京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

神坂雪佳 竹久夢二  日本の装束 近代美術館コレクション展

2019-10-31 20:04:54 | 美術・博物館


京都国立近代美術館 コレクション・ギャラリー 
令和元年度 第4回コレクション展 10月27日(日)

装束:日本のドレス・コード
美術館HPより
日本におけるドレス・コード「装束」をキーワードに当館のコレクションを紹介します。
能装束を題材として描かれた神坂雪佳と能画の名手としても知られる月岡耕漁による《能楽絵十二月》を紹介します。


神坂雪佳 1866 - 1942 坂巻(月岡)耕漁 1869 - 1927 能楽絵十二月 1921 絹本着色/画帖(12葉)






























日本人は、明治維新以降、西洋の文物を取り入れていく中で生活様式を大きく変化させてきましたが、大正期に活躍した竹久夢二は、西洋と東洋との出会いを、人々の仕草や装いを通じて、まるで夢を見ているかのように叙情的に描き出しました。



竹久夢二 1884 - 1934 港屋風呂敷「MINATOYA JAPONICA CHERRY-LAND」 1914 風呂敷





竹久夢二 1884 - 1934 宝船 1920 木版、紙





竹久夢二 1884 - 1934 九連環 c. 1928 エスタンプ










竹久夢二 1884 - 1934 『セノオ楽譜no.44 「蘭燈」』 大正6年6月9日発行 紙





竹久夢二 1884 - 1934 『セノオ楽譜no.106 「待宵草」』大正7年9月20日発行、大正10年3月20日二刷紙





竹久夢二 1884 - 1934 『セノオ楽譜no.113 「もしや逢ふかと」』 大正7年12月20日発行 紙





竹久夢二 1884 - 1934
川西 英 1895 - 1965 川西英編集『竹久夢二 雑(封筒、包紙等)』 制作年不詳 木版ほか













竹久夢二 1884 - 1934 『夢二絵葉書集』 c. 1935 木版、葉書









日本の装い
美術館HPより
 「装い」という言葉は、美しく概観や身なりを整えるという意味で用いられます。日本人は、四季折々そして場に合わせて様々な装いを生み出してきました。その代表的なものに着物があります。着物はかつては日本人の日常的な衣服でもありましたが、現在ではハレの場を彩る特別な存在となっています。その象徴が紬です。紬は日常着であったことから、日本各地で発達しました。しかし、紬糸を染めて織り出す先染めによるやさしい風合いは、今日、外出着としても好まれています。一方で、後染めによる友禅などの訪問着や振袖は、もともと日常着であった紬とは異なり、冠婚葬祭などのフォーマルな場で着られるものです。また、着物は、意匠や風合いによる視覚性や触覚性に加えて、平安時代には四季の移ろいを香りに託して着物に焚き染める風習も発達しました。この風習は今日でも一部で受け継がれています。
 私たちは時として人々の装いに心を奪われることがあります。それぞれの装いが、私たちにとって美しいものとして立ち上がってくるには、装う対象そのものを客観的に捉える感性の働きを必要とするように、装いとは、装うものとそれを知覚するものとの双方向的な関係において成立する文化的行為だといえます。

伊砂利彦 1924 - 2010 振袖 嫁ぐ日(松模様) 1970 友禅、蝋纈、箔 後期





三代田畑喜八 1877 - 1956 一越縮緬地鳳凰桐文振り袖 1954 友禅・絹 後期





羽田登喜男 1911 - 2008 高雅縮緬地友禅訪問着「浮遊」 1961 友禅・ちりめん 後期




小倉建亮 1897 - 1982 訪問着「懐郷」 1964 絞り染・ちりめん 後期





渡辺彰子 1943 - 紬着物「雲立涌」 1971 絹、紬織 後期





北村武資 1935 - 金地経錦丸帯「詰菱」 2010 経錦 後期





藤井達吉 1881 - 1964 金銀彩草花文帯 1916-23 金、銀・絹 後期












高桐院一般拝観再開 11/10~

2019-10-31 15:08:54 | 京都めぐり


高桐院は2017年6月から本堂大屋根瓦葺替えと耐震補強、茶室廊下保存修理で工事を着工しました。
当初は翌年2018年10月末終了予定でしたが、2019年3月末に延期され、昨年秋の台風被害で更に延長となってました。
この度やっと工事が終わり、11月10日(日)から一般拝観を再開することになりました。
3年ぶりの紅葉拝観になります。
















