色好み家と花鳥の使い
少し寄り道をさせて下さい。ご存知のように紀貫之は古今和歌集の歌人であり編纂者ですが、紀貫之は、またその古今和歌集の仮名序と真名序で古今和歌集の歌と万葉集の歌は重複していないと宣言し、万葉集の四千五百首の歌を調べ上げ「万葉集の目録」を作ったほどの古今の歴史を通じて万葉集研究の第一人者です。
その紀貫之が書いた古今和歌集の仮名序に次のような一節があります。
古今和歌集 仮名序抜粋
今の世中いろにつき人のこころ花になりにけるよりあだなるうたはかなきことのみいでくればいろごのみのいへにむもれきの人しれぬこととなりてまめなるところには花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり
仮名序抜粋の試みの読み下し文
今の世の中 色につき 人の心花になりにけるより あだなる詩 はかなき事のみ出でくれば 色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて、まめなるところには花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり
現代語私訳
今の世の中は欲望に染まり、人の心は花を愛でる風流人になるより、仇なる漢詩やつまらない曲水の宴のようなことばかりが流行るので、大和歌の心は中臣朝臣宅守が歌う「花鳥に寄せ思いを陳べて作れる歌」の時に時代の中に埋もれてしまい、高貴の人が大和歌を知らないようになってしまって、改まった儀式には元正太上天皇の時のように「すすきの尾花」のような御製を少しでもお作りになることもなくなってしまった。
古今和歌集に詳しい人は、この私の紹介文に異議を唱えるでしょう。古今和歌集と和歌の歴史がわかっていないと。正統な普段の仮名序の一節の読み下し文と現代語訳は次のようなものでなければいけません。そうでなければ、後の藤原貴族は古今集和歌集の理解が中途半端であったことになりますし、現代の古今和歌集以降の歌論に影響が出てしまいます。
仮名序抜粋の正統な読み下し文
今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。
現代語訳 古今和歌集 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫より
しかし、今の世の中は、昔の真実を重んじた時代とは異なって派手になり、、人の心は華美になったため、歌もそれにしたがって、浮いた実のない歌、軽い、かりそめの歌のみが現れてくるので、好色な人の家に、埋れ木のように人には知られず、ひそかにもてあそばれるものとなって、改まった公の場所には、おもて立って出せるものでもなくなってしまった。
古今和歌集の序には仮名序と真名序と称される二種類の序があります。その先後は判りませんが両序の示す世界は同じとされていますから、仮名序に対比するものを真名序に見ることが出来ます。そこで、仮名序の抜粋に対比する部分の真名序の一節を見てみると、次の一文となります。
仮名序抜粋に呼応する真名序の抜粋
及彼時、変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌。其実皆落、其華孤栄。至有好色之家、以此為花鳥之使。
真名序抜粋の訓読
かの時に及び、澆漓(きょうり)に変じ、人は奢淫(しゃいん)を貴び、浮詞(ふし)は雲のごとく興り、艶の流れは泉のごとく涌く。その実(じつ)は皆落(お)ち、その華ひとり栄えむ。至りて色を好む家有り、これをもって花鳥の使ひとなす。
現代語私訳
平城の天子であられる聖武天皇の時代から、徳と信は衰え、人は豪奢と淫行を好み、浮ついた漢詩は雲が湧き上がるように興り、色恋への風潮は泉のように湧き上がった。その漢詩は堕落しきり、仏の華のみが独り栄えた。中臣朝臣宅守の時代に至って、橘奈良麻呂の変の故を以って花鳥の歌を秘密の通信とした。
説明
ご在所の「平城の天子」は諱では聖武天皇のことを示し、諱で平城天皇は「奈良の御門」のことを示します。諱で平城天皇のことを天皇の名を直接に示すことになる「平城の天子」とする表現は不敬のため、知って使う思想家を除き普段は使わない表現です。孝謙天皇をその御陵にちなんで高野天皇と称するのと同じです。
ここで、真名序の「かの時に及び」を天平から天平勝宝年間の東大寺の大仏建立の時代と解釈しますと、「至有好色之家、以此為花鳥之使。」の訓読み「至りて色を好む家有り、これをもって花鳥の使ひとなす。」は、万葉集の巻十五の「中臣朝臣宅守の贈答歌六十三首」であろうと目が行くはずです。つまり、両序の示す「好色之家」は中臣宅守のこととなります。
