竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二一九 今週のみそひと歌を振り返る その三九

2017年06月17日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二一九 今週のみそひと歌を振り返る その三九

 すみません。今回、取り上げ、遊びます歌は、すでに弊ブログでは何度も取り上げています。ただただ、個人の好みに従い、再び取り上げています。
 歌は柿本朝臣人麻呂歌集に載る歌として紹介されるものです。

集歌1068 天海丹 雲之波立 月船 星之林丹 榜隠所見
訓読 天つ海(み)に雲し波立ち月船し星し林に榜(こ)ぎ隠(かげ)そ見ゆ
私訳 天空の海に雲の波が立ち、上弦の三日月の船が星の林の中で、漕ぎ行き雲の波間に隠れたのを見た。

 昔、弊ブログで次のような酔っぱらいの感想を述べていました。ネット時代の怖さで、世に流れると消すに消せないようで、実に冷や汗ものです。(一部、訂正・追記あり)

 世界に誇る、日本人の感性を示す言葉があります。それが「月船(つきのふね)」です。この「月船」の言葉は月齢七日頃の山の端に沈み逝く月を船に、星々で形作られた闇夜に輝く天の川に懸かる雲を波に見立て、それが渡って行くとした表現です。そして、この言葉は飛鳥浄御原宮晩期から藤原京初期にかけて柿本人麻呂によって作られた日本人独特の感性に基づく言葉です。一見、「月船」の言葉は漢語のようですが、日本人独特の感性に因る為に中国漢詩の世界には現れない宇宙観であり、比喩です。
 確かに漢詩に「月船(又は月舟)」の文字が出て来るものがありますが、晩唐時代に尚顏が「送劉必先」で詠うように人麻呂が詠った「月船」の言葉とは違うものです。また、漢代には「遊月船」と云う言葉はありましたが、詩文の対句構成からしますとその言葉の意味合いとしては「遊月+船」ですので、大和人が愛した「月船」の言葉の意味合いとは違うものです。

 さて、人々が使う言葉にはその言葉を使う人々の生活があります。大陸の風習では第一等の美人を飾り立て、衆人注目の中、その美貌を人々に周知させ、豪奢な輿や車で自分の許に通わすのが男の中の男を象徴する行為です。一方、大和では人知れぬように噂の美人の許を密やかに通うのが第一級の風流子です。
 それが七夕の風習に端的に現れます。大陸ではカササギの羽を重ねた橋を美人が渡り男の許へと通い、大和では男が天の川を「なずみ」して渡り美人の許へと通います。この背景があるがため、七夕の宴で詠われた「月船」の言葉は日本人独特の感性に基づくものなのです。従いまして、中国古典漢詩に『万葉集』に載る「月船」の言葉の由来を求めるのは無理筋です。漢詩の世界では、最大の可能性として、西王母と漢武帝との伝説にもあるように七夕の夜に美人が飛雲に乗る俥で月から地上に降りて来るものなのです。さらに、西洋に目を向けましても三日月を水牛の角と見立てる例が多数派で、それは「月船」と見立てる日本人の感性とは違うものです。

<参考資料 一>
送劉必先(尚顏 全唐詩より)
力進憑詩業、心焦闕問安  力は詩業に進憑し、心は安の問ふを闕くに焦る
遠行無處易、孤立本来難  遠行、易き處無く、孤立、本より来難し
楚月船中没、秦星馬上残  楚の月は船中に没し、秦の星の馬上に残る
明年有公道、更以命推看  明年、公道に有り、更に命を以って推看す

