京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

祇園祭後祭巡行当日

2019-07-25 06:32:28 | 2019 祇園祭


昨日祇園祭後祭巡行9時30分、「祇園会」旗先頭で烏丸御池を出発です。





橋弁慶山
くじ取らずで後祭の巡行の1番目です。
弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿をあらわしています。
弁慶は鎧姿に大長刀を斜にかまえ、牛若丸は橋の欄干の擬宝珠の上に足駄で立ち片足を曲げ右手に太刀を持っています。
橋は黒漆塗で特に牛若丸の人形は足駄金具一本でこれを支えています。
弁慶と牛若丸の人形には永禄6年(1563)大仏師康運作の銘があり、また牛若丸の足の鉄串には天文丁酉(1537)右近信国の銘があります。














北観音山
「上り観音山」ともいわれています。
文和2年(1353)創建であることが町有古文書に記され、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置する曳山で、飾屋根を付けたのは天保4年(1833)です。
胴懸類は17~18世紀の花文インド絨毯を用いていたが、近年前後懸は19世紀のペルシャ絨毯、胴懸東面はトルキスタン絨毯と、西面はインド絨毯「斜め格子草花文様」の復元品に変えています。
巡行時に柳の枝を差出しているのは観音懺法にちなみます。






















鯉山
山の上に大きな鯉が跳躍しており、龍門の滝をのぼる鯉の奔放な勇姿をあらわしています。
前面に朱塗鳥居をたて山の奥には朱塗の小祠を安置し素盞鳴尊を祀っています。
山を飾る前懸、胴懸、水引、見送は16世紀にベルギー・ブラッセルで製作された1枚の毛綴を裁断して用いたもので、重要文化財に指定されています。
ベルギー王室美術歴史博物館の調査により、その図柄はホーマー作「イーリアス」物語の一場面で、トロイのプリアモス王とその后ヘカベーを描いたものといわれています。














八幡山
町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っています。
山の上の小祠は総金箔の美麗なもので天明年間(1781~1788)の製作といわれています。
前懸は慶寿群仙図で元禄3年(1690)に寄進されたものを昭和62年に復元新調したものです。
見送は日輪双鳳人物文様の綴錦と藍地雲龍文様蝦夷錦があり、欄縁の彫金飛鶴は河原林秀興作と伝えられ、朱塗鳥居の上には左甚五郎作の木彫胡粉彩色の鳩が飾られています。
美術品として海北友雪(1598~1677)筆の祇園会還幸祭図屏風(京都市指定文化財)を所蔵しています。









黒主山
謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主が桜の花をあおぎながめている姿をあらわしています。
山に飾る桜の造花は粽と同様に戸口に挿すと悪事が入ってこないといわれています。
前懸は萬暦帝即位の折の御服と伝えられる古錦を復元した五爪龍文様錦、胴懸は草花胡蝶文様の綴錦です。
見送は平成16年(2004)に牡丹鳳凰文様が復元新調されています。
平成12年に後懸の飛龍文様綿入刺繍が新調されました。















南観音山
「下り観音山」ともいわれています。
天水引は塩川文麟下絵の「四神の図」で近年復元新調されました。
下水引は加山又造の原画による飛天奏楽、見送は現在加山又造の「龍王渡海図」を使用しています。
平成22年には江戸時代より使用のインド絨毯後懸にかえて、イラン・ミリー工房製の「中東連花水辺に魚文様」の絨毯を購入。
そのほか17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシャ金銀絹絨毯の旧前懸や年紀のあるもので日本最古(1684)のインド更紗旧打敷などを保存しています。






























役行者山
山の御神体(人形)として役行者と一言主神と葛城神の三体を安置しています。
正面の洞に役行者が帽子・掛絡・経巻・錫杖を持って座し、葛城神は女体で手に台つきの輪宝を持ち、一言主神は鬼形で赤熊をかぶり手に斧を持っています。
水引は綴錦の名手とうたわれた西山勘七作の唐子遊図、前懸は牡丹胡蝶図と雲龍文様との三枚継ぎ、胴懸は雲龍波濤文様の綴錦、見送は金地唐美人図綴錦です。
山担ぎ手の法被は平成13年度に復元新調されています。














浄妙山
平家物語の宇治川の合戦から取材、治承4年(1180)宇治川の合戦に三井寺の僧兵筒井浄妙が橋桁を渡り一番乗りをしようとすると、一来法師がその頭上を飛び越え、「悪しゅう候、御免あれ」と前に進み出て先陣をとってしまったというものです。
御神体(人形)は一来法師が浄妙の頭上を飛び越える一瞬をとらえ木片の楔で一来法師の人形を支えています。
黒漆塗の橋桁にも数本の矢がささり戦さのすごさを示している。かつては「悪しゅう候山」とも呼ばれていました。
水引は波濤文様の彫刻、胴懸にはビロード織の琴棋書画図を用いていたが、昭和58・59年より、長谷川等伯原画の柳橋水車図にかえ、また、前懸・後懸は智積院所蔵の障壁画で、前懸は長谷川久蔵筆「桜図」、後懸は長谷川等伯筆「楓図」を原画として、平成18年・19年に新調。
見送はこの町に住んでいた本山善右衛門が苦心して織った雲龍文様の「かがり織」です。
浄妙坊が着用している黒韋威肩白胴丸は、室町時代の作で、重要文化財に指定されています。













