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竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 百三九 遊び心の歌を楽しむ 集歌1787

2015年10月10日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 百三九 遊び心の歌を楽しむ 集歌1787

 『万葉集』は目で楽しみ、耳でも楽しむ歌を集めた詩歌集です。従いまして、文学が好きな御方であれば、『万葉集』は原歌から楽しむ必要があります。ただ、以前、「万葉集周辺の馬鹿話」で紹介しましたように、最低限として原歌から歌を楽しむ手順は知っている必要はありますし、また、弊ブログでは「初めて万葉集に親しむ」というテーマで、その手順を紹介させていただいています。ただ、きちんと正面から『万葉集』を楽しむということに対して、「定訓」と云う便利な術語を作り上げた人たちにとっては、それはまったくに縁のない世界です。「定訓」とはその時代の言葉とした翻訳歌を意味しますから、それは誰かの鑑賞であって、貴女の鑑賞ではありません。例として「孤悲(こひ)」と云う原歌での言葉を「恋」と云う言葉にわざわざ翻訳して貰う必要はありません。
 今回はそのような原歌から楽しむことを前提に次の集歌1787の歌を鑑賞します。歌は典型的に原歌から楽しむ作品であって、訓読み万葉集歌だけを取り上げると、全くに作品の本質が判らなくなるようなものです。

 さて、訳の判らない、くだらない酔っぱらいのたわごとはさておき、集歌1787の歌を最初に楽しんでください。

天平元年己巳冬十二月謌一首并短謌
標訓 天平元年己巳冬十二月の歌一首并せて短謌
集歌1787 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁

訓読 現世(うつせみ)の 世し人なれば 大王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み 礒城嶋(しきしま)の 日本(やまと)し国の 石上(いそしかみ) 振(ふる)し里に 紐解(と)かず 丸寝(まるね)をすれば 吾が衣(き)る 服(ころも)は穢(なれ)ぬ 見るごとに 恋はまされど 色(いろ)に出(い)でば 人か知りぬみ 冬し夜し 明(あ)かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾はぞ恋ふる 妹し直香(ただか)に

私訳 蝉の抜け殻のような実のないこの世を生きる人間なので、大王の御命令を謹んで承って、礒城嶋の大和の、その厳かな神が祀られる石上の地の、職務に励むその布留の里に上着の紐を解くこともせず、ごろ寝をすると、私が着る服はよれよれになった。貴女が紐を結んだこの衣を見る度に恋心は増さるけど、それを表情に出せば世の人もあの人も気づくでしょう。冬の長き夜の明かし難いのを、貴女と共寝することもないので寝るに寝られず、私は恋慕う、愛しい貴女の目に映る姿に。

反謌
集歌1788 振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
訓読 布留山(ふるやま)ゆ直(ただ)に見わたす京(みやこ)にぞ寝(い)も寝(ね)ず恋ふる遠くあらなくに
私訳 職務に励むその石上の布留山から、直接に見渡せる奈良の京に居る、夜に寝ることも出来ずに貴女を慕う。そんなに遠くでもないのに。

集歌1789 吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
訓読 吾妹児し結(ゆ)ひてし紐を解(と)かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふさへに
私訳 私の愛しいうら若い貴女が結んだ、王羲之の書ほどの貴重な、そのような紐を解くことがあるでしょうか。ずいぶんと貴女と逢うことが途絶えてしまって契りに結んだ紐が切れるなら切れたとしても。でも、直接に貴女に逢へるなら。

右件五首、笠朝臣金村之謌中出。
注訓 右の件(くだ)りの五首は、笠朝臣金村の歌の中に出ず。
(先行する集歌1785の長歌と集歌1786の反歌は紹介を省略しています)

 この歌は、恐ろしいことに『玉台新詠集』の「藁砧」と云う作品を自在に鑑賞できることが前提となっています。歌の鑑賞において、ただ単純に長歌で使われる「山上復有山」と云う表現は「出」と云う漢字を導き出している戯訓ですと紹介すれば、それで完結するようなものではありません。長歌は『玉台新詠集』の「藁砧」と云う有名な謎解き歌を引用していますから、それを前提に鑑賞する必要があります。つまり、歌で使われている文字や表現には工夫があるのです。
 順としてその「藁砧」を以下に紹介しますが、最初の直訳での訓じはまったくに使い物にならない遊びのものですので、二番目に紹介する訓じを鑑賞下さい。それが漢詩での伝統ですし、歴史です。

古絶句 藁砧
<使い物にならない直訳の訓じ>
藁砧今何在 藁砧(かうちん)、今、何(いずくに)ぞ在る
山上復有山 山上、復、山は有り
何當大刀頭 何(なん)ぞ、當(まさ)に大刀の頭
破鏡飛上天 破鏡は上天を飛ぶ