<参考資料 二>
遊月船 : 漢宮遊船名。影娥池中有遊月船、觸月船、鴻毛船、遠見船。載數百人。


 紹介しました集歌1068の歌は柿本朝臣人麻呂歌集に載る歌と記載されるために、訓詁学では無名歌人の歌として扱われ、柿本人麻呂の歌とは認定されていません。他方、現在ではそのような思考停止の行為は取らず、未署名作品の鑑定方法という別の学問分野から、ほぼ、柿本人麻呂の歌と認定されています。
 作歌者問題はどうあれ、この人麻呂が詠う歌の世界は美しく、使う言葉も漢詩のような雰囲気があります。この漢詩のような雰囲気があるために、古く、唐漢詩の影響があるに違いないとされてきましたし、唐と大和との文学界からしても秀逸な歌の世界です。三日月の姿を舟と見立てただけでなく、その舟には七夕祭であれば牽牛が乗り、別な神話では月人壮士が乗るのかもしれません。目の前に見える月の風情ですが、その先には多くの神話が詠われていることに気付く必要があります。
 さらに「星之林」は何を意味するのかという議論があります。ただ、本気になって、昭和時代以前の文学者たちが中国漢詩を調べて「月舟」や「星林」という言葉を探ったかというと疑問です。人麻呂の歌よりも後の時代の漢詩から影響が認められるとの議論は、平成年間では認められません。影響があるとするならば隋以前の漢詩や詩文を示す必要がありますが、さて、そのようなものがあるのでしょうか。また、人麻呂より後の世代の文武天皇の漢詩を例題に取り出す人もいますが、それは本末転倒です。文武天皇の漢詩は人麻呂の影響を受けたものです。
 中国漢詩は人が中心であり、満月が鑑賞の対象です。三日月を中心に据えて、さて、歌を詠ったでしょうか。ただし、天平年間以降では中国漢詩に大和からの自然を鑑賞し歌とする可能性は伝わったようで、大和風のにおいがする作品が見られます。日本の遣唐使の人たちはそのままに唐朝廷の高級官僚の一席を占めるような教養を持ち合わせていましたから、大和から影響があったとしても不自然ではありません。
 いろいろとごたくを並べましたが、人麻呂が詠う集歌1068の歌の世界は大和の人々の感性を代表するものです。当時の人々は月をこのように恋人と鑑賞し、七夕の夜を過ごしていたのです。そして、月の舟は逢瀬という恋人が待つ岸に着き、夜通し愛を確かめることになっています。それが神代からの定めで、人もそれにしたがっていたようです。そうした中、暗闇の中、肩を寄せ合う若い男女に、末句「隠所見」という表現は意味深長です。歌には見方によっては、このような言葉遊びの世界もあります。

 さて、先ほどの「星之林」は、いったい、何を意味するのでしょうか。弊ブログでは昼間の木の葉の間から差し込む木漏れ日のような、夜の天の川のさまを想像していますが、さて、どうでしょうか。それとも、北極星を中心に星が動く軌跡を「線」と見、それの全体形としての林という意味でしょうか。(イメージでは固定カメラで撮った星の軌跡)それとも天の川の直接の比喩でしょうか。
 この「星之林」という言葉は美しいのですが、では、それは何を意味するのかというと、非常に難解な人麻呂の歌の世界です。貴女はどのような世界をイメージしたでしょうか。

 今回は純粋に歌の鑑賞への感覚問題です。酔論ですが、三日月の姿を大きな杯を傾けている様としなかっただけ、まだまだ、酔っ払ってはいないようです。ただ、時にそのように感じた人はいたようです。

五言 詠月 一首
月舟移霧渚 楓楫泛霞濱  月舟 霧(む)渚(しょ)に移り 楓(ふう)楫(しゅう) 霞濱(かひん)に泛(うか)ぶ
臺上澄流耀 酒中沈去輪  臺上 澄み流る耀(かがやき) 酒中 沈み去る輪(りん)
水下斜陰碎 樹落秋光新  水下りて斜陰(しゃいん)に碎け 樹落ちて秋光(しゅうこう)新たなり
獨以星間鏡 還浮雲漢津  獨り星間の鏡と以(な)りて 還た雲漢の津(みなと)に浮かぶ

 酔っ払ったせいか、詩は支離滅裂です。初句は三日月(月舟)を詠い、二句目(輪)と四句目(鏡)は満月を詠います。ところが、締めは三日月(月舟)を思って「還浮雲漢津」です。御付の人が悪いのか、後に創作し名を借りた人が悪いのか、酷いものです。中国漢詩の模倣も良いのですが、模倣するなら満月(輪、鏡)で、日本的な感覚なら三日月(月舟)で統一したほうが・・・ なお、専門家の評論を見ると面白いものがあります。さらに、人麻呂が後年に詠われたはずのこの漢詩を参考としたとするなら、人麻呂があまりにかわいそうです。
 参考に中国の三日月を詠うものに次の歌がありますが、情景は日没寸前の赤く染まる夕日が中心で、その川面に一筋の残影の中、三日月の光は乏しいという感覚です。

暮江吟 白居易
一道残陽鋪水中  一道の残陽 水中に鋪(し)き
半江瑟瑟半江紅  半江は瑟瑟(しつしつ) 半江は紅(くれない)なり。(瑟瑟:さざなみの様)
可憐九月初三夜  憐(あわれ)む 可(べ)し 九月初三の夜
露似眞珠月似弓  露は眞珠の似(ごと)く 月は弓に似たり



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