熊毛(くまけ)の浦に舶(ふね)泊(はて)せし夜に作れる歌四首
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
少し困っています。集歌3640の歌の「刈り薦の乱れて」の詞に注目すると、現在に伝わる宇佐神宮の薦刈神事は七月初午の日に行われますから、歌の季節は七月を示します。ところが、集歌3642の歌の「あさりする鶴鳴きて騒きぬ」の詞に注目すると晩秋でしょうか。すると、羽栗の歌と他の三首は年が違うのかもしれません。その場合は、残りの三首は可能性として神亀元年九月下旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂かもしれません。
熊毛浦舶泊之夜作歌四首
標訓 熊毛(くまけ)の浦に舶(ふね)泊(はて)せし夜に作れる歌四首
集歌3640 美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都甚夜良牟
訓読 京(みやこ)辺(へ)に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ事告げやらむ
私訳 奈良の京の方に行く船が欲しい。刈る薦の跡のように乱れる私の想う事を手紙に書いて送りたい。
右一首、羽栗
左注 右の一首は、羽栗
集歌3641 安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良末欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母
訓読 暁の家恋しきに浦廻(うらみ)より楫の音するは海人(あま)娘子(をとめ)かも
私訳 夜明けの暁に家を恋しく想っていると、湊の方から楫の音がするのは海人娘子なのだろうか。
集歌3642 於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴
訓読 沖(おき)辺(へ)より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒(さわ)きぬ
私訳 遠浅の海岸の沖の方から潮が満ちて来るようだ、可良の浦で餌を探す鶴が鳴いて騒いでいる。
集歌3643 於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎
訓読 沖(おき)辺(へ)より船人上る呼び寄せていざ告げ遣(や)らむ旅の宿(やど)りを
私訳 沖の方で船の旅人が奈良の京に上って行く。その船を呼び寄せて、さあ、手紙に書いて京に送ってやろう。今までの京からの旅の様子を。
一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈
左注 一は云はく、旅の宿(やど)りをいざ告げ遣(や)らな
佐婆の海中に漂流して作れる歌八首
可能性として神亀元年九月中旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂
集歌3644の歌で詠う雪連宅麿は、萩の花散り初尾花の咲く仲秋に旅の途中の壱岐で病死しています。また、集歌3651の歌では「ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出でぬかも」と詠います。そこに、二十三夜の月のように夜半に出る月と感じました。それやこれやでの、神亀元年九月中旬です。
なお、歌の標では「到著豊前國下毛郡分間浦」としていますが、歌の内容からは上陸はしなかったようで、夜に漂流して方向を見失い、朝に陸地を確認して船の位置を知ったようです。所定の日程からは一日の遅れになるのでしょう、それで、これから朝鮮海峡を横断する一行ですから、彼らが詠う歌には漂流の恐怖感は無いのですが、標の漢文では「於是追怛艱難、悽惆作八首」として、公に定められている旅程からの日程の遅れの言い訳をしています。何時の時代も、勤め人は辛いものです。
ただし、江戸時代頃から、これらの歌の中に漂流の恐怖を感じることになっているようですが、和歌の素人である私には全くその漂流の恐怖感を感じ取れないのが、悲しいことです。それで、普段の解説とは違う世界になっています。
佐婆海中、忽遭逆風漲浪漂流。經宿而後、幸得順風、到著豊前國下毛郡分間浦。於是追怛艱難、悽惆作八首
標訓 佐婆(さば)の海中(わたなか)にして、忽(にはか)に逆風に遭ひて漲浪(ちょうろう)に漂流せり。經宿(やどり)せし後に、幸(さきはひ)に順風を得て、豊前國の下毛郡(しもつけのこほり)の分間(わくま)の浦に到著(とうちゃく)す。ここに追ひて艱難を怛(いた)み、悽惆(かなしみ)みて作れる八首
集歌3644 於保伎美能 美許等可之故美 於保布祢能 由伎能麻尓末 夜杼里須流可母
