京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

『 竹内栖鳳 美の巨人展』 京都市美術館

2013-10-31 06:55:54 | 美術・博物館


京都市美術館で開館80周年記念展示会、『竹内栖鳳展 近代日本画の巨人』が開催されていましたので、行って来ました。平日にも関わらず大勢の人で、竹内栖鳳の人気ぶりがよくわかります。
実はこの企画展はNHK日曜美術館で放送され、その内容は私の9月16日のブログで書きました。東京国立近代美術館の展示会が終了し、今回京都での開催となり、やっと実物に出会えた次第です。非常に楽しみにしていた展示会でしたので、美術館へ向かう足どりも早めです。








竹内栖鳳という画家と展示会概要を若干紹介します。

「竹内栖鳳は戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、 画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家で ある。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。 本名は恒 吉。最初は棲鳳と号した。霞中庵の号もある。動物を描 けば、その匂いまで描くといわれた達人であった。」(Wikipedia)

美術館の展示案内には、「京都に生まれた竹内栖鳳(1864-1942)は,日本画の近代化に大きな役割を果たした画家。明治期の西欧遊学体験を踏まえ,写生,写意の重視という四条派の作画理念に徹底した実物観察を盛り込んで,京都画壇に新風を巻 き起こした。栖鳳のもとには多数の後進が集い,その影響は極めて大きい。当館設立に尽力した大家であり,代表的 な収蔵作家でもある。本展は各地に所蔵される代表作約110点,資料約60点を一堂に会し,その芸術を味わい,意義を 見直す得難い機会」とあります。


竹内栖鳳の若い頃から年代順に展示され、画風の変遷もよくわかる構成です。晩年の円熟した作品もいいですが、私は30代の野心的な作品が気に入っています。特に栖鳳は36歳のとき渡欧しますが、帰国後のライオンや巨象を描いた作品、風景が特に好きです。従来の日本画には見られない、西洋絵画の技法も取り入れられ、それでいて日本画だなあと思える作品です。近代日本画と言われる所以だと思います。

展示作品のいくつか紹介します。

「ベニスの月」




「羅馬の図」





重要文化財の「班猫」
猫の目を見るとハットする絵です。猫の毛並み描き方が素晴らしいです。




「池塘浪静」
若い頃の作品ですが、跳び跳ねた魚の一瞬を切り取った絵です。




「金獅子」
今回の展示でも数点の獅子の絵がでています。それぞれ素晴らしい作品です。それまでの日本画の獅子は、実物を見ずに想像で画かれていたため、どこか滑稽な獅子が多かったのですが、栖鳳のライオンはリアリティーにあふれ、当時の人たちを驚かせたと思います。




「大獅子」



「虎獅子図」





「象図」





「散華」
栖鳳は人物画が少ない画家です。栖鳳は東京からモデルを呼び、天女のポーズをとらせました。




「絵になる最初」
モデルになるために着物をぬぐときのはじらい、いまにも泣き出しそうな表情の一瞬を切り取った名品だと思います。私の好きな絵のひとつです。




中国旅行時の絵





「驟雨一過」
栖鳳晩年の円熟した作品です。





同じ美術館の別室で、竹内栖鳳の下絵と素描展も開催されています。これも行って来ました。栖鳳がいかに写生を重視したかよくわかります。









見終わって満足感でいっぱいです。会期中もう一度足を運ぶ予定です。




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『永遠に強く美しく奈良興福寺の国宝仏像』日曜美術館

2013-10-30 06:35:01 | 美術・博物館

今回の日曜美術館は、『永遠に強く美しく 奈良興福寺の国宝仏像』です。
東京芸術大学美術館で『国宝興福寺仏頭展』が開催されているのは、私が読者登録している方のブログ記事で知りました。後日、NHK日曜美術館で取り上げられるとは思ってもいませんでした。

私は、年1,2度は奈良に行き、興福寺、東大寺、国立博物館等をゆっくり見てまわるのが好きです。特に興福寺の広い境内は趣があり、京都の寺院とは一味違う味わいがありす。多くの仏像が展示されている国宝館は、何度見ても感動します。
奈良へは最近は、近鉄電車で行くことが多いですが、以前は車が多かったです。車に折りたたみ式の自転車を2台積み、自転車で市内のあちこちをまわります。ちょうど自転車でまわれる範囲に拝観寺院や美術館、博物館があります。

今回放送の仏像が所蔵されている興福寺は、全国の国宝仏像彫刻のおよそ15%を所蔵する仏像の宝庫で す。平城京の時代から法相宗の教えを広め、絵画や書跡など宗派の名品を1300年の間、数々の災害から守り今日に伝えています。





今回の日曜美術館は、興福寺の国宝「銅造仏頭」と 国宝「十二神将」、国宝「木造十二神将立像」に焦点があてられて紹介されました。



国宝「銅造仏頭」白鳳時代


















この仏頭は、よく見慣れたような仏像とは違い、妙にリアリティーがあり、同時にハットするような美しさがあります。 解説では、「白鳳の貴公子」ともいわ れる高貴な表情は、見る角度によって厳しくも、またやさしくも見える、神秘的な魅力をたたえている。とありますが、よくわかります。
この仏像は、平安末期、興福寺の堂衆たちが飛鳥の山田寺から運びこんだ巨大な白鳳時代の仏像(現仏頭)で、東金堂の本尊、薬師如来として安置されました。15世紀初頭に火災に遭い、現在は頭部のみが国宝館に残ります。
話は飛びますが、私は白鳳時代の仏像が好きです。やさしい顔立ちが多いからです。