では、その「好色之家」の中臣宅守の時代の「まめなるところには花すすきほにいだすべきこと」と紀貫之が思う「まめなるところ」に出せる公式の歌はどのようなものでしょうか。和歌における一番の公式な歌は公式行事での御製でしょうか。すると、「平城の天子」の時代の一番の「まめなるところ」の歌は次の歌になります。
太上天皇御製謌一首
標訓 (元正)太上天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1637 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はた薄(すすき)尾花(おばな)逆葺(さかふ)き黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
私訳 風に靡くすすきの尾花の穂を表に下から上に逆さに葺き黒木で造った大嘗宮の室は、永遠であれ。
専門家の解説に従う普段の人にとっては不思議ですが、仮名序の「花すすきほにいだすべきこと」とまったく同じ景色の御製です。
ここで、同時に「好色之家」が中臣宅守のこととすると、真名序の云う「花鳥の使ひ」は中臣宅守が詠う「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」の七首を意味します。この「花鳥に寄せ思いを陳べる」の意味は「花鳥を例えに使って思いを陳べる」ですが、その思いを陳べる相手は七首の歌から判るように狭野茅上娘女ではありません。当然、紀貫之はその相手を知っています。正確には、相手を推定して特定しています。それで、仮名序に「いろごのみのいへにむもれ」と記しているのです。
もし、貴方が私の解説を良しとして「色好みの家」を中臣宅守と理解したら、貴方の心は平安時代の藤原貴族全盛の時代の源氏、清原氏、紀氏系のはぶれ貴族の心と一緒です。はぶれ貴族の和歌への思い入れは、古くからの神聖な儀式における天皇の御製や奉呈歌があるべき姿で、その捧呈歌を儀礼において択ばれて誉れ高く詠い挙げたいのがはぶれ貴族の切望です。壬生忠岑が詠う「人麿こそはうれしけれ、身は下ながら言の葉を、天つ空まで聞こえ上げ」の姿です。藤原氏ではない柿本氏の、そのはぶれ貴族の人麻呂が捧呈歌を誉れ高く詠い挙げたのが、うらやましいのです。これが、古今和歌集の時代の紀貫之たちはぶれ貴族が味合っているかなしい現実の世界です。
本来ですと、「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」の説明を続けてするのが良いのですが、その前に三十年ほど時代を遡って、もう一つのある事件の歌を見てみます。
少し寄り道をさせて下さい。ご存知のように紀貫之は古今和歌集の歌人であり編纂者ですが、紀貫之は、またその古今和歌集の仮名序と真名序で古今和歌集の歌と万葉集の歌は重複していないと宣言し、万葉集の四千五百首の歌を調べ上げ「万葉集の目録」を作ったほどの古今の歴史を通じて万葉集研究の第一人者です。
その紀貫之が書いた古今和歌集の仮名序に次のような一節があります。
古今和歌集 仮名序抜粋
今の世中いろにつき人のこころ花になりにけるよりあだなるうたはかなきことのみいでくればいろごのみのいへにむもれきの人しれぬこととなりてまめなるところには花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり
仮名序抜粋の試みの読み下し文
今の世の中 色につき 人の心花になりにけるより あだなる詩 はかなき事のみ出でくれば 色好みの家に埋れ 貴の人知れぬこととなりて、まめなるところには花すすき穂にいだすべきことにもあらずなりにたり
現代語私訳
今の世の中は欲望に染まり、人の心は花を愛でる風流人になるより、仇なる漢詩やつまらない曲水の宴のようなことばかりが流行るので、大和歌の心は中臣朝臣宅守が歌う「花鳥に寄せ思いを陳べて作れる歌」の時に時代の中に埋もれてしまい、高貴の人が大和歌を知らないようになってしまって、改まった儀式には元正太上天皇の時のように「すすきの尾花」のような御製を少しでもお作りになることもなくなってしまった。
古今和歌集に詳しい人は、この私の紹介文に異議を唱えるでしょう。古今和歌集と和歌の歴史がわかっていないと。正統な普段の仮名序の一節の読み下し文と現代語訳は次のようなものでなければいけません。そうでなければ、後の藤原貴族は古今集和歌集の理解が中途半端であったことになりますし、現代の古今和歌集以降の歌論に影響が出てしまいます。
仮名序抜粋の正統な読み下し文
今の世の中、色につき、人の心花になりにけるより、あだなる歌、はかなき言のみいでくれば、色好みの家に、埋れ木の人知れぬこととなりて、まめなる所には花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。
