万葉雑記 色眼鏡 二五〇 今週のみそひと歌を振り返る その七〇
今回は巻十に載る次の集歌1859の歌に遊びます。弊ブログでは、時々、話題にしています。香具山の雪をテーマにするもので、飛鳥・奈良時代に和歌に「見立て」技法を認めるかどうかにより歌の鑑賞態度が左右されます。教科書的には万葉集時代には「見立て」技法を認めません。時代として早く、歌にそのようなものがあっても技法と云うよりも、たまたまの所産と考えます。
集歌1859 馬並而 高山乎 白妙丹 令艶色有者 梅花鴨
訓読 馬並(な)めに天香具山(あまかぐやま)を白栲ににほはしたるは梅し花かも
私訳 馬を並べて行った、天の香具山を白い栲のように彩っているのは、梅の花でしょうか。
注意 原歌の「高山乎」を、集歌13及び集歌14の歌の「高山」を「香具山」と訓む例から「天香具山」と訓んでいます。
参考歌
集歌13 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
訓読 香具山は畝火ををしと耳梨と相あらそひき神代よりかくにあるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき
集歌14 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
訓読 香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原
最初に参考歌を紹介しましたが、巻一に載る集歌13及び集歌14の歌の「高山」と云う表記をを「香具山」と訓じます。古来、香具山、畝火山、耳梨山を大和三山と称していましたから、集歌13の長歌では雲根火(畝火)と耳梨とが詠われていますので、バランスから高山は香具山と推定され、訓じられてきました。これはある種の慣用句とも考えられます。
万葉集中で集歌13と集歌14の歌を含め「高山」と云う表記を持つ歌は全二十首あり、紹介しました集歌13と集歌14の歌の他に「高山」を「かぐやま」と訓じるものとして、校本万葉集では集歌2455の歌を挙げます。
集歌2455 我故 所云妹 高山之 峯朝霧 過兼鴨
訓読 我がゆゑし云はれし妹し高山(かくやま)し峯(みね)し朝霧過ぎにけむかも
私訳 私のために色々噂された貴女は、天の香具山の峰に朝霧が晴れるように噂も通り過ぎたでしょうか。
他の歌では富士の高嶺の表記を高山とするものや、明らかに高い山の風景を詠うものが大半です。その点、今回、取り上げました集歌1859の歌は馬を並べて野駆けして行く先の風景です。ほぼ、里山でしょう。遥か彼方の山並みの頂と云う感覚ではないと思います。ここから高い山と云うよりも「高山」=「香具山」と云う訓じが導かれます。およそ、集歌2455の歌が里山の景色から「高山」=「香具山」と訓じるのですと、集歌1859の歌も同様と考えます。
ここまでが出発点です。
すると、集歌1859の歌では香具山の枝に積もる雪を「白梅の花」と見立てていることになります。では、香具山の雪をそのものずばり歌う集歌28の歌はどうのように解釈しましょうか。
参考歌
天皇御製謌
標訓 天皇の御(かた)りて製(つく)らせしし謌
集歌28 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎに夏来(き)るらし白栲の衣(ころも)乾(ほ)したり天し香来山(かくやま)
私訳 もう、寒さ厳しい初春が終わって夏がやってきたようです。白栲の衣を干しているような白一面の天の香具山よ。
この集歌28の歌は伝統の解釈では「見立て」技法の適用を認めません。伝統の解釈の背景には「見立て」とするには時期が早すぎると云う判断があるとします。この歌は持統天皇の作品と伝わるものですが、実際の作歌者は御付の女官でしょう。ただ、実作歌者が和歌を良くする近習の者の作品であったとしても、作品は持統天皇元年から二年頃までのものですので伝統の和歌技法成立年代としては時期が早すぎるします。標準的には平安時代初期、伊勢物語や古今和歌集の頃を技法成立の時期と考えます。
一方、不思議な話ですが、現代の鑑賞では巻十四に載る次の歌では遠方の筑波山の雪景色を日晒しの布の様子とする「見立て」技法を認めます。つまり、従来の有識者の鑑賞態度は非常に恣意的なのです。有識者において、当時の陸奥の下級官吏や庶民は一字一音万葉仮名歌による表記ではありますが「見立て」技法の歌を詠えたとし、片や飛鳥の都の皇族・貴族はまだまだ和歌技法において「見立て」技法の歌を詠うのは早いとします。
参考歌の参考歌
雪を木々に干す布と見立てた例
集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき児ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しい貴女が布を乾かしているのでしょうか。
有識者で通用する与太話はさて置き、巻十四に載る集歌3351の歌に「見立て」技法があるならば、公平に集歌28の歌にも「見立て」技法の可能性を認めるべきでしょう。すると、集歌1859の歌にも「見立て」を認めるべきとなります。つまり、高山が香具山を意味するのですと、時に集歌1859の歌は集歌28の歌の世界観を引歌している可能性があります。
このように考えますと、集歌1859の歌は枝に積もる雪を集歌28の歌から白妙の布と見立て、さらに、いやいや、白梅の花でしょうかと、新たな見立てを行っていることになります。従来の建前では万葉集中に見立て技法の歌は僅かで、可能性で比喩歌はあるとします。もし、次の歌が見立てで詠われた歌としますと、万葉集では白梅の花が散る様やその白い花を雪と見立てるのは定型ですから、さて、どうしましょうか。
駿河采女
標訓 駿河(するがの)采女(うねめ)
集歌1420 沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
訓読 沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るさふに流らへ散るは何物(なにも)し花ぞも
私訳 沫雪なのでしょうか、まだら模様に空から降ると見るほどに空から流れ散るのは何の花でしょうか
大伴宿祢村上梅謌二首
標訓 大伴宿祢村上(むらかみ)の梅の謌二首
集歌1436 含有常 言之梅我枝 今旦零四 沫雪二相而 将開可聞
訓読 含(ふふ)めりと言ひし梅が枝(え)今朝(けさ)降りし沫雪(あわゆき)にあひて咲きぬらむかも
私訳 蕾が膨らんでいると云った梅の枝。今朝降った泡雪に出会って、その白い花を咲かせたのでしょうか。
このように万葉集に遊びますと、飛鳥浄御原宮時代には既に「見立て」という技法は確立していて、さらに奈良時代には引歌・本歌取の技法も成立していたと考えるのが良いようです。別のところで触れましたが、天平元年には既に意図して訓文字を使用しないで音文字だけの一字一音万葉仮名だけで和歌を詠う実験は為されており、このときには掛詞技法や縁語関係も成立していたと思われます。古今和歌集から万葉集を眺めるか、はたまた、万葉集から古今和歌集を眺めるか、その立場で色々あります。ただ、従来の学説や解説が正しいかどうかは立場ですし見識です。
雑談ついでに、万葉集は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された和歌集ですが、その漢語と漢字をどのように発音するかと云う問題があります。今日、日本漢音の発声研究と云うものが進んでおり、従来から区分されてきた古音・呉音、漢音、唐音、宋音と云う発声区分だけではないようですし、日本で奈良時代、平安初期、平安中期、平安後期ではそれぞれの漢字への発声が違うことが明らかにされて来ているようです。これも従来の学説や解説と齟齬が存在するようです。
作歌技法において万葉集では古今和歌集での掛詞技法や縁語関係のものに加えて漢字と云う表語文字の力を利用するものがありますから、万葉集全盛期の歌は古今和歌集のものに比べてさらに複層的な構造を持つ可能性があります。さらに、漢字文字の発声において、現在に通じる万葉集の訓点が鎌倉時代初期のものに依存しているとしますと、同じ漢字表記ですが現代の発声表記(ひらがな・かたかな)に直した時、奈良時代から平安時代初期の原歌と鎌倉時代の訓点物とで一致しない可能性が存在することになります。
脱線に継ぐ脱線の雑談に終始しましたが、時に一般的な解説の根拠を疑うと、万葉集の中で斯様に面白く遊ぶ事が出来ます。本ブログは高等教育を受けていない者のものですから、従来の解釈ルールには縛られません。原歌から面白可笑しく鑑賞するだけです。そこが与太話たる所以です。
今回は巻十に載る次の集歌1859の歌に遊びます。弊ブログでは、時々、話題にしています。香具山の雪をテーマにするもので、飛鳥・奈良時代に和歌に「見立て」技法を認めるかどうかにより歌の鑑賞態度が左右されます。教科書的には万葉集時代には「見立て」技法を認めません。時代として早く、歌にそのようなものがあっても技法と云うよりも、たまたまの所産と考えます。
集歌1859 馬並而 高山乎 白妙丹 令艶色有者 梅花鴨
訓読 馬並(な)めに天香具山(あまかぐやま)を白栲ににほはしたるは梅し花かも
私訳 馬を並べて行った、天の香具山を白い栲のように彩っているのは、梅の花でしょうか。
注意 原歌の「高山乎」を、集歌13及び集歌14の歌の「高山」を「香具山」と訓む例から「天香具山」と訓んでいます。
参考歌
集歌13 高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
訓読 香具山は畝火ををしと耳梨と相あらそひき神代よりかくにあるらし古昔も然にあれこそうつせみも嬬をあらそふらしき
集歌14 高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
訓読 香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原
最初に参考歌を紹介しましたが、巻一に載る集歌13及び集歌14の歌の「高山」と云う表記をを「香具山」と訓じます。古来、香具山、畝火山、耳梨山を大和三山と称していましたから、集歌13の長歌では雲根火(畝火)と耳梨とが詠われていますので、バランスから高山は香具山と推定され、訓じられてきました。これはある種の慣用句とも考えられます。
万葉集中で集歌13と集歌14の歌を含め「高山」と云う表記を持つ歌は全二十首あり、紹介しました集歌13と集歌14の歌の他に「高山」を「かぐやま」と訓じるものとして、校本万葉集では集歌2455の歌を挙げます。
集歌2455 我故 所云妹 高山之 峯朝霧 過兼鴨
訓読 我がゆゑし云はれし妹し高山(かくやま)し峯(みね)し朝霧過ぎにけむかも
私訳 私のために色々噂された貴女は、天の香具山の峰に朝霧が晴れるように噂も通り過ぎたでしょうか。
他の歌では富士の高嶺の表記を高山とするものや、明らかに高い山の風景を詠うものが大半です。その点、今回、取り上げました集歌1859の歌は馬を並べて野駆けして行く先の風景です。ほぼ、里山でしょう。遥か彼方の山並みの頂と云う感覚ではないと思います。ここから高い山と云うよりも「高山」=「香具山」と云う訓じが導かれます。およそ、集歌2455の歌が里山の景色から「高山」=「香具山」と訓じるのですと、集歌1859の歌も同様と考えます。
ここまでが出発点です。
すると、集歌1859の歌では香具山の枝に積もる雪を「白梅の花」と見立てていることになります。では、香具山の雪をそのものずばり歌う集歌28の歌はどうのように解釈しましょうか。
参考歌
天皇御製謌
標訓 天皇の御(かた)りて製(つく)らせしし謌
集歌28 春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
訓読 春過ぎに夏来(き)るらし白栲の衣(ころも)乾(ほ)したり天し香来山(かくやま)
私訳 もう、寒さ厳しい初春が終わって夏がやってきたようです。白栲の衣を干しているような白一面の天の香具山よ。
この集歌28の歌は伝統の解釈では「見立て」技法の適用を認めません。伝統の解釈の背景には「見立て」とするには時期が早すぎると云う判断があるとします。この歌は持統天皇の作品と伝わるものですが、実際の作歌者は御付の女官でしょう。ただ、実作歌者が和歌を良くする近習の者の作品であったとしても、作品は持統天皇元年から二年頃までのものですので伝統の和歌技法成立年代としては時期が早すぎるします。標準的には平安時代初期、伊勢物語や古今和歌集の頃を技法成立の時期と考えます。
一方、不思議な話ですが、現代の鑑賞では巻十四に載る次の歌では遠方の筑波山の雪景色を日晒しの布の様子とする「見立て」技法を認めます。つまり、従来の有識者の鑑賞態度は非常に恣意的なのです。有識者において、当時の陸奥の下級官吏や庶民は一字一音万葉仮名歌による表記ではありますが「見立て」技法の歌を詠えたとし、片や飛鳥の都の皇族・貴族はまだまだ和歌技法において「見立て」技法の歌を詠うのは早いとします。
参考歌の参考歌
雪を木々に干す布と見立てた例
集歌3351 筑波祢尓 由伎可母布良留 伊奈乎可母 加奈思吉兒呂我 尓努保佐流可母
訓読 筑波嶺(つくばね)に雪かも降らる否(いな)をかも愛(かな)しき児ろが布(にの)乾(ほ)さるかも
私訳 筑波の嶺に雪が降ったのでしょうか。違うのでしょうか。愛しい貴女が布を乾かしているのでしょうか。
有識者で通用する与太話はさて置き、巻十四に載る集歌3351の歌に「見立て」技法があるならば、公平に集歌28の歌にも「見立て」技法の可能性を認めるべきでしょう。すると、集歌1859の歌にも「見立て」を認めるべきとなります。つまり、高山が香具山を意味するのですと、時に集歌1859の歌は集歌28の歌の世界観を引歌している可能性があります。
このように考えますと、集歌1859の歌は枝に積もる雪を集歌28の歌から白妙の布と見立て、さらに、いやいや、白梅の花でしょうかと、新たな見立てを行っていることになります。従来の建前では万葉集中に見立て技法の歌は僅かで、可能性で比喩歌はあるとします。もし、次の歌が見立てで詠われた歌としますと、万葉集では白梅の花が散る様やその白い花を雪と見立てるのは定型ですから、さて、どうしましょうか。
駿河采女
標訓 駿河(するがの)采女(うねめ)
集歌1420 沫雪香 薄太礼尓零登 見左右二 流倍散波 何物之花其毛
訓読 沫雪(あわゆき)かはだれに降ると見るさふに流らへ散るは何物(なにも)し花ぞも
私訳 沫雪なのでしょうか、まだら模様に空から降ると見るほどに空から流れ散るのは何の花でしょうか
大伴宿祢村上梅謌二首
標訓 大伴宿祢村上(むらかみ)の梅の謌二首
集歌1436 含有常 言之梅我枝 今旦零四 沫雪二相而 将開可聞
訓読 含(ふふ)めりと言ひし梅が枝(え)今朝(けさ)降りし沫雪(あわゆき)にあひて咲きぬらむかも
私訳 蕾が膨らんでいると云った梅の枝。今朝降った泡雪に出会って、その白い花を咲かせたのでしょうか。
このように万葉集に遊びますと、飛鳥浄御原宮時代には既に「見立て」という技法は確立していて、さらに奈良時代には引歌・本歌取の技法も成立していたと考えるのが良いようです。別のところで触れましたが、天平元年には既に意図して訓文字を使用しないで音文字だけの一字一音万葉仮名だけで和歌を詠う実験は為されており、このときには掛詞技法や縁語関係も成立していたと思われます。古今和歌集から万葉集を眺めるか、はたまた、万葉集から古今和歌集を眺めるか、その立場で色々あります。ただ、従来の学説や解説が正しいかどうかは立場ですし見識です。
雑談ついでに、万葉集は漢語と万葉仮名と云う漢字だけで表記された和歌集ですが、その漢語と漢字をどのように発音するかと云う問題があります。今日、日本漢音の発声研究と云うものが進んでおり、従来から区分されてきた古音・呉音、漢音、唐音、宋音と云う発声区分だけではないようですし、日本で奈良時代、平安初期、平安中期、平安後期ではそれぞれの漢字への発声が違うことが明らかにされて来ているようです。これも従来の学説や解説と齟齬が存在するようです。
作歌技法において万葉集では古今和歌集での掛詞技法や縁語関係のものに加えて漢字と云う表語文字の力を利用するものがありますから、万葉集全盛期の歌は古今和歌集のものに比べてさらに複層的な構造を持つ可能性があります。さらに、漢字文字の発声において、現在に通じる万葉集の訓点が鎌倉時代初期のものに依存しているとしますと、同じ漢字表記ですが現代の発声表記(ひらがな・かたかな)に直した時、奈良時代から平安時代初期の原歌と鎌倉時代の訓点物とで一致しない可能性が存在することになります。
脱線に継ぐ脱線の雑談に終始しましたが、時に一般的な解説の根拠を疑うと、万葉集の中で斯様に面白く遊ぶ事が出来ます。本ブログは高等教育を受けていない者のものですから、従来の解釈ルールには縛られません。原歌から面白可笑しく鑑賞するだけです。そこが与太話たる所以です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます