京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

冬の嵐山散歩、風情を楽しむつもりが

2014-01-31 13:17:12 | 京都めぐり

先日、初めての確定申告(還付請求)に行った日、真冬とは思えない暖かい陽射しに、急きょ散歩の足を嵐山までのばしてみようと思い立ちました。

1月真冬の平日ですから、観光客も少ないだろうし、のんびりと静かな嵐山の風情でも味わいながら散策しようと思った次第です。

ところが、渡月橋に着いた途端、観光客の多いことにびっくりです。
あちこちで外国語が飛び交っています。

渡月橋から嵐山





昨年の台風による災害で傷んだ護岸の修復工事が行われています。





散歩は、渡月橋から亀山公園を通り、大河内山荘前から常寂光寺、落柿舎、二尊院、清涼寺という、私の定番コースの予定で考えました。

途中、時雨殿 で『百人一首を彩る女流歌人たち』が開催されていましたので、立ち寄りました。
















この企画展は、百人一代表する女流歌人・小野小町を取りあげ、近世に描かれた華麗な歌仙絵や小町伝説の絵画などが展示されています。





さすがに亀山公園の方は観光客が少ないのですが、大河内山荘あたりで観光客の多さに驚きです。
竹林は修学旅行生、外国人の集団でいっぱいです。
さすがに観光シーズンのような混雑さではないものの、静かに風情を楽しもうとした思惑は完全にはずれ、定番コースは諦め、竹林を通り、帰途につきました。



















どうも行き先を間違えてしまったようです。
広沢池か北嵯峨方面の方がよかったかもしれません。
こちらは、観光客は少ないので、本来の嵯峨野の風情が味わえます。


こんど菜の花が咲き始める頃にチャレンジすることにします。







初めての確定申告(還付請求)

2014-01-30 06:43:55 | 定年後生活

昨日、退職後初めての確定申告(還付請求)に税務署に行ってきました。
働いているときは、年末調整書類を会社に提出していましたが、退職後は全て自分でしなければいけません。

必要な書類は、昨年3月まで働いていた会社の源泉徴収、これはだいぶ前に送っていただいていました。
次は年金の源泉徴収、これは1月の中旬に郵送で送られてきました。
あとは、昨年退職後に予期せぬ病気や持病の悪化などで医療費が10万円を越えましたので、医療窓口負担金等の資料です。
この資料は事前に税務署でいただいておりました。
医療機関ごとに整理し、合計金額を記入すればおしまいです。

あとは、すでに届いている生命保険料や、退職後の任意継続保険料の納付証明書を持って税務署に向かいました。

税務署の別館の申告会場に入ると、既に何人かの方が手続きの順番を待っています。
10分ほど待ちましたら、私の順番が来ました。
税務署の職員の方に、持ってきた資料を見てもらい、電子申告コーナーに行きます。
そこでも職員の方が、親切に入力方法を教えていただきました。
パソコン入力は慣れていますので、難なく終了です。

職員の方から、重要書類と書かれた「利用者識別番号等の通知」と「平成25年分の申告書類(兼送付書)控え」を受けとり、手続きが終わりました。

待時間も含めて30分位だったでしょうか。
もっと時間がかかるものと思っていたのですが 、意外とスムーズでした。

今年は、還付金が12万円を越えました。
思わぬ金額に思わずにんまりしていまいました。
払いすぎていた税金を返してもらっただけなのですが。






団塊スタイル『資格を取ってよかった』を見て

2014-01-27 07:48:17 | 団塊スタイル


今回の団塊スタイルは、『資格を取ってよかった』です。





最近専門学校で、定年を前にしたシニアの方が目立つようになってきたそうです。
めざす資格は、社会保険労務士、社会福祉士、日本語教師などさまざまです。





定年後の人生を前に、まずは資格を手に入れようという訳です。

番組が行ったアンケートでも、資格に興味のある人は65%ありました。
取得の理由は以下の通りです。





お金目的が一番多いのかなと思っていましたが、結果は意外でした。


番組は資格を習得して、退職後に違う分野にチャレンジしている人たちを紹介しましす。

一人は、55歳の定年後(生命保険会社)に美容師の資格を取り、高齢者 の“訪問美容”をやっている57歳の女性の方です。資格を取るまで大変ご苦労されます。
高齢者施設を訪問者し、髪をカットします。料金は1800円です。
御高齢の女性の方がカット後に見せる笑顔はとても印象的でした。





もう一人は、人や森林インストラクターの資格習得後、学問を深めて農学博士の学位を取得、地域 の森林を守る活動を行っている69歳の男性です。





69歳とは思えないほど若々しく、エネルギッシュな方で驚きました。

放送を見て、私のことを振り返ってみました。
私は昨年3月末に60歳で定年退職する前、雇用延長するか考えましたが、雇用延長せずにそのまま退職を選択しました。

さらに、新たな資格を取ったり、別の業種の仕事につくという選択肢もまったくなく、アルバイトも考えませんでした。

私は新たな仕事にも就かず、アルバイトもせず、まだ働いている妻をサポートすることだけにしました。
長い間、家事や子育て一切を妻任せにしてきたという負い目があったのです。

でも妻も、今年一杯で定年を迎えます。
しばらくは、お互いの趣味を尊重しあい、二人で旅行などして過ごすつもりでいます。

お互いの定年後の生活が落ち着いたら、私にはやってみたいことがあります。
妻には話をしたことがあります。

みなさまには、
笑われるかもしれませんが、それは、禅寺の庭の清掃です。
剪定などはプロの庭師でないとできないですが、雑草とりくらいはできそうです。
いつか、禅寺の住職さんにお願いしてみようと思っています。




堂本印象『美の足音』、『浅井忠の持ち帰ったポスター』展

2014-01-26 07:07:54 | 美術・博物館

京都市北区、衣笠山を背にして堂本印象美術館があります。





立命館大学衣笠学舎の真向いにあり、ひときわ異彩を放っています。










その名前のとおり、個人美術館でしたが、印象の没後に京都府に寄付され、現在京都府立堂本印象美術館となっています。

ここへは以前、気に入った企画展のときに何度か足を運んでいますが、今回、『美の足音』展と『浅井忠の眼ーパリの街角を飾ったポスター』展が同時開催されていましたので行ってきました。





堂本印象(どうもと いんしょう)美術館HPより

明治24年~昭和50年(1891-1975) 明治24年京都生れ。本名三之助。明治43年京都市立美術工芸学校を卒業後、しばら く西陣織の図案描きに従事し、大正7年、日本画家を志し て京都市立絵画専門学校に入学。翌8年、初出品した「深草」が 第1回帝展に入選した。第3回展では「調鞠図」で特選、また、第6回展の「華厳」では帝国美術院賞を受賞するなど一躍画 壇の花形となった。絵画専門学校の教授として、また私塾東丘社の主宰者としても多くの後進を育成、昭和19年、帝室技芸 員となった。 戦後は、独自の社会風俗画により日本画壇に刺激を与えた。昭和25年、芸術院会員。さらに昭和30年以降は抽象表現の世 界に分け入り、その華麗な変遷は世界を驚かせた。多くの国際展にも招かれ、昭和36年には文化勲章を受章した。 昭和41年、自作を展示する堂本美術館を自らのデザインにより設立。また、様々な技法を駆使しあらゆる画題をこなす画 才は、各地の寺社仏閣の障壁画においても発揮され、多くの作品を残した。昭和50年9月逝去、83歳。 なお、美術館は平成3年8月にその所蔵作品とともに京都府に寄贈され、平成4年4月京都府立堂本印象美術館として開館し 今日に至っている。


今回の企画展、『美の足音』は、堂本印象が1952年の半年ヨーロッパを訪れ、パリを中心にローマ、フィレンツエ、スペイン、ドイツ、スイスにまで足をのばし、多くのスケッチを描いていますが、それらの作品が展示されています。

鉛筆画、水彩画、インク画、油彩などですが、60年以上前のヨーロッパの街並みや人物など、なかなか見ごたえのある作品が多かったです。


































同時開催の『浅井忠の眼』ですが、浅井忠は1900 年のパリ万博を機に2年間フランスに留学したとき目にしたアール・ヌーボーに興味を示し、京都高等工芸学校図案科の教材用にパリから持ち帰ったものの展示です。
ロートレックやミュンシャなどのポスターは、当時のパリの街の雰囲気を醸し出しています。