平家の軍勢に焼け落ちる東大寺や興福寺





この仏像は、数奇な運命をたどってきたと言われています。昭和 12年、この仏頭は、興福寺東金堂の本尊の台座の中から、およそ500年ぶりに発見されました。焼失したと考えられていた仏像が、頭部だけ助け出され、大切にしまわれていたのです。
番組は、仏頭にまつわる波乱の歴史を明らかにしていきます。



本尊の台座に埋め込まれていた仏頭



国宝「十二神将」
番組は、国宝「十二神将」誕生の背景にも迫ります。筋骨隆々、リア ルでダイナミックなその姿は、鎌倉彫刻の傑作と評されます。番組は、興福寺の復興に燃えた 仏師たちの熱き魂を描きます。
番組で紹介された仏像です。














































国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)
現在も東 金堂に安置されている国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)は、本尊・薬師如来の眷属(従者)として、その守護神の役 割を果たしてきました。
わずか 3センチの薄い板に彫られているにもかかわらず、立体感と躍動感にあふれる平安時代の傑作 です。
























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『円山応挙展』 承天閣美術館

2013-10-29 06:26:47 | 美術・博物館

昨日は暖かい日射しで、絶好のお出かけ日和でした。
相国寺の承天閣美術館開館三十周年記念として、『円山応挙展~相国寺・金閣寺・銀閣寺所蔵~ 』が開催されていましたので、行って来ました。
月曜日は官公立系の美術館や博物館などがお休みですが、承天閣美術館はお休みなしです。







円山 応挙(1733ー1795)は江戸時 代中期の絵師。近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視 した親しみやすい画風が特色である。 諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている。(Wikipedia)

今回の展示の出展数は多くないですが、目玉は重要文化財の「牡丹孔雀図」と「七難七福図巻」です。以外に、慈照寺(銀閣寺)に寄進された「釈迦十六善神像」、「遊君図」、「浜松群鶴図屏風」、「雪中山水図屏風」、「大瀑布図」、植物の写生図、鳥魚鶏などの写生帖、人物生写惣本、三井南家伝来の円山応挙関係資料などが展示されていました。

応挙は狩野派を学び、その後写生画に目覚めていきますが、従来の日本画には見られない実感的な描写が特徴です。「牡丹孔雀図」も応挙らしい作品です。
当時、四条河原町には見せ物小屋があり、異国の珍しい生き物などが出されていたそうです。孔雀もその中にいたようです。



圧巻はやはり、「七難七福図巻」です。この絵図巻は圓徳院祐常門主が応挙に描かせた作品です。人間誰しも難を逃れ、福を迎えたいと願っていますが、この絵を見て、仏神を尊び、高貴な人を崇め、貧者を愛すれば七難を逃れ、七福を迎えれるという教えの趣旨だということです。この絵を見た人が、悪を捨て、善行を進んでくれることを願ったそうです。「福寿巻」では祝宴などの祝いの絵が続きます。しかし、一変して、「人災巻」は商家に強盗殺人、旅先での 追い剥ぎ、心中、獄門刑、磔刑などが描かれています。
「天災巻」では、地震、大雨、火事、雷、旅先で狼や大蛇に出会うなどがリアルに描かれています。それぞれの巻が15メートルの大作です。





応挙の作品は、写生を元にしたリアリティーがあり素晴らしい作品が多いのですが、一方私は出来すぎの感があると思っています。

承天閣美術館では、円山応挙後期展が12月21日~3月23日まで開催されます。
後期展では、相国寺開山堂障壁画20面や、大円徳院障壁画6面などが予定されているそうです。

美術館のモミジはまだ青々していました。一部紅葉が進んでいる木々もあります。































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病の起源『うつ病』

2013-10-28 06:42:35 | 科学・宇宙・歴史


NHKで以前より『病の起源』が放送され、私は興味深く拝見しています。




番組の概要は、およそ700万年前にアフリカで人類が誕生しますが、その起源は 、 四足歩行していた霊長類と別れ 、二本の足で歩き始めたことにあります 。その後 、人類は自由な手を器用に使いこなすことで 、 脳を巨大化させ 、 高度な文明を築き上げてきました 。ところが 、皮肉なことにこの進化の過程で 、 私たちの体には “ 負の宿命 ”とも言うべ き 「 病の種 」が埋め込まれていたというのです 。
人類にとって宿命とも言える病気を進化の観点から追求するのが「 病 の起源」です。 2008年に放送した前シリーズでは 、「睡眠時無呼症」「骨と皮膚の病」「腰痛」「読字障害」「糖尿病」「アレルギー 」が取り上げられました 。
今回の新シリーズでは 、いま世界の多くの人々が 苦しんでいる「が ん」「 脳卒中」「心臓病」「うつ病 」 を取り上げています 。
先日の放送は「うつ病」です。




働き盛りを襲い自殺に追い込むなど 、深刻な社会問題になっている「うつ病」の世界の患者数は3億5千万人に達し 、日本でもこの10年あまりで2倍に急増し、患者は100万人に達しています。





人はなぜうつ病になるのか。そのメカニズムが動物の研究からも進んでいます。魚、チンパンジーもうつ病になると言うから驚きです。
そして人類は、進化する過程でうつ病を抱え込んでいたということです。
うつ病とは、悲しみや気持ちの落ち込み、あるいは意欲がわかなかったり、興味を失うなどの症状が2週間以上続くとうつ病と診断されるそうです。
うつ病のメカニズムは、最近の研究で脳に異常があることがわかってきました。
脳の一部が萎縮しているというのです。





萎縮の原因は扁桃体でした。
番組では奥野さんといううつ病患者の検査結果が紹介されました。





うつ病患者は扁桃体の活動が強く、そのせいで、恐怖や不安といった症状が強くなるそうです。





なぜ 私 たちはうつ病になるのか。その秘密は、意外にも5億2千万年前に誕生した魚の研究から明らかになってきました 。 魚でも 「ある条件 」を作ると、天敵から身を守るために備わった脳の扁桃体が暴走し うつ状態になることがわかってきたのです 。魚には天敵から身を守る部位、扁桃体が生まれました。




実験では、水槽の中に魚とその天敵を一緒に水槽にいれます。するとある時期から魚がうつ状態になるといいます。うつ状態の魚はストレスホルモンが大量に出ていました。










更に2 億2千万年前に誕生した哺乳類は 、扁桃体を暴走させる新たな要因を生みだました 。群れを作り、外敵から身を守る社会性を発達させたことが 、孤独には弱くなりうつ病になりやすくなっていたというのです 。
うつ病発症のメカニズムは、強い不安や恐怖などが続くと扁桃体が過剰に働き、全身にストレスホルモンが大量に分泌されます。
ストレスホルモンが脳に及ぶと神経細胞に必要な栄養物質が減少、すると栄養不足になった神経細胞が縮んでしまうというのです。
その萎縮が意欲や行動の低下を招いたというわけです。
すなわち、天敵から身を守るために生まれた扁桃体の暴走が、うつ病を引き起こしていたということです。
チンパンジーもうつ病になるそうです。
仲間から隔離されるとチンパンジーは、重いうつ病になるそうです。

さらに、恐怖の記憶がうつ病の原因になるそうです。
扁桃体と海馬が連動することで強い記憶が生まれ、衝撃的な記憶はうつ病の原因となる扁桃体を激しく活動させます。
人類はさらに進化の過程で言葉が生まれ、その言葉によって扁桃体がさらに刺激を受けるようになりました。












アフリカの一部部族(ハッザ)にはうつ病に無縁だそうです。その理由は、この部族の人たちは、集めた食料をほぼ100%みんなで平等にわけあうからだそうです。






お金をわけあう実験結果で、人間はお金で損をすると扁桃体が激しく活動します。得をするばあいも同様で、一方、公平な場合は扁桃体がほとんど反応しません。





狩猟社会から農耕社会に、文明社会になり、階級に応じて分配されると平等社会が崩れます。この時代に人びとのストレスは著しく増加し、現代まで続いているというわけです。





うつ病と職業の関係では、専門職と技能職ではうつ病は少なく、営業事務職、非技能職が多い結果がでています。










番組では、うつ病の最新治療として、DBS脳深部刺激という治療方法、TLC生活改善療法
で社会的結び付きを強め、定期的な運動も行う治療方法が紹介されました。



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『魅惑の清朝陶磁』展

2013-10-27 06:17:55 | 美術・博物館


京都国立博物館で『魅惑の清朝陶磁』展(10/12~12/15)が開催されていましたので、行ってきました。
素晴らしい陶磁器を目にし、満足感でいっぱいです。
展示会の構成は次のようになっています。
1、行き交う唐船
2、出土品が語るー江戸・京都・長崎ー
3、独自の回路
4、日本からの注文
5、旧家の伝来品
6、江戸時代の中国趣味
7、清朝陶磁と近代日本

展示会の雰囲気を味わっていただくため、博物館HPで紹介されている作品案内と画像を転載させていただきます。








博物館作品紹介より転載

『古来「やきもの」の王者として名高い中国陶中でも、その形・質の多様性と色鮮やかさにおいて、他を圧倒しているのが清時代の陶磁 器、清朝陶磁です。ヨーロッパの王侯貴族に愛されたばかりでなく、明治維新後の日本でも美術愛好家たちによって賞玩されていたことはよく 知られています。ところが、「鎖国」していたという歴史観の影響もあって、江戸時代の日本へもたらされていた清朝陶磁には、これまであま り注意が払われてきませんでした。
しかし、江戸時代の日本は世界の中で決して孤立していたわけではありません。近年、遺跡の発掘調査や古社寺・旧家の伝来品の調査 が進められる中で、既に江戸時代からかなりの量の清朝陶磁が日本へもたらされていたことが判ってきています。江戸時代の日本へ輸入 されていた清朝陶磁は、基本的に民間工房(民窯)の作品が主流でしたが、今日のように自由に海外渡航できる時代ではありませんでし たから、多くの日本人にとっては見知らぬ異国からの渡来品として随分と貴重視されたのです。とりわけ、粉彩とよばれる極彩色の清朝 陶磁は、当時の日本の〈やきもの〉にはない華やかなピンクの色がとりわけ人目を引いたらしく、日本の陶工たちもそれに迫るものを作 ろうと、涙ぐましいまでの努力をしています。
また、欧米をはじめとする諸外国への輸出産業育成が急務であった明治時代の日本では、既に欧米諸国で高い評価を得ていた清朝陶磁 に負けない〈やきもの〉を作ろうという機運が高まりました。明時代から清時代の中国では、皇帝をはじめとする宮廷での使用に特化し た陶磁器を生産する工房として官窯が設置され、最高級の陶磁器が生産されていましたが、近代日本の陶工たちはその官窯にも負けない 〈やきもの〉作りを目指したのです。
この展覧会では、清時代と同時代の日本人が、どのように清朝陶磁を賞玩してきたのかという歴史とともに、そこからどのような発想を得 て、どのように新しいものを生み出そうとしてきたのか、その足跡を辿ります。 江戸時代の日本人が愛した民窯製品のおおらかさや、近代日本の陶工たちが好敵手と認めた官窯製品に代表される高級品の精巧さを、伝世の 名品はもちろんのこと、出土品や沈没船からの引き揚げ品も交えて紹介する、日本と中国の陶工たちが織り成す百花繚乱の「やきもの」世界。 どうぞお楽しみください』










































パンフレット写真より





















現在工事中の新館も、工事用シートがはずされ、来年竣工しま。非常に楽しみです。





京都の紅葉の見頃は来月ですが、博物館の木々も一部紅葉が進んでいます。


















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『白隠気迫みなぎる禅画』日曜美術館

2013-10-26 06:13:22 | 美術・博物館


以前のブログにも書きましたが、私は白隠禅師の禅画が大好きです。
永青文庫展で見た、白隠の達磨像などの禅画にとても感動しました。
白隠(1685ー1788)は、江戸中期の禅僧で、「臨済宗中興の祖」と呼ばれています。
臨済宗の坐禅会に参加すると、白隠禅師『坐禅和讃』という経を読みますが、その作者です。
臨済宗にはいくつかの本山(京都では、大徳寺、南禅寺、建仁寺、東福寺、天龍寺、相国寺)がありますが、法系はすべて白隠に帰着すると言われています。
白隠は著作物以外にも、膨大な数の書画や墨蹟を残しています。
多くの達磨像を書いていますが、一度見たら忘れられない強烈な印象が残ります。
今で言う、コミックのような作品もあり、賛の解説を読むと、この絵でこういうことを伝えたかったんだとわかり、一人得心しています。
白隠は、墨蹟や禅画を通して、禅の教えをわかりやすく説いてきました。

以前のNHK日曜美術館で、白隠の禅画が取り上げられていました。
紹介します。



白隠の故郷静岡県沼津市




白隠が住職だった沼津市原の松蔭寺




禅の普及に生涯をささげた白隠



それでは、白隠の禅画をご覧ください。

達磨像



半身達磨




眼一つ達磨




永青文庫の白隠画を紹介する理事長の細川護煕さん
白隠の書画300点余りを所蔵しています。




細川さんも気に入っている半身達磨




永青文庫





出山釈迦




暫時不在 如同 死人



静中で坐禅より日常の動中のなかの修行は百千倍も勝っている




大燈国師(乞食大燈)




以下は漫画みたいな禅画です。
書かれている賛を読んで絵がわかります。
今回は省略しますが、賛の解説は花園大学の吉澤勝弘教授の著作がベストです。
今年の東福寺暁天講座で吉澤教授の講演があり、大変おもしろかったです。






























































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夢の扉『極うまの米 栄養UP金芽米の秘密』

2013-10-25 06:20:27 | 科学・宇宙・歴史

今回の夢の扉は、金芽米です。近頃金芽米という言葉を耳にするようになりました。いま人気のタニタ食堂のご飯は全て金芽米だそうです。
私も名前は聞いたことはあるのですが、いつも買い物に行く大型スーパーで見かけません。念のため放送が終わった翌日、買い物ついでにお米を見に行きましたが、金芽米はありませんでした。流通ルートが違うのでしょうかね。






金芽米は産地や銘柄に関係なく、どんなお米もワンランク上のお米にしてしまう精米技術だと言います。開発したのは東洋ライス社長の雑賀慶二(79歳)、無洗米の産みの親でもあります。






金芽米の秘密は、これまでの精米では取り除かれていた 約100分の1ミリの亜糊粉層を残す、という技術革新でした。



およそ40年かけて開発した金芽米の精米機。この精米機にかかれば、産地や銘柄を問わず、味や栄養価を上げるというから驚きです。
従来の精米は、玄米から胚芽と糠ぬかを取り除きます。





しかし、糠の裏側に旨味と栄養価の高い薄い層( 亜糊粉層 )が隠されていて、雑賀はそこに注目しました。




亜糊粉層の栄養価
金芽米と普通の白米の比較
ビタミンB1が11倍、美肌やコレステロールを下げるオリゴ糖も11倍もあります。





また、金芽米 亜糊粉層は大量に水を吸うので、炊き上がりの米はかさが増す。従って金芽米は白米より1割少なくしても出来上がりは同じだそうです。
従って、同じ量を食べてもカロリーオフというわけです。