今年の紅葉は源光庵が改修に入り拝観中止です。
ここも昨年秋の台風被害によるものです。


『そうだ京都、行こう』1996年秋










東福寺、今熊野観音寺、悲田院 紅葉まだまだ

2019-10-31 05:37:43 | 2019紅葉


朝の東福寺散策です。

臥雲橋より 朝8時前





一部色づきはじめはありますが、全体では紅葉はまだまだです。










臥雲橋に向かう途中、塔頭の一部紅葉









「そうだ京都、行こう」1997年秋





今熊野観音寺





まだ青々しています。



















本堂、医聖堂





大師堂










最後は悲田院
















明日から11月ですが、気温が下がってくれるのを期待したいところです。

















京町屋中京(33)船*家、レクラ、満き、雲町屋、松荘庵、小峰紙器、有職塗平尾伝右衛門、はなまるカフェ

2019-10-30 18:18:28 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き、第33回です。

船*家










レクラ















満き








雲町屋










松荘庵





小峰紙器





有職塗平尾伝右衛門





はなまるカフェ





京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。
駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。
鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明
国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。


京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。







紅葉色づく 智積院

2019-10-30 05:34:34 | 2019紅葉


東山七条の智積院です。
ここは毎年紅葉が早いところで、今年も色づいてきました。









境内を歩きます。





講堂前





金堂前














ところどころ紅葉しています。













銀杏はまだ青い













智積院会館建て替え中、竣工予定は2020年4月です。


























鐘楼

























これで境内一周です。















本坊 法務所









苔の美しさ続く祇王寺

2019-10-29 16:32:33 | 京都めぐり


十月末の祇王寺です。
まだまだ青苔が美しいです。紅葉はまだまだです。













ヒノキ苔(シッポ苔)





山門
































































スギ苔










空を見上げると陽射しのあたるところから色づきはじめています。






シノブ苔










『そうだ京都、行こう』2019 初夏・夏





『そうだ京都、行こう』2010 初夏・夏






『そうだ京都、行こう』1994年秋





苔が一番美しい時間帯は10時頃までです。
苔を管理する人は拝観時間(9時)までに庭園を掃除し、落ち葉などを取り去ります。
そのあとたっぷりと散水します。
できれば拝観開始直後の生き生きした苔を見ていただきたいと思います。




紅葉色づきはじめ 大覚寺大沢池

2019-10-29 06:12:46 | 2019紅葉


大覚寺大沢池まわりが色づきはじめました。

大覚寺入口










大沢池を一周します。
昨年は台風被害による倒木で池のまわりは通行禁止でした。
















五大堂観月台















放生池と心経宝塔















護摩堂前の石仏















いにしえの嵯峨天皇の離宮跡



















池に落ちた蓮の花托










秋季名宝展開催中です。















『そうだ京都、行こう』2007年秋ポスター














本物のインド菩提樹、月下美人、熱帯睡蓮、オウコチョウ、ペリカン花、ヘリコニア、サガリバナ、ハイビスカス、人字草、ハナアナナス

2019-10-28 22:08:51 | 2019 花


毎年6月京都の寺院に植えられている菩提樹が開花します。
小さな黄色い花がいっぱい咲き、一週間ほどで茶色になり落花します。
お釈迦さまがこの木の下で悟りを開いたとされています。
そして日本の菩提樹は建仁寺の開祖栄西が中国から持ち帰ったとされています。
本物の印度菩提樹はクワ科ですが、中国や日本では育たないため、葉の形が似ているシナノキ科の樹木を菩提樹としたのです。