訓読 大王(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み大船の行きのまにまに宿りするかも
私訳 大王の御命令を謹んで、大船の進行にあわせて、旅の宿りをすることです。
右一首、雪宅麿
左注 右の一首は、雪宅麿
集歌3645 和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖
訓読 吾妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
私訳 私の愛しい貴女は早く帰って来ないかと待っているでしょうが、私は海の沖の船に留まっている。陸の家に住まないで。
集歌3646 宇良末欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛
訓読 浦廻(うらみ)より漕ぎ来し船を風早(かぜはや)み沖つ御浦(みうら)に宿りするかも
私訳 湊の方から漕ぎ出して来た船を、風が速いので沖の海神の湊で夜を過ごすのでしょう。
集歌3647 和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流
訓読 吾妹子がいかに思へかぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)にし見ゆる
私訳 私の愛しい貴女がどのように思うでしょか、私は漆黒の一夜も欠かすことなく貴女を夢に見ています。
集歌3648 宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無
訓読 海原(うなはら)の沖(おき)辺(へ)に灯(とも)し漁(いさ)る火は明(あか)して灯(とも)せ大和島見む
私訳 海原の沖合に灯す漁火は、明るく照らせ、大和島を見よう。
集歌3649 可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類
訓読 鴨じもの浮(うき)寝(ね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(くろ)き髪に露ぞ置きにける
私訳 鴨のように浮寝をすると、蜷の腸のような真黒な髪に波飛沫の露が降りています。
集歌3650 比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛
訓読 ひさかたの天照る月は見つれども吾(あ)が思ふ妹に逢はぬころかも
私訳 遥か彼方の天空に照る月を見るのですが、月の出る彼方に住む私が心に想う貴女には逢えないこのころです。
集歌3651 奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟
訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出でぬかも海原(うなはら)の八十島の上ゆ妹があたり見む
私訳 漆黒の夜を渡って行く月は早くでないかな。海原の多くの島々の先に貴女の住む方向を見ましょう。
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
少し困っています。集歌3640の歌の「刈り薦の乱れて」の詞に注目すると、現在に伝わる宇佐神宮の薦刈神事は七月初午の日に行われますから、歌の季節は七月を示します。ところが、集歌3642の歌の「あさりする鶴鳴きて騒きぬ」の詞に注目すると晩秋でしょうか。すると、羽栗の歌と他の三首は年が違うのかもしれません。その場合は、残りの三首は可能性として神亀元年九月下旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂かもしれません。
熊毛浦舶泊之夜作歌四首
標訓 熊毛(くまけ)の浦に舶(ふね)泊(はて)せし夜に作れる歌四首
集歌3640 美夜故邊尓 由可牟船毛我 可里許母能 美太礼弖於毛布 許登都甚夜良牟
訓読 京(みやこ)辺(へ)に行かむ船もが刈り薦の乱れて思ふ事告げやらむ
私訳 奈良の京の方に行く船が欲しい。刈る薦の跡のように乱れる私の想う事を手紙に書いて送りたい。
右一首、羽栗
左注 右の一首は、羽栗
集歌3641 安可等伎能 伊敝胡悲之伎尓 宇良末欲理 可治乃於等須流波 安麻乎等女可母
訓読 暁の家恋しきに浦廻(うらみ)より楫の音するは海人(あま)娘子(をとめ)かも
私訳 夜明けの暁に家を恋しく想っていると、湊の方から楫の音がするのは海人娘子なのだろうか。
集歌3642 於枳敝欲理 之保美知久良之 可良能宇良尓 安佐里須流多豆 奈伎弖佐和伎奴
訓読 沖(おき)辺(へ)より潮満ち来らし可良の浦にあさりする鶴(たづ)鳴きて騒(さわ)きぬ
私訳 遠浅の海岸の沖の方から潮が満ちて来るようだ、可良の浦で餌を探す鶴が鳴いて騒いでいる。
集歌3643 於吉敝欲里 布奈妣等能煩流 与妣与勢弖 伊射都氣也良牟 多婢能也登里乎
訓読 沖(おき)辺(へ)より船人上る呼び寄せていざ告げ遣(や)らむ旅の宿(やど)りを
私訳 沖の方で船の旅人が奈良の京に上って行く。その船を呼び寄せて、さあ、手紙に書いて京に送ってやろう。今までの京からの旅の様子を。
一云 多妣能夜杼里乎 伊射都氣夜良奈
左注 一は云はく、旅の宿(やど)りをいざ告げ遣(や)らな
佐婆の海中に漂流して作れる歌八首
可能性として神亀元年九月中旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂
集歌3644の歌で詠う雪連宅麿は、萩の花散り初尾花の咲く仲秋に旅の途中の壱岐で病死しています。また、集歌3651の歌では「ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出でぬかも」と詠います。そこに、二十三夜の月のように夜半に出る月と感じました。それやこれやでの、神亀元年九月中旬です。
なお、歌の標では「到著豊前國下毛郡分間浦」としていますが、歌の内容からは上陸はしなかったようで、夜に漂流して方向を見失い、朝に陸地を確認して船の位置を知ったようです。所定の日程からは一日の遅れになるのでしょう、それで、これから朝鮮海峡を横断する一行ですから、彼らが詠う歌には漂流の恐怖感は無いのですが、標の漢文では「於是追怛艱難、悽惆作八首」として、公に定められている旅程からの日程の遅れの言い訳をしています。何時の時代も、勤め人は辛いものです。
ただし、江戸時代頃から、これらの歌の中に漂流の恐怖を感じることになっているようですが、和歌の素人である私には全くその漂流の恐怖感を感じ取れないのが、悲しいことです。それで、普段の解説とは違う世界になっています。
佐婆海中、忽遭逆風漲浪漂流。經宿而後、幸得順風、到著豊前國下毛郡分間浦。於是追怛艱難、悽惆作八首
標訓 佐婆(さば)の海中(わたなか)にして、忽(にはか)に逆風に遭ひて漲浪(ちょうろう)に漂流せり。經宿(やどり)せし後に、幸(さきはひ)に順風を得て、豊前國の下毛郡(しもつけのこほり)の分間(わくま)の浦に到著(とうちゃく)す。ここに追ひて艱難を怛(いた)み、悽惆(かなしみ)みて作れる八首
集歌3644 於保伎美能 美許等可之故美 於保布祢能 由伎能麻尓末 夜杼里須流可母
訓読 大王(おほきみ)の命(みこと)畏(かしこ)み大船の行きのまにまに宿りするかも
私訳 大王の御命令を謹んで、大船の進行にあわせて、旅の宿りをすることです。
右一首、雪宅麿
左注 右の一首は、雪宅麿
集歌3645 和伎毛故波 伴也母許奴可登 麻都良牟乎 於伎尓也須麻牟 伊敝都可受之弖
訓読 吾妹子は早も来ぬかと待つらむを沖にや住まむ家つかずして
私訳 私の愛しい貴女は早く帰って来ないかと待っているでしょうが、私は海の沖の船に留まっている。陸の家に住まないで。
集歌3646 宇良末欲里 許藝許之布祢乎 風波夜美 於伎都美宇良尓 夜杼里須流可毛
訓読 浦廻(うらみ)より漕ぎ来し船を風早(かぜはや)み沖つ御浦(みうら)に宿りするかも
私訳 湊の方から漕ぎ出して来た船を、風が速いので沖の海神の湊で夜を過ごすのでしょう。
集歌3647 和伎毛故我 伊可尓於毛倍可 奴婆多末能 比登欲毛於知受 伊米尓之美由流
訓読 吾妹子がいかに思へかぬばたまの一夜(ひとよ)もおちず夢(いめ)にし見ゆる
私訳 私の愛しい貴女がどのように思うでしょか、私は漆黒の一夜も欠かすことなく貴女を夢に見ています。
集歌3648 宇奈波良能 於伎敝尓等毛之 伊射流火波 安可之弖登母世 夜麻登思麻見無
訓読 海原(うなはら)の沖(おき)辺(へ)に灯(とも)し漁(いさ)る火は明(あか)して灯(とも)せ大和島見む
私訳 海原の沖合に灯す漁火は、明るく照らせ、大和島を見よう。
集歌3649 可母自毛能 宇伎祢乎須礼婆 美奈能和多 可具呂伎可美尓 都由曽於伎尓家類
訓読 鴨じもの浮(うき)寝(ね)をすれば蜷(みな)の腸(わた)か黒(くろ)き髪に露ぞ置きにける
私訳 鴨のように浮寝をすると、蜷の腸のような真黒な髪に波飛沫の露が降りています。
集歌3650 比左可多能 安麻弖流月波 見都礼杼母 安我母布伊毛尓 安波奴許呂可毛
訓読 ひさかたの天照る月は見つれども吾(あ)が思ふ妹に逢はぬころかも
私訳 遥か彼方の天空に照る月を見るのですが、月の出る彼方に住む私が心に想う貴女には逢えないこのころです。
集歌3651 奴波多麻能 欲和多流月者 波夜毛伊弖奴香文 宇奈波良能 夜蘇之麻能宇倍由 伊毛我安多里見牟
訓読 ぬばたまの夜(よ)渡る月は早も出でぬかも海原(うなはら)の八十島の上ゆ妹があたり見む
私訳 漆黒の夜を渡って行く月は早くでないかな。海原の多くの島々の先に貴女の住む方向を見ましょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます