尊阿弥陀如来は佛師定朝の作、
境内には源頼政の自刃した扇カ芝も残っている。
宇治川の合戦の古戦場でもる。


私が撮影した宇治平等院
2014年改修が終わり美しくなりました。










経典に描かれる浄土の宮殿をイメージした優雅な建物です。
庭園は浄土式の借景庭園として史跡名勝に指定されています。
阿弥陀如来を撮影します。





屋根の上の左右の鳳凰です。










明治の平等院鳳凰堂の写真
建物の塗装が劣化し、池には水草が繁殖しています。






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京都の大仏

2016-10-12 05:21:32 | 京都百景


京都に大仏?と思われる方もおられる思いますが、昔京都には大仏殿があったのです。
先日のNHK大河ドラマ『真田丸』で、豊臣滅亡の口実にされた大仏殿と梵鐘の話がでてきます。

京都の町はいたるところに歴史的遺産が残されています。
国宝三十三間堂は後白河上皇が平清盛に命じ 1165年完成(現在の堂は火災焼失後の1266年に再建)しました。
その三十三間堂の北に方広寺、豊国神社、京都国立博物館があります。
大仏殿は西向きに建てられ,境内は現在の方広寺、豊国神社、京都国立博物館を含む広大なもので,
江戸時代の都名所図絵や各種洛中洛外図屏風に描かれています。

江戸時代 1780年に刊行された『都名所図絵』




大仏殿敷地跡に建てられた京都国立博物館(平成知新館)





博物館の中にある説明板





徳力富吉郎「版画京都百景」でも「大佛前」の作品があります。

作品 「大佛前」昭和32年(1957)




作品解説文
京の町のなかで、最も古い家並の面影が残っている町である。
右手の大石は、豊臣秀頼の時代に京都大佛ができた当時の大石垣の名残り。
このあたりは、京扇子の骨をけずる技術者が多くすんでいたところで、
天気の良い日は大石垣の前に扇骨が所せましと干してあったものである。
左の町角をちょっと曲がると耳塚があり、その向かい側は烏丸寺であり、
も一つ、これも大佛七不思議の一つ、西の通りの角の家の横に、
石川五右衛門が落としていった千両箱と称するものが保存されてあったが、
今はあるかどうか私は知らない。ただし中味の小判はなかった。
「道楽」という名の古典的な料亭もここにある。
博物館はすぐ隣り、三十三間堂もすぐである。
下京の古い京の町の一つ。


現在の「大佛前」
道路は舗装されていますが、当時の面影を今も残しています。




現在も当時の大仏殿の石垣がそのまま残っています。





1585年関白となった豊臣秀吉は翌年奈良東大寺にならって大仏の造立を発願します。
1595年に大仏殿がほぼ完成し、高さ18mの木製金漆塗の大仏座像が安置されます。
しかし、翌年の大地震で大仏が大破し、1598年には秀吉も亡くなります。
その後、子どもの秀頼が金銅で1612年に大仏を完成させます。
しかし、その後鋳造された梵鐘の銘文〈国家安泰 君臣豊楽〉が徳川家を呪詛するものであるとして、徳川家康が意義を唱え大阪夏の陣が起こり、豊臣家は滅亡します。
その後徳川政権下でも大仏殿は維持され、1798年の落雷で炎上するまで「京の大仏さん」として京の都の人々に親しまれてきました。
その当時を歌った京のわらべ歌があります。
「京の 京の 大仏つぁんは 天火で焼けてな 三十三間堂が 焼け残った ありゃドンドンドン こりゃドンドンドン」。

現在大佛殿の跡には豊国神社と方広寺があり 豊臣家滅亡のきっかけとなった梵鐘が残っています。

明治初期の写真
梵鐘だけが地面に置かれています。




豊臣秀吉を祀る豊国神社
秀吉死後遺体は東山の阿弥陀ヶ峰山頂に葬られ、翌年社殿が山麓に創建されました。
しかし豊臣家滅亡後、徳川幕府は社号を廃しますが、明治13年(1880)年に旧大仏殿境内に社殿が造営されました。
唐門(国宝)は南禅寺金地院から移され伏見城の遺構だと伝えます。





方広寺
大仏殿を管理する寺として豊臣秀吉によって創建されました。





夏の陣の引き金となった梵鐘










版画解説文にもありますが、近くには耳塚があります。





豊臣秀吉による朝鮮出兵の負の遺産です。





実は現在唯一「大仏」という表示が残っているのは交番なのです。
京都国立博物館の西端、七条通りに面して「大仏前交番」があります。
これを見るとこの近くに大仏があったのだと理解できます。












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京都百景ー正伝寺

2016-09-22 18:10:09 | 京都百景

久しぶりの徳力富吉郎「版画京都百景」は「正伝寺」です。

作品「 正伝寺」昭和34年(1959)





作品解説文
夏の正伝寺である。比叡山の借景が素晴らしい。
山道の石燈を登りつめて寺に到着、本堂の広縁に座って、この景色を見るとホッとする。
小さい庭造りだが名園である。


現在の庭園
版画より実際の比叡山は小さく見えます。









京都市北区西賀茂の正伝寺の庭園、江戸初期小堀遠州の作庭です。
方丈の前庭は、白砂敷にサツキを中心とした三群(七五三)の刈込を配した枯山水です。
土塀越しに見える比叡山が美しい、京都市の代表的な借景庭園として、京都市の指定名勝になっています。

「版画京都百景」にはもう一枚春の「正伝寺」(昭和34年)があります。





作品解説文
洛北の名刹である。狩野山楽筆の水墨画の襖絵は有名である。
庭は遠州作と伝えられていて白砂を置かず、刈り込みの樹々を置いた趣向で、柔らかくて親しみが持てる。
寺の後山の舟山の舟型は大文字宵を飾る。


桜、サツキ、冬の庭園です。
















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洛北宝ヶ池

2016-08-04 14:53:18 | 京都百景

約2ヶ月ぶりに洛北宝ヶ池の散策にでかけました。
時間は朝6時半から7時過ぎです。
池の周囲は1.5km、ジョギングする人、私のように散策する人、ペットを連れている人などとすれ違います。
コースは池と木立に囲まれ、朝のうちはそんなに暑くないのです。

スタート地点、国際会議場が見えます。





池の景色を見ながらの散策です。





青空と池に映る山の景色がきれいです。











池にはカモが泳いでいます。










ツツジです。狂い咲きでしょうか。





小学生と祖母らしき人が犬を散歩させています。




















野鳥の森に行ってみましたが、野鳥には出会えませんでした。
モリアオガエルの産卵の後です。





前回6月初旬に撮影した卵





数々の国際会議が開催されている国際会議場





ガチョウ





1.5km到着です。





徳力富吉郎「版画 京都百景」でもここの景色が画かれています。

「国際会議場」昭和47年(1972)





解説文

世界青年社長会議が行われ、その時に会議場の二つの光景、昼と夜の版画を作った。
環境がとても美しいところなので、いつの間にやら落ち着いてきて、京名所の一つとなったようである。
池の白鳥が京の自然とこの異様な建築様式とを融合させる役割をしているように思われる。




作品当時となにも変わらない景色が今も楽しめ、市民の散歩コースになっています。




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京の百景ー東本願寺

2016-07-08 18:15:51 | 京都百景

今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「東本願寺」です。

作品「東本願寺」昭和28年(1953)





作品解説文
東本願寺西本願寺から分かれて徳川時代にできた。
これは浄土真宗勢力の優勢を恐れての徳川方の政策から出たものといわれている。
先法主句佛上人は俳人名手である。
勿体なや祖師は紙衣の九十年 句佛

山門天井天人絵は、明治の巨匠竹内栖鳳画伯に依頼されたのであったが、完成せず非常に残念である。
烏丸通りに面し、京の観光客の第一人の関門となっている。
壮大な殿堂である。



作品は雪景色の東本願寺ですが、当時は雪が多かったのでしょうか。
「版画京都百景」には雪の京都がよく描かれていますが、最近は年に1,2度積雪がある程度です。
今では雪景色の景色を撮影するのはなかなか大変です。

現在の東本願寺





版画と比べて大きく違うのは京都タワーです。
版画の制作年は1953年ですが、京都タワーは1964年竣工です。
京都駅烏丸中央口前に聳え立ち、高さは131m、京都市内では最も高い建造物です。
タワーの姿は市内の町家の瓦葺きを波に見立て、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたものだそうです。
ですが、京都の人は「本願寺さんのロウソク」などと言ったりしています。
展望台があり、京都市内が一望できますが、高所恐怖症の私は行ったことがありません。








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京都百景ー茶道裏千家兜門

2016-07-07 16:09:25 | 京都百景

今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「 茶道裏千家兜門」


作品 「 茶道裏千家兜門」昭和20年(1945)





作品解説文
裏千家は表千家の北にある。もとは継がって一つ屋敷だったらしい。
有名な宗旦公孫樹が、版画のなかにも聳えたっている。幽邃な趣の門が美しい。
現宗匠はなかなかの活躍家で、諸外国にまで茶室を建て、日本茶道を宣伝しているのはよい。
私も裏流の流れをくむ井口海仙門。
京の芸術家は茶道の門を潜らなければ、仕事に含蓄が加わらないように思うが、どんなものだろうか。



昨日の兜門










不審庵










近くに百々橋の礎石がありました。
応仁の乱(1467ー1477)の戦場となった 百々橋の礎石の一つです。











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京都百景ー三条大橋、鴨の河原

2016-07-05 15:19:30 | 京都百景

今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「三条大橋」と「鴨の河原」です。


作品「三条大橋」 昭和48年(1973)





作品解説文
東海道五十三次の終点であり、東への始発駅でもある。
橋の歴史は古く、鴨川西詰に古い橋脚が残してあり、天正の年号がある。
唐銅の擬宝珠(ぎぼし)は彫銘がある。今もそのまま使用している。
祇園祭の御輿ふりのある橋、大文字の見える橋、川岸の西側は先斗町、木屋町も近い。
京の盛り場の中心、昔のままの姿を残した橋である。


今回撮影の三条大橋





朝の先斗町





三条大橋東詰の建物は変わっていますが、三条大橋の風情は変わりません。


作品「鴨の河原」 昭和48年(1973)





作品解説文
出町柳まで賀茂川と呼び、以南を鴨川という。
先斗町の踊りは鴨川踊りであり、鴨川千鳥の紋が使われている。
三条河原は刑場でもあったらしく、幕末の頃大老井伊直弼の愛人、たか女が捕らわれて、
三日三晩この河原に裸でさらされたのは有名である。
たか女はその後尼になり、洛北金福寺にいたらしく、遺愛品が残っている。
今は京の歓楽街の中心地、東海道五十三次の始発駅でもある。


昨日撮影の景色





版画は鴨の河原ですが、描かれているのは三条大橋です。
これも当時とほとんど変わらない景色のままです。
鴨の河原は昔から四条大橋を中心に賑やかな場所だったようです。
四条大橋の橋の下にパネルが設置されています。


鴨川踊りの先斗町歌舞練場





鴨川千鳥紋





現在の四条大橋と明治、大正時代の四条大橋
大正のアーチ型の橋はいいですね。




























時代はさらにさかのぼって江戸時代の四条大橋
多くの人出があり、賑わっています。




















昨日の鴨川で出会ったカルガモの親子と野の花





























最後に四条大橋からの鴨川の景色











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京都百景ー祇園祭 今年も始まりました。

2016-07-03 15:00:10 | 京都百景

今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「祇園祭」をお届けします。

作品 「祇園祭」昭和40年(1965)





作品解説文
以前は十七日、二十四日とあったが、交通事情などにより十七日の一日にまとめられた。
各鉾は午前十時に四条烏丸に続々集まってくる。
長刀鉾を先頭に鉾、山三基、鉾という順序で四条通りを東へ渡る。
四条の麩屋町あたりでくじ改めという儀式を行う。
前日にくじを引いて進行の順番が決まっているのを、当日ここで正しく進行しているかどうか改める。京都市長が古式によって改める。
寺町四条あたりで、七五三縄切りが長刀鉾の稚児によって行われる。
昔は昼はちょっと行列を休んで食事となったのであるが、今は交通事情によって休まず順行する。
もどり鉾の囃に変わるのがどのあたりか私もしらない。
鉾は皆古代織物などで飾られ、外国のゴブラン織や中国の緞通のようなものもある。
絢爛豪華の文字どおり祭である。


今年も祇園祭がスタートしました。
1日八坂神社で今年のお稚児さんによるお千度の儀が行われ、昨日は山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所で行われました。
33の山鉾町の代表が羽織はかま姿で議場に集まり、京都市長立ち会いのもと行われます。





くじ取り式の歴史は古く、600年以上前の1500年には始まっています。
江戸時代は六角堂、 明治時代は京都府庁や市役所、終戦直後は八坂神社で行われていました。
しかし巡行順をめぐり山鉾町の争いが絶えず、1953年から市議会議場になっています。