<謎解きを下とした鑑賞の訓じ>
藁砧今何在 夫は、今、何(いずくに)ぞ在る
山上復有山 出(い)でて
何當大刀頭 何(いつ)にぞ、當(まさ)に還(かへ)らむ
破鏡飛上天 半月は上天を飛ばん(旧暦七日頃の意味)

 ここで、「藁砧」と云う言葉の解説として中国では「古代処死刑、罪人席藁伏于砧上、用鈇斬之。“鈇”、“夫”諧音。后因以“藁砧”、故婦女称丈夫的隠語」と紹介します。日本では藁を砧で叩き柔らかくするというイメージがあり、砧は棍棒のようなものとの解釈ですが、中国語からしますと砧には叩いて柔らかくするときのその台座のようなイメージがあります。そうした時、そのような処刑に使った刃物を「鈇」と云い、この発音が唐音では「鈇」(pyo/piu)です。その同音字である「夫(pyo/piu)」との言葉遊びから、中国では「夫」を示す隠語として「藁砧」と云う言葉を使うと伝えます。(現代語では鈇は斧の異字体でfuであり、夫はfuですので、そのように解説をします)
 さらに「大刀頭」と云う言葉において、中国の伝統として大刀の柄頭には環が付いており、この環の発音が唐音では「環」(ghruan/hoan)です。その同音字である「還」(ghruan/hoan)から、「大刀頭」は「環」であり、その「環」は「還」に通じるとします。
 また、中国では月は十五夜の満月であることが基準ですので、そこから月の表現には「満」、「鏡」や「圓」と云う文字を使います。これを前提に「破鏡飛上天」と云うことですから、圓であるはずの鏡が壊れています。つまり、満月ではない三日月や半月が天空の真上にあることになります。従いまして漢詩が示すものとは、月齢七日頃の月が夜半、寝床に就く前に天空の真上にあると云うことです。
 最後に「山上復有山」と云うものは文字遊びで「山」の上に「山」を重ねて「出」となります。
 このようにして<鑑賞の訓じ>が得られます。逆に見ますと集歌1787の歌には「色二山上復有山者」と云う表現を使っていますから、ここまでに紹介・解説しました漢詩「藁砧」は人々の教養であったと思われます。凡奴である私としては、それが前提であると云う、集歌1787の歌の鑑賞で要求するレベルの高さに恐怖を覚えます。和歌ですが、その内実は漢詩文の鑑賞と同等です。(おまけとして、ここでの逆算からしますと天平元年までには『玉台新詠集』は大和貴族には広く流布していたことが判ります。)

 本題に戻りまして、ここで長歌の鑑賞において歌で使われる言葉について考えてみたいと思います。
 その長歌冒頭の「虚蝉乃世人有者」と云う一節での「虚蝉」は「蝉の抜け殻のような実のない」という形容を表しますが、時代を考えますと単純にそのように解釈すべきかは判りません。長屋王の事変の直後ですから、場合によっては「大王」を形容する言葉であるかもしれません。
 次に、「石上振里尓」は「石上の布留の里に」と訓じて解釈するのが一般的ですが、時に「厳そし神、奮ふ里」と訓じ解釈することも古今和歌集的なものになりますが不自然な解釈ではありません。掛詞の技法の歴史論からするとこのような解釈は時代が早すぎるとして否定されるでしょうが、「振里」を「布留里」と解釈するのでしたら「奮ふ里」の意味を持たせた「布留里」であっても良いのではないでしょうか。同様に「石上」に「厳そし神」と云う意味合いを「石上神宮」に持たすことは許されると考えます。
 ここで紹介する「色二山上復有山者」は有名な戯訓ですが、一方、漢詩「藁砧」からすれば完全な教養の披露であり言葉遊びです。それは先に紹介しました。
 言葉遊びを前提としますと「一可知美」の表現はいろいろに鑑賞が出来ます。「ひとのしりみべく=人の知りみべく」や「ひとかしりぬみ=人か知りぬみ」です。この「人」においても他人である「世間の人」や恋人である「相手」などと複数にも解釈が可能になります。つまり、古今和歌集のような複線的な鑑賞が可能になります。歌はその効果を狙ってあえて「人」という文字ではなく「一」という文字を選定していると考えられます。
 このような言葉遊びの流れからしますと「五十母不宿二」もまた掛詞であり言葉遊びの可能性があります。「五十」と云う二文字に対して「い」と云う音の戯訓としますと「五十母」は「妹(いも)」でもあり、また、「寝(いも)」でもある可能性があります。「五十」は「百」に繋がる言葉ですから、語感では「なんどもなんども恋人と共寝をすることなく」という情景も文字表現にはあります。確かに直接に伝統の訓じを行えば「寝(い)も寝(ね)ずに」ですから、その解釈である「寝るに寝られず」では、あまり、面白味はありません。
 長歌の最後となる部分「吾歯曽戀流 妹之直香仁」は意味深長の表現です。本来でしたら「吾歯」は「吾者」で良いのですが、そこをあえての「吾歯」です。これを「吾唇」とした方がもっと直接的ですが、それでは「われは」と云う音が得られません。だから「吾歯」です。その「吾の歯(=唇)」は恋人のもっとも女性としての「香」がする場所を求めているとします。実にその情景は卑猥です。ただし、音字としての発声だけですと、「あはそこひする、いもしただかに」ですから、なんら面白味も工夫もありません。その「なんら面白味も工夫もない」のを鑑賞するのが「定訓」である「訓読み万葉集」の最大の特徴でもあります。

 さらに『万葉集』の読解において戯訓と云うものがあり、その戯訓の中で王羲之は能書家であったことから古代では能書家を「手師」と表現することを踏まえて「羲之」を「てし」と洒落で訓じます。この「羲之」は時に略字化され「義之」とも『万葉集』では記します。
 逆はどうでしょうか。王羲之の時代、特別な作品を除きますと書は尺牘に記します。その尺牘は大切にテーマ毎に紐で結び綴じられます。その様を綍鎍(ふつさく)と漢語では呼ぶようです。すると、「結手師紐乎」は意図する意味としては「結羲之紐乎」であるのかもしれません。つまり、「貴女が結んでくれた契りの紐」は「世に貴重な王羲之の書を集めたものと同等な貴重なもの、大切なもの」という意味が表記に隠されているかもしれないのです。ちょっとした洒落でしょうか。
 また、集歌1789の短歌の末句「直二相左右二」の「左右」は弊ブログでは「さへ」と訓じていますが、一般には平安時代初期に活躍した源順の名を拝借して鎌倉時代に創作された「石山寺縁起絵巻」などから「まで」と訓じます。一応、人の左右の手を合わせることを真手と云い、この真手から「まて」と訓じると解説します。これも有名な戯訓です。
 ただ、長歌から順に歌を追いかければ「吾歯曽戀流 妹之直香仁」であり、「寐不宿戀流 遠不有尓」ですし、さらに「結手師紐乎 将解八方」を経ての「直二相左右二」です。その時、歌を鑑賞して頂ければ判りますように、歌の暗示として男には好いた女の衣を左右に開いてその素肌を見つめたい願望があります。それを暗示する「左右」を「まで」と訓じるのは、さてはて、歌を鑑賞しているのでしょうか。まぁ、死語の世界ですが、同様なものとして江戸期以降では「両手を合わせて観音さまを拝む=御開帳」と云う言葉がありますから、そのような姿をイメージすれば良いのかもしれません。
 しかしながら、このような高度な文字遊びの歌であっても、その時の時代の言葉に翻訳をしたものである訓読み万葉集から鑑賞が出来るとするのが鎌倉時代からの伝統です。そのような時代を背景として「石山寺縁起絵巻」での「左右=真手」と云う伝説が生まれたのでしょう。弊ブログでは何度も指摘していますが、『新撰万葉集』に載る和歌からしますと「左右」と云う表現は五首を数えますから、一世代後の歌学者でもある源順にとって「石山寺縁起絵巻」の伝説を創ってもらわなくても「左右」という表現は時代の教養として読解できるものです。そこが藤原定家たちとは時代背景が違います。

 始めに紹介しましたように、ここでのものは「訳の判らない、くだらない酔っぱらいのたわごと」です。まともに相手にしますと、貴女は恥をかきます。
 何時ものように、読み捨てにして下さい。お願い致します。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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実に面白いです。 (りひと)
2015-10-11 07:46:16
原文からの解釈は、素人には全く縁がないものだと思っていました。この時代どうせならダイレクトに感じるのが一番の味わいに感じます。嶋さんも私の研究のキーワードです。石上のフツの神とも縁を頂いているのも踏まえ、こちらのプログに10/10のおみくじからやってきたのも深読みしてしまいます。今後も楽しみにしております。8243
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重ね重ね (作業員)
2015-10-11 12:42:06
お願いです。
此処でのものは与太話です。
それっぽい姿をしていても、やっぱり、トンデモ説ですし、与太話です。
そこをよろしくお願い致します。

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