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竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
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万葉集 集歌36から集歌40

2020年01月06日 | 新訓 万葉集
幸干吉野宮之時、柿本朝臣人麿作歌
標訓 吉野の宮に幸(いでま)しし時に、柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌三六 
原文 八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百磯城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟竟 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高良思珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可聞
訓読 やすみしし わご大王(おほきみ)し 聞し食(め)す 天つ下に 国はしも 多にあれども 山川し 清き河内と 御心(みこころ)を 吉野の国し 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば 百磯城の 大宮人は 船(ふな)並(な)めて 朝川渡り 舟竟(わた)る 夕河渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高らしらす 水激(たぎ)つ 瀧し都は 見れど飽かぬかも
私訳 地上の隅々までを承知なされる我が大王が統治為されている天の下には国々は沢山あるが、山川の清らかな河の内と御心を良しとされる吉野の国の桜の花が散る秋津の野辺に宮殿を御建てになり、多くの岩を積み上げて作る大宮の大宮人が船を並べて朝に川を渡り、舟で渡り、夕べに河を渡るようなこの川の流れが絶えることないように、この山の峰の高みのように天界の神々までにもお知らせになり、この水の流れの激しい滝の京は、何度見ても見飽きることはありません。

反歌
集歌三七 
原文 雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟
訓読 見れど飽かぬ吉野の河し常滑の絶ゆることなくまた還り見む
私訳 何度見ても見飽きることの無い吉野の河の常滑の岩が絶えることのないように私は何度も何度もここに帰って来ましょう。

集歌三八 
原文 安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 吉野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為波 畳有 青垣山 ゞ神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭判理(一云、黄葉加射之) 遊副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨
訓読 やすみしし わご大王(おほきみ) 神ながら 神さびせすと 吉野川 激つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳はる 青垣山し 山神の 奉(まつ)る御調(みつき)と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉(もみち)をうなり(一は云はく、黄葉かざし) 遊(ゆ)きし副(そ)ふ 川し神も 大御食(おほみけ)に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網(さで)さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
私訳 地上の隅々まで統治する我が大王は生まれながらの神ですが神らしくいらっしゃると、吉野川の激しい水の流れの河の内に高殿を御建てになって、そこの登りお立ちになって国見を為されると折り重なる青垣山の山の神が奉る御調として春には桜の花を咲かせ、秋になると黄葉(もみじ)は枝たれて、御遊(みゆき)に副(そ)へる川の神も大王の大御食にご奉仕するとして上流の瀬で鵜飼を行い、下流の瀬に小網を刺し渡すように山や川の神々も大王に依ってご奉仕する。現御神(あきつみかみ)の御世です。

反歌
集歌三九 
原文 山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
訓読 山川も依りに仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも
私訳 山や川の神々も天皇のご威光に因ってご奉仕する、その現御神であられる天皇が流れの激しい川の中に船出なされるようです。
左注 右、日本紀曰、三年己丑正月、天皇幸吉野宮。八月幸吉野宮。四年庚寅二月、幸吉野宮。五月幸吉野宮。五年辛卯正月、幸吉野宮。四月幸吉野宮者、未詳知何月従駕作歌。
注訓 右は、日本紀に曰はく、「三年己丑の正月、天皇吉野の宮に幸(いでま)す。八月吉野の宮に幸す。四年庚寅の二月、吉野の宮に幸(いでま)す。五月吉野の宮に幸(いでま)す。五年辛卯の正月、吉野の宮に幸(いでま)す。四月吉野の宮に幸(いでま)す。」といへれば、いまだ詳(つまび)らかに何月の駕(いでま)しに従ふかに作れる歌なるかを知らず。

幸干伊勢國時、留京柿本朝臣人麿作歌
標訓 伊勢国に幸(いでま)しし時に、京(みやこ)に留まれる柿本朝臣人麿の作れる歌
集歌四〇 
原文 鳴呼之浦尓 船乗為良武 娘嬬等之 珠裳乃須十二 四寶三都良武香 (娘は女+感の当て字)
訓読 鳴呼見(あみ)し浦に船乗りすらむ官女(おとめ)らし珠裳の裾に潮(しほ)満つらむか
私訳 あみの浦で遊覧の船乗りをしているでしょう、その官女の人たちの美しい裳の裾に、潮の飛沫がかかってすっかり濡れているでしょうか。
注意 「鳴呼之浦」は三重県鳥羽市小浜付近の湊です。
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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (jikan314)
2020-01-12 03:00:39
いつも拝見しております。
集歌三七 
原文 雖見飽奴 吉野乃河之
訓読 これやこの大和にしては
と阿閉皇女歌が混入しております。
宮滝が滝だった時代を吉野に行った時に想像してみても、今は跡形も無いので残念だったのですが、ちょうどカジカガエルが鳴いたで感動した思い出があります。
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ご指摘のお礼 (作業員)
2020-01-12 18:53:51
恥ずかしながら、間違ったものを載せていました。
ご指摘ありがとうございます。
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