京都で定年後生活

2013年3月60歳で定年退職。

美術館と庭園めぐり、京都の四季の行事と花を綴ります。

本日初雪 三条大橋の河津桜開花近づく

2020-01-31 17:18:28 | 2020 花


本日は寒い一日で、京都市内で初雪が観測されたそうです。
例年より47日、昨年より53日遅い初雪とのこと。
これは1881年以降最も遅い記録です。
この間は暖かったせいか、余計寒く感じます。最高気温は7.8度でした。

そんな中、三条大橋の河津桜のチェックに行ってきました。
もう少しで開花しそうです。































弥次さんと喜多さんの像





三条大橋より
北山の雪














比叡山
北山より少ないです。




金閣寺(昨日午後のライブカメラ)





























京町屋下京(19)京町屋hana、Osteria Caccinella、cafe malble、團斗、喜むら、京の禅 車、cafe&Dining

2020-01-30 18:13:21 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区、第19回です。

京町屋hana





Osteria Caccinella





cafe malble















團斗










喜むら





京の禅 車









cafe&Dining





町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。


寒桜開花

2020-01-30 05:42:23 | 2020 花


今年は暖冬ですが、とりわけこの数日は気温が高く、早春の花の開花が一気に早まりました。
植物園の寒桜も開花です。
河津桜の開花はまだですが、大分蕾が膨らんでいます。
今年は桜の開花も早そうです。




























不断桜














子福桜





ソシンソウバイ









ロウバイ












京町屋下京(18)松楳園、佐*家、八木米一堂、四軒町屋、ひさご、ひご久、GRRGANTUA、割烹たいら

2020-01-29 18:29:15 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区。第18回です。

松楳園





佐*家










八木米一堂






四軒町屋





ひさご






ひご久





GRRGANTUA





割烹たいら





町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。






明智光秀の天寧寺と織田信長の阿弥陀寺

2020-01-29 05:40:08 | 京都歴史散策


今年1月19日にNHK大河ドラマは『麒麟がくる』がスタートしました。
明智光秀は京都にゆかりがあり、そういう場所ではさまざまな取組が計画されているようです。
私の家では、妻がNHKの朝ドラと大河ファンで欠かさず視聴しています。
私は朝ドラの時間は散策に出かけており、大河の時間帯は入浴時間です。
そんな大河ドラマに不熱心な私でも、本能寺で織田信長を討った、明智光秀には興味があり、今回どんな描かれ方をするのか気にはなります。
私のblogカテゴリー「京都歴史散策」で昨年、「明智光秀の首塚」(6/25)、「旧本能寺跡と織田信長」(8/29)、「織田信長と旧二条城」(9/23)などを投稿してきました。
今から20年ほど前に寺の屋根裏から明智光秀の位牌が出てきた天寧寺と、織田信長の供養塔がある阿弥陀を訪れました。