どうやって、 亜糊粉層を残すかの技術開発に成功







金芽米は2008年モンドセレクション授賞します。





金芽米の消費者向けセミナーで、新たな健康パワーが発表されます。
亜糊粉層に含まれる糖脂質は、人間の免疫力を高める効果があり、生活習慣病、感染症、花粉症などを予防治療できる効果が期待できるそうです。














2011年、米は消費額でパンに追い抜かれました。また、この30年で耕作放棄地は約3倍になっています。そこにTPPもあり、かつてない危機感を雑賀はいだきます。
日本の米文化を守るために、優れた金芽米を日本国内だけでなく、世界に広げたいとの思いで、外国人向けの試食会の開催しました。新聞記者、外交官関係者などにさんかしてもらい、大きな手応えも得ます。









冒頭で書きました通り、私はまだ食したことがありません。一度食し、自分の舌で味を確かめてみたいと思います。








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日曜美術館『版画家・萩原英雄』

2013-10-24 06:21:02 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、 『生涯富士を彫る 版画家・萩原英雄』というタイトルです。
久しぶりに私の好きな版画に出会いました。私は若いときから木版画が好きで、特に徳力富太郎、井堂雅夫などが気に入り、作品を買い求めたりしてきました。
私はいわゆる現代版画と評せられる作品は、あまり好きではありません。古典的な従来の木版画が気に入ってます。
萩原英雄の富士三+六景は、非常に素晴らしい作品で気に入りました。











「萩原 英雄(1913 ~2007)は日本の画家。油彩画、現代木版画などを描く。油彩や木版画のほか、ガラス絵、パステルやグワッシュ、コラージュなどあらゆる平面の表現媒体に取り組んでおり、墨彩画や書、陶芸も行っている。「三十六富士」「ギリシャ神話」「イソップ物語」など木版画のシリーズ作品 もある。
萩原は「幻想」シリーズや「石の花」シリーズにより抽象版画家としての地位を築き、1960年には第二回東京国際版画ビエンナーレで「石の花」シリーズが神奈川県近代美術館賞、1962年にはルガノ国際版画ビエンナーレで「白の幻想」がグランプリを受賞した。1979年から1990年まで日本版画協会理事長を務める。1986年には野口賞を受賞。1988年にはノーベル文学賞を受賞した川端康成の記念品を製作する」。(Wikipedia)

「冨嶽三+六景」で有名な葛飾北斎から150年、もうひとつの「三+六景」が生まれました。富士山を36枚の木版画で描いた「三+六富士」です。
構図で富士山を表した北斎に対し、萩原は四季折々の富士山を独自の色合いで三+六富士に表現しました 。





萩原は40代で木版画の世界に飛び込みます。
版画をはじめて6年、アメリカのタイムズ誌で注目され、高い評価を得ます。




3年後にはスイスの 国際版画ビエンナーレでグランプリを受賞します。
従来の木版画の常識をくつがえし、版画界の新星と評価も得ます。






石の花シリーズ
冒頭でも書きましたが、個人的にはここまでの現代版画作品はあまり好きではありません。






そんななか、生涯をかけるモチーフ、富士山と出会います。完成まで25年、萩原は73歳(1986)で三+六富士を完成させます。
萩原の版画は独特の色彩で、「色彩の画家」と評せられるそうです。
萩原が富士山に執念を燃やしたのは、『父生れし、母生れし、亦 吾生れし 甲斐は山国 富士のある国』とあるように、自らのルーツをたどることでもあったようです。
また父母と望郷の思いが作品をつくる原動力になったとも言えます。
結核で死に直面し、母を亡くした萩原にとって、富士は自分を見守ってくれる存在になったのではとの指摘もあります。
萩原は「三+六富士は故郷を 父母を恋うる私の心の詩である」と書いています。「美の遍路より」

それでは、番組で紹介された作品を御覧ください。



































































































































最後の病床でも、富士を書く。













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『南海トラフ見え始めた予兆』

2013-10-23 06:17:35 | 科学・宇宙・歴史

東日本大震災以降、今最も注目を集めているのは、南海地震です。
関西に住んでいる者としては、最大の関心事です。
この間、NHKスペシャルで「メガクエイク」という番組がシリーズ放送されていて、非常に興味深く番組を見ました。





南海トラフ地震は巨大地震だと言われています。
今回のメガクエイクは、最新の科学で見え始めた南海トラフの予兆を手がかりに巨大地震を解明しようとする科学者を追っていく内容でした。



南海巨大地震が起こった場合、地震規模はマグネチュード9.1
東日本巨大地震のマグネチュードは9.0




最大震度7



南海トラフは巨大な震源域です。
巨大な震源域 南海トラフ




関西だけでなく、南海トラフの震源域が広がり、首都圏に近づいている恐れも指摘されています。




地震のコンピューターシュミレーション映像も公表されました。
震源域に近い高知



大阪市




名古屋市



鎌倉市



神奈川県川崎市




そんな危険性が指摘されて南海巨大地震ですが、
見えはじめた南海トラフの予兆があるといいます。




それはスロークエークと呼ばれる、身体には感じないかすかな振動です。
地下3000m、高性能地震計がとらえた小刻みな揺れが長く続く現象です。東海から九州で次々と観測されていて、四国東部ではここ数年急増しているそうです。