美術館への道中、地植の水仙を見ました。








『永遠の異邦人藤田嗣治』日曜美術館

2014-01-25 06:55:09 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、『永遠の異邦人 ~藤田嗣治・知られざる実像~』です。



1913年、一人の青年が新婚間もない妻を日本に残し単身パリに渡りました。
追い求めたのは西洋画でも日本画でもない、自分にしか描けない世界です。

後に“乳白色の肌”の裸婦像で、パリ画壇の頂点 に登り詰めた画家・藤田嗣治。





おかっぱ頭、ロンドメガネにちょび髭、エキゾチックな風貌で社交界を賑わせ、パリで最も有名な日本人となりました。
夜ごと街へ繰り出し、芸術家たちと大騒ぎ。
奇抜な言動で注目を集め、周囲からはお調子者を意味する“フーフー”と呼ばれました。
藤田はいかにして成功をつ かんだのか。戦後フランスに帰化し、日本との関係を断ったこともあり、その詳細はわかって いませんでした。
ところが去年、日本に残した妻に宛てた大量の書簡が公開されました。
そこには、世界を舞台に成功してみせると野心とビジョンが綴られていました。





手紙には、隠された葛藤と、画家としてパリで生き残るための戦略が赤裸々につづられていました。
今回番組は、去年秋にリニューアルオープンした秋田県立美術館を訪ねます。




迎えてくれるのは、藤田が描いた幅20メートルに及ぶ壁画「秋田の行事」(1937)です。縦3.6m、横20mの大作です。
雪国に生きる人びと、秋田を代表する祭りや四季折々の行事、藤田50歳のとき、秋田の全貌を描くと書き上げた作品です。





















パリに行く前の作品
「自画像」1910




番組は、美術館の展覧会場にパリへ渡ってか ら大成功を収めるまでの傑作をいくつか紹介していきます。

パリに渡った藤田は、絵が売れず貧困のなか、きっかけをもとめて、ルーブル美術館で、西洋の芸術を原点から学びます。

その一方で、最先端の芸術にも手をのばします。
ピカソ(1881-1973)です。
この頃、ピカソはキュビズムに傾倒しています。

ピカソ「ギターを持つ男」1911ー13





そのピカソから大きな影響を受けた作品を残しています。

「キュビズム風物詩」1914





パリでの作品
「風景の中のヴェールの女」1917






初めての個展に出品した作品、これもキュビズムの手法です。

「碁を打つ人々」1917





アンリ・ルソー「詩人に霊感を与えるミューズ」1909
藤田はこの絵に衝撃を受けます。





パリに渡って5年、生涯描き続けた子供の肖像画です。
「二人の少女と人形」1918





「春(扇のための図案)」1917





パリに渡って9年、藤田の名前を世に知らしめた代表作が生まれます。
この作品の乳白色が藤田の色です。
白磁を思わせるなめらかな乳白色の地塗りに、面相筆で繊細な描線を重ねています。
パリを代表する展覧会で絶賛を受けます。

「ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)」1922
後日、画像が間違っていたため訂正しました。すみません。






「裸婦」1923






「横たわる裸婦」1922






「自画像」1929





藤田45歳のとき、それまでにないインスピレーションを求め、新しい恋人と中南米への旅にでます。
メキシコで、パリで交流した画家の壁画に感動します。

デイエゴ・リベラ「メキシコの歴史」1929




2年半の中南米旅行を経て、世界で認められる画家となった自負で日本に帰国します。
しかし、日本で待ち受けていたものは、アンチ藤田運動、パリでの派手な暮らしぶりが激しく中傷されます。
国辱とまで言われます。

藤田は深く傷つきます。
そんななか、手をさしのべたのは、秋田の豪商、平野政吉です。

平野は藤田の絵を買いつけ、秋田に藤田の美術館をつくることをもちかけます。

そして制作されたのが冒頭の「秋田の行事」なのです。









待望の女の子

2014-01-24 06:26:15 | 定年後生活


先日長男から、今度生まれる赤ちゃんは女の子とメールがありました。
長男夫婦の3人目です。

私たち夫婦には3人の子どもがおりますが、それぞれ結婚して所帯をもっています。
現在5人の孫がいますが、初めての孫は女の子で、それ以降4人男の子が続きましたので、今回女の子と聞いてとても喜んでいます。

生まれてくる赤ちゃんは、性別はどうあれ、元気に生まれてくれればなりよりですが、4 人も男の子が続くとそろそろ女の子がいいなあと、無責任ながら思っていました。

孫はみなそれぞれ可愛いのですが、私たち夫婦にとっては、初孫ということもあってか、女の子は特別でした。
その女の子もこの4月に小学校に入学します。
私たちもとても楽しみです。

男の子はみな性格は違いますが、共通しているのはやんちゃです。
最近はいくぶんましなりましたが、相手をしていても、とても疲れます。
何をしでかすか目が離せないのです。

長男も男の子、男の子と続いたので、3人目は女の子が欲しいと言っていました。
やんちゃな男の子たちで、家のテレビは壊されるなど大変で、3人とも男の子だったら、家が壊される(笑う)と言っていました。

あと何人増えるかわかりませんが、孫たちの成長が楽しみと同時に、私の財布も心配になりそうです。








『楽歴代新春展 』楽美術館

2014-01-23 06:21:38 | 美術・博物館

京都市上京区の楽美術館で『新春 楽歴代 干支・動物たちの新春展 』が開催されていましたので、行ってきました。















美術館のアプローチです。
















館内に入ると、今回の展示案内のパネルがあります。
「茶の湯は干支をはじめ、吉祥の動物など、様々動物の意匠を楽しんでまいりました。
香合、香炉、向付、干支絵茶碗など楽焼きならではといえる、箆削りの造形を鑑賞いただければ」と、書いてあります。

展示室に入るとまず出迎えてくれるのは、チラシにもなっている、七代長入の馬香炉です。
今年の干支です。





展示室には、鶴、亀、龍、猪、虎、鼠などの歴代の香合や置物が作品が展示されています。見ていてとてもほほえましくなる作品も多いです。
狸の香合、猿の置物や、猿蟹合戦の置物もあります。

勿論、歴代の楽茶碗も展示されています。
そのなかで、特別出品として、映画「利休にたずねよ」で、利休役の市川海老蔵が実際に使用した、初代長次郎の黒楽茶碗『万代屋黒』が展示されていました。
この茶碗は、利休から利休の娘婿の万代屋宗安に伝わったものだそうです。
初代長次郎の代表作です。











茶碗に鶴、牛、亀などが描かれた茶碗も新春展示ならではです。
私が気に入ったのは、九代了入の黒楽茶碗 『立鶴写』です。
これは、高麗茶碗の写しです。

休憩室からの景色






















滋賀の佐川美術館 楽吉左衛門館でも企画展が開催されています。
佐川美術館は、私の好きな佐藤忠良や平山郁夫の作品が展示されていますので、何度かおとずれています。
楽吉左衛門館に展示されている作品は、素晴らしいものですが、私はその展示形式に少し違和感をもっています。日常にない照明環境で私はいつも戸惑ってしまいます。








昨年の美術館めぐり

2014-01-22 06:19:18 | 美術・博物館

新しい年も3週間すぎ、いつもの退職後の日常にもどっています。
妻が仕事の日は、主夫見習い者として、掃除、買い物、ご飯作り、パン作りなどに勤しみ、合間に散歩にでたり、美術館めぐりをしています。

京都市内には美術館や博物館も多いのですが、家事の合間に行ける距離にあるのが、私にとってなりよりです。
散歩の少し延長の感覚です。

今年も、趣味の美術館や庭園めぐりはしたいと思っていますが、さて、昨年はどれくらいしたんだろうかと思い立ち、振り返ってみました。

京都市美術館



1月 須田国太郎展
3月 リヒテンシュタインの秘宝展、版画トレリーナ
4月 ゴッホ展
5月 春の院展
6月 市展・京展
7月 2013京展
9月 再興院展
10月 竹内栖鳳展、下絵
12月 日展京都展、美術館コレクション展

京都国立博物館
1月 方丈記、国宝十二天像
4月 狩野山楽・山雪展
8月 遊び展
10月 魅惑の清朝陶磁展

京都府立文化博物館



2月 日本画こころの京都展
4月 インカ帝国展
7月 八重の桜特別展
11月 美のタイムカプセル展
12月 佐藤太清展

高島屋京都
3月 山本高樹ジオラマ展
4月 上村敦之展、ベニシアと仲間展、ユトリロ展
5月 京都画壇と神坂雪佳展
9月 杉山寧展
11月 土門拳昭和のこどもたち展、池坊展

京都国立近代美術館
3月 近代総合芸術展
5月 芝川昭吉コレクション展
11月 皇室の名品展ー前期
12月 皇室の名品展ー後期

相国寺承天閣美術館
5月 観世宗家展
6月 伊藤若冲展
10月 円山応挙展ー前期

泉屋博古館
5月 吉祥かたち展
7月 花展
10月 木島桜谷展

龍谷ミュージアム



4月 平山郁夫シルクロード展
9月 練り供養展

その他
2月 京大総合博物館「ウフンツイン・ヴァーチャルミュージアム」
5月 建仁寺「 細川護煕 と屏風展」、智積院宝物「長谷川等伯」
5月 嵐山時雨殿「藤原定家と百人一首」
6月 高麗美術館「朝鮮の絵画と仏教美術」
11月 京都佛立ミュージアム「宮沢賢治と法華経展」
12月 京大総合博物館「西田幾多郎遺墨展」

以上です。
こうして見てみると、3月末に定年退職して時間ができたとは言え、結構行っているなあと驚いています。
でも、昨年は退職後に体調を崩し、入院もしましたので、体調管理上、他府県の美術館や博物館に足を運べなかったのが残念でなりません。

毎年、奈良国立博物館や、滋賀の佐川美術館などに行っていました。
今年はなんとか足を運ぼうと思っています。

私の昨年のベスト3
1位 竹内栖鳳展です。2回足を運びました。
2位 皇室の名品展前期、後期。 第一級品揃いです。
3位 リヒテンシュタインの秘宝展 。 ヨーロッパの名品揃いです。


今年の楽しみのひとつは、京都国立博物館の平常館『平成知新館』が秋に開館することです。当初は今年の春の予定だったのですが、半年延期となりました。
新たな感動に出会えることを楽しみにしています。









『ムンク 傑作10選』日曜美術館

2014-01-21 06:29:09 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、ノルウェーの国民的画家である、ムンク( 1863~1944 )です。





ムンク




2012年ニューヨークで行われたオークションで、ムンクの絵が史上最高額で落札されました。パステル画の「叫び」(1895年)です。その額おそよ100億円です。

100億円の作品




代表作『叫び』は、誰もが一度見たら忘れられない強烈なインパクトがあります。
ムンクの「叫び」に描かれた、得体の知 れない絶叫に耳をふさぐ人物は、ムンク自身の姿 です。 自分の内面の叫び、狂気かもしれません、それを生涯描き続けました。

と同時に、ムンクは、内面の恐怖を作品を通して表現した数少ない画家であることに間違いはありません。

番組は、ムンクの10枚の作品が紹介されました。
そして、その作品を通して、精神科医、そして作家の五木寛之さんが、ムンクの精神構造に迫ります。
精神科医は、ムンクが統合失調だといいます。
私には医学的なことはわかりませんが、ムンクは、幼いときに母親が肺結核が亡くなり、思春期には大好きなお姉さんが結核で亡くなります。
そうした生い立ちが、ムンクを死の恐怖に陥れたのかもしれません。