天寧寺
北区寺町通りの曹洞宗の寺院で、『額縁門』が有名で何度か私も訪れています。
山門から見える比叡山が美しいです。








駒札





本堂、書院、唐門





ツツジが咲いています。









本堂、庫裏入口





近くに『明智光秀公報恩塔』が建っています。





石碑にはこの云われが彫られています。





『平成十一年本堂修復工事の際須弥壇の屋根裏から明智光秀公の位牌が発見された。天正年間と伝えられる会津天寧寺の上洛に係わる報恩のためか。』とあります。

発見された当時の新聞に面白い記事が出ています。
『天寧寺の本堂の天井裏から明智光秀の位牌が出てきたことが話題になった。光秀の死後数百年経た江戸時代に作られたものらしい。
「謀反人」という世評もあるため天井裏に置かれたのだろうが、ちょうど本尊の上あたりに置いていたというから、寺としては相当に大事にしていたのだろうと思われる。
なぜこの寺に置かれていたか定説はない。天寧寺はもともと会津藩にかかわる寺で光秀との関係は考えられない。
だがこの寺が建つ以前は比叡山延暦寺の末寺、松陰坊があったという。延暦寺への参拝前に宿泊するような施設だったようで、今も境内から比叡山が美しく望める。特に門から見る山は絶景で、「額縁の門」の名を持つ。
光秀の位牌は松陰坊、ひいては延暦寺と光秀の関わりの深さを物語るもので、それを寺が変わった今も守っている-ということである。
光秀と比叡山で思い出されるのは、元亀2(1571)年9月の比叡山の焼き打ちだろう。実行部隊として信長に従ったものの、教養が高く、信心深い光秀にとっては耐え難い行為だったかもしれない。
このためだろうか、神仏の嫌いな信長は焼き打ちの戦後処理を光秀に任せたうえで比叡山の麓に領地を与え、光秀は延暦寺のおひざ元・坂本に城を構えることになる。
このころから、光秀は信長の中に「鬼」を見ていたのではないか。
その後、かつて仕えていた朝倉義景と浅井久政・長政親子の頭蓋骨に金箔を張って酒宴を催し、一向一揆では信者を大量虐殺するなど、光秀にとって非情な出来事が次々起こる。
そして、本能寺の1カ月前。武田家を滅ぼした徳川家康と酒宴を催した際、接待役を任された光秀が因縁をつけられた揚げ句、中国で毛利軍と戦闘中だった格下の羽柴秀吉の援軍を命じられる始末…。
どこまでが事実かは不明な点はあるが、信長が光秀に仕打ちを行ったエピソードは数限りない。
天正10(1582)年5月27日、光秀は丹波(現在の京都府亀岡市)の亀山城から「明智越え」を経由して愛宕山を参拝する。愛宕神社の本地仏が勝軍地蔵のため、戦勝祈願に出向いた光秀は何度もくじを引いたという。
翌日の連歌会で光秀が詠んだ句は「時は今 あめが下しる 五月かな」。
「時」は光秀の出身の土岐氏。「あめが下しる」は「天が下知る」に置き換えることができ、天下取りを意識した句だいうのが大方の見方だ。
6月1日夕刻、秀吉の援軍に向かうとして、1万3千の兵を率いて亀山城を出た光秀は重臣に謀反の意志を伝え、桂川を渡ったところで全軍にあの名文句「敵は本能寺にあり」と伝えたという。
山陰街道から七条通に入った明智軍の先鋒は斎藤利三が務め、暗がりの中で町内ごとにある柵を開かせながらスムーズに本能寺に近づいた。さらに嫡男・信忠のいる妙覚寺へと軍を進めていく。
わずかな手勢しか率いていなかった信長・信忠親子を夜明け間近に襲った計画は信長の虚を突く、いくさ巧者の光秀らしい作戦だった。』とあります。

上記記事はなかなか興味がそそられる内容です。
その天寧寺のある場所から寺町通りを数百メートル南下するところに、織田信長の菩提寺の阿弥陀寺があります。

阿弥陀寺










駒札





本堂





以下wikipediaより
『阿弥陀寺は京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町にある浄土宗の寺院である。山号は蓮台山。院号は総見院。本尊は阿弥陀如来。
創建年 天文24年(1555年) 開基 玉誉清玉
天文24年(1555年)玉誉清玉が近江国坂本に創建したのがこの寺の始まりとされ、その後清玉が織田信長の帰依を得、上京今出川大宮に移転。
天正10年(1582年)、信長が本能寺で討たれると、清玉上人が自ら現地に赴いて信長の遺灰を持ち帰って、墓を築いたとされる。後に信忠の遺骨も、二条御新造より拾い集めて、その横に墓をなした。さらに本能寺の変の名の分からぬ犠牲者大勢も、阿弥陀寺に葬って供養したという。
天正13年(1585年)、現在地に移転した。延宝3年(1675年)11月25日に大火あって、信長公の木像、武具・道具類などの遺物が焼失した。焼け残ったものは大雲院に移されたが、同院でも再び火災にあってほとんど現存しない。
美作国津山藩の4代藩主森長成は毎年6月2日に法要をし、信長公百年忌も執り行ったと云うが、森家の改易後は御茶湯料の寄進はなくなったとする。
織田信長廟
織田信長(総見院殿贈大相国一品泰巌大居士)
織田信忠(大雲院三品羽林仙巖大居士)
供養墓 森成利(蘭丸)・森長隆(坊丸)・森長氏(力丸)の兄弟、福富秀勝、津田権之佐信貞[3]、津田九郎次郎、赤座七郎右衛門、団平八郎、湯浅甚介、櫻木傳七郎、青柳勘太郎、桑原吉三

また別の京都観光案内書では
『浄土宗寺院・百万遍知恩寺末。信長の帰依を受けた清玉上人開山、当時蓮臺野芝薬師に塔頭十三ケ院、八町四方の伽藍を構えていた織田家の菩提寺。信長公本廟たる由縁は、天正十年六月二日未明、信長公宿所たる本能寺の異変を清玉上人は察知し、駆けつけるが間に合わず、近習の武士達に遺骸を託され持ち帰る。その後明智光秀の陣を訪ね、戦闘の停止と、嫡子信忠・森蘭丸等、当日本能寺、二条城にて自刃・討死した織田家中百余名の遺骸の収容・供養を申し出、光秀はこれを受諾、清玉は阿弥陀寺にて供養、墓を建てた。今も信長はじめ百余名の討死衆の合祀位牌が現存、供養されている。その後秀吉の寺町造成に伴い寺域を縮小、移転され現在の場所に移る。信長公本廟とは、大正六年位階追陞(信長公に正一位を追贈する儀式)の為に宮内庁調査により、阿弥陀寺の信長公墓が廟所であると確認され勅使の来訪があった。六月二日のみ「信長忌」勤修の為堂内拝観可。併せて各種寺宝公開。6月2日「信長忌」勤修』とあります。

玉誉清玉について

清玉上人の母親が妊娠中に道端で倒れたところを、信長の兄が助けました。
母親は清玉上人を産み落としてすぐに亡くなったので、清玉上人は織田家の中で育てられ、援助を受けて阿弥陀寺の住職になったと言われています。織田信長ら織田家は清玉上人にとっては恩人の存在だったのです。
清玉上人はその恩に報いるように本能寺の変の直後に駆けつけたのではないでしょうか。
そうでなければ、変の直後に織田信長の遺品などを集めることは不可能だったと思います。

以上明智光秀にゆかりがある天寧寺と織田信長ゆかりの阿弥陀寺の散策記録でした。






京町屋下京(17)井上清七薬房、文化サロン井上、大*家、筋屋、たくたく、桜木家、SANURAI JEANS

2020-01-28 18:33:36 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区、第17回です。

井上清七薬房


















文化サロン井上





大*家





筋屋










たくたく









桜木家





SANURAI JEANS










町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。



京博のお正月

2020-01-28 05:44:41 | 美術・博物館


少し前に京都国立博物館に行ってきました。
特別展示ではなかったのですが、見ごたえある内容でした。








特集展示 『神像と獅子・狛犬』





特別公開 『修理完成記念 舞鶴市・善福寺の地蔵菩薩坐像』
『日本の彫刻』、『書跡いにしえの旅』、
『染織 染めと織りの文様 ―古典文学をまとう―』
『室町時代の金工Ⅱ』
『京漆器を愉しむお正月―美濃屋コレクション―』
『幻の源氏物語絵巻』





『仏画十二天屏風の世界』
『中世絵画 松竹梅の美術』
『特集展示 京都御所障壁画 紫宸殿』





『中国絵画牧谿とその周辺』
『陶磁日本と東洋のやきもの』
『考古 鳥取・兵庫の原始古代』


明治館









平成知新館









一階ロビー撮影可能作品

『四季山水図屏風』 式部輝忠筆 室町時代十六世紀








『韃靼人狩猟・打毬図屏風』 伝狩野宗秀筆 桃山時代十六世紀








京博公式キャラクターPR大使 虎形琳ノ丞(こがたりんのじょう)
通称 「トラりん」です。
尾形光琳の「竹虎図」の虎をモチーフにしたものです。




尾形光琳の「竹虎図」





椿咲いています。












京町屋下京(16)吉*家、中*家、不明、京町屋イタリアン、若*不動産、松*家、雲町屋

2020-01-27 18:32:39 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区、第16回です。

吉*家





中*家





不明





京町屋イタリアン





若*不動産





松*家





雲町屋










町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。










散策上賀茂神社と手づくり市

2020-01-27 06:49:14 | 京都めぐり


昨日上賀茂神社の『手づくり市』を覗きに行ってきました。
市内の手づくり市は知恩寺、東寺、下鴨神社などで賑わっていますが、上賀茂神社でも2006年から第4日曜日に定期開催されています。
手づくり市と名うっているように、手づくりの品物に限定した市です。
世界文化遺産・上賀茂神社の境内を流れる“ならの小川”沿いを会場として、毎月約250店を超える店舗が軒を連ねます。
アクセサリーに布小物や衣料、陶芸品に木工品、新鮮な農産物から美味しい焼菓子やパンに至るまでいろいろです。
眺めて歩くだけでもうれしいです。





