京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

非公開文化財特別公開 正覚庵(白州邸移築)

2019-11-07 17:40:37 | 京都めぐり



現在秋の京都非公開文化財特別公開が11月1日~10日まで21ヶ所で開催中です。
天皇陛下御即位を記念し、皇室ゆかりの品々が公開されています。
特別公開の一つ、東福寺の塔頭、正覚庵に行ってきました。
この建物が白州邸の移築と公表されたのは昨年のことです。
拝観は年に一度11月23日の筆供養の日だけで、今回の公開は貴重です。

山門









撮影は玄関までで建物内部は一切不可です。






威徳堂





筆塚













毎月第一日曜日に写経会が行われています。





御朱印はこちら





京都市街が見えます。高台にあるようです。





内部は拝観受付でいただいた正覚庵の樹木葬(法洲苑)案内書より

本堂
ここの本堂は、綿花貿易で財を成した白州文平の大阪府伊丹市内にあった白州屋敷の一部を移転したものです。
宝形の寄せ棟造りの座敷棟が連なり、東北東には楼閣もあります。
建物の基礎上には井桁状に組まれた杉丸太の土台が見えます。
本堂仏間は天井の中央部を一段高くした「折上格天井」、その天井の一角には山水画のような巨大屋久杉の一枚板がはまっています。
また茶室は元々は白州邸の玄関だったのを改修したもので、天井には杉の小丸太が並べられています。















建築年代は大正の終わり頃と伝えられています。昭和14年、八崎治三郎(大阪栄養工業創始者)が譲り受け、昭和40年代後半に正覚庵に寄進されたものです。
白州文平は建築道楽としても知られ、4万坪の敷地を持つ伊丹の白州邸は質と粋を凝らした文平好みの屋敷の集大成として建築されたものです。戦後吉田茂首相の懐刀として、また実業家として活躍した息子、白州次郎(妻:白州正子)がイギリス留学から帰国・結婚までの間住んでいたようです。










なかなか素晴らしい建築に圧倒されました。
書院の襖絵は山本隆氏(1949年~)でした。
それと庭園が素晴らしいです。11月下旬以降は紅葉がきれいになりそうです。

今回の特別公開は10日までです。
行けない方は11月23日の筆供養に参加されたらよいのではと思います。
























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高桐院一般拝観再開 11/10~

2019-10-31 15:08:54 | 京都めぐり


高桐院は2017年6月から本堂大屋根瓦葺替えと耐震補強、茶室廊下保存修理で工事を着工しました。
当初は翌年2018年10月末終了予定でしたが、2019年3月末に延期され、昨年秋の台風被害で更に延長となってました。
この度やっと工事が終わり、11月10日(日)から一般拝観を再開することになりました。
3年ぶりの紅葉拝観になります。
















今年の紅葉は源光庵が改修に入り拝観中止です。
ここも昨年秋の台風被害によるものです。


『そうだ京都、行こう』1996年秋









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苔の美しさ続く祇王寺

2019-10-29 16:32:33 | 京都めぐり


十月末の祇王寺です。
まだまだ青苔が美しいです。紅葉はまだまだです。













ヒノキ苔(シッポ苔)





山門
































































スギ苔










空を見上げると陽射しのあたるところから色づきはじめています。






シノブ苔










『そうだ京都、行こう』2019 初夏・夏





『そうだ京都、行こう』2010 初夏・夏






『そうだ京都、行こう』1994年秋





苔が一番美しい時間帯は10時頃までです。
苔を管理する人は拝観時間(9時)までに庭園を掃除し、落ち葉などを取り去ります。
そのあとたっぷりと散水します。
できれば拝観開始直後の生き生きした苔を見ていただきたいと思います。



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時代祭の続き 室町時代~延暦時代(最後)

2019-10-28 07:17:11 | 京都めぐり


26日の時代祭行列の続きです。

室町時代

室町幕府執政列
馬上の足利将軍は鎧兜はつけず、烏帽子に金襴の豪華な衣装をまとった軽装の小具足姿で、幕府の執政にあたる三管領・四職に任ぜられる主要氏族が御供衆として従います。
また公家・法中・御博士・医師など他の列には見られない人たちが登場します。





