鈴鹿山
伊勢国鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫尊)を、金の烏帽子をかぶり手に大長刀を持つ女人の姿であらわしています。
後の山には赤熊で象徴した悪鬼の首が置かれています。
前懸は平成元年新調、黄砂の道と称する駱駝の図。胴懸の平成11年新調の桜図綴織と平成13年新調の紅葉図綴織は共に今井俊満氏原画です。
見送は現在は昭和57年新調の染彩ハワイの蘭花を用いています。欄縁金具は山鹿清華下絵の四季花鳥文様です。





















鷹山
応仁の乱以前より「鷹つかい山」として巡行した山鉾のひとつです。
江戸時代に曳山となり、天明の大火で罹災、寛政年間に現在の「北観音山・南観音山」と同様の大屋根を持つ曳山として復活したが、文政年間1826年に大風雨により大破し、巡行を取りやめています。
その後幕末の蛤御門の変にて大半の部材が焼失。ただ、人形3体は焼失を免れ、後祭の宵山に居祭として、木彫の「鷹」「犬」と共にお町内にてお飾りしています。
2022年大屋根をつけた曳山として巡行参加を決定し、今年から「唐櫃巡行」として復帰しています。
見物の人から大きな拍手が起こりました。

























大船鉾




































祇園祭後祭巡行辻まわし

2019-07-24 16:57:43 | 2019 祇園祭


今日は祇園祭後祭のハイライト、山鉾巡行です。
山鉾は10基ですが、今年から文政9(1826)年の巡行以降休み山となっていた鷹山が唐櫃巡行で参加します。
巡行は烏丸御池から9時30分スタートです。
私が新町通りの山鉾町に着いたのは8時、各山鉾とも出発の準備は出来ていました。


南観音山
山鉾前で役員、曳き手、車方などが集まっています。
出発前の記念撮影をします。





北観音山
同じように準備万端のようです。






八幡山
ここも準備万端のようです。





私は辻まわしを行う新町御池に移動、撮影場所を確保します。

八幡山が来ました。





十数名の担ぎ手が山を持ち上げながら方向転換します。





小さな山鉾は簡単ですが、大きな山鉾はそういう訳にはいきません。





北観音山がやってきました。









これから方向転換します。





前の車輪の下に割竹を何枚も敷き、滑りやすくするためにその上に水をかけます。





音頭取りの掛け声で曳き手が車輪を滑らしながら山鉾全体を動かします。





この動作を3,4回繰り返します。















ほぼ辻まわし終えました。微調整は動かしながら車方がします。
南観音山もやってきました。





浄妙山が記念撮影しています。





黒主山も室町からやってきました。





烏丸御池付近には各山鉾が集まっています。















新町御池では南観音山が辻まわしです。





北観音山同様、割竹を車輪に敷き少しずつ動かします。













今度は大船鉾がきました。。










大船鉾も同じように辻まわしします。





鷹山も来たようです。





9時25分烏丸御池付近に全ての山鉾が集合しました。





前夜強い雨が降り、大雨洪水警報がでましたが、今日は朝から気温が上がり暑い巡行になりました。
京都市の最高気温は35.5度の猛暑。加えて近畿は梅雨明けしたそうです。
巡行本番の投稿は明日朝になります。



祇園祭 屏風祭

2019-07-24 05:32:51 | 2019 祇園祭


祇園祭は別名屏風祭と呼ばれています。
山鉾町の商家を中心に所有する屏風を一般の方に公開しています。
山鉾とはまた違う風情があり、宵山を盛り上げてくれます。

山本仁商店 : 室町通蛸薬師上ル(鯉山)

曽我物語図屏風
日本三代仇討ちに数えられる「曽我兄弟仇討」を題材にした『曽我兄弟』を描いた屏風です。
主人公曽我兄弟十郎祐成と五郎時致の若い兄弟の短く悲劇的な生涯が人々の共感を呼び、中世成立以来近世を通じて広く愛好され親しまれてきた説話文学。
右隻は建久四年(1193)源頼朝が開いた富士の巻狩りの場面





右隻 富士巻狩り






左隻 夜討ち






大日(株)三条通り新町下ル(八幡山)










奥井商店 : 三条通新町下ル(八幡山)















無名舎(吉田家)新町通六角下ル(北観音山)




































二階の絨毯















井ノ口家 : 新町通六角下ル(北観音山)










篠田商事(株)










藤井絞(株)新町通六角下ル(北観音山)





源平合戦





南観音山










祇園祭 舞妓さん夏の舞

2019-07-23 06:31:02 | 2019 祇園祭


22、23日の宵山は京都芸術センターで午後5時から『エコ屋台村』が開催されています。
京都市主催のリユース食器を用いた『もったいない屋台』です。















22日オープニングで宮川町の舞妓さんが夏の舞を踊りました。
動画ではないですが、踊りの雰囲気を皆様にも味わってもらいたいと思います。





















































踊り終えました。





花火柄のだらり帯





国立博物館のマスコット トラりんも来ました。





当日は夕方強い雨も降り、会場のグランドは水浸しです。





鯉山会所





「B.B」という文字が発見されたことで、現在のベルギー・ブリュッセルで1580年から1620年頃製作されたことが判明しました。
タペストリーは鯉山の周囲を飾るように大工のノミで裁断され、見送り等6つの懸装品に仕立てられています。
国の重要文化財に指定(昭和25年) 図案はトロイ戦争の1場面









鷹山の神体
右 犬遣い
中央 樽負い 樽を背負い手にちまき持つ
左 中納言行平 左手に鷹、右手に餌飼を持つ









祇園祭後祭宵々々山

2019-07-22 08:31:50 | 2019 祇園祭


昨晩は祇園祭後祭の宵々々山でした。
黄昏れに山鉾町をぶらり散策してきました。

橋弁慶山
五条の橋の上で争う牛若丸と弁慶の姿が特徴的山です。

























鯉山
山の中で唯一、人物でなく、魚をテーマにしたユニークな山です。
竜門の滝をのぼる鯉は竜になるという『登竜門』の故事に由来し、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様が表されています。
鯉は左甚五郎作といわれています。
















浄妙山
橋弁慶山に似て、アクロバティックな人形の姿が特徴の山です。









黒主山
謡曲「志賀」のなかで、六歌仙の1人、大伴黒主が桜を眺めるさまをテーマにしています。
杖をつき、白髪の髷(まげ)の翁の人形は、風格たっぷり、山を飾る桜の造花は、家に悪事を入れないお守になります。














役行者山
修験道の開祖・役行者一言主神を使って葛城山と大峰の間に石橋をかけたという逸話に由来しています。
役行者は庶民の中に入って医療などにつとめた僧で、古くから民衆に人気がありました。
役行者と鬼の顔の一言主神、葛城女神の三体の人形を御神体としており、人形の数が多いため山のサイズも最大のものとなっています。


































鈴鹿山
鈴鹿山は旧東海道の難所・鈴鹿峠です。
ここで人々を苦しめる鬼を退治した鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説に由来します。















鷹山
応仁の乱以前より巡行していたとされる由緒ある山鉾です。
文政9(1826)年の巡行で大雨に遭い懸装品を傷めたため翌年以降巡行は休み山となっています。
2022年の巡行での本格復帰を目指し、今年から八坂神社の祭神の名をしたためた掛軸を唐櫃に収めて巡行に参加します。










八幡山
「はちまんさん」とも呼ばれるています。石清水八幡宮が祀られている山です。
八幡神のシンボルは2羽の鳩です。










北観音山
応仁の乱の時代から隣町の南観音山と、1年交代で山を出していたといわれています。
通称は「上り観音」、御神体は楊柳観音像と韋駄天立像です。


























南観音山
「下り観音」とも呼ばれ、かつては後の祭の殿をつとめていました。
御神体は北観音山と同じく楊柳観音像と善財童子像です。







































大船鉾
占出山や船鉾と同じく『日本書紀』の神功皇后の新羅出船に由来します。
船鉾が「出陣」を表すのに対し、大船鉾は戦を終えて戻る「凱旋」の場面を表しています。
応仁の乱以前から存在する歴史の古い鉾です。
近づけば身動きが取れなくなるので、離れて撮影。











今日は宵々山、明日宵山で、明後日24日水曜日が巡行です。



北観音山、南観音山、大船鉾曳き初め

2019-07-21 08:51:29 | 2019 祇園祭


昨日は祇園祭後祭山鉾建ての三日目、午後3時から曳き初めです。
私は曳き初めの少し前に山鉾町にきました。

大船鉾

ほぼ飾り付けは最終段階、あとは曳き初めを待つばかりです。









南観音山

最後の飾り付け真っ最中です。




















北観音山

飾り付け最終段階です。

























午後3時、大船鉾、南観音山、北観音山が同時に曳き初めです。
どちらも道幅の狭い新町通りでの曳き初めになります。
私は今回北観音山の近くで曳き初め撮影します。

北観音山曳き初め

音頭取りの「エンヤラヤー」の掛け声に合わせ山が動きだしました。





目の前を曳き手が通っていきます。
曳き手の先頭は地元の幼稚園児です。






















すぐに南観音山がやってきましt。








































大船鉾

会所に帰ってくるところでした。















無名舎の屏風飾り















藤井絞(株)






最後の一枚
お願いして撮影させてもらいました。
祇園祭は人も犬も浴衣が似合います。










山鉾建て二日目の山鉾町 本日曳き初め大船鉾、北観音山、南観音山鉾、鯉山

2019-07-20 06:47:02 | 2019 祇園祭


昨日は祇園祭後祭山鉾建ての二日目でした
台風と梅雨前線の影響でしょうか、ほぼ一日雨が降り続いていました。
雨が弱まった昼すぎの山鉾町散策です。
なお今日20日午後3時には大船鉾、南観音山、北観音山が、午後4時には八幡山の曳き初めが行われます。

大船鉾
躯体の組立は最後に近いようで、屋根に取りかかっていました。
20日懸装品を飾り付け、午後3時には曳き初めが行われます。















南観音山
20日午後3時から曳き初めです。














真松の木がトラックで運ばれています。



































北観音山
ここも本日午後には曳き初めです。









真松の削り










屏風飾り





源平合戦 鵯越の坂落とし





源平合戦 屋島の戦い





鯉山
ここも20日午後4時が曳き初めです。














残りも21日には山鉾建てが終わります。
7月21日(日):宵々々山
7月22日(月):宵々山
7月23日(火):宵山
7月24日(水):後祭の山鉾巡行
前祭の宵山と違い、露店は出ません。また四条通りや烏丸通りの交通規制は行われません。







祇園祭後祭の山鉾建て初日 

2019-07-19 05:46:43 | 2019 祇園祭


17日祇園祭前祭の巡行が終わったばかりですが、昨日から後祭の山鉾建てがはじまりました。
祇園祭に前祭と後祭があるのがまだご存知ない方もまだおられますので、少し説明します。

山鉾巡行は町の邪気や穢れを山鉾で清め、八坂神社の神様が通る道を作るために行うものです。
17日前祭では八坂神社から神様の乗った神輿を四条通りの御旅所へお迎えし、24日後祭では逆に八坂神社にお神輿を帰す「神輿渡御」が行われます。これにあわせて、神輿が出る前にそれぞれ山鉾を巡行するのです。
以上のように元々は前祭と後祭に分かれていたのですが、1966年~2013年までは山鉾巡行は17日にまとめて行われていました。
理由は観光上の理由や警備や交通規制の理由があったようですが、本来の2度に分けて行うかたちに戻そうという動きが高まり、2014年からは元々のやり方に戻ったのです。

前祭は23基の山鉾が巡行しましたが、後祭は10基です。
加えて現在「休み山」の鷹山が2022年の巡行復帰を目指し、八坂神社の掛け軸を唐櫃に収めた「唐櫃巡行」を今年から行うことになりました。
鷹山の最後の巡行は江戸時代1826年です。

私は昨日昼すぎに山鉾町にでかけ、山鉾建て初日の山鉾町歩いてきました。


大船鉾
「蛤御門の変」(1864)の大火で懸装品の多くを焼失、以来150年「休み鉾」になっていましたが、平成26年復帰しました。






















鷹山のTシャツを着た方が見学しています。





南観音山









北観音山は本日からのようです。
山鉾が建つ新町通りは、上質な京町屋がまだ残っています。
通りには高張り提灯が立ち並び、祭の雰囲気を盛り上げています。









格子と町家の軒先の壁に寄せて折りたたむことができる「ばったり床几」もあちこちで見られます。





吉田家(無名舎)の二階も開けられました。





ここが北観音山の会所で、この前に山が建ちます。





このあたりは江戸時代三井両替店がありました。





八幡山
会所の中で山建てが行われていました。









この町内の商家は玄関幕が多く取り付けられています。















旧川崎家住宅(紫織庵)京都市有形文化財
上質な町屋が公開されていましたが、昨年休館しました。






室町通りの誉田家源兵衛店
「祇園会無病息災と誉田家源兵衛281年を慶ぶ 281匹の鯉たちが時空を舞う」










鯉山の会所






京都芸術センターで後祭の宵山に「エコ屋台村」が開催されます。
初日舞妓さんも来ます。










商家ではヒオウギを生け花にする風習が残っています。





四条通りでは月鉾の解体中でした。
本来は17日の巡行の後直ちに解体してしまうものですが、残ってしまったようです。










祇園祭前祭山鉾巡行 Ⅱ 本日より後祭山鉾建てはじまる。

2019-07-18 06:43:47 | 2019 祇園祭


昨日の祇園祭前祭巡行の続きです。
前祭巡行は23基です。

鶏鉾
鶏鉾は中国・尭の時代は天下がよく治まり、訴訟を求める際に叩く太鼓が用無しとなり、その太鼓に鶏が巣をつくったという史話『諫鼓』に由来しています。
雄鳥で飾った天冠は非常に豪華で、大人びた顔立ちの稚児人形はとても印象的です。
前懸のペルシャ絨毯、胴懸の草花文様インド絨毯は、近年復元新調されています。
見送は有名な毛綴で近年の調査によるとトロイの皇子へクトールが妻子に別れをつげる図であるという。
この見送は、6世紀頃ベルギーで製作、江戸時代初期に輸入されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されています。























