京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

私の晴耕雨読

2014-02-28 06:19:58 | 定年後生活

今週水曜日は比較的暖かく、京都の日中の最高気温も15度ほどになりました。
ニュースは近畿各地でpm2.5上昇とでていましたが、暖かさに誘われて外出しました。
頬にあたる風は、初春を思わせ、厚着の一枚を脱ぎたくなります。
行き交う人もどこかしか、いつもより薄着のようです。

一転して、昨日は朝から雨です。でも雨は久しぶりのような気もします。
気温は高めで、寒いのが 苦手な私には、過ごしやすい一日でした。
雨の日は外出を控え、かつて読んだ司馬遼太郎や藤沢周平の本などに目を通し、さまざまなことに思いを巡らせています。
騒がしいテレビは消し、静けさや沈黙を楽しみます。
私の場合、晴耕雨読ではなく、晴れの日は散歩にでかけ、雨の日は読書です。

思えば、1年前は定年退職前1ヶ月でした。
すでにトップ業務の引き継ぎは終わり、お世話になった仕事関係の方々にご挨拶する日々がしばらく続いていました。
なかには、私の退職を聞きつけ、わざわざ東京から駆けつけてくれた上場企業のトップの方もおられ、大変恐縮しておりました。
私自身は、静かに最小限の人たちに挨拶して終わりたかったのですが、私の後任のことがありましたので、内心やむを得ずという心境でした。

退職の1年前頃は、退職するか、延長するかかなり迷っていましたが、退職を決めて以降は、迷いもなくなり、トップを引き継いだ2月末頃は、気持ちもすっきりしていました。
逆にこんなに気持ちが楽になるものかと、我ながら驚いた次第でした。

今も、退職していなかったらどうだったのか、ときどき頭を過ることもあります。
もうどうならないことですが、雨の日は、さまざまな思いに浸らせてくれます。


小雨の中、わが家の庭に目をやりますと、草木がもうすぐ春の訪れを告げています。

桜の後に開花するモッコウバラ の新芽です。






コデマリの新芽です。






ハナモモも少しですが、芽を出しています。





秋に植えたチューリップです。






中庭のクリスマスローズです。















『波佐見焼』美の壺

2014-02-25 06:30:18 | 美術・博物館


ときどき、気に入った内容のときだけ見る番組に「美の壺」があります。

先日、NHK BSの再放送ですが、「波佐見焼」が取り上げられました。

私は焼き物はほとんど無知ですが、見るのは大好きです。
お茶はしませんが、特に井戸や楽茶碗などを素人ながら目で愛でています。

波佐見焼は長崎県波佐見町で、400年以上にわたって焼かれ続けた歴史があるそうです。





九州の焼き物と言えば、伊万里や有田焼は知っているのですが、 波佐見焼のことは恥ずかしながら知りませんでした。
年間生産量全国3位、窯元の数はおよそ100といいますから、焼き物の大生産地なわけです。




でも放送を見ていると、なんとも言えない味わいのある焼き物がとても気に入りました。




骨董通の間で、究極の侘びさびとされるこの茶碗も波佐見焼です。





「コンプラ瓶」
江戸時代、唯一貿易を許されたのが長崎・出島で、そこから輸出用に、しょうゆや酒をつめた専用の瓶が、コンプラ瓶です。





ぼってりした胴体、 ところどころゆがみがあり、なんともいえない味わいがあります。
藍色で書かれた「JAPANCH」(ヤパンス)は、オランダ語で「日本の」という意味だそうです。





また、当然ながら、波佐見焼は国内でも大量に使われてきました。
端正な白に、淡い藍色の絵柄が描かれた皿や碗は、“くらわんか”と呼ばれていたそうです。





これは、江戸時代、淀川を行き来する労働者たちに、「飯食らわんか!餅く らわんか!」と食べ物を売りつけた舟があり、 その時使われていた器が波佐見焼です。
「くらわんか」というかけ声から愛称がつけられたそうです。





この庶民の日常使いの器を讃えたのが、民芸運動の父・柳宗悦です。





柳は、「誠に技巧から見れば幼稚なものといえよう。
だが、日本の染付として最も延び延びした自由なものである。」 と評しています。

波佐見焼は、素朴な自然のモチーフが単純化され、引き算の美にたどり ついたというわけです。











現在の波佐見焼は、料理のプロにも愛用されています。
シェフの方は、「お皿も勝ちすぎないし、料理も勝ちすぎないというか、全部 合わさってひとつのお皿に、ひとつの料理になる、という所だと思 います。」
あらゆる料理に相性が良い、白い器。 これも、波佐見焼の今の姿です。ー





1958年に登場した「G型しょうゆさし」。





装飾をそいだ完璧なフォルム。 真っ白で、柄はありません。
1950年代、華やかさが求められた戦後の日本に現れたシンプル な器は、社会に大きな衝撃をもたらしました。

目指したのは、キレが良くて機動性の高いしょうゆさし。
口の高さや曲がり方などを変え、無数の試作品を作り、機能徹底重 視のしょうゆさしを完成させました。


毎日“道具”みたいに使える、健康的な美しさ。
その思いは多くの共感を呼び、シンプルな波佐見焼は多くの人々が 愛用する器となったのです。









『佐藤太清』美の京都遺産

2014-02-24 06:34:21 | 美術・博物館

毎週日曜日の早朝に放映されている「美の京都遺産」。
番組案内には「古都1200年の歴史の中で守り続けられてきた寺社仏閣・祭 り・伝統工芸などのなかから、「美の再発見」をテーマに、ハイビ ジョン撮影による高画質映像とステレオ放送でお送りする「像美術館」ともいえるハイクオリティな番組。 音楽は、宮崎アニメの劇伴で知られる久石譲がオリジナルで作曲」とあります。

私は京都で暮らしていますが、まだまだ行けていないところや、全く知らなかった世界があります。こういう番組を見て、京都の魅力を再発見している次第です。

今回は文化勲章受賞者の日本画家、佐藤太清がとりあげられました。
佐藤太清は京都府福知山市生まれです。
京都文化博物館で生誕100年を記念した展示会が開催されていて、昨年末行ってきました。その時のことは、ブログにも投稿しましたが、画像いまひとつで、あまり作品の良さが伝わらず、残念に思っていました。

今回美の京都遺産で再度、佐藤太清が取り上げられましたので、再挑戦してみました。


佐藤太清です。
戦後の日展に数多く出品し、画壇を代表する作家と言われています。


「かすみ網」1943
公の展示会で初めて入選した作品






「清韻」1947
日展で特選となった作品





「山吹」1946





「幽韻」1948






「竹窗細雨」1951






「冬池」1955
戦後抽象絵画の影響を受けた作品




「潮騒」1965






「焔」1967




「洪」1968





「風騒」1966





「昏」1974





「暎」1969






「緑雨」1970






「清韻」1973






「旅の朝」1980





「雪つばき」1994
70年にわたる最後の作品です。





その他

「東大寺暮雪」1975





「雨あがり」1991






「最果の旅」1983











「旅の夕暮れ」1981










東寺の弘法市ぶらり

2014-02-23 06:33:39 | 京都めぐり

1年ぶりに東寺の弘法市に行ってきました。
京都では毎月21日は弘法さんの縁日で、25日は天神さん(北野天満宮)で賑わいます。

東寺の境内には、ところ狭しと露店が並びます。
その数、常時1200~1300店にもなり、 毎月20万人ほどの人が訪れます。

骨董、古着、漬物、植木、がらくた、ありとあらゆるものが並んでいるような印象です。
フ リーマーケットは一般の方ですが、弘法さんは「業者さん」 が出店します。

寒い日でしたが、東寺前に着くと、大勢の人が往来しています。
境内は露店と混雑する人で、熱気があります。

私は普段、人混みはあまり好きではなく、最低限の買い物以外は家の中に籠っていることも多い毎日です。
でもそういう日が続くと、無性に人混みに紛れてみたくなります。

還暦を過ぎたのに、落ち着きがないのかもしれません。
亡くなった母は、私が子どもの頃、落ち着きがないといつも言っていました。

弘法さんの雰囲気を少しですが、お届けします。




































東寺の五重塔と桜です。
あと1ヶ月余で開花します。楽しみです。








京都御苑周辺ぶらり

2014-02-22 06:40:14 | 京都めぐり

この数日寒い日が続き、最低限の買い物以外は家の中に籠っていました。
一昨日は、昼前から部屋に差し込む陽射しに誘われ、久しぶりに散歩にでました。
向かった先は、京都御苑です。

あと一月もすれば、梅、桃、木蓮だけでなく、近衛跡や出水の早咲きの枝垂れ桜が咲いているかもしれません。
近畿地方の桜の開花予想が発表され、京都は3月27日でした。
なんとも楽しみです。
特に近衛跡の桜は、私のお気に入りの場所です。

梅林の梅です。
まだほんの一部が咲いているだけです。











桃の花の蕾はまだ固いですが、ロウバイは咲いています。





木蓮、まだですね。
御所の白木蓮は大木で、見応えがあります。






私の好きな京都御所の景色です。






近衛跡の桜が咲き始めるのは、あと一月くらいでしょうか。
ここの桜が咲くと、京都市内の桜が咲き始めます。





京都御苑内は、砂利道で少し歩きにくいので、自転車の轍を歩きます。
自転車でここを通る人の多くが、走りやすい轍を走るため、砂利道が踏み固められ約30cm前後の写真のようになります。





母と子の森では、野鳥撮影をする人たちが集まっていました。





私が撮影できたのは、鳩と雀だけです。
雀だけ紹介します。






京都御苑から寺町通りに抜けます。
新島襄記念館です。八重の桜が放送され、一躍観光客が増えました。





京都市歴史資料館では、『愛宕信仰と山麓の村』が開催されています。
久しぶりに中に入ると、ちょうど係員による展示説明会が始まったところで、30名前後の方々が熱心に聞き入っていました。












寺町通りには画廊が何軒もあります。
そのうちの一軒に入りました。
現代洋画「てくてく」展という若い画家の作品を見ました。





寺町通りと言えば、下御霊神社、行願寺(革堂)も有名です。











今日のぶらり歩数は約12000歩でした。
















眼科受診

2014-02-21 06:01:19 | 定年後生活


最近また、眼がシュクシュクしだしたので、眼科を受診しました。
シュクシュクというのは、正確な表現ではないのですが、違和感を口で説明する際に私がつい出てしまうのです。





昨年退職後の4月半ば、突然鼻づまりと、眼の違和感に襲われ、不眠になるなど本当につらい思いをしました。
こういう症状は、現役時代は経験したことがありませんでした。

私はてっきり花粉によるアレルギー反応と思いましたが、耳鼻科や眼科などを受診し、さらに血液検査をしてもらった結果、スギなどの花粉症ではなく、ハウスダストに強い反応がでていました。ハウスダストが原因だったのです。

眼の方は、典型的なドライアイだということで、フルメトロン点眼液とジクアス点眼液で治療を開始しました。
ひどい時は、角膜炎症もおこし、痛い、つらい思いをしました。

それでも治療継続後、かなり症状が軽快し、昨年11月の眼科受診では、ジクアスを1日1回程度で様子見し、受診は2,3か月に1回でいいですよと医師から言われていました。

1月くらいまでは、順調でしたが、2月に入り、そろそろ眼科受診しなくちゃと思っていた矢先、目のシュクシュク感が出はじめました。

花粉かな、ドライアイの悪化かなと思いながら、数日フルメトロン点眼液とジクアス点眼液をこまめに点眼し、眼科を受診しました。

医師からは、相変わらずのドライアイで、引き続き両点眼液を点眼するように指示されました。症状が悪化すれば、受診し、そうでなければ、2,3か月おきの受診でいいですよとのことでした。


ちなみに、ドライアイは治らないようなので、対処療法するしか仕方ありません。

ところで、正月以降、外出した日は、何かしら眼の違和感を感じていました。
スギ花粉はその頃から飛来し始めたようですが、私はアレルギーの検査結果から、スギではなく、どこかの困った国から飛来するpm 2.5 の影響もあるのではと思っています。

なお、眼科では2,3か月くらいごとに、眼圧や視力検査をします。
わたしは、眼にピュッとする眼圧検査がどうも苦手です。
私は、検査をされる方に毎回、「苦手なんです」と言うのですが、毎回聞き入れてもらえず、今回もピュッとされました。

60歳を過ぎると持病以外にも、あちこちにガタがきだしました。
現職時代はトップでしたので、熱があろうが、体調が多少悪かろうが出勤しました。
知り合いの医師からは、退職して緊張感がなくなり、それまでの無理が一気にきたのかなと笑われています。

ハウスダストの方は、空気清浄機を設置し、レイコップも購入し、蒲団だけでなく、絨毯やソファーなどもこまめに掃除するようにしています。
その結果でしょうか、鼻づまりの症状はましになりました。





続『シャヴァンヌ』日曜美術館

2014-02-20 06:09:40 | 美術・博物館


前日の シャヴァンヌの続きです

シャヴァンヌの20代の画家をめざしていた頃の作品
「死の床にある母にルターの讃美歌を弾くジャン・カヴァリエル」1951






「アレゴリー」1848
細密に表現された人物。写実の技術を磨いていた頃の作品











イタリア旅行で後にシャヴァンヌに大きな影響を与える壁画に遭遇します。





サンタ・クローチェ教会





「聖痕を受ける聖フランチェスカ」ジョット
13世紀から14世紀に活躍した画家の壁画です。
フレスコ画特有の淡い色合いです。










この体験が シャヴァンヌの画風を大きく変えます。

シャヴァンヌの故郷にあるリヨン美術館に シャヴァンヌの作品があります。





縦4.6メートル、横22 メートルで3つの壁を飾る大作です。

「諸芸術とミューズたちの集う聖なる森」1884
女神たちが集う水辺の理想郷です。





「古代の光景」1885
古代ギリシャの生活を理想化した壁画です。







「キリスト教の霊感」1885~6
信仰と芸術がテーマです。






15世紀に活躍したラファエロと シャヴァンヌの違い

「アテネの学堂」1509~10




ラファエロのリアルな人体表現に対し、 シャヴァンヌは静止画のようで、表情もぼかしています。
またラファエロの遠近法に対し、 シャヴァンヌは平面的です。





こういう シャヴァンヌの描き方は、絵に静謐さをもたらし、世界が永遠に続く安心感を与えていると言います。
シャヴァンヌは多くの人に安らぎを与えたい願い、この壁画を描いたのです。


50代後半、壁画とは異なる1枚の絵を描きました。

「貧しき漁夫」1881





小さな舟の上で、痩せこけた漁師が祈るように頭を垂れています。
妻を亡くし、残された二人の子ども、貧しい暮らし。
手を交差させたその姿は、運命を受け入れたイエス・キリストを思わせます。


シャヴァンヌがこの絵を発表した当時は、パリは敗戦から復興を果たしていました。

美術の世界にも変革の波が押し寄せていました。
ルノワールやモネなど抽象画家が繁栄を謳歌する人びとや近代化するパリを描きます。

「ムーラン・ド・ギャレット」ルノワール1877





「サン・ラザール駅」モネ 1877






最後に シャヴァンヌ最晩年の作品

「眠るパリの街を見守る聖ジュヌヴィエーヴ」1898





かつて壁画でジュヌヴィエーヴの少女時代を描いています。
月明かりの下でパリの街並みを見つめるジュヌヴィエーヴ、何を思っているのでしょうか。


















『シャヴァンヌ』日曜美術館

2014-02-19 06:21:43 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、19世紀フランスを代表する画家、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824~1898)です。









シャヴァンヌは、パリ市庁舎やパンテオン、ソルボンヌ大学など、フランス各地に数々の壁画を描き、国民的な 画家として歴史に名を残しています。
シャヴァンヌが画家として活躍していた時代、フランスは、普仏戦争(プロシアとフランスの戦争)によって国家的な危機に見舞われました。
その中で、シャヴァンヌは、未来への希望を託した理想郷を描き、多くのパリ市 民を勇気づけました。

東京渋谷で日本で初めてのシャヴァンヌの展覧会が開催されています。
壁画の元となった油絵の作品など60点、 シャヴァン ヌ の生涯が一望できるようになっているそうです。





「幻想」1868
シャヴァンヌ42歳の作品、森の中で精霊が葡萄のツルでペガサスを捉えようとしている場面です。





シャヴァンヌの作品が多く収蔵されているピカルデイ美術館





シャヴァンヌの作品を展示する部屋





画家として認められるきっかけとなった作品
「戦争」1861、 シャヴァンヌ37歳
殺戮や虐殺になげき悲しむ人びとを描いています。






「平和」1861
戦争と対をなす、豊かな実りを謳歌する人びと、戦争さえなければ穏やかな暮らしを営むことができることを描いています。





1970年母国フランスとプロイセンの戦争が勃発、プロイセンの圧倒的な軍事力の前にフランスは屈辱的な敗北をします。
パリは壊滅的な打撃を受けます。





終戦から3年、国家プロジェクトが進められます。
多くの市民が集うパンテオンに、国の再建と平和を願い、フランスを代表する画家たちが選ばれ、数々の壁画を製作しました。





「聖ジュヌヴィエーヴの死」ジャン・ポール・ロランスの壁画
パリを侵略の危機から救った伝説の女性の亡くなる場面です。
人物も極めて写実的です。









一方、シャヴァンヌの作品は、同じ聖ジュヌヴィエーヴの死を題材にしましたが、ロランスの壁画と全く違うものでした。
生まれてから聖なるものとなるまでを描きました。

「揺りかごの中の聖人を見守る信念、希望、慈悲」1876





「祈る幼子 聖ジュヌヴィエーヴ」1876






「 聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」1877

クライマックス、一人の司祭が ジュヌヴィエーヴと出会い、特別な力に気づきます。





この壁画に心を奪われたのが若き青年ピカソです。





スペインからやってきた20歳のピカソは、この壁画の模写を続けます。
惹かれたのは、色使い。淡い色彩で霞がかっているように幻想的です。
当時は人物をどこまでもリアル描くのが主流のなか、表情も細かく描いていません。


その頃のピカソの作品
「海辺の母子像」1902

青の時代と呼ばれる淡い色彩、単純化された人物など シャヴァンヌの壁画に大きな影響を
受けたのがわかります。







今回は画像が多いので次回に続きます。



















早春の椿たち

2014-02-18 06:10:21 | 京都めぐり

日曜日、植物園に『早春の草花展』を見に行った際に「つばき園」に寄りました。
ここは、数多くの品種が植えられていて、一部が開花していました。

多くの椿好きや写真マニアの方々が写真におさめていました。

開花していた椿を御覧ください。

まずは「つばき園」の説明





雪中花






菊月






散姫





銀世界






加賀侘助






菊冬至






淡妙蓮寺








伊勢太白






千代田錦







野々市






桃色雪中花





五台山白






紅侘助
私の好きな品種です。侘助の名前の由来はさまざまあるようです。
文禄・慶長の役の際、侘助という人物が朝鮮半島から持ち帰ったからという説が有力かな?。






白侘助






太郎庵





赤花秋の山






絞臘月






沖の朝日






有楽
織田信長の弟の織田有楽斎が愛でた椿としてこの名がつき、お茶花としてよく使われます。春一番に咲くことから、関東では「太郎冠者」という名前で呼ばれています。







数寄屋






元日





いかがでしたか。
気に入った品種はありましたでしょうか。



















京都マラソンと早春の草花展

2014-02-17 06:11:27 | 京都めぐり


昨日の日曜日は、京都マラソンが行われました。
久しぶりに天気もよく、選手のみなさんは気持ちよく走られたのではないでしょうか。
今年で3回目ですが、 東日本大震災の被災地をはじめ、全国から約1万5千人以上のランナーが都大路を駆けぬけました。

毎年行われる高校生駅伝や女子駅伝のコースとは異なり、観光地を走ります。
マラソンに慣れている京都市民ですが、このマラソンばかりは大渋滞しますので、マイカーは自粛します。






仁和寺の前をランナーが走っています。(京都新聞より)






私は植物園北門の北山通りから撮影しました。












マラソン見物の後、毎年この時期に開催される植物園の『早春の草花展』を見て、一足早い春の草花を満喫してきました。

大芝生の一画に、大きなビニールハウスを建て、その中に春の花を展示しています。
1ケ月以上の開催期間がありますので、職員の方々は花の開花時期を調整したり、花の入れ替えも行っているそうです。

花の少ない時期ですが、こういうのを見ると華やいだ気持ちになります。





早春の草花の一部ですが、息抜きに御覧ください。

























フリージア






キンセンカ






ヒサメボンソウ






ラナンキュラス






ドイツスズラン






クモマグサ






ヒメコブシ






プリムラ・キューエンシス






植物園には梅園もあります。
ここの梅は全体的にこれからです。
咲き始めもありました。






ロウバイです。









雪の銀閣寺・法然院・安楽寺

2014-02-16 06:33:53 | 京都めぐり

昨日の嵐山渡月橋の続きです。
嵐山から一旦家に戻り、用事を済ませた後、今度は銀閣寺にでかけました。
着いたのはお昼頃ですが、いつもに比べれば観光客は少ないものの、修学旅行生と外国人の観光客が目立ちました。

写真はあまり人が写らないようにしていますので、閑散なイメージですが、結構多かったのですよ。


まずは総門です。





総門から中門への参道です。
生け垣と銀閣寺垣が特徴的です。









雪の銀閣です。
















雪が積もった向月台もいいものです。





展望所からの銀閣や東求堂や本堂






もう一度角度を変えて銀閣





鳳凰も雪が積もっています。





せっかくですので、法然院に足をのばすことにしました。
法然院は、京都市左京区鹿ヶ谷にある浄土宗系の寺院です。
私は、四季折々の茅葺きで数寄屋づくりの山門が気に入っています。
法然院の参道と山門です。
外国の御夫婦とお会いしましたので、少し会話しました。
beautiful, very beautiful を連発していました。





山門からの眺めです。絵画のようです。





四季折々、好きな法然院の景色です。
季節毎に白砂壇の模様替えあるのですが、今回は雪でわかりませんでした。











安楽寺です。
ここは紅葉が素晴らしいです。










最後に哲学の道の雪景色もお届けします。
さすがに雪のせいか、いつもより歩く人は少ないです。









雪の嵐山渡月橋

2014-02-15 06:05:31 | 京都めぐり

今年は一体どういうことでしょうか。
いつもに比べ、ずいぶん雪が降ることが多いように思われます。
この数年は京都市内で積雪はなかっただけに、少し驚いています。

寒いのは苦手ですが、どうしたわけか、この年代でも雪となると気分が高揚します。

起床時はミゾレでしたが、7時頃から少しずつ雪に変わりました。
10時過ぎに所用があるため、出掛ける予定はなかったのですが、雪を見て、それまでに帰ってくればいいと思い、急遽、嵐山にでかけました。

嵐山に着いたのは8時過ぎです。
まだ朝早いせいか観光客も少なく、店舗も閉まっています。

降り始めで、少し雪足らずですが、雪景色を御覧ください。





渡月橋から嵐山の眺望
雪で煙るような嵐山は風情があります。
















ここはいつも混雑して、このアングルが撮れないのです。






嵐山中腹の法輪寺です。
十三まいりの寺として有名で、数え年13の男 子、女子が智恵と福徳を授かるようにとお参りします。






定番スポットでの写真です。






観光船もひっそり






紅葉が美しい宝厳寺です。






紅葉も素晴らしいですが、雪の景色もいいと思います。





宝厳寺前の羅漢像です。
雪を盛った笠を被った羅漢さんです。





天龍寺です。





選仏場です。





蓮池で餌を探すサギを見つけました。










嵐山から帰って来て、わが家の前です。
9時半頃です。






いかがでしたでしょうか。

追加
今朝、羽生君の金メダルという嬉しいニュースで始まりました。
一方、東京や関東地方では、昨夜からの雪で大変になっていますね。
関東東北の皆さま、お気をつけてください。







史跡 平野御土居

2014-02-14 06:06:28 | 京都めぐり

先日、北野天満宮に行ったおりに、少し足をのばし、天満宮の北側に位置する「平野 御土居」を久しぶりに訪れました。
歴史好きな方にはたまらない史跡だと思います。

以前、御土居に興味をもった私は、現在も確認できる史跡御土居めぐりをしたことがあります。
もう、10年以上前になるでしょうか。


京都市のHPより

「御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が,長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として外敵の来襲に 備える防塁と,鴨川の氾濫から市街を守る堤防として,天正19年(1591)に多くの経費と労力を費やして築いた 土塁です。
台形の土塁と堀(堀の一部は川,池,沼を利用)からなり,その延長は22.5キロメートルに及び,東は鴨川, 北は鷹ヶ峯,西は紙屋川,南は九条あたりにそって築かれました。
土塁の内側を洛中,外側を洛外と呼び,要所 には七口を設け,洛外との出入口としました。鞍馬口,丹波口などの地名はその名残です。
江戸時代になると天下太平の世が続き,外敵の脅威もなく御土居は次第に無用の存在となり,また市街地が洛 外に広がるにつれ堤防の役割を果たしていたものなどを除いて次々と取り壊され,北辺を中心に僅かに名残をと どめるのみとなりました。
昭和5年(1930),市内に残る御土居のうち8箇所が,京都の沿革を知るうえに,また,広く我が国における都 市の発達をたどる重要な遺構として「史跡」に指定,昭和40年(1965)にさらに1箇所(北野天満宮境内)が追加 され,現在9箇所が指定地となっています。」









私が訪れた平野の御土居です。
ここは御土居とよくわかる場所です。
なかには史跡認定されてはいますが、これが 御土居?とわかりにくいのもあります。











説明板が立っています。





写真は北区にある「大宮御土居」です。





暖かくなれば、また 御土居めぐりもいいですね。










冬の仁和寺

2014-02-13 06:10:27 | 京都めぐり

先日、立春後の大寒波のある日、朝起きると小雪がちらついていました。
寒いのは大の苦手なのですが、雪景色が撮影できるかもしれないと、世界遺産仁和寺を訪れました。着いたのは8時半頃です。

仁和寺の長い参道や五重塔の雪景色、降り積もった御室桜などを期待していたのですが、着いた途端に期待はずれでした。

私は春、遅咲きの桜を見に毎年ここを訪れています。
仁和寺が世界遺産に登録されるずっと以前から、桜の下で酒席を設けて花見に興ずる光景はお馴染みでした。
町内会の花見会などもここで行われ、お酒まじりで町内の交流を深めたこともあります。
また、境内には出店もあり、軽食や飲食もできたのですが、世界遺産登録後しばらくして、酒席が禁止となり、出店も撤去されてしまいました。
世界遺産での酒席は「御行儀が悪い」ということでしょうか。
賛否両論ありますが、毎年楽しみにいていた市民にとっては、少し残念でした。

今回、雪景色になりませんでしたが、御覧ください。

二王門です。




二王門から中門を望む
雪が積もれば美しくなるのですが、、、、、。





少し雪の残る御室桜





画像がいまひとつですが、昨年の満開の御室桜です。





五重塔です。
最上屋根に少し雪があるのですが、写真ではわかりにくいですが。





御室桜と五重塔です。これも昨年の画像です。





金堂です。




経堂です。
屋根は雪で白くなっているのですが、わかりにくいですね。





苔や切り株に残る雪

















中門から見る二王門





中門の西方天





中門の東方天





最後に二王門の阿吽二王像です。










また雪が降れば、撮影にでかけますので、それまでお待ちください。



















『クリーブランド美術館展』日曜美術館アートシーン特別編

2014-02-12 06:23:59 | 美術・博物館


今日は日曜美術館アートシーンを紹介します。
現在東京国立博物館で『クリーブランド美術館展』が開催されています。











そこで展示されている一部の作品が、日曜美術館アートシーン特別編で紹介されました。





是非行ってみたい展示会ですが、会場が東京と福岡では遠くて、行けそうにありません。
非常に残念です。

敗戦後、多くの日本の美術品が海を渡りました。
世界のさまざまな美術館で、日本の美術品が展示されのはうれしい反面、日本国民が気軽に国内で見れないという、忸怩たる思いもあります。

今回は里帰り展示ですが、わが国の先人たちの素晴らしい絵画を是非、多くの人に見てもらいたいと願う次第です。

放送で紹介された作品を紹介します。

会場に入るとすぐ目にする作品

「伊年」印 雷神図屏風(江戸時代)、絵師の名前は不明です。
印から俵屋宗達の工房で作成されたものでしょうか。
宗達の国宝「風神雷神図」に似ていますね。










参考までに、建仁寺の国宝、俵屋宗達の『風神雷神図』です。






河鍋暁斎「地獄大夫図」(明治時代)















春屋宗園「霊昭女図」(室町時代)





クリーブランド美術館のコレクションの礎を築いたのは、GHQの美術顧問をつとめたシャーマン・リーです。





彼は、東洋美術の研究者として日本文化を理解し、平安から明治まで幅広いジャンルの作品を収集しました。






雪村周継「龍虎図屏風」(室町時代)
神業のような筆遣いで知られる異端の水墨画家
龍虎の表情に愛嬌があります。
























深江蘆舟「蔦の細道図屏風」(江戸時代)
伊勢物語より、東下りの一場面
馬をひく従者を待たせるのは在原業平。
峠でであった修行僧に都に残した妻への手紙をたくし、見送る場面です。










展示会ではもっと素晴らしい作品が見られることでしょう。
東京や福岡の方々には、見ておかれることをお薦めします。