万葉雑記 色眼鏡 九一 難訓「葉非左思所念」を解釈する
今回も引き続き難訓歌を鑑賞します。取り上げます歌は巻十六の巻末に載る歌で、無名人の歌ですので、まず、有名な歌ではありません。そのため、ある種、無責任的に歌を鑑賞することが出来ます。
さて、難訓とされるものは集歌3889の歌の末句「葉非左思所念」です。なお、この歌の鑑賞において、以前紹介した難訓歌と同じように鑑賞には条件があります。それはこの集歌3889の歌は先に置かれた集歌3887の歌からの三首一組の組歌となっており、組歌には「怕物謌三首(怕しき物の歌三首)」と云う標題が付けられ、これら三首の歌の内容を紹介していることです。つまり、鑑賞では「怕しき物」を詠っていることを理解する必要があります。逆に三首が組としてきちんと解釈出来ないのですと、その提案する解釈の前提や解読したとする集歌3887と集歌3888の歌の鑑賞は間違いである可能性が非常に高くなります。
鑑賞にあたって最初にテーマとします原文歌三首とそれに付けられた標題を紹介しますと、次のようになっています。
怕物謌三首
集歌3887 天尓有哉神樂良能小野尓茅草苅々々波可尓鶉乎立毛
集歌3888 奥國領君之染屋形黄染乃屋形神之門涙
集歌3889 人魂乃佐青有君之但獨相有之雨夜葉非左思所念
先ほどの紹介で標題「怕物謌」の表記を「怕しき物の歌」と一般的な訓読みを紹介しましたが、「萬葉集(新日本古典文学大系、岩波書店)」では「物に怕れし歌」と解釈し、他の評釈本とにおいて「怕しき物や事柄を詠ったもの」か、「ある物や事柄を怕れたと云う出来事を詠った」かとの微妙な解釈の相違があります。一般的な歌の解釈では標題の訓読みでは「怕しき物の歌」の方を採用し、テーマとする歌三首を次のように理解します。
<萬葉集釋注(伊藤博、集英社文庫)>より引用
題詞の「怕ろしき物の歌」とは、畏怖の対象となる物(霊・鬼)を題材とする歌をいう。天上・海上・地上それぞれの「怕ろしき物」を詠んでおり、それぞれ独立しつつも、三つ合わせて「怕ろしき物」の様態を表わそうとしたことが知られる。
ここで、その『萬葉集釋注』に示す天上・海上・地上のそれぞれの「怕ろしき物」を詠ったそれぞれの歌と云う解釈の背景を少し説明しますと、集歌3887の歌の一節「天尓有哉神樂良能小野尓」と同じ表現とされる句が集歌420の長歌にあります。その長歌の一節「天有 左佐羅能小野之 七相菅」を「天しある 左佐羅(ささら)の小野し 七節菅(ななふすげ)」と訓じるところから「天尓有哉神樂良能小野尓」を「天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に」と訓じます。そして、その意訳文では「天上にある笹の茂る小さな野原に」と云うようなものとなりますので、歌は天上の神の世界を詠ったものであろうと推測します。
同様に一般的には第二首目となる集歌3888の歌の初句「奥國」は「おくつくに」と訓じて「沖つ国=大和神話での海の国」と解釈します。そこから歌のキーワードとなる「屋形」を「屋形舟」と見当を付け、大和神話での海上の風景に関係ある歌であろうとします。このような推定から第一首目は天上の世界を、第二首目は海の世界を詠っているとしますから、その三首一組と云う前提条件の下、第三首目となる集歌3889の歌は地上の世界を詠ったものであろうと推定します。そして、この推定と標題の「怕ろしき物」との縛りから集歌3889の歌の解釈を試みます。しかしながら、ご存じのように現在まで集歌3889の歌は末句「葉非左思所念」の難訓句を含めて歌全体の解釈が出来ないままとなっています。
困りました。従来の組歌三首の構成推定では、歌は鑑賞が出来ないようです。つまり、従来から正しいとされてきた解読の前提条件も、そこからの解釈も正しいものではないのでしょう。
そこで、逆の視点から考えてみます。その従来の解釈では組歌三首は天上・海上・地上それぞれの「怕ろしき物」を詠っていることになっていますが、その解釈は正しいのでしょうか。例えば、判り易い例として第二首目となる集歌3888の歌の初句「奥國」は「おくつくに」と訓じたとしても海の沖合や神話での海の国を意味する「沖つ国」ではなく、そのままに「奥つ国」と解釈することも古語としては可能です。その時、「奥つ国」は「奥つ城(おくつき)」が墓地や霊を祀る場所を意味し、「奥つ棄所(おくつすたへ)」が棺や墓所を示すように、「霊界」や「あの世の世界」を意味すると解釈が出来ます。この時、「屋形」は辞書には牛車や舟の「人が乗る屋根の付いた箱型の部分」とも解説される言葉ですが、歌が人の生死を詠うものとしますと死者を納めた棺とも解釈することが可能となります。つまり、神話での海の国とはまったく関係の無い、葬儀の場面を詠う歌と解釈が出来るのです。その時、この集歌3888の歌は葬儀=死人と向き合う場面を歌い、内容において生物が生まれもって持つ生理から催される心理的な「怕ろしき物」と云うものになるのでしょう。