白楽天山
唐の詩人・白楽天と道林禅師が問答している場面を現している白楽天山。
前掛けは16世紀にベルギーで制作されたトロイ城の陥落が描かれたタペストリー、胴掛けには18世紀にフランスで制作された『女狩人』が使用されています。
白楽天は高名な詩人で有能な官僚であることから、悪疫除けと学業成就のお守りが授与されます。










四条傘鉾
応仁の乱以前の古い山鉾の形態を持つ四条傘鉾は、明治4(1871)年以降長く途絶えていましたが、昭和60(1985)年に114年の時を経て再興されました。傘の上に赤幣と若松が飾られているのが特徴で、この傘の下に入ると厄よけのご利益になるといわれています。山鉾巡行では、地元小学生16名が棒振り踊りを披露します。














孟宗山
呉の国の孟宗が病気の母が欲しがる筍を雪の中から奇跡的に掘りあてたという中国の故事から、別名「筍山」とも呼ばれています。
ご神体は左手に鍬、右手に筍を持ち、喜んで筍を持ち帰っていく姿が表現されています。
こちらでは、親孝行の護符が授与されます。









月鉾
鉾頭に「三日月」をつけていることから「月鉾」と呼ばれ、山鉾の中で最も背が高く、さらに重量も12トンを超える最も重い鉾。
真木の中ほどの天王座には、夜と水徳の神であった月読尊がまつられています。
装飾が細部にいたるまで素晴らしく、天井の帖扇面散図など、その絢爛豪華さから動く美術館と讃えられています。
























山伏山
昔、八坂の法観寺の塔が傾いた際に法力によって戻したり、亡くなった父を祈祷によって蘇らせるなど、数々の言い伝えが残されている浄蔵貴所をご神体としています。
ご神体が山伏の姿をしていることから、「山伏山」と呼ばれています。













占出山
神功皇后が海外出兵の際に「肥後国松浦川で鮎を釣って戦勝の吉凶を占った」という故事に由来する「占出山」。
別名「鮎釣山」ともいわれています。
ご神体に神功皇后をまつられ、出兵中に懐妊していた神功皇后は、凱旋後、無事に出産したことから、安産の神として昔から知られ、会所では安産祈願のお守りや腹帯の授与されています。
占出山の巡行順番が早いと、その年のお産は安産だといわれています。









霰天神山
永正年間(1504~1520年)に京都で大火が起き、霰(あられ)が降り、たちまちにして火が消化しました。
霰と一緒に一寸二分(約3.6cm)の天神像が降ってきて、その像をおまつりしたことが「霰天神山」のはじまりとされています。
別名「火除天神」ともいわれ、火除けの神様として信仰を集めています。





放下鉾
街角で芸をしながら説法をといた放下僧の像をまつることから、「放下鉾」と付けられました。
鉾頭は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その形が洲浜に似ているため「すはま鉾」とも呼ばれます。
以前は生稚児が乗っていたが、操りの稚児人形「三光丸」となりました。巡行では、3人の人形方による「三光丸」の稚児舞が披露されます。


















辻まわしに使う竹










岩戸山
天岩戸を開いて、天照大神の出現される日本神話『天の岩戸』にちなんだ山です。
山ではありますが、室町時代ですでに鉾と同じ車輪のついた曳山です。
山である証拠に、鉾頭には松を立てている。屋上には天照大神を含め、3体の御神体がまつられています。
18世紀にインドで製作された胴掛、後掛の緞通も名品です。































巡行最後の船鉾
『日本書紀』に記される神功皇后の説話に由来する鉾で、別名「出陣の船鉾」と呼ばれています。
鉾全体が船の形をしており、舳先には瑞鳥である金色の鷁、船尾には黒漆塗青貝螺鈿細工の飛龍文様の舵がついています。
神功皇后は妊娠中に戦に出陣し、先勝した後に無事、皇子を出産したことから安産の神とされます。






























今日、明日は梅雨前線と台風の影響で雨続きのようですが、祇園祭後祭は雨の中でも山鉾建てが行われます。
山鉾建ての日程は以下の通りです。
 7月18日 南観音山、大船鉾
 7月19日 北観音山、鯉山
 7月20日 浄妙山、黒主山、役行者山、鈴鹿山、八幡山
 7月21日 橋弁慶山
宵山ば21日~23日です。
前祭のような露店は出ず、宵山本来の風情が楽しめて、私は後祭のほうが好きです。
巡行は7月24日になります。







本日祇園祭山鉾巡行

2019-07-17 17:23:05 | 2019 祇園祭


今日は祇園祭がはじまって1150年、令和初の山鉾巡行です。
午前9時過ぎ、長刀鉾を先頭に山鉾23基がくじ取り式で決まった順番に四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通を巡行します。
山鉾巡行では神の使いとされる長刀鉾稚児が四条麩屋町に張られた注連縄を太刀で切り、神域との結界を開放して進みます。
稚児は稚児舞(太平の舞)を披露し、山鉾巡行のルートを清め祓い疫病の退散を祈願、囃子方がある山鉾は山鉾巡行中に祇園囃子を奏でます。
巡行途中、四条河原町・河原町御池・新町御池の交差点でしも行われます。
今年の前祭巡行の順番は長刀鉾・蟷螂山・芦刈山・木賊山・函谷鉾・郭巨山・綾傘鉾・伯牙山・菊水鉾・油天神山・太子山・保昌山・鶏鉾・白楽天山・四条傘鉾・孟宗山・月鉾・山伏山・占出山・霰天神山・放下鉾・岩戸山・船鉾です。
今年私は烏丸御池で見学、撮影しました。

長刀鉾
鉾頭に疫病邪悪をはらうとされる、大長刀をつけている長刀鉾。
この大長刀、元は三条小鍛冶宗近が娘の病気の回復を祈願して八坂神社に奉納されたものだと伝えられています。
現在では生稚児が乗る唯一の鉾として知られ、古来より「くじ取らず」の鉾として、巡行では必ず先頭を歩く大役を担います。
前懸はペルシャ花文様絨毯、ペルシャ絹絨毯(古)、胴懸には中国玉取獅子図絨毯、十華図絨毯、梅樹図絨毯、中東連花葉文様インド絨毯など16世紀~18世紀の稀少な絨毯が用いられていたが、現在はその復元品を使用。
見送は雲龍波濤文様綴織が平成17年に復元新調されている。平成20年度に下水引全面の新調が完了しました。













蟷螂山
蟷螂とは「かまきり」のことで、別名「かまきり山」と呼ばれています。
「蟷螂の斧を以って隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事にちなんだ山で、からくり仕掛けのかまきりが御所車の上の屋根に乗り、羽を広げ首やカマを動かす姿に人気があります。
宵山ではかまきりがくるりと回って占う「からくりおみくじ」が設けられ、おみくじを引きに毎年多くの人が訪れます。
祇園祭の山鉾としては、唯一のからくりが施されており、前懸、胴懸、見送は共に羽田登喜男作の友禅で、瑞苑浮遊図などです。















芦刈山
故があって妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会を果たす謡曲『芦刈』にちなんだ山です。
こちらの会所では、夫婦和合、縁結び、再縁を願う木札が授与されます。
ご神体の衣装は山鉾の中でも最も古く、重要文化財にも指定されています。
現在の前懸と見送は山口華楊原画の段通「凝視」(1986)と綴織「鶴図」(1985)、胴懸は尾形光琳原画の「燕子花図」(1994)。

















木賊山
世阿弥の謡曲「木賊」に由来し、信濃の国で子どもをさらわれた翁が、独りで木賊を刈る様子を表しています。
そのためご神体は悲しげな表情をしていることも特徴です。
また腰に蓑をつけ、右手に鎌、左手に木賊の束を持っています。ここでは、「迷子除け」のお守りが授与されます。
前懸は唐人交易図刺繍、左右の胴懸は平成11~13年に復元新調した中国故事人物図の綴織、見送は中国明代の牡丹双鳳文様綴錦です。














函谷鉾
くじ取らずの鉾として長刀鉾に次ぎ2番目に巡行します。
古来中国、斉の孟嘗君が函谷関で家来に鶏の鳴き真似をさせ、難を逃れた史話から「函谷鉾」と付けられました。
鉾頭に三日月と山形、真木の中ほどに孟嘗君と鶏がまつられています。
また函谷鉾が、天保10(1839)年に始めて人形稚児を用いた鉾としても知られています。
前懸は旧約聖書創世紀の場面を描いた16世紀末の毛綴で重要文化財を平成18年復元新調。水引は山鹿清華作の手織群鶏図、胴懸は梅に虎を織り出した17世紀李氏朝鮮絨毯、花文様インド絨毯、玉取獅子図中国絨毯の三枚。見送は古く弘法大師筆と伝える紺地金泥の金剛界礼懺文と天保年間(1830~43)にこれを模織した立派なものがあるが最近に皆川泰蔵作「エジプト天空図」を新調。





















郭巨山
中国の史話『二十四孝』のひとり郭巨は、貧しさのあまり年老いた母と幼子を養うことができませんでした。
苦渋の決断の末、幼子を捨てようと穴を掘ったところ、黄金の釜を掘り当てたことで、家族は円満に暮らすことができたのだとか。
そのことから、別名「釜堀り山」といわれ、金運招来の山とされています。
紺地に神紋の日覆い屋根を用い、他の山と違う特徴があります。









綾傘鉾
山鉾の非常に古い形態を残す傘鉾の1つで、大きな2つの傘と棒振り囃子が特徴です。
巡行では6人の公家風装束をまとった稚児と棒振り囃子の行列が先導し、赤熊をかぶり棒を持った踊り手がお囃子に合わせて、疫病退散の「棒振り踊り」を披露します。





































伯牙山
中国・周時代の琴の名手・伯牙が理解者であった友人の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事『知音』にちなんだ山。
ご神体はまさかりを持ち、琴を割ろうとしている姿を現しています。
その様子から、明治期まで「琴割り山」と呼ばれていました。











菊水鉾
菊水鉾は町内金剛能楽堂にある「菊水井」という井戸に由来しています。
金色の十六菊が付けられた鉾頭、菊の露を飲んで700年生き続けているという枕慈童で能装束姿の稚児人形、山鉾で唯一、唐破風造りの大屋根を持つなどの特徴があります。
創建当初より菊水井のゆかりから会所ではお茶会(7月13~16日)が催されます。

























油天神山
油小路綾小路通りにあることから、油天神山」と付けられました。
金色の社殿には天明の大火後に町内の復興に尽力した風早家伝来の天神像がまつられ、別名「牛天神山」と呼ばれています。
御神体の菅原道真にちなんで、宵山では学問成就のお守りが授与されます。













太子山
聖徳太子が四天王寺を建てる際に、自ら良材を求めて山中に入り、大杉の霊木を教えられ、京都に六角堂を建てた伝説に由来します。
他の山は真木に松を使いますが、太子山は伝説にもとづき、真木に杉が使用されています。
宵山の期間は、「杉守り」と「知恵守り」が授与されます。









保昌山
古くは「花盗人山」と呼ばれていました。
保昌山のご神体である平井保昌は、恋する和泉式部のために紫宸殿前の梅を一枝折り、持ち去ろうとしたところ、武士に発見され、矢を放たれながらもようやく逃げ帰ったという。
ご神体はその盗み去る姿を現しています。宵山では梅の花をあしらった縁結びのお守りなどが授与されます。















画像が多いので残り11基は明日朝の投稿にします。
後祭は一週間後の23日が巡行です。












昨晩の祇園祭宵山

2019-07-16 15:08:19 | 2019 祇園祭


昨晩は宵山、正確には宵々山でした。
15、16日は四条通りや烏丸通りも車の通行が規制され、歩行者天国になります。
昨日の日の入りは19時11分ですが、私は18時半から20時過ぎまで行ってきました。
山鉾のある四条通りも縦の通り(室町、新町、西洞院)、横の通りも片側一方通行です。
15、16日は室町や新町、西洞院に露店も出て、その通りは全く身動きが出来なくなります。
私は混雑回避を優先し、四条通りだけの移動にして、望遠レンズで山鉾撮影しました。
撮影山鉾は23基中11基です。










時間を戻し、18:30 四条綾鉾からスタートします。





郭巨山





放下鉾





函谷鉾





月鉾





菊水鉾





鶏鉾





函谷鉾駒形提灯





19時 函谷鉾、月鉾、郭巨山、四条綾傘





長刀鉾






函谷鉾、月鉾、郭巨山
凄い人出です。四条通りは人で埋め尽くされています。





孟宗山(烏丸通り)
烏丸通りも人で埋まっています。





長刀鉾





長刀鉾の囃方





19:20 長刀鉾
日が落ち、暗くなりはじめました。





京都タワー






函谷鉾、月鉾、長刀鉾、郭巨山、四条綾傘






函谷鉾














鶏鉾










菊水鉾





月鉾駒形提灯





月鉾、函谷鉾、長刀鉾






放下鉾





郭巨山、四条綾傘





郭巨山





螳螂山





四条綾傘






20時過ぎ 四条綾傘、郭巨山、月鉾、函谷鉾、長刀鉾の5基揃い踏み











油天神山





最後20時過ぎ






昨晩は少し蒸しましたが、気温も低く、とても楽な宵山でした。
昨年はこの時期、連日38.5度以上の猛暑続きでしたが、昨晩は25、26度ではなかったでしょうか。
今夜の宵山も雨が降らなければ人出は多いと思います。





祇園祭を彩る玄関幕・暖簾・提灯 Ⅱ 屏風飾り、山会所懸装品

2019-07-15 20:26:59 | 2019 祇園祭


祇園祭を彩る玄関幕・暖簾・提灯の続きです。




この商家は屏風公開です。










吉田家(無名者)
見学できる数少ない京町屋です。
ここの山鉾は後祭です。





年季が入った暖簾です。



















霰天神山会所











中華料理店「膳處漢(ぜぜかん)ぽっちり」が祇園祭前祭期間のみ販売するしみだれ豚饅です。
大人気のようで、凄い行列に大変驚きました。






























































南観音山高張り提灯















新町通り









螳螂山提灯





郭巨山会所





山伏山会所
雨が降っています。





雨宿りで占出山会所に




















祇園祭を彩る幔幕・暖簾・提灯 Ⅰ

2019-07-14 17:54:59 | 2019 祇園祭


祇園祭の主役は山鉾ですが、もう一つ華を添え雰囲気を盛り上げるのは商家の幔幕(玄関幕)や暖簾、提灯です。
玄関幕や提灯(高張り提灯)には各山鉾共通の紋が入っています。
今年は幔幕、暖簾、提灯を少し取り上げたいと思います。

四条町大船鉾会所





音布工房





玄関幕と高張り提灯がでました。





長江家住宅
宵山の期間中、屏風祭が行われます。





提灯が加わると一層華やかになります。





太子山の会所にも幕が張られ、高張り提灯が出ます。









開業医のビルも幕と高張り提灯





芦刈山の会所のようです。










この店も提灯がでました。





杉本家住宅の玄関幕と高張り提灯





町屋も高張り提灯立ちました。
宵山には非常に良い雰囲気になります。





高張り提灯が立ち並んだ新町通り










最近建ったホテルも祇園祭に参加しています。










この商家の暖簾が気になりました。





初代 竹田城主とあります。





小島家






































祇園祭宵山前日 駒形提灯、ちまき売り

2019-07-14 08:20:36 | 2019 祇園祭


昨日昼過ぎの山鉾町です。

長刀鉾
宵山の風物詩、暗闇に浮かび上がる駒形提灯も取り付けが終わりました。
鉾ごとにこだわりがあり、形や大きさ、デザインは様々です。
後は14日~16日の宵山を待つばかりです。










ちまき売り
特に長刀鉾のちまきは人気があり、買い求める長い行列ができています。
ちまきは笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りです。
京都では多くの人がちまきを買い、一年間玄関に飾ります。









函谷鉾
ここも駒形提灯が取り付けられ、ちまきが売られています。









鶏鉾
宵山の準備完了のようです。





菊水鉾
ここも同様です。





放下鉾
もう少しで鉾建て終わります。
この後曳き初めが行われ、駒形提灯が取り付けられます。










月鉾
ここも宵山の準備完了です。ここの駒形提灯は私のお気に入りです。
ここもちまきは人気で買い求める行列が出来ていました。










船鉾
もう少しで鉾建てが終わります。




















岩戸山
ここももう少しで山建てが終わります。















舞妓さんです。見学でしょうか。





綾傘鉾
駒形提灯まだです。





会所に御神体が公開されています。





白楽天山





会所では御神体、懸装品が公開されています。




















太子山










町内の方々で会所の飾り付けをしています。






油天神山





芦刈山





木賊山
山建ての真っ最中です。





郭巨山
あとは駒形提灯が取り付けられれば終わりです。









祇園祭前祭の巡行は23基ですが、14日からはじまる宵山までには全ての山鉾が完成します。



祇園祭 鉾曳き初め

2019-07-13 05:56:18 | 2019 祇園祭


昨日は山鉾建て三日目です。
長刀鉾、函谷鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾の鉾建てが終わり、午後二時から鉾の曳き初めが行われます。
曳き初めは車の試運転のようなもので、本番さながらに飾り付けし、短い距離を動かします。
本番の巡行は一般の人は曳くことはできませんが、曳き初めだけは一般の人、観光客も参加できます。
私は午後1時過ぎに山鉾町に行ってきました。

長刀鉾

最後の飾り付けの最中です。


















































鶏鉾も最後の飾り付けです。
































月鉾






























菊水鉾も最後の飾り付けです。


























函谷鉾

飾り付けが終わり、曳き初め直前です。
囃し方が鉾に乗り込んでいます。





















曳き初めに参加する方々










曳き初めスタートです。









四条烏丸まで行きます。













今度は戻って室町通りまで動かします。



















皆さん頑張って曳いています。


































室町通り到着、最後は会所まで戻って終了です。
























会所に到着しました。函谷鉾の曳き初め終了です。
私はここまでで退散します。
この後、鶏鉾、菊水鉾、月鉾、最後に長刀鉾が行われます。

13日、14日には前祭に参加する23基の山鉾建てが終わり、14日~16日までは宵山です。

長刀鉾、函谷鉾、菊水鉾、月鉾、鶏鉾、放下鉾、岩戸山、船鉾、山伏山、孟宗山、大子山、郭巨山、保昌山、脂天神山、四条傘鉾、蟷螂山、伯牙山、木賊山、霰天神山、白楽天山、芦刈山、占出山、綾傘鉾です。