冒頭、パステル画の「叫び」を載せましたが、ムンクは油彩や版画も含め、5枚以上の「叫び」を描いています。





傑作選1 「叫び」1893年、油彩です。 この油彩の絵が一番知られていると思います。





叫びの1年前に描かれた「絶望」1892年
人物の配置や構図は「叫び」とほとんど同じです。





手前の人物はムンクで、次第に奇怪な姿になっていきます。

「嵐」1893年、旅先で嵐に怯える人びとを描いています。





傑作選2 「病める子」1885ー86年
死が間近に迫った姉、ソフィエを描いています。





傑作選3「思春期」1894年






傑作選4「声」1893年頃






傑作選5「マドンナ」1894ー95年






傑作選6「ブローチの女」1903年






傑作選7「キス(接吻)」1898年






傑作選8「宇宙での出逢い」1898ー99年





傑作選9「地獄の自画像」1903年






傑作選10「時計とベッドの間の自画像」1940ー42年
晩年の作品です。





みなさん、いかがでしたでしょうか。















美しかった雪の金閣寺

2014-01-20 06:31:13 | 京都めぐり

土曜日夜、翌日は京都市内も雪が降るとの天気予報がでました。
以前から金閣寺の雪景色を見たいと思っていましたので、明日は行こうと決意。

日曜日の早朝、雪が降っています。わが家の庭にも雪が少しだけ積もっています。
金閣寺の開門は9時、前夜ネットで調べてあります。
市バスで金閣寺前に到着したのは、8時半前です。

すでに駐車場に入る車の長い列ができています。





参道の雪景色、雪国みたいです。









雪の中の小鳥を見つけました。





開門を待つ長い行列です。みなさん、金閣の雪景色目当てのようです。





目当ての金閣の雪景色です。美しくて見とれてしまいます。
鏡湖池に映る金閣もいいですね。





















鳳凰にも雪です。





位置を変えて金閣










撮影スポットは大勢の人で身動きがとれません。





雪を被った石





方丈前庭も雪が積もっています。





金閣寺垣





雪景色




高台から見た金閣寺





白蛇の塚





夕佳亭





休み処の桟敷にも雪





いかがでしたか。
長年京都に住んでいますが、雪の金閣寺は素晴らしいものでした。



















妻に申し訳ないことをしました。

2014-01-19 07:12:12 | 定年後生活

昨日、妻は休みの日でしたが、午後に京都駅近くで所要があるというので、「一緒に歩いて行ってみようよ」と私めにお声がかかり、お付き合いすることになりました。

京都駅まで歩くのは初めてですが、1時間以上はかかるだろうと見込み、たっぷり余裕をもって、家をでました。
途中、きれいな花が咲いていれば足を止め、路地を通ってみたりして京都駅に着きました。所要時間は1時間ちょっとでした。

散歩の道中、菜の花を見つけました。地植えにしては、早いなあと思いつつパシャリ。




今度は商用ビルの中庭でしょうか、歩道から見えます。
なんと、鉢植えですがチューリップではありませんか。





変わったオブジェに 見とれてしまいました。





そんなに急ぎ足ではなかったのですが、案外早く着いたのにびっくり。

京都駅で妻と別れ、私は市バスで家に帰ったのですが、玄関を開けようといつものようにバックに手をいれた瞬間。
やばい、鍵がないのです。
家を出るとき、鍵を玄関に忘れたようです。
妻が鍵をかけたので気がつきませんでした。

妻が帰ってくるまで、3,4時間あります。
寒い真冬の日です。車の鍵も家のなかです。
仕方なく、妻に携帯で電話しました。

私 「家に着いたら鍵がない」。
妻 「帰ります」。

妻は用事途中でしたが、切り上げで帰ってきてくれました。

私 「ごめんね」。
妻 「私が気がつけばよかったのにね」。

本当に妻には悪いことをしました。

昨年、体調を崩して入院しましたが、退院後はほとんど歩けませんでした。
やっと、体力も回復し、今ではかなり歩いても疲れなくなりました。

寒い今頃は、スポーツジムに行きたいのですが、どうしてもジムではいつもより、運動量が多くなりがちなので、もう少し、体力に自信をつけてからにしようと思っています。












団塊スタイル『高齢ストーカー』

2014-01-18 06:59:24 | 団塊スタイル

時々目を通すNHK団塊スタイルですが、今回は少しショッキングな番組タイトルでした。




今日、ストーカーが大きな社会問題になり、悲惨な事件となって、テレビを賑わすことも度々です。
ストーカーの被害件数は、警察庁調べで、2003年が約12,000件でしたが、2012年は約2万件と1.6倍に増えていいます。このなかで、60歳以上の件数は、2003年が473件だったのに対し、2012年は1,834件と3.8倍です。
特に高齢ストーカーの増加率の高さにも驚きです。





法務省で長年高齢者犯罪を研究されてきた方によると、昭和63年からの20年間で、高齢者人口は約2倍、起訴された高齢犯罪者は約7倍になっているそうです。
その方は「単なる高齢者人口の増加だけではない。40代50代で離婚とかリストラされて生活基盤を失った人が、立ち直れなくてそのまま高齢犯罪者になっていくという例もある。ストーカーの加害者の9割は男性で、被害者の9割が女性。離婚やリストラで一人になってしまい、満たされない欲求をストーカーに転嫁する例もあるのではないか」と言います。





番組では60歳以上の高齢者によるストーカーの多くは、恋愛関係が破綻して、つきまとい行為に及ぶそうです。
実際におこった事例を、再現VTRで紹介されました。

ゲストコメンテーターの鳥越俊太郎さんは、「一昔前までは60歳を過ぎると、人生も見えてきて執着心がなくなっていくが、今は、60歳をすぎてから、人生はまだまだあると、執着する人が増えている。その結果、男性と女性のトラブルになり、ストーカーになる」そうです。
さらに、 鳥越さんは、「昔から余生という言葉があるが、今は余生が伸びて、60,70歳はまだ現役という人が増えている。体力もそれなりにあり、もう一花咲かせたいと思う人が増えている」のでは言います。

私は60歳過ぎると、執着心がなくなっていくというのは違うと思います。
執着心はなくならないが、昔は様々な点で諦めきれたのではないでしょうか。


ストーカー被害の相談にのっている、NPOヒューマニテイの代表も「高齢ストーカーが確実に増えている」と言います。
しかも、加害者は退職した団塊の世代が多いそうです。

放送で私が驚いたのは、高齢者の孤独に有償で対応するビジネスがあるということです。
その会社の主な業務は、介護サポート、婚活サポート、家事代行。企業コンサルティングですが、最近、団塊の世代の人から、話し相手、自分の趣味を一緒にやってほしい、散歩に同行してほしいという依頼が増えているそうです。

そして、実際に75歳の一人暮らしの男性の依頼を放送しました。
ジャズライブに同行して欲しい。そのあと、食事して話し相手になって欲しいという依頼です。
当日、その会社から女性スタッフ(30代でしょうか?)が派遣され、依頼者の願いをかなえてくれるというわけです。
同行のルールは、スタッフは飲酒しない。二人で個室に入らない。身体に触れないなどです。

利用した男性は、生活に張り合いがでたと答えていました。
ちなみに料金は、基本料金 1時間2980円~、出張費3000円だそうです。

私は放送を見終わり、何かやるせないような気持ちになりました。








『円山応挙後期展』承天閣美術館

2014-01-17 06:19:36 | 美術・博物館


相国寺の承天閣美術館で、円山応挙の後期展が開催されています。












前期展は、以前のブロクで紹介しました。

後期展は、障壁画を中心に展示されています。

前期展を訪れたのは、10月29日でまだ紅葉には早かったのですが、今回は当然ながら、すっかり落葉したあとです。





紅葉見頃の景色はこのようでした。






今咲いている花です。




十牛の庭の苔はまだきれいです。




後期展の内容は、第一展示室
「応挙が学んだ中国絵画」
応挙は中国の明代、元代、宋代の画家の絵を手本に、技法を学びます。

「応挙と四条派関係」
応挙の「釈迦十六善神像」と「山水図扇面」、原在中、柴田是真、与謝野蕪村などの作品が展示されています。
与謝野蕪村の壁画図は結構好きです。

第二展示室
相国寺開山堂の障壁画が展示されています。
応挙「雪中山水図」十面です。














開山堂障壁画は、応挙以外に息子応瑞筆の壁画も展示されています。

絵画では「白狐図」、「薔薇文鳥図」など16作品が展示されています。















「豆狗子図」





「赤楽茶碗 楽了入造 群鶴絵」もありました。
了入(1756~1834)は、楽家9代です。
へら使いにすぐれ、釉薬の掛け分け技法を創案した楽家中興の名工です。
15歳で吉左衛門を襲名します。
その楽了入と応挙の合作という珍しい茶碗です。茶碗に群鶴が描かれています。


応挙の弟子である原在中(1750~1837)は、後に独自の原派を形成しますが、「牡丹図」は見応えがあります。
また、弟子の長沢芦雪(1754~1799)の「象と狗子」は私好みです。

























安野光雅『御所の花展』

2014-01-16 06:31:03 | 美術・博物館



高島屋京都で安野光雅の『御所の花展 』が開催されています。





「安野光雅は、天皇、皇后両陛下の 本の装丁をしたご縁から、両陛下のお住ま いに咲く植物を描くことになりました。2011年3月から1年余り、 数十回にわたって御所の庭に通い、四季 折々の草花約100種類を写生しました。
皇后に贈られたハス の「舞妃蓮」やバラの「エンブレスミチ コ」から、天皇が皇居に住み着いたタヌキ たちのために残しているというクサイチゴ などの里山の草木まで、淡い色彩で描かれ た水彩画130点が展示されています。」展示会紹介より


会場入り口には作者の次のようなメッセージがありました。
「花はなんといい匂いがするのだろうと思います。子どもの頃きらいだったドクダミさえも、きらいでなくなりました。
宗教を信じないとしても、神さまでもいないと、こんなにきれいな花を創りだせないと思います。」と。

ツクシやフキノトウ、ネコヤナギ、ゼンマイといった野山の草花から、誰もが知っているサクラやバラ、ヒマワリにいたるまで、展示会場は安野ワールド満開です。
作品を見ていると、野山に吸い込まれていくような錯覚になります。

いつも思うのですが、安野光雅の展示会は、ほんとうに御婦人方が多いのに驚きます。

いくつか作品を御覧ください。
この企画展は、全国を巡回しているようですから、まだ御覧なっておられない方には、お薦めの展示会です。


レンゲソウ
昔はどこでも見られる花でしたが、最近は少なくなった気がします。





キキョウ
6~7月に咲きます が、秋の七草の1つです。






舞妃蓮
1960年に両陛下が結婚後 初めて米国を訪れた際、日系人から贈られた黄ハス の実から咲かせた「王子ハス」と「大賀ハス」をかけ合わせて作られた蓮だそうです。





ユウスゲ アサマキスゲ
夕方から開花して翌朝にはしぼむことから、ユウスゲとも呼ばれています。





ヘブンリーブル
盛夏から晩秋にかけて、青い花を咲かせます。





ラッキョウ





アヤメ




ザクロ





ロウバイ。
早春、この花を見ると間もなく春が来ると思います。






バラ「エンプ レスミチコ」






フタ バアオイ
御存知徳川家の紋章です。













(続)『京都迎賓館の極上のおもてなし』

2014-01-13 06:59:19 | 京都めぐり

昨日の京都迎賓館の続きです。
今回は、実際に海外の賓客が訪れた様子をお伝えします。

10月上旬、アフリカのウガンダ共和国、国民議会議長の26日、1泊が決まりました。

当日までの準備が慌ただしく始まります。
京都のおもてなしの達人たちに迎賓館からつぎつぎ連絡が入ります。

晩餐会の料理は「瓢亭」が受け持つことになりました。






美術館から京都の日本画家 北野治男「丹頂」の絵を借ります。
ウガンダの国旗に描かれているのは、ホオジロカンムリツル。そこで、日本の代表的な丹頂鶴を描いた作品でお迎えしようというわけです。





壺は、近代の京都を代表する六代目清水六兵衛の作品で、秋の景色を表している作品です。






雨の中庭の掃除です。ピンセットで石の間に落ちている葉をとっていきます。





当日朝、華道の家元が出向いて花を迎え花を飾ります。今回は華道家元中野恭心さん。
京都の34の家元の回り持ちだそうです。









洗面所などにも一輪挿し。使用される花は和花。





夕方、瓢亭から料理人、食材、食器、調理道具一式が運び込まれます。





夜ウガンダの賓客のもてなしがはじまります。



















翌朝、庭を楽しんでもらいます。
平安時代以来の雅な伝統、舟あそびです。










迎賓館のスタッフがお見送りです。















賓客のもてなしがー段落した秋の日、迎賓館に100人を超す人たちが集まってきます。
京都迎賓館を見守る会、迎賓館の建設に関わってきた人たちです。
毎年1回、担当した部分が保たれているか、チェックします。




















四季折々の京都迎賓館の極上のおもてなしです。