竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 三二八 今週のみそひと歌を振り返る その一四八

2019年07月20日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 三二八 今週のみそひと歌を振り返る その一四八

 巻十六 有由縁并雜謌に入り、鑑賞しています。本来ですとこの巻十六に載る短歌は基となる長歌や前置漢文、左注の漢文などとともに鑑賞すべきですが、弊ブログの遊び方のルールにより分離して鑑賞しています。この巻十六は「有由縁并雜謌(由縁あるものに併せてくさぐさの歌)」と紹介するように、いろいろな種類の歌が集められています。
 今回は、少し地名からすると不思議な歌四首で遊びます。なぜ不思議と云いますと、集歌3881の歌の標題に「越中國」と紹介しますが、集歌3881の歌の大野路は富山県高岡市福岡町、集歌3882の歌の澁谿乃二上山は富山県高岡市と氷見市との境に位置する二上山ですので「越中國」として納得がいきます。
 ところが、集歌3883の歌と集歌3884の歌の伊夜彦は弥彦山を意味し、地名では新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社に関係した歌ですので、「越中國」よりも「越後國」です。

越中國謌四首
標訓 越中國(こしのみちのなかのくに)の謌四首
集歌3881 大野路者 繁道森徑 之氣久登毛 君志通者 徑者廣計武
訓読 大野路(おほのぢ)は繁道(しげみち)森路(もりみち)茂くとも君し通はば道は広けむ
私訳 大野の路は、草木の茂った道、森の道。草木が茂ったであっても、貴方が私の許に通うなら道は通り易く広いでしょう。

集歌3882 澁谿乃 二上山尓 鷲曽子産跡云 指羽尓毛 君之御為尓 鷲曽子生跡云
訓読 渋谿(しぶたに)の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳(さしは)にも君し御為(みため)に鷲ぞ子産むといふ
私訳 渋谷の二上山で鷲が子を産むと云う。鳥の羽で作る天蓋にも使ってくださいと、貴方のために、鷲が子を産むと云う。

集歌3883 伊夜彦 於能礼神佐備 青雲乃 田名引日良 霈曽保零 (一云 安奈尓可武佐備)
訓読 弥彦(いやひこ)おのれ神さび青雲(あをくも)のたなびく日ら小雨そほ降る (一云 あなに神さび)
私訳 弥彦山は山自身が神々しく、青雲が棚引き日でも小雨がそほ降る。(一は云う、まことに神々しく)

集歌3884 伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏武 皮服著而 角附奈我良
訓読 弥彦(いやひこ)神の麓(ふもと)に今日らもか鹿の伏さむ皮衣着に角つきながら
私訳 弥彦山の神の山の麓に、今日もそうなのだろうか。鹿が伏している。皮の衣を纏って角を生やして。

 ここで、越中国の歴史を見て見ますと、大宝二年(702)に、越中国の4郡(頸城郡・古志郡・魚沼郡・蒲原郡)を分ち越後国に属するという記録があります。今回は紹介していませんが集歌3878の歌の標題に「能登國歌三首」とあり、この能登國は養老二年(718)に越前国から分立して成立しますが天平十三年(741)に越中国へと吸収・併合、さらにその後の天平宝字元年(757)に越中国から再び分立したと紹介されます。
 つまり、歴史的な辻褄が合いません。越中國謌四首からすると、万葉集の編集は大宝二年以前の話になりますが、集歌3878の歌に付けられた標題「能登國歌三首」からしますと、養老二年から天平十三年の間、または天平宝字元年以降となりますから、両者を満たす期間は存在しないことになります。
 ただし、この当時の越後國は越後城司のような軍事的な扱いで行政的なものを越中國に任せていたのかもしれません。歴史で国司が記録されるのは越後城司の名の猪名真人大村が最初で、次が平安時代の坂上田村麻呂となり、その間が不明となっています。

 万葉集の鑑賞で、万葉集の歌に古代史を眺めますと表面的な国と云う行政区分と軍事的な大和の境界と云うものの関係、蝦夷と大和との境界地帯での行政を施行体制など、色々、想像させられます。
 もう一つ、面白いことに、瀬戸内海沿岸の諸国での歌は、特別に〇〇国の歌のような紹介をしませんが、東国など特定の国では、わざわざ特別に〇〇国の歌のような紹介をします。ある種、都人にとっては未知の国と云うような、特別な響きで聞こえるのかもしれません。

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