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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二九二 今週のみそひと歌を振り返る その一一二

2018年11月10日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二九二 今週のみそひと歌を振り返る その一一二

 今週は巻十二の「正述心緒」に部立される歌々を鑑賞しています。その中から気になった歌を再び鑑賞したいと思います。それも弊ブログ特有の普通の歌であっても無理に下卑て鑑賞するやつです。標準的な鑑賞は『萬葉集 釋注』などを参照ください。
 最初に集歌2913の歌に遊びます。この歌の末句「死上有」は難訓で定訓はありませんが、一般には「死なむ勝れり」が優勢です。

集歌2913 何時左右二 将生命曽 凡者 戀乍不有者 死上有
訓読 いつさへに生(い)かむ命ぞおほかたは恋ひつつあらずは死し上(へ)あらむ
私訳 いつほどまで、生きられる命でしょうか。おそらく、貴女と恋の行いがいつでも出来ないなら、きっと、死のほとりを彷徨ってしまいます。
注意 原文の「死上有」は訓が定まっていません。「死なましものを」、「死なむまされり」、「死ぬるまされり」とありますが、ここでは原文のままに訓んでいます。そのため、原文の「戀」の意味は「恋人同士が行う性交」と解釈し、原文の「戀乍不有者」は「いつも愛しい貴女を抱いていたい」の意味合いとなります。

 日々のみそひと歌の紹介で注意として示したように定訓がありませんから弊ブログでは「死し上あらむ」と訓じ「死のほとりを彷徨う」と解釈しています。それも男女の恋の駆け引きの中で男から女への会話としてです。対して標準的には「死上有」は「死んだ方がましだ」の意味合いで解釈しますから、まったくに解釈の方向性が違います。まず、標準的解釈では弊ブログで想像する体から霊魂が抜け出し彷徨うような状態(=腑抜けの状態)というものは予定されていません。「死なむ勝れり」は、恋煩いで心ここに在らずという状態ではないでしょう。ただ、この歌はこれ以上の深堀はありません。
 次いで集歌2914の歌を鑑賞しますと、歌には『遊仙窟』をヒントとして詠われているとします。

集歌2914 愛等 念吾妹乎 夢見而 起而探尓 無之不怜
訓読 愛(うつく)しと念(おも)ふ吾妹(わぎも)を夢し見に起きに探(さぐ)るに無きし寂(さぶ)しさ
私訳 愛しいと恋い焦がれる私の貴女を、夢の中に見て、起きて探るのに、貴女がそばにいないのが心さみしいことです。
注意 歌は遊仙窟からヒントを得たとします。

 話題とします『遊仙窟』には次の一節があります。集歌2914の歌と『遊仙窟』の一節を見比べますと納得されると思います。

原文 少時坐睡、則夢見十娘。驚覚攬之、忽然空手。心中悵怏、複何可論。
訓読 少時坐睡し、則(たちま)ちに十娘に見(まみ)へむ夢を見む。驚き覚めて之を攬るに、忽然として手は空(むな)し。心中悵怏たるに、複た何をか論ずべき。

 また、人によっては次の集歌2912の歌にも『遊仙窟』を見るともします。

集歌2912 人見而 事害目不為 夢尓吾 今夜将至 屋戸閇勿勤
訓読 人し見に事(こと)咎(とが)めせぬ夢に吾(われ)今夜(こよひ)至らむ屋戸(やと)閇(さ)すなゆめ
私訳 他の人が見て二人の振る舞いを咎めたてない夢の中に、私が今夜は現れます。貴女の夢の家の戸を閉めないでください。決っして。

 この集歌2912の歌に『遊仙窟』を見るとき、その根拠を次の一節を挙げます。

原文 僕乃詠曰、積愁腸已断、懸望眼應穿。今宵莫閉戸、夢裏向渠邊。
訓読 僕、乃ち詠ひて曰はく「愁を積んで腸(はらわた)は已に断えなんとして、懸かに望んで眼は應に穿りぬべし。今宵は戸を閉じること莫くして、夢裏は渠(きみ)が邊(かたはら)に向はむ」と。

 参考として『遊仙窟』には次のような一節があります。おぼろげに集歌2913の歌に『遊仙窟』の姿があるとしますと、集歌2912の歌から集歌2914の歌までは『遊仙窟』からヒントを得た歌と云うことになります。

原文 于時両人對坐、未敢相觸、夜深情急、透死忘生。
訓読 その時、両人は對坐するも、未だ敢へて相ひ觸れず、夜は深くして情は急(せわし)くして、死を透りて生を忘る。

 さて、歌が人に披露するものとしますと、集歌2914の歌や集歌2912の歌が詠われた時、奈良時代の貴族階級では『遊仙窟』という小説は人々の共通の教養書物だったことになります。当然、ご存知のように『遊仙窟』は唐の遊郭での遊びの作法とそこに養う遊女と夜床で為す前戯や基本体位を紹介するポルノ小説ですから、和歌がその『遊仙窟』を引用して恋人に歌を詠い贈るとしますと、その『遊仙窟』を踏まえたことをしましょうと云う誘いです。
 それとも宮中などでの宴での教養合戦の歌なのでしょうか。教養合戦の歌ですと、墨書された木簡(笏)が回覧されたとき、すぐに斯様な歌の背景を理解し、中国最新の小説引用と解釈する必要があります。さらに原典がポルノ小説ですから歌をポルノとして解釈する必要もあります。いやはや、実に大変な歌々です。

 気を取り直して、次の歌に遊びます。

集歌2915 妹登曰者 無礼恐 然為蟹 懸巻欲 言尓有鴨
訓読 妹と云はば無礼(なめ)し畏(かしこ)ししかすがに懸(か)けまく欲しき言(こと)にあるかも
私訳 「愛しい恋人」と云うと礼が無く、恐れ多い。しかしながら、貴女に「妹(=恋人)」と言葉を懸けたくなるような、そんな言葉ですね。

 万葉集では恋人や愛人の呼び名に「妹」、「妻」、「嬬」、「麗」、「嬢」などの表記を使います。ここで、二句目「無礼恐」という表現が女性の身分によるものとしますと、行幸先で都に残した女性に「之加須我仁」という表現を使い、別な歌では「然為我二」というものがありますから三句目「然為蟹」という表記はいかがなものでしょうか。そうしたとき、二句目「無礼恐」という表現に対し別の歌では「布士能嶺乎 高見恐見」という表現がありますから、高貴な女性と解釈する必然性はなくなります。恋した女性が光り輝くほど美しいので「恐」なのかもしれません。
 すると、初句「妹登曰者」の「妹」の意味合いをどうしましょう。恋する男性から見て女性は、若く、身内や一族のように親しみがあり、庇護したいような存在と云う意味合いでしょうか。妻ですと互いの一族公認の公式の夫婦の意味合いが強く、ある種、刀自(正妻)でしょうし、嬬は妾に似た意味合いでしょうか。そのような意味合いで鑑賞するのが良いのでしょうか。
 この「妹」、「妻」、「嬬」、「麗」、「嬢」などの表記の使い分けが今一つピント来ません。本来、これらの言葉の使い分けをしっかり調べて、それから鑑賞をすれば良いのですが、なかなか良い文献に行き当たりません。ご教授、いただければ幸いです。

 最後に集歌2916の歌を鑑賞しますが、ここでの男女は野良で男に手を引かれて抱かれるような関係ではなく、正式の使者を立てての妻問ひの場面を想定しています。

集歌2916 玉勝間 相登云者 誰有香 相有時左倍 面隠爲
訓読 玉かつま逢はむと云ふは誰(たれ)なるか逢へる時さへ面(おも)隠しする
私訳 美しい竹の籠(古語;かつま)の中子(身)と蓋が合う、その言葉ではないが、貴方と夜に逢いましょうと云ったのは誰ですか。こうして抱き合っている時でも、貴女は顔を隠す。

 家族が集団で寝るような掘っ建て小屋ではなく、若い娘が夜に男を迎え入れる独立した部屋を持つような貴族階級同士の妻問ひです。ですから、事前に妻問ふ男と娘の母親には打ち合わせがあり準備があります。妻問は娘にとって見合いであり、新婚初夜の当日でもあります。妻問ひの連絡の応諾は娘の母親がしていますが、建前では娘の応諾です。そのような場面の歌と思うのが良いのではないでしょうか。
 弊ブログでは娘から女になる裳着という成女式があり、この成女式を経て娘は妻問ひを受け入れると考えています。万葉集にはこの風習から許嫁の男が成女式の終わるのをじりじりして待つ歌がありますから、この歌はそのような許嫁の男と成女式を終えたばかりの娘との様子なのかもしれません。

集歌2550 立念 居毛曽念 紅之 赤裳下引 去之儀乎
訓読 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅(くれなゐ)の赤裳(あかも)裾引き去(い)にし姿を
私訳 立上っても恋い焦がれ座っていても恋い慕う、紅の赤い裳の裾を引いて奥へ去って行った貴女の姿を。

大伴宿祢駿河麿娉同坂上家之二嬢謌一首
標訓 大伴宿祢駿河麿の同じ坂上家の二嬢(おとをとめ)を娉(よば)へる歌一首
集歌407 春霞 春日里之 殖子水葱 苗有跡云師 柄者指尓家牟
訓読 春霞(はるがすみ)春日(かすが)し里し植(うゑ)子(こ)水葱(なぎ)苗(なへ)なりと云ひし枝(え)はさしにけむ
私訳 今年、春霞が立つ季節に春日に住む私と貴女の幼い次女と婚約しましたが、水葱の苗のようで、供して夫婦事をするにはまだ早いと心配されていましたが、その早苗が枝を伸ばすように貴女の娘は、もう十分に女になりました。

 参考として、集歌2916の歌が成女式を終えたばかりの娘の様子としますと、集歌2627の歌はもう少し男女関係の回数を重ねた娘の姿でしょうか。男に身を任せるばかりから、男の願いで自ら紐を解くまで変わって来ています。

集歌2627 波祢蘰 今為妹之 浦若見 咲見慍見 著四紐解
訓読 はね蘰(かつら)今する妹しうら若み笑(ゑ)みみ怒(いか)りみ着(つ)けし紐(ひも)解(と)く
私訳 成女になった印の「はね蘰」を、今、身に着ける愛しい貴女は、まだ、男女の営みに初々しいので、笑ったり拗ねたりして、着ている下着の紐を解く。
注意 原文の「波祢蘰(はね蘰)」は集歌705及び706の歌と同様に、裳着を終え成女になったばかりの女性の意味と捉えています。

 弊ブログはこのような下卑た方面が大好きなため、つい、斯様な歌を追いかけてしまいます。

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