室町洛中風俗列
16世紀京の町衆によって盛んに催された「風流踊り」を再現しています。
風流傘を中心に、子役による囃子方で構成する「中踊り」と、小袖姿で踊る「側踊り」からなっています。
当時の風流踊りは男性のみで、奇抜な仮装や妻女の派手な衣裳で着飾って参加しています。
この風流踊りは全国各地に伝わり様々な芸能を生み出し、江戸時代以降の盆踊りの原型ともなっています。





















吉野時代

楠公上洛列
1331年(元弘元)、後醍醐天皇が隠岐より還幸される際、上洛を導いた楠木正成一族の行列を表します。
楠公一代の盛事と言われたこの様子を表した行列で、多種多様の煌びやかな甲冑や武具が見ものです。





楠木正成









楠木正季





中世婦人列





淀君
豊臣秀吉の側室。ここでは、桃山時代を代表する豪華な打掛に間衣、下着、小袖に刺繍の帯をしめ、扇を持った外出姿です。





藤原為家の室
出家後「阿仏尼」と称されました。また、「十六夜日記」の著者でもあります。
市女笠に虫の垂衣を垂れ、半足袋に草鞋を履き、道中安全を祈るお守袋をかけ、訴状を文杖に差しています。
従者は道中に必要な旅道具を入れた唐櫃をかついでいます。





静御前
源義経の側女。ここでは白拍子時代の姿で水干、単小袖、白の切袴、立烏帽子を身に着け、鼓を持っています。
童女が一人従い、絹傘を差しかけています。





大原女
洛北大原の婦人は、頭に薪や炭を載せて京の町へ行商に出ていました。









桂女
桂川をこえて鮎や飴を売り京の町に来る販女です。
巫女の一種でもあり、婚礼や出産など、家の祝い事に訪れることもありました。
頭に巻かれた白い布「桂包」は、皇后から頂いた布であったと言われています。






鎌倉時代





流鏑馬は平安朝から行われた騎射の技で、武士のたしなみとして盛んに行われていました。
馬場に3カ所の的を立て、馬を走らせながら射ります。
1221年(承久3)後鳥羽天皇が朝廷の権威回復のため、城南離宮で近畿十余国の武士1700名をを召集して行った一場面を表し、列は狩り装束の射手を中心とした5組で構成されています。















藤原時代
2012年の大河ドラマの主人公平清盛が生きた時代





藤原公卿参朝列
平安時代中期以降、藤原氏が最も栄えたころの様子を表した列です。本列のものは夏服の様式です。





平安時代婦人列
「平安時代婦人列」への参列は京都五花街の中から三花街が担当されており、その三花街の芸妓さんが輪番(交代)で参列されています。





巴御前
源義仲の側女。女武将として義仲と供に戦いました。
ここでは、『源平盛衰記』より現したもので、天冠や鎧を身に着け、太刀を帯に着け長刀を持っています。
従者は折烏帽子に腹巻を着け小刀を帯び、それぞれ弓と馬杓を持ちます。





横笛
建礼門院の雑仕。滝口時頼と恋に落ちましたが、時頼が出家すると、その後を追って尼になりました。
ここでは、出家した時頼を尋ね嵯峨に行ったときの市女笠に袿姿を現しています。





常磐御前
源義朝の側室であり、牛若(源義経)の母。
ここでは義朝の没後、牛若ら3人の子を連れ六波羅に向かう時の様子を現しています。





紫式部
「源氏物語」の著者。ここでは女官の略装です。
清少納言
「枕草子」の著者。ここでは正装女御装束です。





紀貫之の女
ここでは、袿、単小袖、濃紅の切袴を身にまとい、手に梅の小枝を持っています。





小野小町
才色兼備の女流歌人で、絶世の美女だったとされています。
ここでの衣装は平安初期の特殊な姿で、当時の神像を参照して作られた装束です。





和気広虫
慈悲心が深く、多くの孤児の養育に励んだことが伝えられています。
ここでは、還俗した時の姿で、扇を持った姿です。男女の弧児2名ずつを従えています。





百済王明信
桓武天皇の御代に女官長として仕えていました。これは、当時の女官の最高位です。
ここでは、唐衣に裳の唐風の装束で翳(さしは)を手にし、侍女を従えています。