あと一週間もすれば節分です。
京都のあちこちの神社で節分祭が開催されます。
上賀茂神社の案内看板






参道にも幟が並んでいます。





昨日は日曜日、神馬も出ています。





立砂
清めの砂はこれが起源です。




楼門










昨日の手づくり市は266店舗が出店しています。
天気に恵まれ賑やかです。






























境内の憩いの庭













神山湧水珈琲










社家町









新たにオープンしたようです。





上賀茂神社の手づくり市は節分祭の当日(2/3)も9時から開催されるそうです。

京都市内の手づくり市
梅小路公園 毎月第1土曜日 「梅小路公園手作り市」9:00~16:00(雨天決行/1月と5月は休み)
大将軍神社 毎月第1日曜日 「大将軍一の市」9:00~15:00頃(少雨決行)
東寺 毎月第1日曜日「東寺ガラクタ市・手作り市」5:00~16:00頃(雨天決行)
京都府立 陶板名画の庭 毎月第1日曜日「北山クラフトガーデン」10:00~16:00(雨天決行/1月と10月は休み)通常は入場料100円
隨心院 毎月第1日曜日 「小町手づくり市」8:30~15:30(原則 雨天決行/8月は休み)
岡崎公園 毎月第2土曜日 「平安楽市(岡崎公園手づくり市)」10:00~16:00(雨天決行)
松尾大社 毎月第2日曜日 「フリーマーケット「亀の市」」9:00~15:00頃(雨天の場合は順延か中止/8月は休み)
藤森神社 毎月第3日曜日 「藤森手づくり市」9:00~16:00(6月の開催はあじさい祭りの関係で日時が変更も)
竜馬通り商店街 毎月第3日曜日 「おとせの手作り市」10:00~16:00(雨天や夏・冬の気候の厳しい時には中止)
上賀茂神社 毎月第4日曜日「上賀茂てづくり市」9:00~16:00(雨天決行)

毎月1日 今宮神社「今宮市 手作りフリマ」10:00~15:00(5月は休み)
毎月2日 安楽寺「安楽寺くさの地蔵縁日」9:30~16:30/入山料500円(お土産付き)/15歳未満は無料
毎月8日 萬福寺 「ほていまつり」9:00~17:00(2月と8月は休み/当日は一般入山料無料)
毎月8日 平等寺(因幡薬師) 「手作り市」9:00~16:00/10:30~本堂で護摩祈願
毎月8日/18日/28日 豊国神社「豊国さんのおもしろ市」10:00~15:00(雨天中止)
毎月15日 百万遍知恩寺「百万遍さんの手作り市」8:00~16:00(雨天決行)
毎月16日 西本願寺「いちろく市」9:00~15:30
毎月18日 上御霊神社「さえずり市」9:00~16:00(5月は休み)
毎月21日 東寺「弘法市(弘法さん)」5:00~16:00頃(雨天決行)
毎月25日 北野天満宮「天神市(天神さん)」6:00~21:00
毎月29日 醍醐寺「醍醐市」9:00~16:00(先着200名に無料で薬膳粥の振る舞いあり)







京町屋下京(15)つじや、西村弥兵衛、吉村大観堂、町屋カフェ、吉田宗兵衛、CAMERON、谷川清次郎商店

2020-01-26 17:59:01 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区の続き、第15回です。

つじや





西村弥兵衛





吉村大観堂









町屋カフェ






吉田宗兵衛















CAMERON





谷川清次郎商店










京町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。












フクジュソウ(福寿草)開花、フキノトウ

2020-01-26 05:39:17 | 2020 花


セツブンソウ(節分草)に続き、早春の花フクジュソウ(福寿草)も開花しました。
フクジュソウは日本各地の山野に多く見られる早春の花です。
梅の花がほころぶ頃から蕾をもち上げ、黄色の花を咲かせます。
福を招くというおめでたい名前から、正月の鉢花としても人気が高い花です。


















フキノトウ





ウグイスカグラ













京町屋下京(14)あや富、ふうびととすうろ、ギャラリー富小路、西*家、山*家、長松寺

2020-01-25 19:16:57 | 京都の町 町屋・建造物


京都の町屋下京区の続き、第14回です。

あや富





ふうびととすうろ





ギャラリー富小路





西*家





山*家





長松寺











京町屋外観の特徴
屋根
一階庇の最前列は一文字瓦で葺いています。
横の一直線と格子の縦の線の調合が町屋の外観美の一つです。
格子
格子は戦国時代からで、内からは外がよく見え、外からはよく見えないようになっています。
家の商いや家主の好みでデザインが異なります。
上部が切り取られた「糸屋格子」、太い連子の「麩屋格子」、「炭屋格子」、重い酒樽や米俵を扱う「酒屋格子」、「米屋格子」、繊細な「仕舞屋格子」などがあります。格子を紅殻で塗ったものが紅殻格子。
ばったり床几
元々は商いの品を並べるもので、後に腰掛け用に床几として近隣との語らいの場でした。ばったりとは棚を上げ下げするときの音からきています。
店の間の外観
軒下に水引暖簾、大戸に印暖簾を掛けます。
虫籠窓
表に面した二階が低くなっている「厨子二階」に多く見られる意匠。
防火と道行く人を見下ろさない配慮と言われています。
犬矢来
竹の犬矢来は割竹を透き間なく組んだものから、少し透かしたものまでさなざまです。
直線的な町屋の表情を和らげてくれます。