順行は古式にのっとり、前祭(さきまつり)と後祭(あとまつり)が復活しました。
結果は17日の前祭巡行で、先頭の長刀鉾に続く「山一 番」は 山伏山です。
そして24日後祭くじ取らずの橋弁慶山、北観音山に続く山一番は 浄妙山となりました。





今年の巡行順は次の通り。
前祭の巡行=17日

(1)長刀鉾(2)山伏山(3)白楽天山(4)孟宗山(5)函谷鉾 (6)太子山
(7)四条傘鉾(8)占出山(9)月鉾(10)芦刈山(11)蟷螂山(12)保昌山
(13)鶏 鉾(14)伯牙山(15)綾傘鉾(16)霰天神山(17) 菊水鉾(18)木賊山
(19)郭巨山(20)油天神山 (21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾

後祭の巡行=24日

(1)橋弁慶山(2)北観音山(3)浄妙山(4)役行者山 (5)黒主山(6)南観音山
(7)鈴鹿山(8)八幡山(9)鯉山(10)大船鉾

私は祇園祭が大好きです。
今年もできる限りでかけるつもりですが、今年は猛暑とのこと、少し足が怯みそうです。
今年の祇園祭の日程です。

7月10日・・・・・・お迎え提灯・神輿洗
7月10日~11日・・・前祭鉾建て
7月12日~14日・・・前祭山建て
7月13日・・・・・・長刀鉾稚児社参
7月14日~16日・・・前祭宵山
7月17日・・・・・・前祭山鉾巡行・神幸祭
7月18日~21日・・・後祭鉾建て
7月21日~23日・・・後祭宵山
7月24日・・・・・・後祭山鉾巡行・花傘巡行・還幸祭
7月28日・・・・・・神輿洗
7月31日・・・・・・疫神社夏越祭(祇園祭の終わり)

今年の山鉾巡行が前祭、後祭ともに日曜日のためかなりの人出が予想されます。
宵山も週末になるため、かなり混雑が予想されます。


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京都百景ー青蓮院

2016-07-02 15:05:34 | 京都百景

今回は徳力富吉郎「版画 京都百景」の「粟田口青蓮院」です。

作品「粟田口青蓮院」昭和35年(1960)





作品解説文
天台宗の門跡寺院である。門前の数百年は経ったかと思われる楠の大木は見事であり、
それ故に東山巡りの人々に覚えられている。
庭園が美しく、茶席もまた綺麗である。夜の観光コースにはいっており、庭をそぞろ歩きの間中、琴の音が流れてくるのは圧巻である。
この近く三条粟田口であり、刑場の跡。


現在の青蓮院の楠





今も昭和35年当時とほとんど変わらない景色です。
地道が舗装されたくらいでしょうか。





とにかく立派な大木です。















説明板には現在地植栽されたのは十三世紀とあります。
途方もない時の流れを感じます。





ここの庭園は以前何度か入りました。
立派な庭園です。今回は早朝で開門前です。


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京都百景ー相国寺

2016-06-30 15:55:33 | 京都百景


今回の徳力富吉郎「版画京都百景」は「相国寺」です。

作品 「相国寺」昭和45年(1970)





作品解説文
京都禅宗五山の一つである。あまり人が知らないが壮大な禅宗寺院で、有名な金閣寺、銀閣寺も相国寺傘下の寺である。
塔中には和泉式部の軒端の梅もある寺もある。
禅宗寺院は雲水を多く住まわせるので、台所の設備が大きくできている。
煙出し、洗い場、竈などすべてが大仕掛けであり、庫裏はそのすべてを包合する。
禅宗建築独自の直線的な大建築は簡素で美しい。



今回撮影の相国寺庫裏
今も全く変わらない景色です。





庫裏全体図





相国寺は10年以上前、初めて行った禅寺です。以来5.6年通い続けました。
日曜日朝、この庫裏を入り坐禅会場に向かいました。
9時から11時まで1時間半坐禅、30分老師のお話です。

相国寺に行って知ったのですが、承天閣美術館で明日から伊藤若冲展が開催されます。
東京都立美術館で大人気となった 動植綵絵30幅(コロタイプ複製品)が展示されます。
東京ではあまりの大混雑でゆっくり観賞できなかったですが、今回は複製品ですがじっくり楽しもうと思います。





放生池にはいくつか蓮が咲いています。

ミセススローカム










白光





陽山紅





睡蓮





タチアオイ





アジサイは終盤です。





近いうちに美術館にまた訪れます。

コメント (2)
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