神岳に登りて作れる謌
集歌324の歌の歌詞に「明日香能舊京師」とありますから、神岳に登って藤原京を眺めての歌と思われます。
神亀元年は西暦724年で、平城京遷都は西暦710年です。山部赤人は養老・神亀年間から天平八年ごろに主に活躍をしたとすると、およそ、遷都後、十五年経った頃の藤原京跡を詠ったと考えて良いかもしれません。主な建物は平城京に移築・転用され、何も残っていない荒廃した姿だったようです。そうした時、神岳とは地理的には天香具山を示すと思われます。その天香具山自体も、平城京遷都のあとは荒れた山容を示していたのではないでしょうか。
なお、荒廃した旧王宮を詠う歌に、柿本人麻呂が詠う「近江の荒れたる都を過ぎし時の謌」が有名ですが、同じに高市古人の「近江の旧堵を感傷して作れる歌」もまた有名です。
登神岳山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 神岳(かむをか)に登りて山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌324 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
訓読 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山(やま)に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 玉(たま)葛(かづら) 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通(かよ)はむ 明日香の 旧(ふる)き都は 山高み 河雄大(とほしろ)し 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清(さや)けし 且(また)雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば
私訳 神降る三諸の神名備山に、たくさんの枝を広げて繁って生えている栂の木が、ますます継ぎ継ぎに世を重ねるように、美しい葛(ふぢ)のツルが絶えることがなく、このようにありますように、次ぎ次ぎと止むことなく通って来ましょうと、明日香の旧き都は、山は高く、河は雄大で、春の昼間は山を見たく思い、秋の夜は河の流れが清々しい、さらに空の雲には鶴が乱れ飛び、夕霧の中で蛙が鳴き騒ぐ、これらを見ること毎に、恨み泣けてしまう。昔の繁栄した都の様子を想像すると。
反謌
集歌325 明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
訓読 明日香河川淀さらず立つ霧の念(おも)ひ過ぐべき恋にあらなくに
私訳 明日香河の川淀を流れ去らずに立ち込める霧のように、昔の思い出を流れ過ぎさすだけの慕情ではないでしょう。
参考歌
高市古人感傷近江舊堵作謌 或書云、高市連黒人
標訓 高市古人の近江の旧堵(きゅうと)を感傷して作れる謌 或る書に云はく「高市連黒人」といへり
集歌32 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
訓読 古(いにしへ)の人に吾(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見れば悲しき
私訳 古い時代の人間だからか、私の今は。この楽浪の故き京を眺めると切なくなる。
集歌33 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
訓読 楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)の心(うら)さびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも
私訳 楽浪の国を守る国つ御神の神威も衰えて、この荒廃した京を眺めると切ないことです。
集歌324の歌の歌詞に「明日香能舊京師」とありますから、神岳に登って藤原京を眺めての歌と思われます。
神亀元年は西暦724年で、平城京遷都は西暦710年です。山部赤人は養老・神亀年間から天平八年ごろに主に活躍をしたとすると、およそ、遷都後、十五年経った頃の藤原京跡を詠ったと考えて良いかもしれません。主な建物は平城京に移築・転用され、何も残っていない荒廃した姿だったようです。そうした時、神岳とは地理的には天香具山を示すと思われます。その天香具山自体も、平城京遷都のあとは荒れた山容を示していたのではないでしょうか。
なお、荒廃した旧王宮を詠う歌に、柿本人麻呂が詠う「近江の荒れたる都を過ぎし時の謌」が有名ですが、同じに高市古人の「近江の旧堵を感傷して作れる歌」もまた有名です。
登神岳山部宿祢赤人作謌一首并短謌
標訓 神岳(かむをか)に登りて山部宿祢赤人の作れる謌一首并せて短謌
集歌324 三諸乃 神名備山尓 五百枝刺 繁生有 都賀乃樹乃 弥継飼尓 玉葛 絶事無 在管裳 不止将通 明日香能 舊京師者 山高三 河登保志呂之 春日者 山四見容之 秋夜者 河四清之 且雲二 多頭羽乱 夕霧丹 河津者驟 毎見 哭耳所泣 古思者
訓読 三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山(やま)に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに 玉(たま)葛(かづら) 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通(かよ)はむ 明日香の 旧(ふる)き都は 山高み 河雄大(とほしろ)し 春の日は 山し見がほし 秋の夜は 河し清(さや)けし 且(また)雲に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧に かはづは騒く 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば
私訳 神降る三諸の神名備山に、たくさんの枝を広げて繁って生えている栂の木が、ますます継ぎ継ぎに世を重ねるように、美しい葛(ふぢ)のツルが絶えることがなく、このようにありますように、次ぎ次ぎと止むことなく通って来ましょうと、明日香の旧き都は、山は高く、河は雄大で、春の昼間は山を見たく思い、秋の夜は河の流れが清々しい、さらに空の雲には鶴が乱れ飛び、夕霧の中で蛙が鳴き騒ぐ、これらを見ること毎に、恨み泣けてしまう。昔の繁栄した都の様子を想像すると。
反謌
集歌325 明日香河 川余藤不去 立霧乃 念應過 孤悲尓不有國
訓読 明日香河川淀さらず立つ霧の念(おも)ひ過ぐべき恋にあらなくに
私訳 明日香河の川淀を流れ去らずに立ち込める霧のように、昔の思い出を流れ過ぎさすだけの慕情ではないでしょう。
参考歌
高市古人感傷近江舊堵作謌 或書云、高市連黒人
標訓 高市古人の近江の旧堵(きゅうと)を感傷して作れる謌 或る書に云はく「高市連黒人」といへり
集歌32 古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
訓読 古(いにしへ)の人に吾(わ)れあれや楽浪(ささなみ)の故(ふるき)京(みやこ)を見れば悲しき
私訳 古い時代の人間だからか、私の今は。この楽浪の故き京を眺めると切なくなる。
集歌33 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
訓読 楽浪(ささなみ)の国つ御神(みかみ)の心(うら)さびて荒れたる京(みやこ)見れば悲しも
私訳 楽浪の国を守る国つ御神の神威も衰えて、この荒廃した京を眺めると切ないことです。
あまり古文には興味がなかったのですが、ちょっと気になって調べたところ、こちらの記事に出会いました。生まれて初めて、古代に生きた彼の感性が、自分と同じであることと感じました。
ありがとうございました。