注目されたのは、東日本大震災、巨大地震の直前にスロークエークが発生していたことがわかってきました。スロークエークは巨大地震の予兆ではないか。
南海トラフ巨大地震の兆候が含まれているのではないか、少しでもそのシッポをつかみたいと地震学者。





巨大地震はいつ起こるのか、スロークエークで読みとこうとしている。



着実に次の地震の準備をしている







想定の範囲内の対策では危険と指摘する津波研究者
東日本大震災では、その1ヵ月以上前からスロークウェークが発生していたことが明かになり、巨大地震の引き金になっただけでなく、津波を巨大化させる要因になったとの指摘もあるそうです。
南海トラフでも同じメカニズムで巨大津波が起こるのではと懸念されていると言います。





今必死に予兆現象を読みとこうと調査が進められています。





番組は南海トラフ見え始めた予兆で終わりました。



政府と地震学者は長年、東海地震だけは予知が可能だと言っておりましたが、東日本大震災以降は、そもそもその信憑性が疑わしくなってきました。ちなみに、私はだいぶ以前より、東海地震も予知はできないと考えています。
地震予知は可能なのかという根本命題はありますが、来るべき巨大地震を前に、予兆だけでも早く知り、備える必要があると思いました。












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『ウィリアム・モリス』

2013-10-22 06:21:13 | 美術・博物館

東京府中市の美術館で、『ウィリアム・モリス 美しい暮らし 』展が開催され、ステンドグラス・壁紙・テキスタイルが展示されていると日曜美術館アートシーンで知りました。
12月1日まで開催されておりますが、遠方で行けません。
ウィリアム・モリス は19世紀に活躍された方ですが、そのデザインは今でも斬新です。
ブロブで紹介したいと思い、載せることにしました。


















東京府中市美術館




ウィリアム・モリス(1834-96)は、19世紀イギリ スを代表する詩人、思想家であり、工芸家、デザイ ナーです。




19世紀後半のイギリスは、産業革命の成果が人々の 生活に行きわたり、粗悪で安価な大量生産品が身の回 りにあふれていました。これに反発してモリスは、丁 寧で質のよい製品を目指します。画家や建築家の仲間 とともに、室内装飾品や家具の制作に乗り出し、生涯 にわたって力を注ぎました。 それぞれの分野で大きな業績を挙げ、「モダンデザ インの父」と呼ばれています。


































家庭用の室内装飾とともにステンドグラスの写真フィルムでの 再現も見所のひとつです。







































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一雨ごとに秋が駆けてくる

2013-10-21 05:56:25 | 定年後生活

つい先日まで、10月とは思えない暑い日が続き、京都でも桜が咲くという珍事があったばかりです。(10月14日ブログ)

でも、この数日は気温も下がり、ぐっと秋めいてきました。
寒いのが苦手な私は、すでにエアコン暖房のお世話になっています。
昨日は日曜日でしたが、朝から雨が降り続きました。秋の雨だなあと感じています。
わが家の庭の草木も、秋の少しずつ装いになってきました。

中庭庭のハナミズキ

















ドウダンツツジ







芍薬




わが家のモミジは、世間の紅葉が終わりかけの12月に色づきます。
まだ青々しています。








ムラサキシキブ

平等院鳳凰堂で有名な京都府宇治市に源氏物語ミュージアムがあります。以前訪れたとき、建物周りにこれでもかというくらいムラサキシキブが植えられ、実が鈴なりでした。 これはいいと思い、わが家でも植えました。手がほとんどかからず、大きくなりすぎたので、今は小ぶりにしています。

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『孤高の画家ギュスターヴ・モロー』日曜美術館

2013-10-20 08:11:40 | 美術・博物館


今回の日曜美術館は、『孤高の画家 夢を紡いで ギュスターヴ・モロー』でした。
私はいままで、モローという画家は知りませんでした。番組で作品を見て非常に驚きました。
中世の宗教画を思わせるような絵画なのです。ルネサンス時代の絵を見ているような錯覚も覚えます。モローの時代は、印象派も活躍していますが、彼らとは一線をかくすような画風です。
実は私は、印象派も好きですが、どちらかといえば、モローのような作品が好きです。





「ギュスターヴ・モロー( 1826~1898)は、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。
印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神 話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた。彼の作品 は19世紀末のいわゆる『世紀末』の画家や文学者に多大な影響を与え、 象徴主義の先駆者とされている」(Wikipedia)

象徴主義と言われても、ぴんときません。私は世間の評価ではなく、自分が感動した作品、気にいった作品を大事にしたいと思っています。






モローは、19世紀後半、パリの画壇で注目を集めながらも、アトリエに引きこもり、一 人制作に没頭した画家です。
自分の作品を後世に残すため、みずから自宅を美術館に改修して国家に遺贈、それが世界初の国立の個人美術館、ギュスターヴ・モロー美術館となったそうです。
まずは、作品を見ていただきたいです。