延暦時代

延暦武官行進列
この列の大将に当たるのは坂上田村麻呂で、東征を終え平安京に凱旋する様子を表しています。
きらびやかな金小札の甲冑に、金作りの直刀を差し白葛のヤナグイ(矢を盛って背負う道具)を背負い、金胴の弭(弓の弦をかける部分)金物の槻の丸木弓を従者に持たせ、木地に漆画をほどこした鞍に、金銅の杏葉銜に赤革の鞦(馬の飾り緒で三懸の一つ)の馬に乗り、従者、矛持、弓持を従えています。













延暦文官参朝列
延暦時代の公卿諸臣が朝廷に参上する様子を再現した列です。
その衣装は朝服といい、本列中の三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑の袍を着用し、三位は蘇芳色総の三懸(馬の飾り)をつけた馬に乗り錦蓋をおおわせて進みます。
全行列中最高位と位置づけられる本列の三位は、平安神宮に還り着いた時、全行列を代表してご鳳輦の前で祭文を奏上します。









神饌講社列
時代祭当日の神饌物を奉献する役目の人達です。

前列
御神幸列の前を行くので前列といいます。雅楽の奏者、迦陵頻伽、胡蝶など優美な衣装の行列で多数の狩装束のお供が従います。

















神幸列
御賢木を先頭に鳳輦が続き、宮司以下神職が前後につき従って神幸されます。
先の鳳輦は孝明天皇、後の鳳輦は桓武天皇が祀っており、京都の市内をご巡幸し、市民の安らかな様子を親しくご覧になります。
時代祭の中で主たる意義を持つ列です。ご鳳輦の御剣、弓や楯、矛、紫御翳、管御翳、神馬用馬具が見られます。

孝明天皇鳳輦







桓武天皇鳳輦


























白川女献花列
比叡山のすそ野、白川に広がる花畑の花を京で売り歩いていました。
平安時代中期から御所に花を届けていたといわれており、本列では神前に供える花を頭に乗せています。










弓箭組列
源頼政に従い弓矢の技に優れた人達の子孫の人々によって作られた、弓箭組の列です。常日頃より射術を研究しており、桓武天皇平安遷都の際その御列の警護に当ったともいわれ、また明治維新の際には山国隊とともに東北鎮護に当り活躍しました。お供の人々は引立烏帽子に直垂(ひたたれ)を着け、太刀を差し弓箭を携えています。





これで行列は終わりです。このあと平安神宮に向かいます。
当日は曇り空で、途中日が差してきました。
雨が降らず、気温も暑くも寒くもなくて良かったです。






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昨日の時代祭 絢爛豪華、生きた時代絵巻

2019-10-27 06:35:58 | 京都めぐり


昨日は「京都三大祭」の一つ時代祭でした。
本来は10月22日ですが、今年は「即位礼正殿の儀」と重なったため、26日に変更されました。
時代祭は京都平安神宮の大祭で、平安神宮の創建と平安遷都1100年を奉祝する行事として、1895年(明治28)に始まりました。
鳳輦に乗った桓武天皇と孝明天皇の神霊に各時代の行列がお供をし、京都御所を出発し平安神宮に向かいます。
行列は明治維新、江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦の8つの時代順に、牛馬を含む総勢約2,000名で構成されています。
綿密な時代考証を重ねられた衣装、祭具、調度品は1万2,000点になり、京の伝統の技で細部まで再現されています。
私は御池通りで観覧・撮影しました。撮影開始13時、終了14時50分。
時代祭の行列をほぼ網羅しましたので、行列の雰囲気が伝わるのではと思います。

平安騎馬隊が行列を先導します。













時代祭の行列先頭





維新勤王隊列
ピーヒャーラドンドンドンという太鼓・笛で有名な鼓笛隊が先頭を務めます。
明治維新の際、丹波の国北桑田郡山国村(現:京都市右京区京北)の有志が山国隊を組織し、官軍に参加した当時の行装を模したものです。
三斎羽織に義経袴をはき、下には筒袖の衣、頭に鉢巻または赤熊をかぶり、脚絆、足袋、草鞋をはき、刀を身につけ、鉄砲を携えた姿をしています。





















幕末志士列
明治維新で活躍した人物が「七卿落」列をはさんで次々と登場します。





桂小五郎 
後の木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通とともに維新三傑と称せられた長州藩士です。





西郷吉之助 
後の西郷隆盛。坂本龍馬の仲介で薩長同盟を結び、江戸城の無血開城も果たした薩摩藩士です。





坂本龍馬 
薩長同盟の成立や、大政奉還の立役者となりました。志半ばで暗殺されてしまいました。





中岡慎太郎 
同郷の坂本龍馬とともに維新に奔走しました。





高杉晋作 
松下村塾に学んで久坂玄瑞とともに吉田松陰門下の双璧と称せられた長州藩士です。





吉田松陰 略
長州藩士。萩の松下村塾で高杉晋作、伊藤博文ら多くの秀才を教育しました。
吉村寅太郎 
天誅組を率いて大和に挙兵した土佐藩士です。




頼三樹三郎 
儒学者・頼山陽の子で、憂国のこころざし深く、同志と集って盛んに幕政の非を叫びました。




梅田雲浜 略
和漢の学に通じ、その徳をもって湖南塾を開き子弟を教え導いた小浜藩士です。
橋本左内 略
福井藩士で、蘭学医学をおさめ、洋学にも通じて時勢に通じていたため、その才覚を認められて藩政に尽力しました。服装は旅姿となっています。

七卿落列










近衛忠熈 
孝明天皇の左大臣になった後、事変で官を辞して仏門へ入りましたが、後に還俗して関白となりました。
ここでは関白の束帯姿で随身と舎人を従えています。





姉小路公知 
三條実美とともに勤王派として奔走しました。ここでは衣冠の参朝姿です。





三條実萬 
1824年(文政7)に権大納言、1857年(安政4)に内大臣に任じられました。後に梨木神社の祭神として祀られました。ここでは直衣姿です。
中山忠能 
明治天皇御実母の父君。大納言でしたが辞した後に輔弼(天皇の行政を直接助ける職)の大任につき従一位に叙せられました。ここでは小直衣姿です。





江戸時代
徳川城使上洛列
徳川幕府は朝廷の大切な儀式などの際には必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を厚くしていました。
特にご即位の大礼には将軍家名代が、煌びやかな装いをした多数の従者を伴った豪華な行列でした。
行列の先頭の槍持、傘持、挾箱持の掛け声や奴のパフォーマンスがみどころで、当時の行列を彷彿とさせます。

































江戸時代婦人列
和宮 
仁孝天皇の第八皇女で、江戸幕府第14代将軍徳川家茂の正室。
日本史を通じて、皇女が武家に降嫁し関東下向した、唯一の例です。
ここでは、女嬬(お供の人)たちを従え、近世女御装束(十二単)を身にまとった、宮廷内でのお姿を現しています。









大田垣蓮月 
江戸末期の女流歌人で、文筆のみならず、陶芸にも秀でていました。
後に尼となり連月と称します。ここでは若きの面影を偲ぶお姿です。





中村内蔵助の妻 
富豪の妻。衣装比べの逸話で有名です。
婦人たちは色鮮やかな衣装を身にまとい競いましたが、内蔵助の妻は白無垢に最上級の黒羽二重の打掛けという姿で現れました。
かわりに侍女たちには他の婦人にも劣らない豪華絢爛な衣装をまとわせ、いっそう内蔵助の妻女を引き立てる演出をしました。










玉瀾 
画家池大雅の妻。画人としても知られ、和歌にも秀でた女性でした。





梶  略
玉瀾の祖母で、祇園に水茶屋を営んでいました。女流歌人でもあり、歌集「梶の葉」を編みました。

吉野太夫 
美貌に加え、和歌や俳諧、琴、書道、茶道など数々の諸芸に優れており、人々を惹きつけて離さなかったとされています。また、常照寺に山門を寄進しました。ここでは芸妓の頃の衣装です。





出雲阿 
出雲大社の巫女。歌舞伎の創始者といわれています。





婦人列は頭の先から足の先まで当時の女性ファッションや髪型がそのまま伝えられており、見どころの一つです。
有職美容師によって、和官や太夫・お梶さんなどみな地髪を結ってます。
有職美容師とは朝廷や公家、武家の行事や風俗、装束などの伝統を学び伝えることに携わる美容師のことです。


安土桃山時代

豊公参朝列
豊臣家の朝廷参上のうち、1596年(慶長元)5月の秀頼の初参内と、翌年9月の元服時の参内などは最も盛んであったと伝えられ、列はその様相を表したものです。
秀吉はすだれの装具でまとった最高様式の牛車、檳榔毛唐庇車に乗っている設定で、姿は見えませんが、行列の衣装は当時特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもので、衣冠の姿も普通でなく、袴をつけ、太刀も武家風です。
また牛童、牛飼などは公家風ですが、徒歩の者は当時の武家風の特徴を現わしています。
























織田公上洛列
1568年(永禄11)9月、天下統一のため織田信長が兵を率いて上洛した時の様子を表しています。






織田信長
1573年に室町幕府を滅ぼし、天下統一を目前に、本能寺の変で明智光秀に討たれてしまいました。





羽柴秀吉
後の豊臣秀吉。百姓として生まれ、後に織田信長に仕えて頭角を現し、天下統一を果たしました。






丹羽長秀
織田信長の家臣。信長から「長」の字を貰い、「長秀は友であり、兄弟である」と呼ばれるくらい親しい主従関係でした。









滝川一益
織田信長の家臣。





柴田勝家
妻は織田信長の妹のお市の方。





撮影枚数が100枚を超しますので、室町時代以降は次回にさせてもらいます。



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花見小路周辺私道での撮影禁止

2019-10-26 22:16:55 | 京都めぐり


祇園花見小路周辺 私道での撮影禁止 10月25日より

祇園の花見小路通周辺は、石畳の道にお茶屋や料亭が並ぶ、風情ある町並みが観光客の人気を集めています。
しかし、5年ほど前から私有地に無断で立ち入ったり、写真撮影のために芸舞妓を追いかけ、裾を引っ張ったりするなどのマナー違反が目立つようになりました。
祇園の情緒を大切にしたまちづくりを行ってきた地元の協議会は、市に対策を求める要望書の提出や、マナーを守るよう呼びかける立て札の設置、地域の人で集まってチラシ配りなどを行ってきました。
ところが、一向に改善されず、やむを得ず10月25日から花見小路通周辺の私道での写真撮影の原則禁止に踏み切りました。
ただし、花見小路通は公道のため、引き続き写真撮影はできます。
協議会は「本来なら、撮影禁止にしたくなかったが、状況が深刻でやむをえない。今後どうなるか見守っていきたい」としています。
従来マナーを守るよう呼びかけていた立て札を、撮影禁止を呼びかける立て札に付け替えました。
また無断で芸舞妓の写真を撮影しないように呼びかけるリーフレットなどを渡し、観光客にマナーを守るよう声をかけ、写真撮影が禁止になった私道で、許可なく撮影した場合、1万円の支払いを求めていくということです。
祇園町南側地区協議会の高安美三子会長は、「立て札などで観光客にマナーを訴えかけても、いたちごっこになっただけだったので、祇園の情緒を守るために撮影禁止に踏み切りました。観光の町ではないことを理解してもらい、マナーを守ってほしい」と話していました。

この1.2年、残念ですがここだけでなく、撮影禁止の看板や表示が多くなりました。
京都だけでなく、世界のあちこちでオーバーツーリズム(観光公害)が問題になっているようです。
オーストラリアの巨大な一枚岩エアーズロック(ウルル)も今日26日から登山禁止になりました。









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嵯峨大念佛狂言 「橋弁慶」 「大原女」

2019-10-23 05:47:08 | 京都めぐり


10月20日の日曜日、嵯峨釈迦堂(清凉寺)境内の狂言堂で、嵯峨大念佛狂言秋季公演が行われました。









嵯峨大念佛狂言は京都三大狂言の一つで、鎌倉時代に始まったとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
この狂言は、能楽の狂言とはだいぶ様子が違います。
狂言師というプロではなく、演者も囃子も裏方もすべて住民の手で行われる。
役者全員が面をつける「仮面劇」で、セリフのない「無言劇」。
「融通念仏」と「大念佛会」に連なる宗教的な背景を持っていることが特徴です。

当日の演目
「橋弁慶」
「大原女」 1991年を最後に上演が途絶えていた演目、28年ぶりに復活
「紅葉狩」





開始前の狂言堂






橋弁慶
よく知っている物語では、千本の刀を集めるために夜な夜な五条の橋で刀を持った人を襲っていた弁慶が、あと一本に迫った夜、笛を吹く牛若に出会い、手玉に取られて降参し、家来になるというものです。
狂言では牛若が人斬りででてきます。

登場人物:牛若丸・弁慶・太刀持・斬られ(三人)
女装した牛若丸は五条の橋のたもとで笛を吹き立ち去る。





弁慶は供を従え 五條天神にお参りにやって来る。





牛若丸が通行人を斬り捨てている。
一人目









二人目





三人目も斬り捨てる。









そこへ弁慶が通りかかり大刀打ちとなる。





牛若丸に薙刀を打ち落 とされた弁慶は力つき降伏する。牛若丸は弁慶を従え立ち去る。





大原女(おはらめ)
登場人物:旦那・供・母親・三姉妹

舞台は大原の里。花見にやってきた旦那と供は、そこで母親と大原女である三人娘の一行に出会います。
大原女は、頭に薪や柴を乗せて、京の町へ行商に出かけた大原の働く女性のことです。













三人娘と一緒に酒盛りをしたいと思った旦那は、供に命じて母親に話をつけさせます。









そうして一緒に酒を飲み、盛り上がっていく中、 酔った供が踊り始めます。
あまりにも下手だったため、母親は三人娘に踊りを披露させました。










旦那は、手を叩いて見ていましたが、そのうち浮かれて踊り出し、どさくさにまぎれて娘のひとりの手を取って
連れて行こうとしました。









それをみた母親は大激怒。考えた末、娘と入れ代わって、旦那の求めに応じることにしました。





母親になりすました娘と供は、先に退場。残った旦那は何も知らずにワクワクしながら娘の顔をのぞき込むと、
そこにはお多福顔の母親が。旦那はびっくりし、きりきり舞いして逃げ帰ります。














時間の関係で「紅葉狩」は見ずに帰りました。



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鷹峯三寺 少し色づいてきた光悦寺、源光庵、常照寺

2019-10-19 06:34:13 | 京都めぐり


鷹峯三寺に行ってきました。
古来、鷹峯と周辺域一帯は「栗栖野」と呼ばれていました。
平安時代には、代々の天皇が都に程近いこの地に行幸し、遊猟、鷹狩に興じています。
鷹狩の鷹を捕捉できる場所として知られ「鷹峯」に変化したものと言われています。
1591年(天正19年)豊臣秀吉が外敵の侵入に備えて鷹峯街道中程に御土居を構築します。
御土居の外側、洛外とされたところの治安は、辻斬りや追いはぎが出没するなど、相当に悪化していたされます。
1615年(元和元年)、都から離れた居住を希望していた本阿弥光悦が、徳川家康から御土居以北の約8、9万坪の原野を拝領し、一族縁者を引き連れて移り住みます。
鷹峯の地に集落(いわゆる光悦村)が形成され、光悦屋敷を中心として街路に面した家々がたちました。
光悦を慕う芸術家や豪商も移り住み、京都の芸術・文化の一大拠点となりました。

大虚山光悦寺
光悦の死後、1656年(明暦2年)に日蓮宗の日磁を開山として寺となった。
光悦の墓、大虚庵を始めとする七つの茶室、大虚庵前に組まれたゆるやかな曲線の竹垣「光悦垣」などが知られる。

















上をみあげると少し色づいています。














元禄5年創建の鐘楼





こちらも色づきはじめです。














円成寺
非公開寺院ですが、ここも紅葉も格別に美しい場所でず。
ただここは一切の撮影が禁止です。





鷹峰山源光庵
1346年(貞和2年)に徹翁義亨が隠居所として創建。
当初は臨済宗に属していたが、1694年(元禄7年)に加賀国大聖寺の卍山導山が再興し改宗した。
本堂天井は伏見城の遺構で、関ヶ原の戦いで東軍についた鳥居元忠とその家臣が自刃した床を用いた血天井。
北山を借景とする枯山水庭園、仏教の真理を示す円形の「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」が有名。

庫裡改修に伴う拝観休止の看板。
昨年秋の台風で被害を受け、創建300年の庫裡の改修工事が行われす。
令和3年10月末まで。今年の秋は残念ながら拝観できません。













寂光山常照寺
1616年(元和2年)光悦が土地を寄進し、その子光瑳の発願により、日蓮宗の日乾を開山として創建された。
日乾に帰依した吉野太夫ゆかりの寺として知られる。
こちらの色づきは遅れています。






























次回は街道沿いを投稿します。


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善光寺黒如来(真如堂)、十月の永観堂

2019-10-08 05:32:02 | 京都めぐり


私が四季を通じて訪れる真如堂ですが、今まで茶所に祀られている善光寺黒如来を長年見過ごしてきました。

赤門





本堂





三重塔





参道脇、三重塔前に茶所があります。
ときどき休憩したり、トイレをお借りすることもあります。
この中に黒如来像があります。






長年見落としていた「善光寺堂」の看板





その上には「善光寺四十八願所 第三十二番 鈴馨山真如堂」と書かれた額が掲げられています。





善光寺黒如来の説明書も掲示されています。
元禄7年(1694年)の6月下旬から8月30日までの間に真如堂で善光寺如来の出開帳法要が行われました。
善光寺如来は、鎌倉時代から室町時代初期にかけて数体模造され、うち一体が出開帳後に真如堂に奉安されました。
善光寺は本堂の修復、宝塔や楼門などの再興のため、元禄年間に京都や大坂にも出張して開帳絵縁起講談を行い寄付を集めます。
出開帳は大人気だったようです。
特に江戸深川の回向院、真如堂、大坂四天王寺は、いずれも大盛況で、その時の収入で善光寺の再建が開始されました。
出開帳の人出を当てにして「善光寺物」と呼ばれる浄瑠璃の興業なども行われたそうです。






四十八願とは阿弥陀仏がまだ法蔵菩薩として修業されていた時に、仏になる条件として立てた願とのことです。
善光寺四十八願所はそれにちなんで善光寺阿弥陀仏ゆかりの感応の顕著な霊場を四十八ヶ所選んだものです。
真如堂の善光寺黒如来は三十二番札所となっています。

青もみじがガラスに反射していますが、そのガラス越しに黒如来を見ることができます。





茶所前の酔芙蓉





本堂前の藤袴










真如堂を訪れの際は、善光寺黒如来もお参りください。
次は金戒光明寺の三重塔です。
正式には文殊の塔、徳川秀忠の菩提を弔うために寛永11年(1634年)に建立された塔です。塔高22.0m。
鎌倉時代の仏師運慶作の文殊菩薩が安置されています。
京都市内にある重文指定の三重塔は、清水寺の三重塔と子安塔、金戒光明寺の三重塔です。





「日本三文殊随一」の扁額






三重塔前から見える市内の景色





正面は金戒光明寺の三門





鳥居の右は国立近代美術館、左は京都市美術館、後ろは京都タワー





京都駅ビル





将軍塚青龍殿





大雲院の祇園閣とその後ろは京セラビル(伏見区)も写っています。





知恩院





散策の最後は、永観堂です。

総門





参道脇のもみじが少し色づいています。





中門前































南門











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秋晴れ 即位の礼を前に京都御所

2019-10-07 05:39:32 | 京都めぐり


世界遺産を題材にするテレビ番組で、昨日『特別企画天皇家の京都』が放送されました。
10月22日の即位礼を前に、京都の世界遺産の中から天皇家とゆかりの深い仁和寺と天龍寺を取り上げていました。
よく散策に訪れる仁和寺ですが、普段見れない秘仏や特別公開中の観音堂内部が映し出されていました。

私もちょうど即位の礼を前に京都御苑の散策に行ってきたばかりです。
京都御苑は春は桜、秋は紅葉、冬は野鳥撮影によくでかけます。
昨日は秋晴れで、半袖がちょうどよいくらいです。最高気温は25.8度。
散策の最後に京都御所に入ります。





気持ちよい青空です。





清所門





諸大夫の間





新御車寄





月華門





承明門









紫宸殿
この前で即位の礼の式典が行われていました。









高御座は22日の即位の礼で東京に輸送されています。





小御所





御池庭





御学問所










御常御殿





御内庭





藤袴





御三間

























中立売休憩所





明治天皇、大正天皇、昭和天皇も京都御所で即位の礼を行いましたが、平成天皇以降は東京です。
いろいろな問題があるでしょうが、古式に則り、京都御所でしてほしかったと内心思っています。





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朽ちた土塀に寄り添う萩 迎称寺

2019-10-06 17:05:03 | 京都めぐり


真如堂近くに「萩の霊場」として知られる迎称寺(こうしょうじ)があります。
時宗寺院で本尊は阿弥陀如来像です。
朽ちかけた土塀に寄り添うように咲く萩の花で知られています。

山門




「洛東九番 萩の霊場 迎称寺」と陰刻された石柱がありますが、萩に隠れています。





土塀沿いの萩はまだ見頃続きです。(撮影本日)
もの悲しくも趣があります。








































朽ちた土塀










拝観寺院とは対局にあるような非公開寺院です。
観光客はおらず、萩が見頃を迎えると萩の好きな人が訪れます。







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嵐山に福田美術館オープン 約100年間未公開の橋本関雪作品公開

2019-10-04 15:15:00 | 京都めぐり


10月1日、嵐山大堰川沿い近くに福田美術館が新規オープンしました。
「100年続く美術館」をコンセプトに、受け継がれてきた日本文化を次世代に伝え、発展に繋がる美術館を目指しています。
オープン記念展示は俵屋宗達や尾形光琳の琳派、狩野山雪、狩野探幽などの狩野派、円山応挙、長沢芦雪、呉春などの四条派など江戸時代の絵画から、竹内栖鳳、上村松園など明治以降に活躍した画家たちの名コレクション品を公開しています。
それらの作品は京都市出身の福田吉孝氏が15年かけて収集したものの一部です。
私が最も期待していた、約100年間未公開だった橋本関雪の六曲一双屏風も展示されています。
コレクション展はⅠ期 10月1日~11月18日、Ⅱ期 11月20日~1月13日となっています。
なお作品は一部を除き、撮影可能です。













10時開館です。










1階は受付とカフェ、ミュージアムショップ、階段を上がってギャラリーがあります。






ギャラリー1














ギャラリー2













パノラマギャラリーには洋画が展示されています。











カフェ
「パンとエスプレッソと福田美術館」です。










美術館より嵐山










ミュージアムショップ





作品は撮影してきましたので、後日整理して投稿いたします。
素晴らしい作品ばかりで、嵐山にお越しのときにはお勧めです。


美術館は『謡曲小督の旧跡』にあります。









作品は後日投稿します。




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朝の仁和寺散策

2019-10-03 05:35:52 | 京都めぐり


仁和寺拝観時間前の朝の散策です。
昨年の台風で仁和寺も大きな被害を受けました。
国宝金堂は蔀戸(しとみど)の金具が壊れて外れ、重要文化財の二王門は屋根の瓦数十枚が飛ばされました。
宸殿の屋根檜皮葺や勅使門の扉も大きな被害を受けました。
6月から二王門は全体に素屋根の足場架けと工事用シートで覆われていましましたが、やっと工事終了です。


改修が終わった二王門










広い参道の両側に新たにもみじが植えられています。





宸殿は修復中です。





中門














秋の特別公開中(9/4ー11/24)の観音堂






千手ひも(観音堂落慶記念)









金堂





鐘楼





大黒堂





御影堂




















不動明王





経蔵






九所明神 本殿・左右殿(重要文化財)











五重塔


















御殿入口











二王門から双ヶ丘





気持ち良い散策でした。








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上賀茂神社の彼岸花、萩

2019-10-02 05:47:20 | 京都めぐり


秋晴れの上賀茂神社です。










参道





中鳥居






橋殿修復中です。






何やら工事用シートにポスターが。


 


アニメ映画『HELLO WORLD』が公開中だそうです。
劇中で上賀茂神社の立砂・細殿が舞台になっているそうです。
10/4~神社境内で、映画コラボ絵馬、映画展示ブースも開設されるそうです。





立砂とバックが細殿です。





楼門










白萩










境内のあちこちに彼岸花








































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哲学の道の彼岸花

2019-10-01 06:21:12 | 京都めぐり


哲学の道にも彼岸花が見頃を迎えています。
銀閣寺道から銀閣寺に向かう疏水の土手に、毎年ニョキニョキ茎が延び情熱的な花を咲かせます。





疏水の土手に咲いています。





























































白彼岸花もいいですね。












酔芙蓉





この信号をまっすぐ行くと銀閣寺です。





哲学の道を散策する来日観光客は多いです。











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