京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

源氏物語「空蝉 中川の家」梨木神社

2014-09-19 05:20:53 | 京都めぐり

先日、萩の名所のひとつ、梨木神社の萩をお届けしました。
一部咲いていましたが、見頃には少し早いものでした。

今月20日~23日、「萩まつり」が開催されますが、
毎年大勢の方がお見えになり、境内はたいそう混雑します。
それで昨日、「萩まつり」前の景色をと思い、足を運びました。

前回より、萩の花の開花は進んでいますが、
全体的にはもう少し先のようです。

本殿前の景色





境内の様子をお届けしましょう。

























ここの「萩まつり」には、何度も訪れているのですが、
今回、恥ずかしながら、初めて社務所前の案内板に気付きました。
毎年、混雑していて、どうやら案内板に目が行っていなかったようです。

案内板には、梨木神社のあたりは、源氏物語の、
空蝉の住んでいた中川の家だと言うのです。
この神社のすぐ近くの盧山寺は、
紫式部の邸宅跡というのは知っていたのですが、、、。










その説明文を読むと、私はたちまち、
光源氏と空蝉の世界にひきずりこまれてしまいました。

源氏物語をお読みいただいた方には、お分かりと思いますが、
まだの方もいらっしゃるのではと思います。
そこで、お話の概略文を掲載しておきます。
京都の観光情報サイトからの引用したものです。


『中川の女 空蝉』
空蝉(うつせみ)は受領(ずりょう)の妻である。
受領とは地方官のことで、 貴族とはいえ身分は低い。
彼女は元々相当の身分の人で、天皇の妃となるはず の女性であった。
が、父親が死んで、一挙に勢力を失う。
入内の夢も破れ、現在 の境遇に甘んじている。
夫は伊予介(いよのすけ)で、光源氏の恩顧を受けてい る男。
老いているが日焼けし首太くたくましい。
得た空蝉を掌中の珠とし全身全 霊で「二心なく」愛しているのだけれども、
彼女には、その愛がうとましい。

といった状況の中、たまたまか意図的か不明であるが、
彼女が身を寄せていた 中川の宿に、
方違え(かたたがえ)にやって来た光源氏に踏み込まれる。
この 時、彼女は「際(きわ)は際」と強く言ったが、
光源氏は意に介さなかった。
「際」とは身分のことで、私は貴方の世界の人間ではないという意味である。
光源氏の行動は違っていて、貴女は私の世界の人である、
と言っているに等しい。
光源氏の行為は、空蝉の心の奥底を激しく揺り動かしたのであるけれども、
彼女 は受領の妻であるという屈辱の現実を変更しようとはしなかった。
娘時代に何故 光源氏に逢えなかったのか。
逢えたら一年に一度の七夕にでもなったのに。
時と 運命を心底恨みつつも、以後、厳しく光源氏を拒む。

光源氏は、その後二度やって来ている。
彼女の弟の小君(こぎみ)を味方にして、
遣水 (やりみず)の涼しい中川の宿を訪れる。
絶対秘密のスリリングでスキャンダラスな真夏 の夜の行動。
一度は、渡殿の女房達の中に身 を隠し、二度は近づく気配を察し、
寸前で衣 装を抜けだし下着で逃げた。
「空蝉」(蝉の 脱け殻の意味)と呼ばれるゆえんである。
二 度目の拒否は、「空蝉巻」という短い巻で強く語られている。
光源氏は業を煮や し、情に流されやすく従順な夕顔と出会ったこともあって、
強情な空蝉に腹を立 て、諦める。

空蝉の葉に置く露の木隠れて忍びしのびに濡るる袖かな

(空蝉の羽に置いた露は木の葉に隠れて見えません。
私もあの蝉のように人知れ ず涙で袖を濡らしています。)

むなしく独りこの歌を詠んだ空蝉の心の底。君知るや。
やがて空蝉は、夫に連 れられて任国伊予に去る。
そしてその後、夫が常陸の介となると空蝉も付いて関 東に行く。
そのころ光源氏は失脚、須磨明石に沈淪(ちんりん)していた。
二人 の距離はさらに開いたわけである。この光源氏暗黒時代に、
夫が大国である常陸 の介になり出世しているということは、
夫が光源氏を裏切ったということでもあ る。
空蝉を愛してやまぬ老いた夫は、 光源氏に殉じて、
落魄する道を断乎として選 ばなかったのだと想像される。
彼は死ぬ時、この空蝉を守るために、
この身は死 んでも魂を残しておきたいと思った。
老いた夫の「二心なき愛」。空蝉もって瞑 すべし、ではないか。

光源氏が政界に復帰し、石山寺にお礼参りにゆく。
同じころ常陸から京に帰る 空蝉一行と逢坂山の関所で出会う。
紅葉の美しい「関屋」。短いが印象的な巻 だ。
「関迎えに来ました」とわざとらしい冗談を光源氏は言い、
一行の中にいた 昔の小君を呼び出し久闊を叙する。
このあたりの光源氏の遣り口は、嫌味ったら しい。
言葉に「変わる心」をつかった者たちへの棘(とげ)がある。
が、空蝉に は、忸怩たる思いがあった。
自分の心は、流れて絶えないこの関のこの清水のよ うに、
昔も今も光源氏にあったのに。この心、君知らず。

夫に先立たれた後、空蝉は義理の息子の下心を知り、出家する。
その空蝉を光 源氏は自邸別院に引き取り、生涯世話をした。
彼は空蝉の心を知っていたのだろ うし、それよりも何よりも、
彼女がいるべき本来の世界に彼女を救いとったのだ と思う。

なお、中川の宿は、紫式部が住んでいたあたり。
空蝉には作者の面影があると よく言われる。

以上です。
今の世の中では、あり得ないように思いますが、
たまには、源氏物語の世界に想いをはせるのもいいものです。


家に帰り、庭をながめていますと、
ムラサキシキシブの実が色づいていました。