現代語訳 古今和歌集 窪田章一郎校注 角川ソフィア文庫より
しかし、今の世の中は、昔の真実を重んじた時代とは異なって派手になり、、人の心は華美になったため、歌もそれにしたがって、浮いた実のない歌、軽い、かりそめの歌のみが現れてくるので、好色な人の家に、埋れ木のように人には知られず、ひそかにもてあそばれるものとなって、改まった公の場所には、おもて立って出せるものでもなくなってしまった。
古今和歌集の序には仮名序と真名序と称される二種類の序があります。その先後は判りませんが両序の示す世界は同じとされていますから、仮名序に対比するものを真名序に見ることが出来ます。そこで、仮名序の抜粋に対比する部分の真名序の一節を見てみると、次の一文となります。
仮名序抜粋に呼応する真名序の抜粋
及彼時、変澆漓、人貴奢淫、浮詞雲興、艶流泉涌。其実皆落、其華孤栄。至有好色之家、以此為花鳥之使。
真名序抜粋の訓読
かの時に及び、澆漓(きょうり)に変じ、人は奢淫(しゃいん)を貴び、浮詞(ふし)は雲のごとく興り、艶の流れは泉のごとく涌く。その実(じつ)は皆落(お)ち、その華ひとり栄えむ。至りて色を好む家有り、これをもって花鳥の使ひとなす。
現代語私訳
平城の天子であられる聖武天皇の時代から、徳と信は衰え、人は豪奢と淫行を好み、浮ついた漢詩は雲が湧き上がるように興り、色恋への風潮は泉のように湧き上がった。その漢詩は堕落しきり、仏の華のみが独り栄えた。中臣朝臣宅守の時代に至って、橘奈良麻呂の変の故を以って花鳥の歌を秘密の通信とした。
説明
ご在所の「平城の天子」は諱では聖武天皇のことを示し、諱で平城天皇は「奈良の御門」のことを示します。諱で平城天皇のことを天皇の名を直接に示すことになる「平城の天子」とする表現は不敬のため、知って使う思想家を除き普段は使わない表現です。孝謙天皇をその御陵にちなんで高野天皇と称するのと同じです。
ここで、真名序の「かの時に及び」を天平から天平勝宝年間の東大寺の大仏建立の時代と解釈しますと、「至有好色之家、以此為花鳥之使。」の訓読み「至りて色を好む家有り、これをもって花鳥の使ひとなす。」は、万葉集の巻十五の「中臣朝臣宅守の贈答歌六十三首」であろうと目が行くはずです。つまり、両序の示す「好色之家」は中臣宅守のこととなります。
では、その「好色之家」の中臣宅守の時代の「まめなるところには花すすきほにいだすべきこと」と紀貫之が思う「まめなるところ」に出せる公式の歌はどのようなものでしょうか。和歌における一番の公式な歌は公式行事での御製でしょうか。すると、「平城の天子」の時代の一番の「まめなるところ」の歌は次の歌になります。
太上天皇御製謌一首
標訓 (元正)太上天皇の御製歌(おほみうた)一首
集歌1637 波太須珠寸 尾花逆葺 黒木用 造有室者 迄萬代
訓読 はた薄(すすき)尾花(おばな)逆葺(さかふ)き黒木(くろき)もち造れる室(むろ)は万代(よろづよ)までに
私訳 風に靡くすすきの尾花の穂を表に下から上に逆さに葺き黒木で造った大嘗宮の室は、永遠であれ。
専門家の解説に従う普段の人にとっては不思議ですが、仮名序の「花すすきほにいだすべきこと」とまったく同じ景色の御製です。
ここで、同時に「好色之家」が中臣宅守のこととすると、真名序の云う「花鳥の使ひ」は中臣宅守が詠う「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」の七首を意味します。この「花鳥に寄せ思いを陳べる」の意味は「花鳥を例えに使って思いを陳べる」ですが、その思いを陳べる相手は七首の歌から判るように狭野茅上娘女ではありません。当然、紀貫之はその相手を知っています。正確には、相手を推定して特定しています。それで、仮名序に「いろごのみのいへにむもれ」と記しているのです。
もし、貴方が私の解説を良しとして「色好みの家」を中臣宅守と理解したら、貴方の心は平安時代の藤原貴族全盛の時代の源氏、清原氏、紀氏系のはぶれ貴族の心と一緒です。はぶれ貴族の和歌への思い入れは、古くからの神聖な儀式における天皇の御製や奉呈歌があるべき姿で、その捧呈歌を儀礼において択ばれて誉れ高く詠い挙げたいのがはぶれ貴族の切望です。壬生忠岑が詠う「人麿こそはうれしけれ、身は下ながら言の葉を、天つ空まで聞こえ上げ」の姿です。藤原氏ではない柿本氏の、そのはぶれ貴族の人麻呂が捧呈歌を誉れ高く詠い挙げたのが、うらやましいのです。これが、古今和歌集の時代の紀貫之たちはぶれ貴族が味合っているかなしい現実の世界です。
本来ですと、「中臣朝臣宅守寄花鳥陳思作歌」の説明を続けてするのが良いのですが、その前に三十年ほど時代を遡って、もう一つのある事件の歌を見てみます。
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