ギュスターヴ・モロー美術館





美術館館内





ユピテルとセレメ




一角獣






出現





プロメテウス





カルパッチョの模写




オイデイプスとスフィンクス





オルフェウス





自画像





求婚者たち







ヘラクレスとレルネのヒュドラ




モローは年老いた母と暮らしながら生涯独身を貫き、絵画にすべてをささげた。
ヨーロッパで最も権威あるパリ国立美術学校で学ぶ。

母の死後、国立美術学校の教授職を依頼される、モローはいんとん生活にピリウドをうつ。40年ぶりに母校に戻り、学生たちを指導する。

モローに学んだ学生たち



モローの信頼が熱かったルオー
後に20世紀を代表する宗教画家となります




ルオーの聖顔



ルオー 石臼を回すサムソン




モローの学生のひとり アンリ・マテイス




マテイスのデイナー・テーブル




マテイス王の悲しみ






モローの作品とルオーの作品 非常に似ています。なぜでしょうy。

モロー パルクと死の天使




ルオーの 我らがジャンヌ






余命を悟ったモローは、美術館と絵の完成に力をそそぎます
最後に仕上げた大作。

ユピテルとセメレ 1895




モローの死後5年、友人や教え子により、モロー美術館が完成します。


現在
モローとルオー展が開催されています。













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こころの時代『食(じき)は禅なり』

2013-10-19 06:19:01 | 定年後生活


今回のこころの時代は、食(じき)は禅なりです。
東林院の住職については全く存じ上げませんが、坐禅でお世話になっている妙心寺の住職が出演されるというので、番組を見ました。
今回の放送は、「食べることと真剣に向き合うことは、生きることを見据えること」と説く、京都・妙心寺の塔頭東林院の住職、西川玄房さんです。

私は50代に入り、急激な環境変化に戸惑っていたとき、ふと坐禅を思いだし、以来禅寺通いをしてきました。数年前に体調を崩すまでは、各本山の日曜坐禅会などに毎回参加し、老師の無門関、碧厳録、臨済録、夢中問答などを拝聴しました。
なかでも、東福寺前管長の故福島慶道禅師には、生き方も含め大きな影響を受けました。

元来、先に頭で考えて行動する性分のせいか、坐禅中も雑念だらけです。休憩を入れて1時間半の坐禅中、集中できるのはほんの少しの間です。
禅は頭ではなく体得することが大事だとつくづく思う次第です。禅僧が作務や典座を重視する所以だと思います。
私は今年3月末定年退職しました。まだ働いている妻の手助けになればと思い、主夫見習いの毎日を過ごしています。現役時代、家事はほとんど妻まかせでした。
今は主夫見習いをして、心がけていることがあります。毎日の掃除や食事作りを丁寧に、そして感謝の気持ちをこめてしようと。


















週2回一般の人を対象にした精進料理教室が開かれています。教えているのは、西川住職です。住職は、 「生きていく上で欠かせない“食べる”と いう行為は、自分以外のものの命を頂くことにほかなら ない。食べることと真剣に向き合うことは、生きることを 見据えて命のありがたさを実感すること」と料理を通して説きます。










禅の修行では台所仕事も坐禅同様重要です。




西川さんは料理を通して禅の心を伝えようとしています。
命の尊、ありがたさ、もったいなさ、無駄を省く大切さなどを感じてもらえればいいと。

龍安寺の修行時代の西川さん
料理をつくることも大きな修行でした。







厳しい修行後に東林院住職になります。




精進料理教室開始しました。





精進料理は、季節に出回る素朴な材料を使い、親切丁寧思いやりをもってつくること。
無駄のないよう、最大限活用する、当たり前に料理することに精進するが大切だと言います。
ベジタリアンと違い、今は肉や魚も食べるが、無駄のないように使いきることだと。


西川さんは東林院の境内の畑で野菜づくりをします。






多くの人との縁を結ぼうと料理教室以外にもさまざまな催しを行っています。
それが、 沙羅の花を愛でる会です。

















西川住職は寺の水琴窟の音色を味わって欲しいと言います。
名付けて一壷天(いっこてん)と言うそうです。





「別是一壷天(べつにこれいっこのてん)」という禅語があります。
西川さんは、「坪の中には坪の天があり、人の心にも各自宇宙がある。その宇宙と全体の宇宙がひとつになったとき、大きく生まれ変わることができる。すなわち悟りの境地を言う。悟りは、分別、執着を打ち払い、清浄無垢の世界が悟り」だと言います。










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日曜美術館『円空 』

2013-10-18 07:02:46 | 美術・博物館

私は以前より、円空の仏像に大変興味があり、梅原猛の『歓喜する円空』(2006)を読み、円空の仏教による衆生救済に感銘をうけました。
定年退職を機に、今年5月よりブログをはじめましたが、円空についていつか書いてみようと思っていました。

以前、日曜美術館で、『円空 飛騨巡礼の旅』が放送されました。梅原猛氏も出演し、円空について語っていましたので、仏像とあわせて、紹介します。

【番組案内】
円空は350年前、旅に生き、天災や飢饉などに苦しむ人びとのために、仏像を彫り続けた遊行僧です。生涯に12万体もの仏像を彫ったと伝えられ、現在5千体以上が確認されています。断ち 割った木の肌合いを生かし、ノミ跡を大胆に残した荒々しい造形と、慈愛に満ちた微笑み、仏像の常識を覆す傑出した独創性を持つ仏像は、円空仏と呼ばれ、各地で大切に守り継がれてきました。
円空は現在の岐阜県に生まれ、30歳を過ぎてから仏像を彫り始めます。その後、東北、北海道 へと修行を続けながら仏像を作った円空が、旅の中で繰り返し訪れたのが岐阜県飛騨地方です。高山市を中心に飛騨には円空と人々との結びつきを伝える仏像が数多く残されています。
番組は、型破りな造形はいかにして生み出されたのか?。なぜ12万体もの像を造ろうとしたのか?。円空 に強く心惹かれている東洋文化研究家のアレックス・カーさんが初冬の飛騨に円空と地域の 人々との結びつきを訪ねるというものです。



アレックス・カーさん(東洋文化研究家)




円空(実際の円空はボロボロの衣をまとっていたはずです)




初期の頃の作品 八面荒神像



千光寺の三十三観音立像







観音座像



哲学者梅原猛氏
私はこの人の円空の著作を読み、深く円空にひかれました。







円空が書いた膨大な和歌1600首







和歌を読みといた梅原氏は、人は全部仏になれるというのが円空の思想だと、そして、
ボロボロの衣を着て、日本にあちこちにいる救われぬ人間に対する供養で仏像を作り歩いたと言います。名も知れぬ人に仏教の思想を教えるという一念で作られたものだと。
円空は本当の仏教のあり方を示したとも梅原氏は言います。
あとは、語るより、円空の慈愛にあふれた仏像を御覧いただきたいと思います。



































































いかがでしたでしょうか。慈愛の微笑みの仏像は、他にもたくさんありますが、円空の仏像は独特のやさしい表情をしています。災害や飢饉、病に苦しむ多くの救われぬ衆生にとって、円空仏像は大きな救いになったのではないでしょうか。

円空が亡くなって300年以上経った現在でも、災害や、病といった基本的な状況は変わりありません。たしかに医療は格段に進歩し、昔よりは災害に強い住環境にもなりました。しかし、東日本大震災のように、なすすべがないような巨大地震を経験しました。
医療は進歩しましたが、死を避けることはできません。
現代はあきらめきれない時代だと、誰か言っていました。しかし、あきらめざるを得ないとき、円空仏のような救いは、現在では何なのでしょうか。



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夢の扉『平成のブラックジャックと京都町工場のコラボ』

2013-10-17 06:26:45 | 科学・宇宙・歴史

今回の夢の扉は、『世界が賞賛、二人の日本人が生みだす 最強 の医療器具 、傷痕が残らない手術を実現し、世界中の患者を救う』という、長たらしいが何とも興味がそそられるタイトルでした。
ドリームメーカーは、平成のブラックジャックこと金平永二 さん 、そして 唯一 無二の加工技術をもつ二九良三 さんの二人です。
この二人は、過去に夢の扉で紹介されており、今回はその二人がタッグを組み、 傷痕が残らない体にやさしい手術を可能にす る、医療器具開発するという内容です。






「ずっとこんな手術器具が欲しかったんだ!」 とドイツに集まった世界各国の外科医たちが賞賛する、手術器具を生み出したのは 、内視鏡外科医の金平永二さんです。








金平さんは、患者が喜ぶことが本当の医療という信念を貫くた め、 日本初のフリーランス外科医となった、世界でも トップクラスの熱きスーパードクターだそうです。 そして、もう一人は、軽くて強くて錆びないうえ に、自由自在に曲がるβチタンパイプを、 世界で唯一作る技術をもつ金属精密加工業の二九良三さんです。









『世界中で、何百万人もの人を救えるかもしれな い』 町工場と外科医、まったく異業種の二人が、世界の どこにもない物づくりに乗り出しました。
開発するのは、内視鏡外科手術用の「鉗子(かん し)」です。




開発するのは、“まっすぐ棒状”という従来の常識を覆す、 “ヘビのように曲がりくねった”手術鉗子です。




これができれば、腹を切らずに、 おへその孔から器具を挿入して行う「単孔式内視 鏡手術」に革命が起こる。そのために、金平さんが求めるのは、3ヵ所で曲がり、先端 がグルグル回転する器具です。









試作を重ねても、操作がうまくいかない・・。そ のとき二人は、互いにある行動に出ました。それは、多くの人が、安全に、安心して体にやさしい手 術を受けられるようにとの思いで 「医工連携」を強めたのです。

外科医と町工場のコラボ挑戦、その名前は、「ザ・プロジェクト・ドラコ」。
なんとも面白い名前です。




7カ月間の挑戦の末ついに完成します。
そして、世界のトップクラスの外科医と世界の医療機器メーカーが参加した、国際学会で、βチタンパイプを使った新しい手術器具「ドラゴン」を発表します。
からだに優しい手術を世界に広めたい、その思いで作った器具の発表は、学会一の関心を集めます。




























本物の手塚治虫のブラック・ジャックのように、出来すぎのような話ですが、新たな器具が患者さんに喜んでもらえばいいですね。








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