日本の菩提樹 今年の真如堂の撮影です。










今回植物園の温室で、初めて本物のインド菩提樹を見ることができました。
花は日本の菩提樹と全く異なることがわかります。

インド菩提樹 
インド~東南アジア原産。高さ20m以上になる落葉高木で、温室内では常緑樹となります。
沙羅双樹、無憂樹とともに「仏教三霊樹」になっています。














無憂樹(ムユウジュ)は、お釈迦さまの母親のマーヤ夫人が出産のための里帰りの道中に、立ち寄ったルンビニ園でお釈迦さまを出産しましたが、それが無憂樹の木の下だったそうです。
阿輸迦の木(アソカのキ)」と呼ばれるインド原産のマメ科の植物で、黄色から橙色の花を咲かせます。
この木も日本では育ちません。
沙羅双樹は、お釈迦さまが80歳でクシナガラの地のヒランニャバッティ河のほとりで横たわり入滅(死去)されたとき、臥床の四辺にあった4双8本の沙羅の樹が花を咲かせたかと思えば、すぐに枯れて白く変化した様子が、まるで鶴の群れのようであったと言われています。
これも日本に植えられている沙羅の木とは全く違うものです。当然花も違います。
本物は日本で育てるには温室が必要です。
それで本物の代用として、ツバキ科の夏椿を沙羅の木としたのです。
インドの方からすると日本の菩提樹も沙羅もとても変なものでしょうね。

月下美人がちょうど咲いていました。
















熱帯睡蓮









オウコチョウ(マメ科)
西インド諸島原産と言われる常緑小高木で、高さ5mほどになります。
日本の西南暖地では戸外でも生育し、沖縄では県花です。
「デイゴ」や「サンダンカ」とともに、三大名花に数えられています。





ペリカン花
植物園で一番大きな花。
グアテマラなどの原産でウマノスズクサ科の植物





ヘリコニア





ヘリコニア ロストラウタ






サガリバナ





ハイビスカス










人字草










ハナアナナス









京町屋中京(32)万商、大日、ic produce、祥雲邸、二軒町屋、清光庵、古*家

2019-10-28 17:53:40 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区の続き、第32回です。

万商
京呉服全般の卸と加工の卸業です。
ここは毎年祇園祭で屏風を公開しています。















万商の左隣が八幡山会所で、祇園祭の八幡山はこの前に建てられ、ここから巡行に出発します。





ic produce 京町屋










祥雲邸(篠田商事株式会社)
京呉服の製造販売業です。
以前建っていた古い町屋を建て替えた現代の町屋です。











二軒町屋










清光庵















古*家






京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。
駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。
鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明
国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。


京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。






時代祭の続き 室町時代~延暦時代(最後)

2019-10-28 07:17:11 | 京都めぐり


26日の時代祭行列の続きです。

室町時代

室町幕府執政列
馬上の足利将軍は鎧兜はつけず、烏帽子に金襴の豪華な衣装をまとった軽装の小具足姿で、幕府の執政にあたる三管領・四職に任ぜられる主要氏族が御供衆として従います。
また公家・法中・御博士・医師など他の列には見られない人たちが登場します。





















室町洛中風俗列
16世紀京の町衆によって盛んに催された「風流踊り」を再現しています。
風流傘を中心に、子役による囃子方で構成する「中踊り」と、小袖姿で踊る「側踊り」からなっています。
当時の風流踊りは男性のみで、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾って参加しています。
この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出し、江戸時代以降の盆踊りの原型ともなっています。





















吉野時代

楠公上洛列
1331年(元弘元)、後醍醐天皇が隠岐より還幸される際、上洛を導いた楠木正成一族の行列を表します。
楠公一代の盛事と言われたこの様子を表した行列で、多種多様の煌びやかな甲冑や武具が見ものです。





楠木正成









楠木正季





中世婦人列





淀君
豊臣秀吉の側室。ここでは、桃山時代を代表する豪華な打掛に間衣、下着、小袖に刺繍の帯をしめ、扇を持った外出姿です。





藤原為家の室
出家後「阿仏尼」と称されました。また、「十六夜日記」の著者でもあります。
市女笠に虫の垂衣を垂れ、半足袋に草鞋を履き、道中安全を祈るお守袋をかけ、訴状を文杖に差しています。
従者は道中に必要な旅道具を入れた唐櫃をかついでいます。





静御前
源義経の側女。ここでは白拍子時代の姿で水干、単小袖、白の切袴、立烏帽子を身に着け、鼓を持っています。
童女が一人従い、絹傘を差しかけています。





大原女
洛北大原の婦人は、頭に薪や炭を載せて京の町へ行商に出ていました。









桂女
桂川をこえて鮎や飴を売り京の町に来る販女です。
巫女の一種でもあり、婚礼や出産など、家の祝い事に訪れることもありました。
頭に巻かれた白い布「桂包」は、皇后から頂いた布であったと言われています。






鎌倉時代





流鏑馬は平安朝から行われた騎射の技で、武士のたしなみとして盛んに行われていました。
馬場に3カ所の的を立て、馬を走らせながら射ります。
1221年(承久3)後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿十余国の武士1700名をを召集して行った一場面を表し、列は狩り装束の射手を中心とした5組で構成されています。















