竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百八 万葉集鑑賞への雑感

2015年03月07日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百八 万葉集鑑賞への雑感
「嘘も百回、意図すりゃ真実」を認めるのか、どうか

 最初に、今回は非常に不遜な態度からのものですので、載せる文には悪臭が漂っています。もし、御奇特な方が憐れみを垂れ、その指弾でこのような夜郎自大の姿を矯正して頂ければ幸いです。また、『万葉集』の歌の鑑賞はありません。単なる暴言だけです。

 さて、平安時代初期に編纂された『新撰萬葉集』の序の頭句に「夫萬葉集者、古歌之流也。非未嘗稱警策之名焉、況復不屑鄭衛之音乎(夫れ萬葉集は、古歌の流なり。未だ嘗って警策(けいさく)の名を稱えざるにあらざり、況(いはん)や復た、鄭衛(ていえい)の音を屑(いさぎよ)しとせず)」と云う詞があります。文は二重否定の漢文ですから判りにくいのですが、文は「『万葉集』は古歌の詠い方の流儀のもので、その歌は目を見開くような立派な作品ではないとの批評を受けたこともないし、当然のこと粗野で淫らなものであるとの評論を受け入れるようなものではない」と云う意味になるでしょうか。
 これが平安時代初期の菅原道真門弟の人々が『万葉集』の作品から受けた感想としますと、『新撰萬葉集』の序では「文句錯亂、非詩非賦、字對雜揉、雖入難悟(文句錯亂、詩に非ず賦に非ず、字對は雜揉し、ただ、入るに悟り難き)」との読解の難しさを語りますが、冒頭の「非未嘗稱警策之名焉、況復不屑鄭衛之音乎」のように『万葉集』を評論する態度からは、『新撰萬葉集』の編纂に参画した人たちは『万葉集』を読み解いて、正当に鑑賞したとの自負があります。これを裏付けるものとして、その道真門弟の中心人物に紀長谷雄がおり、彼は『古今和歌集』真名序を記した紀淑望の父親です。そして御存知のように『万葉集』四千五百首余と『古今和歌集』千百首余にはほぼ重複歌がないことから紀貫之や紀淑望たちは、少なくとも短歌については完全に『万葉集』を読み解いていたと推定されています。
 しかしながら、逆説ですが冒頭の意見表明からしますと、道真門弟以外の一般の鑑賞者は『万葉集』の作品に対しそれは漢語の詩や賦ではないかと想定し、そのように解釈していたとも受け取れ、その場合、作品は「鄭衛之音」とも「未嘗稱警策之名」となることになります。つまり、『万葉集』の作品には詩として新奇は感じられず単なる語句の羅列であり、時に卑猥な鄙歌であると受け取られるようなものとなります。

<参考例1>
集歌2273 何為等加 君乎将厭 秋芽子乃 其始花之 歡寸物乎
訓読 何すとか君を厭(い)とはむ秋萩のその初花(はつはな)し歓(うれ)しきものを
意訳 どうして貴方を嫌いだと思うでしょうか。出会うことを待ち焦がれる、秋萩のその初花のように、出会いがあればうれしいものですから。

漢文調に解釈したもの
何為等加 君乎将厭 秋芽子乃 其始花之 歡寸物乎
訓読 何すとか君を厭(い)とはむ秋芽子のその花の始めの歓(かん)の寸(すく)なきものを
私訳 秋萩の花のように咲き始めたばかりの貴女には夜の歡びがまだすくないようです。だからといって貴女が嫌いではないのです。

<参考例2>
集歌1129 琴取者 嘆先立 盖毛 琴之下樋尓 嬬哉匿有
訓読 琴取れば嘆き先立ちけだしくも琴し下樋(したひ)に妻や匿(こも)れる
私訳 琴を手に取ると嘆きが先に出る。もしかして、その音からすると、琴の胴の中に妻が隠れているのでしょうか。

漢文調に解釈したのも
琴取者嘆先立、盖毛琴之下樋尓、嬬哉、匿有
訓読 琴弦にさわれは嘆声が先ず立ち起り、毛で蓋うその琴弦の下の樋に嬬(=丹穴)が秘匿されている
私訳 琴を奏でるとその響す音色に賞讃の想いがまず現れ、覆う和毛、さらにその先の、素晴らしい音色を響す琴から樋を下へと辿って行くと、そこには「妻」が隠されています。

 確かに中医学書の知識を持ち、『万葉集』の作品は漢文や漢詩文のようなものではないのかと云う疑いの目で鑑賞しますと、紹介しましたように漢詩にも成りきれない和風の漢文だとしますと非常な猥歌となります。さらに、『万葉集』巻十四等には一字一音表記の次のような歌がありますから、これは確実に猥歌の世界です。

集歌3530 左乎思鹿能 布須也久草無良 見要受等母 兒呂我可奈門欲 由可久之要思母
訓読 さを鹿の伏すや草群(くさむら)見えずとも子ろが金門(かなと)よ行かくし良(え)しも
私訳 立派な角を持つ牡鹿が伏すだろう、その草むらが見えないように、姿は見えなくても、あの娘の「立派な門」を通るのは、それだけでも気持ちが良い。

 つまり、『新撰萬葉集』の序を記した人物は『万葉集』の読解に対して、それまで『万葉集』の作品の多くは漢語による詩や賦ではないかと想定したために読解出来なくなっていたが、対して「俺は正しく読解した」との自慢を述べていることになります。それが『新撰萬葉集』の序の前半部分の趣旨なのでしょう。

 また、以前に「日本挽歌を鑑賞する」と云うテーマで遊んだ時、「紅顔」と云う言葉について確認すると紀長谷雄から紀貫之や紀淑望の時代までは唐漢詩での用法と同じように「少年・青年」の意味合いで解釈されていたことを紹介しました。一方、平安中期以降ではこの「紅顔」と云う言葉は唐の正統な漢語から離れ和製漢語として「血色の良い若い女性」と云うような意味合いで解釈するように変わっています。さらに、唐初の小説『遊仙窟』については『源氏物語』に引用されているとの引歌研究がありますから、『源氏物語』の読者と云う視線からしますと平安中期ごろまでは上級貴族階級の教養では読める書物です。ところが、『遊仙窟』は鎌倉時代前後には相当な学識者でないと読めないものと認識されるようになっていったようです。
 ただし、「作品を読む」と云う行為において、現代人の私たちが『源氏物語』を読むと云う場合、現代語翻訳本を読むと云うケース、または鎌倉時代の翻訳本を古語の古典として読むと云うケースとの二つのケースが中心であろうと思います。他方、鎌倉時代の翻訳本を底本として引歌典拠を中心に読解する人は稀と思います。
 同様に『遊仙窟』を読むと云う場合、漢語毎にその語釈と引用典拠研究を中心に据えて読む立場とストーリと洒落を楽しむ立場との二つのケースに分かれると思います。そうした時、ストーリと洒落を中心に楽しむ立場であれば『詩経』などの本格的な古典詩歌集や多くの『仏教経典』に比べれば漢詩文の『遊仙窟』はそれほど難しいものではありません。おおむね、特別な研究者でない限り、『源氏物語』であれ『遊仙窟』であれ語釈と引用典拠研究を中心に据えて読む人は稀と考えます。一般人には原文が示され、その訓読みや現代語訳文があって筋の通ったストーリが楽しめれば十分であろうと考えます。それは現代も中古でも同じではないでしょうか。
 ただ参考意見ですが、現代翻訳本から見ますと『遊仙窟』の研究家であっても本来のストーリと洒落を正しく理解出来ていないのではないかと云う疑問を持たざるを得ません。そこから『万葉集』などの古典国文学を研究されている方々もまた、そのような古典漢籍をきちんと読解・理解しているのかについて、疑問はあります。以前に指摘しましたが『万葉集』巻五に載る「日本挽歌」と云う作品を理解する時の重要なキーワードである「紅顔」と云う言葉についてすら、平安時代後期以降、誤解釈のままです。さらに、国際シンポジュームでのテーマとして「万葉集の成立について」と云う文があり、そこで『新撰万葉集』の序の訓じがインターネット上で紹介されています。そこでは「況復不屑鄭衛之音乎」の節を「況むや復た鄭衛の音を屑とせざるにおいておや」と訓じ「鄭の国、衛の国の音楽など問題にしない」と解説されていますが、「不屑」の標準の漢文訓は「屑(いさぎよ)シトセズ」であり、意味は「ソレデモイイと済ますことはしない」であると解説されています。送り仮名の有無を見る時、古典の専門家であっても的確にこの漢文節を理解しているのかどうか、疑問を持たざるを得ません。しかしながら、この文節は平安時代初期、『古今和歌集』が編纂される直前での平安貴族が行う『万葉集』への唯一の評論ですから、『万葉集』や『古今和歌集』の研究では厳密解釈を行う必要があるものです。

 弊ブログでは、手間ですが、極力、漢文章などについては原文の姿を探り、その訓読を紹介しています。それは国文学の専門家が本当に漢文で記述された古典資料を解読出来ているかについて疑問があるからですし、己の解釈と根拠を示し批判を受けるためです。社会人の世界では、いいかげんなものを扱い、また、それで善しとするようでは倒産や失業に通じます。ですから、誠実である必要がありますし、個人の意見を述べるに根拠・論拠を明確にすることが要求されます。誰かの板書を無批判で引用するようなことは社会人では危険過ぎて許されません。検証・検討が必要です。
 例えば、前期万葉集に大きな影響を与える持統天皇と文武天皇との皇位継承及び持統天皇即位問題では『懐風藻』に載る葛野王の爵里が重要な参照資料となっています。ここで、一般でのその爵里の解釈によりますと、葛野王は皇位継承論議の場で異論を押さえて草壁皇子の遺児である軽王を皇太子に推挙し、その報奨として正四位上・式部卿に推挙されたとなっています。しかしながら、原文から正確に読み解きますと、文章に載る官位・官職は改訂飛鳥浄御原宮令、大宝律令、養老律令での三種類の官位表からのものであり、単純には比較が出来ないことは明白です。また、葛野王は大宝律令以前の任官ですから爵里で示す正四位上・式部卿と云うものは飛鳥浄御原宮令の制度下では存在しません。その『懐風藻』によると葛野王は文武天皇時代では正四位上・式部卿ですが、それ以前の後皇子命(=太政大臣)高市皇子時代では淨太肆・治部卿と云う立場でした。この淨太肆は親王・諸王だけに与えられる官位で臣民では与えられない特別の官位であり、淨太肆の位を得た親王・諸王は河内王のように公卿や大宰師(大宰率)に就任しています。
 これを建前では明治期まで通用した天平宝字元年(757)施行開始の養老律令を下に換算しますと臣民正三位(浅紫朝服)相当(=諸王正四位上(浅紫朝服))となります。もし、大宝律令に従うのですと、やはり諸王と臣民では冠官位体系表が違いますから、王族では浄冠正肆位上・式部卿(赤紫朝服)と云う表記ですし、臣民では正冠従参位・中納言藤原朝臣不比等(赤紫朝服)のように諸王では「浄」、臣民では「正・直・勤・務・追・進」の冠位の区分も加える必要があります。
 重要なことですが、『日本書紀』や『続日本紀』では記事中に付けられた官位記録は、結構、でたらめです。そのため正史の信頼性が揺らぎます。例えば、天智三年制定・天智十年施行の近江令基準による官位がそれ以前の斉明五年や天智元年に現れ、天平宝字元年施行の養老令基準の官位が天武元年や天武四年に現れます。つまり、平安時代になって『日本紀』や『続日本紀』を改編・改訂した人たちでも正しく天智十年施行近江令、天武十一年施行飛鳥浄御原宮令、持統四年施行改訂飛鳥浄御原宮令、大宝元年施行大宝令、天平宝字元年施行養老令のそれぞれの相違をよく知らなかったようですし、その施行年度も正確に認識していなかったようです。従いまして、現代の古典や古代史の研究者が間違いを起こし、その問題点への不認識なのは仕方がないと思います。彼らは一般の社会人ではありませんから、誠実な社会人なら論を示す時に行うような正史原文から丁寧に官位表や朝服表を整備して確認する義務はありません。歴史の正誤よりも「場の空気」や「先人の御言葉」が重要です。
 こうした時、『懐風藻』の爵里から葛野王の例を見ますと官位は、飛鳥浄御原宮令の親王諸王官位である淨太肆(正三位相当)から養老律令の正四位上への官位では二階級格下げと冠格では卿格から大夫格への格下げとなり、職務は治部卿から式部卿への横滑りです。場合によっては親王諸王官位から臣民官位への懲罰的な臣籍降下です。さて、これが報奨となるのでしょうか。『続日本紀』には飛鳥浄御原宮令から大宝令の官位規定に切り替える時、官位は切り上げ措置を行ったとしますから、多くは昇位しています。さて、葛野王にはそのような処遇は適応されなかったのでしょうか。『懐風藻』の爵里に対し正確に現代語訳を行えばその処遇は処罰に等しいものですので、従来の訳文と解釈は「トンデモ研究」に分類されても良いようなご都合主義でのものであることが判ります。真面目に正史から鑑賞しますと『懐風藻』に載るものが詐欺的な文章であることが明らかにされます。およそ、歴史研究者やその読者は『懐風藻』を改竄した人物からは「朝三暮四の猿」以下であるとからかわれているのです。
 もう少し。建前では『懐風藻』は養老律令施行(757)以前の天平勝宝三年(751)に成立した漢詩集ですから、本来なら葛野王の官位の記述は飛鳥浄御原宮令と大宝律令だけであるはずです。しかし、実際はそのようにはなっていません。記述は奈良時代後半から明治時代まで生きていた養老律令が基準です。そこがまた素人を騙す詐欺師の腕ですし、歴史の面白さです。どっかの新聞社じゃありませんが、これは「嘘も百回、意図すりゃ真実」です。そして、現代では平安時代の人々が期待したようにそれが「真実」として扱われています。
 さらに馬鹿馬鹿しい話ですが、先の「鄭衛の音を屑しとせず」の故事成語において、その由来となっている『詩経』に載る鄭風の「野有蔓草」や衛風の「有狐」などの作品をきちんと卑猥な作品として理解出来ているのかと云うと、そこには疑いがあります。後漢以降の儒教を基準とした毛公の道徳説話的な解釈による『毛伝鄭箋』を基準とするか、それとも清朝以降の本来の『詩経』に立ち戻り「鄭衛之音」の姿を探るのかでは鑑賞はまったくに違います。国文学の専門家はいったい何を基礎としているのでしょうか。研究や鑑賞において解釈の環境整備を終えずに何を以って典拠とするのでしょうか。内容よりも単なる表面上の語字列の比較だけで典拠研究としているのでしょうか。それとも先人の科挙試験模範答案からのコピペの継ぎ接ぎでしょうか。なお、「鄭衛之音」の詞の典拠は『楽記』ですし、その成立は前漢以前に遡り、後漢以降の新解釈である『毛伝鄭箋』などは使えません。つまり、「鄭衛之音」と称される詞の根拠となる『詩経』の解釈は清朝以降に唱えられた原典に立ち戻るものでなくてはいけません。当たり前のことです。
 おまけとして、『医心方』巻二十八;房内、第四;和志に「洞玄子云『夫天左轉而地右回、春夏謝而秋冬襲、男唱而女和、上為而下従、此物事之常理也。・・中略・・。故必須男左轉而女右回、男下沖女上接、以此合會、乃謂天平地成矣』」と云う文章があります。これは夫婦和合の心得を述べた章でのものですが、『古事記』では「爾伊邪那岐命詔、然者吾與汝行迴逢、是天之御柱、而爲美斗能麻具波比(此七字以音)。如此云期乃詔、汝者自右迴逢、我者自左迴逢」と云う文章を見ることが出来ます。「男は左、女は右」と云う共通点から見ますと、『古事記』に載る日本神話もまた中国の『洞玄子』などの神仙道教の影響を多大に受けていると推定されます。
 およそ、真面目に古典原文を眺め、対比して古典への研究を拝見いたしますと、一部のものでは現在の国文学や日本史の専門家の研究と云うものが、結構、酔いかげんであることが判ります。場合により、資料参考において漢文からの意訳本だけを読み、原文を読んでいないか、読めていないのか、そのような重大な問題があります。同じような問題は『全現代語訳続日本紀(講談社学術文庫)』にもあります。タイトルに「全現代語訳」とのキャプションが付けられていますが、原文と現代語訳を比べますと、それは原文に忠実に訳する立場よりも訳者が持つ世の通念に合わせるというものです。そのため、時に訳者の通念と原文とが矛盾する場合は創訳や解釈補注を行い、原文解釈を無理やりに通念に合わせるようなことを行っています(注)。つまり、原文は間違っていると云う態度があります。このような背景がありますから、社会人は『続日本紀』を参照する場合は入手が容易なネット公開されている朝日新聞社版『続日本紀』原文を使わざるを得ないのです。当然、国文学や日本史の専門家にはこのようなことは既知のことであろうと考えるのですが、現実はそうでもないようです。(注:日本紀を日本書紀への改名態度、官位記録の不自然さの容認や未訂正、先の葛野王の爵里を信用する態度など)
 このような状況の為、現時点では漢文章などについては、極力、使用した原文資料を提供し、どのようにそれを解釈したかを、訓読みを示すことで紹介する必要があると考えています。さて、漢文章の解読に置いて従来のものを所与と出来るほど信頼性があるものでしょうか。いささか、疑問に感じています。ここで、参考として弊ブログ資料倉庫に「鄭衛之音」の解説での例詩として衛風の「有狐」と鄭風の「野有蔓草」を載せています。ご指弾を頂ければ幸いです。

 当たり前の話ですが、『万葉集』は奈良時代の人々(代表として孝謙天皇)が読者です。また、『古今和歌集』は平安初期の人々(醍醐天皇)が読者ですし、『源氏物語』は平安中期の人々(藤原彰子・藤原道長)が読者です。作品を鑑賞する時、現代の読者は当時の言葉や風習を基準に作品を解釈する必要があります。
 その『万葉集』は漢語と真仮名と云う借音訓漢字だけで記された詩歌集です。他方、今回 紹介しましたように奈良時代に創られた漢文作品の漢詩集『懐風藻』や史書『日本書紀』、また伝来していた『詩経』や『遊仙窟』を現代の研究者は上古と同等に読めているのかと云う疑問を提起しました。つまり、専門家は『万葉集』の作者や読者と同じ土俵に立てているのかと云う疑問です。
 ここで「読める」とは「正しく理解出来る」と云う意味であって単純に漢文が訓読み出来ると云うものではありません。斎藤茂吉氏に代表されるように『万葉集』に使われる漢語や語字を明治時代の現代単語と同じと見なして奈良時代の作品を解釈するものは「読めない」と云う分類に入ります。例として『漢辞海』以上の漢字辞典で調べて頂ければ赤面ものですが「娉」や「處女」と云う語字の解釈は明治時代と奈良時代では大きく違います。その「娉」は「聘」の丁寧語ですから漢語では高貴な相手のときに使うと云う約束があります。ですから、まさか「よばい」の訓じから「夜這い」と同様な意味と解釈する人は平成の時代ではもういないでしょう。すでに昭和は遠い過去ですし、明治は遥か遥か歴史です。
 御存知のように阿蘇瑞枝氏が昭和になって人麻呂略体歌を再発見したように、明治から昭和時代まで『万葉集』が漢語と漢字だけで記述された詩歌集だということは共通認識ではありませんでした。校本万葉集からの訓読による漢字交じり平仮名万葉集で足るという認識です。およそ、明治から昭和時代まで『万葉集』を正しく読めているかどうかは、その読書背景からすると不明なのです。
 また、近々の学問成果を紹介しますと、『古今和歌集』や『土左日記』はほぼ一字一音の万葉仮名(変体仮名)だけで記述された作品で、字母はそれぞれ筑波大学と高千穂大学の研究室により解明されています。つまり、現在、流布している漢字交じり平仮名表記のような藤原定家たちの解釈からの翻訳本は正しいものではないことが示されているのです。焼き物や絵画では「写し」と云うジャンルはありますが、文学作品において「なんとなく似ている」という翻訳物は、さて、原文を越えるのでしょうか。現代の国文学の研究では藤原定家の「写し」は「原文や本物を越える」と見なしているようですが・・

 現代は有名な新聞社や某国々を始め「嘘も百回、意図すりゃ真実」の時代です。弊ブログのカウンターを見て頂ければ判りますように百万を超える多くの方がご来場していますし、グーグル検索などでは弊ブログの記事が上位に置かれることもあります。可能性として「嘘も百回、意図すりゃ真実」になり得るのです。
 以前、別で運営していましたブログではそこに載せた「古語拾遺」の漢文訓読みでご来場者のお方から間違いを指摘・指導を頂きました。そのように、今後も弊ブログが「嘘も百回、意図すりゃ真実」とならないように、誠実なお方の指弾・矯正指導を待っております。お願いいたします。

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