藤原時代
2012年の大河ドラマの主人公平清盛が生きた時代





藤原公卿参朝列
平安時代中期以降、藤原氏が最も栄えたころの様子を表した列です。本列のものは夏服の様式です。





平安時代婦人列
「平安時代婦人列」への参列は京都五花街の中から三花街が担当されており、その三花街の芸妓さんが輪番(交代)で参列されています。





巴御前
源義仲の側女。女武将として義仲と供に戦いました。
ここでは、『源平盛衰記』より現したもので、天冠や鎧を身に着け、太刀を帯に着け長刀を持っています。
従者は折烏帽子に腹巻を着け小刀を帯び、それぞれ弓と馬杓を持ちます。





横笛
建礼門院の雑仕。滝口時頼と恋に落ちましたが、時頼が出家すると、その後を追って尼になりました。
ここでは、出家した時頼を尋ね嵯峨に行ったときの市女笠に袿姿を現しています。





常磐御前
源義朝の側室であり、牛若(源義経)の母。
ここでは義朝の没後、牛若ら3人の子を連れ六波羅に向かう時の様子を現しています。





紫式部
「源氏物語」の著者。ここでは女官の略装です。
清少納言
「枕草子」の著者。ここでは正装女御装束です。





紀貫之の女
ここでは、袿、単小袖、濃紅の切袴を身にまとい、手に梅の小枝を持っています。





小野小町
才色兼備の女流歌人で、絶世の美女だったとされています。
ここでの衣装は平安初期の特殊な姿で、当時の神像を参照して作られた装束です。





和気広虫
慈悲心が深く、多くの孤児の養育に励んだことが伝えられています。
ここでは、還俗した時の姿で、扇を持った姿です。男女の弧児2名ずつを従えています。





百済王明信
桓武天皇の御代に女官長として仕えていました。これは、当時の女官の最高位です。
ここでは、唐衣に裳の唐風の装束で翳(さしは)を手にし、侍女を従えています。





延暦時代

延暦武官行進列
この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂で、東征を終え平安京に凱旋する様子を表しています。
きらびやかな金小札の甲冑に、金作りの直刀を差し白葛のヤナグイ(矢を盛って背負う道具)を背負い、金胴の弭(弓の弦をかける部分)金物の槻の丸木弓を従者に持たせ、木地に漆画をほどこした鞍に、金銅の杏葉銜に赤革の鞦(馬の飾り緒で三懸の一つ)の馬に乗り、従者、矛持、弓持を従えています。













延暦文官参朝列
延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上する様子を再現した列です。
その衣装は朝服といい、本列中の三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍を着用し、三位は蘇芳色総の三懸(馬の飾り)をつけた馬に乗り錦蓋をおおわせて進みます。
全行列中最高位と位置づけられる本列の三位は、平安神宮に還り着いた時、全行列を代表してご鳳輦の前で祭文を奏上します。









神饌講社列
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達です。

前列
御神幸列の前を行くので前列といいます。雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な衣装の行列で多数の狩装束のお供が従います。

















神幸列
御賢木を先頭に鳳輦が続き、宮司以下神職が前後につき従って神幸されます。
先の鳳輦は孝明天皇、後の鳳輦は桓武天皇が祀っており、京都の市内をご巡幸し、市民の安らかな様子を親しくご覧になります。
時代祭の中で主たる意義を持つ列です。ご鳳輦の御剣、弓や楯、矛、紫御翳、管御翳、神馬用馬具が見られます。

孝明天皇鳳輦







桓武天皇鳳輦


























白川女献花列
比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩いていました。
平安時代中期から御所に花を届けていたといわれており、本列では神前に供える花を頭に乗せています。










弓箭組列
源頼政に従い弓矢の技に優れた人達の子孫の人々によって作られた、弓箭組の列です。常日頃より射術を研究しており、桓武天皇平安遷都の際その御列の警護に当ったともいわれ、また明治維新の際には山国隊とともに東北鎮護に当り活躍しました。お供の人々は引立烏帽子に直垂(ひたたれ)を着け、太刀を差し弓箭を携えています。





これで行列は終わりです。このあと平安神宮に向かいます。
当日は曇り空で、途中日が差してきました。
雨が降らず、気温も暑くも寒くもなくて良かったです。







京町屋中京(31)川*家、くろちく百尺足館、てんぷら万天、京都上上もん屋、不明、KAMITOWA、La Machiya、不明2件

2019-10-27 17:53:00 | 京都の町 町屋・建造物


京町屋中京区続き、第31回です。

新町川*家
一文字瓦、虫籠窓、鍾馗、格子、ばったり床几が揃った、典型的な京町屋です。













隣家宿泊所に改修されたようです。





くろちく百尺足館













てんぷら万天





京都上上もん屋(北観音山保存会所)





建物の前は祇園祭の鉾建て場になります。





飾り付け










祭巡行 辻まわし





不明(表札なし)





KAMITOWA










La Machiya















京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。
駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。
鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明
国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。


京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。





昨日の時代祭 絢爛豪華、生きた時代絵巻

2019-10-27 06:35:58 | 京都めぐり


昨日は「京都三大祭」の一つ時代祭でした。
本来は10月22日ですが、今年は「即位礼正殿の儀」と重なったため、26日に変更されました。
時代祭は京都平安神宮の大祭で、平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まりました。
鳳輦に乗った桓武天皇と孝明天皇の神霊に各時代の行列がお供をし、京都御所を出発し平安神宮に向かいます。
行列は明治維新、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦の8つの時代順に、牛馬を含む総勢約2,000名で構成されています。
綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2,000点になり、京の伝統の技で細部まで再現されています。
私は御池通りで観覧・撮影しました。撮影開始13時、終了14時50分。
時代祭の行列をほぼ網羅しましたので、行列の雰囲気が伝わるのではと思います。

平安騎馬隊が行列を先導します。













時代祭の行列先頭





維新勤王隊列
ピーヒャーラドンドンドンという太鼓・笛で有名な鼓笛隊が先頭を務めます。
明治維新の際、丹波の国北桑田郡山国村(現:京都市右京区京北)の有志が山国隊を組織し、官軍に参加した当時の行装を模したものです。
三斎羽織に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊をかぶり、脚絆、足袋、草鞋をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿をしています。





















幕末志士列
明治維新で活躍した人物が「七卿落」列をはさんで次々と登場します。





桂小五郎 
後の木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と称せられた長州藩士です。





西郷吉之助 
後の西郷隆盛。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、江戸城の無血開城も果たした薩摩藩士です。





坂本龍馬 
薩長同盟の成立や、大政奉還の立役者となりました。志半ばで暗殺されてしまいました。





中岡慎太郎 
同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走しました。





高杉晋作 
松下村塾に学んで久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称せられた長州藩士です。





吉田松陰 略
長州藩士。萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文ら多くの秀才を教育しました。
吉村寅太郎 
天誅組を率いて大和に挙兵した土佐藩士です。




頼三樹三郎 
儒学者・頼山陽の子で、憂国のこころざし深く、同志と集って盛んに幕政の非を叫びました。




梅田雲浜 略
和漢の学に通じ、その徳をもって湖南塾を開き子弟を教え導いた小浜藩士です。
橋本左内 略
福井藩士で、蘭学医学をおさめ、洋学にも通じて時勢に通じていたため、その才覚を認められて藩政に尽力しました。服装は旅姿となっています。

七卿落列










近衛忠熈 
孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入りましたが、後に還俗して関白となりました。
ここでは関白の束帯姿で随身と舎人を従えています。





姉小路公知 
三條実美とともに勤王派として奔走しました。ここでは衣冠の参朝姿です。





三條実萬 
1824年(文政7)に権大納言、1857年(安政4)に内大臣に任じられました。後に梨木神社の祭神として祀られました。ここでは直衣姿です。
中山忠能 
明治天皇御実母の父君。大納言でしたが辞した後に輔弼(天皇の行政を直接助ける職)の大任につき従一位に叙せられました。ここでは小直衣姿です。





江戸時代
徳川城使上洛列
徳川幕府は朝廷の大切な儀式などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。
特にご即位の大礼には将軍家名代が、煌びやかな装いをした多数の従者を伴った豪華な行列でした。
行列の先頭の槍持、傘持、挾箱持の掛け声や奴のパフォーマンスがみどころで、当時の行列を彷彿とさせます。

































江戸時代婦人列
和宮 
仁孝天皇の第八皇女で、江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室。
日本史を通じて、皇女が武家に降嫁し関東下向した、唯一の例です。
ここでは、女嬬(お供の人)たちを従え、近世女御装束(十二単)を身にまとった、宮廷内でのお姿を現しています。









大田垣蓮月 
江戸末期の女流歌人で、文筆のみならず、陶芸にも秀でていました。
後に尼となり連月と称します。ここでは若きの面影を偲ぶお姿です。





中村内蔵助の妻 
富豪の妻。衣装比べの逸話で有名です。
婦人たちは色鮮やかな衣装を身にまとい競いましたが、内蔵助の妻は白無垢に最上級の黒羽二重の打掛けという姿で現れました。
かわりに侍女たちには他の婦人にも劣らない豪華絢爛な衣装をまとわせ、いっそう内蔵助の妻女を引き立てる演出をしました。










玉瀾 
画家池大雅の妻。画人としても知られ、和歌にも秀でた女性でした。





梶  略
玉瀾の祖母で、祇園に水茶屋を営んでいました。女流歌人でもあり、歌集「梶の葉」を編みました。

吉野太夫 
美貌に加え、和歌や俳諧、琴、書道、茶道など数々の諸芸に優れており、人々を惹きつけて離さなかったとされています。また、常照寺に山門を寄進しました。ここでは芸妓の頃の衣装です。





出雲阿 
出雲大社の巫女。歌舞伎の創始者といわれています。





婦人列は頭の先から足の先まで当時の女性ファッションや髪型がそのまま伝えられており、見どころの一つです。
有職美容師によって、和官や太夫・お梶さんなどみな地髪を結ってます。
有職美容師とは朝廷や公家、武家の行事や風俗、装束などの伝統を学び伝えることに携わる美容師のことです。


安土桃山時代

豊公参朝列
豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元)5月の秀頼の初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられ、列はその様相を表したものです。
秀吉はすだれの装具でまとった最高様式の牛車、檳榔毛唐庇車に乗っている設定で、姿は見えませんが、行列の衣装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通でなく、袴をつけ、太刀も武家風です。
また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。
























織田公上洛列
1568年(永禄11)9月、天下統一のため織田信長が兵を率いて上洛した時の様子を表しています。






織田信長
1573年に室町幕府を滅ぼし、天下統一を目前に、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいました。





羽柴秀吉
後の豊臣秀吉。百姓として生まれ、後に織田信長に仕えて頭角を現し、天下統一を果たしました。






丹羽長秀
織田信長の家臣。信長から「長」の字を貰い、「長秀は友であり、兄弟である」と呼ばれるくらい親しい主従関係でした。









滝川一益
織田信長の家臣。





柴田勝家
妻は織田信長の妹のお市の方。





撮影枚数が100枚を超しますので、室町時代以降は次回にさせてもらいます。




花見小路周辺私道での撮影禁止

2019-10-26 22:16:55 | 京都めぐり


祇園花見小路周辺 私道での撮影禁止 10月25日より

祇園の花見小路通周辺は、石畳の道にお茶屋や料亭が並ぶ、風情ある町並みが観光客の人気を集めています。
しかし、5年ほど前から私有地に無断で立ち入ったり、写真撮影のために芸舞妓を追いかけ、裾を引っ張ったりするなどのマナー違反が目立つようになりました。
祇園の情緒を大切にしたまちづくりを行ってきた地元の協議会は、市に対策を求める要望書の提出や、マナーを守るよう呼びかける立て札の設置、地域の人で集まってチラシ配りなどを行ってきました。
ところが、一向に改善されず、やむを得ず10月25日から花見小路通周辺の私道での写真撮影の原則禁止に踏み切りました。
ただし、花見小路通は公道のため、引き続き写真撮影はできます。
協議会は「本来なら、撮影禁止にしたくなかったが、状況が深刻でやむをえない。今後どうなるか見守っていきたい」としています。
従来マナーを守るよう呼びかけていた立て札を、撮影禁止を呼びかける立て札に付け替えました。
また無断で芸舞妓の写真を撮影しないように呼びかけるリーフレットなどを渡し、観光客にマナーを守るよう声をかけ、写真撮影が禁止になった私道で、許可なく撮影した場合、1万円の支払いを求めていくということです。
祇園町南側地区協議会の高安美三子会長は、「立て札などで観光客にマナーを訴えかけても、いたちごっこになっただけだったので、祇園の情緒を守るために撮影禁止に踏み切りました。観光の町ではないことを理解してもらい、マナーを守ってほしい」と話していました。

この1.2年、残念ですがここだけでなく、撮影禁止の看板や表示が多くなりました。
京都だけでなく、世界のあちこちでオーバーツーリズム(観光公害)が問題になっているようです。
オーストラリアの巨大な一枚岩エアーズロック(ウルル)も今日26日から登山禁止になりました。










京町屋中京(30)笹*家、山清、吉川武商店、阿以波、雪梅花、鈴*家、俵医院、長*家

2019-10-26 17:29:08 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋中京区の続き、第30回です。

笹*家









山清





吉川武商店(織物卸)





阿以波
京うちわ一筋330年、創業は元禄2年(1689年)です。





雪梅花









鈴*家





俵医院






長*家










京町屋外観の特徴
屋根一階庇の最前列は一文字瓦葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。
ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。
駒寄
家と道との境界に巡らされた格子の垣。元は牛馬をつなぐためのものでした。
意匠もさまざま、栗や欅などの硬い木が使われることもあります。
鍾馗
厄除けの瓦人形は京町屋の屋根の象徴です。


各種建造物指定の説明
国・登録有形文化財
緩やかな規制により建造物を活用しながら保存を図るため,平成8年度施行の文化財制度で,登録された建物が登録有形文化財です。
登録文化財には,築後50年を経過している建造物で,国土の歴史的景観に寄与しているもの、造形の規範となっているもの、再現することが容易でないものといった基準を満たす建造物が対象となります。
京都市では,近代の建造物を中心に積極的に登録を進め,市内243件(平成31年1月末現在告示分)が登録されています。

景観重要建造物
 平成16年に制定された景観法に基づき,地域の自然,歴史,文化等からみて,建造物の外観が景観上の特徴を有し,地域の景観形成に重要なものについて,京都市長が当該建造物の所有者の意見を聞いて指定を行う制度です。
指定を受けた建造物には,所有者等の適正な管理義務のほか,増築や改築,外観等の変更には市長の許可が必要となりますが,相続税に係る適正評価や,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。

歴史的意匠建造物
 歴史的な意匠を有し、地域の景観のシンボル的な役割を果たしている建築物等を京都市が指定するものです。

歴史的風致形成建造物
 平成20年11月に施行された、歴史まちづくり法に記載された重点区域内の歴史的な建造物で,地域の歴史的風致を形成し,歴史的風致の維持及び向上のために保存を図る必要があると認められるもので,京都市長が建造物の所有者及び教育委員会の意見を聞いて指定した建造物。
指定を受けた建造物には,所有者等の適切な管理義務のほか,増築や改築,移転又は除却の届出が必要となりますが,建造物の外観の修理・修景に係る補助制度が活用できます。


京都を彩る建物
京都市内には京都の歴史や文化を象徴する建物が,所有者のたゆまぬ努力により,世代を越えて継承されています。
しかし,その存在と魅力が十分に伝わっていないものや,維持・継承が危ぶまれているものもあります。
そこで,京都の財産として残したい建物や市民から募集し,市民ぐるみで残そうという気運を高め,様々な活用を進めることなどにより,維持・継承を図ろうというものです。
京都を彩る建物は市民から推薦を受け、審査委員会で選定された建造物です。
京都市内で世代を越えて継承され,京都の歴史や文化を象徴し、概ね50年以上の建造物(国又は地方公共団体が所有しているものは除く)です。






色づきはじめの無鄰庵

2019-10-26 05:38:11 | 2019紅葉


紅葉シーズン一ヶ月前の無鄰庵です。
無鄰庵は山縣有朋の別荘で、七代目小川治兵衛により作庭された庭園は近代日本庭園の傑作です。
昭和26年(1951年)に国の名勝に指定されています。
私はこの庭園が好きでよく行きますが、特にくつろげる母屋から見る景色が気に入っています。
紅葉も美しく、南禅寺や永観堂のように人、人、人というようなことはないのがいいです。

昨年秋の紅葉撮影





今の無鄰庵、少し色づきはじめです。

受付前





待合の花





庭園に入ります。















母屋に入ります。















別室













庭園を歩きます。






母屋屋根の上にクレーンが見えます。
無鄰庵の西隣に4階建の高級ホテルが建設されます。














山茶花咲きはじめです。


























小紫





母屋





杜鵑草





茶の木花





一周してきました。










来月また訪れましょう。