同様に第一首目の集歌3887の歌の初句「天尓有哉」を比喩としますと二句目の「神樂良能」は「ささらの」と訓じても「ささらえ壮士」や「ささら萩」の「ささら」と同じ意味合いや解釈となり、「ちいさな」とか「細小なものが群がっている様」を示すことになります。つまり、表記での「神樂良」を導き出すために初句に「天尓有哉」と置いただけとなり、なにも天上の世界を詠った歌では無くなります。ただ単に「何もいないだろう、生き物がいるはずもないだろう」と思い込むような、そのような小さな笹藪の草刈りの最中に鶉が飛び出して来た驚きを詠うものだけになります。その予期せぬ出来事への反射神経的な驚きが「怕ろしき物」と云うものになると考えます。
さて、第三首目の歌に目を向けますと難訓は末句の「葉非左思所念」の一節だけが訓じることが出来ず、その他の句は訓じることが出来ることになっています。そこで第四句までの意訳文を見てみますと、次のようになっています。
原文 人魂乃佐青有君之但獨相有之雨夜葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君がただ独り逢へりし雨夜(あまよ)の
<新日本古典文学大系>
人魂のまっ青な君が、ただ一人で出逢った雨夜の
<日本古典文学全集>
人魂のような真っ青な君がひとりきりで現われた雨夜の
<万葉集全訳注原文付>
人魂のまっ青な君が一人で、出逢った雨夜の
<萬葉集釋注>
人魂そのままのまっ青な顔をした君、さよう、このあいだのかのあの君が、たった一人、ふわりと現われてこの私に出くわした暗い雨の夜
意訳文を紹介しましたが、さて、「人魂」と云う言葉は枕詞でしょうか。幣ブログでの考えでは枕詞とされる言葉の表記において『万葉集』の時代では漢字表記を工夫した多くの変化に富んだものを見ることが出来ることから、歌の言葉が枕詞なるものとして文学的に形容しても、それぞれの言葉はそれぞれに意味を持つと考えますし、まだ、平安時代後期以降の和歌の世界とは違い『万葉集』の時代では枕詞のような作歌技法は確立してはいないとしています。すると、「人魂」と云う言葉が枕詞であったとしてもそれぞれに意味を持つものとしますと、どのような意味となるのでしょうか。
『万葉集』に「魂」の文字を求めますと巻三に「魄」の文字を持つ集歌417の歌を見つけることが出来ます。この集歌417の歌では「魄」は「親魄(ニギタマ)」と云う熟語の中での文字として使われ、その熟語「親魄」は死亡した人物ですが丁寧に祀られ世に害を為さない穏やかな霊魂のような意味合いで使われています。
河内王葬豊前國鏡山之時、手持女王作謌三首
標訓 河内王を豊前國の鏡山に葬(はふ)りし時に、手持女王の作れる歌三首
集歌417 王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
訓読 王(おほきみ)し親魄(にきたま)相(あ)ふや豊国(とよくに)の鏡山を宮とさだむる
私訳 河内王よ。貴方の御気に召されたのか。この豊国の鏡山を貴方の常夜の宮と定め為されました。
すると、集歌3889の歌の「人魂」と云う言葉は「人間の霊魂」を意味すると思いますが、「人魂乃佐青有君」と表記する場合、どのように解釈するのが良いのかが問題になるのではないでしょうか。もし、「人の霊魂を持つ真っ青な顔をした君」と訳す時、この「君」とは生きている人間を示す言葉になるでしょうか。他方、「人の霊魂のような真っ青な顔をした君」と訳しますと、これは当時の「鬼」をイメージします。
ここで「人魂乃佐青有君」が生きている人間を形容するものではないとしますと、別な想像が働きます。それは、文武天皇時代前後に到来したとされる四天王寺庚申堂に祀られる青面金剛童子の洒落ではないかと云う可能性です。
この「人魂乃佐青有君」なる言葉が洒落で「青面金剛童子」を表すものであるとのアイディアが成り立つのですと、末句の「葉非左思所念」もまた、なんらかの洒落ではないかと云う類推が働いて来ます。そうした時、「葉非」も「茎は葉に非ず」の洒落であると解釈ができるかもしれません。 そして、この「茎」と云う洒落が導き出されますと、「茎」と「左思」から「鬱鬱潤底松」で始まる漢詩「詠史」を思い浮かべることは冒険ではないと考えます。この解釈における冒険が許されるものですと、集歌3889の歌が示す世界は「雨が降る深夜、一人、お堂に籠って暗闇の中で青面金剛童子と対面している」と云う風景になります。その時、想像するあの世や仏の世界から心に浮かぶ心理的な恐怖があると思います。つまり、この想像からの心理的な恐怖が「怕ろしき物」ではないでしょうか。
以下に紹介した解釈を下にした訓読みと私的意訳文を紹介します。
怕物謌三首
標訓 怕(おそろ)しき物の謌三首
集歌3887 天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々波可尓 鶉乎立毛
訓読 天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉(うづら)を立つも
私訳 天上にあると云われている「ササラの小野」、その言葉の響きではないが、「ササラ=小さな」笹の茂る小野にある茅草を刈り、その草を刈る途端に鶉が飛び出したような。
集歌3888 奥國 領君之 染屋形 黄染乃屋形 神之門涙
訓読 奥(おき)つ国(くに)領(うる)はく君の染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神の門(と)涙(なか)る
私訳 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
注意 屋形とは人が乗る箱のことで、普通は牛車の人の乗る部分を示します。ここでは棺を意味し、染屋形とは棺に布を掛けた状態を示します。
集歌3889 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)茎(え)し左思そ念(も)ふ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで寺に拝んだ雨の夜。左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
<資料参考:詠史 其二 (左思;西晋時代の人)>
鬱鬱澗底松 鬱鬱たり 澗底の松
離離山上苗 離離たり 山上の苗
以彼径寸茎 彼の径寸の茎を以て
蔭此百尺条 此の百尺の条(えだ)を蔭す
世冑躡高位 世冑は高位を躡み
英俊沈下僚 英俊は下僚に沈む
地勢使之然 地勢 之をして然らしむ
由来非一朝 由来 一朝に非ず
金張藉旧業 金張は旧業に藉りて
七葉珥漢貂 七葉 漢貂を珥しき
馮公豈不偉 馮公 豈に偉れざらんや
白首不見招 白首 招かれざりき
おまけとして、本来の『万葉集』は巻十六までで巻十七から巻廿の四巻は資料篇的なものではないかとの説があります。そうしたとき、集歌3889の歌は本来の『万葉集』の歌の最後に位置するものとなります。
そうした時、集歌3889の歌に左思が詠う歌である「詠史」を引用するものとしますと、「詠史」の後半部分「金張藉旧業、七葉珥漢貂、馮公豈不偉、白首不見招」が天平時代以降の奈良時代の政治体制を皮肉るものになりますし、『古今和歌集』に載る壬生忠岑が詠う長歌の一節「人麻呂こそは嬉しけれ身は下ながら・・」とも呼応するものになります。そして、巻十六の集歌3855の歌の世界とも共通するものとなります。
およそ、集歌3889の歌に万葉集第二次編纂時の世相と憤慨・悲嘆を託したのでしょう。
高宮王詠數種物謌二首
標訓 高宮王の數種(くさぐさ)の物を詠める謌二首
集歌3855 蓙莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宦将為
訓読 さう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(まりかづら)絶ゆることなく宦仕(みやつかへ)せむ
私訳 人を寄せ付けないサイカチの巨木に蔓を延ばし絡み付いたくだらない葛(藤)よ。それでもこれからもそのくだらない葛(藤)の下僕として仕えよう。
注意 漢字では草木の「フジ」を記す時には「葛」が良字です。「藤」は女性や官妓の匂いがあるために格下の文字となります。ここでは葛は藤原を示すあからさまな隠語です。
今回も引き続き難訓歌を鑑賞します。取り上げます歌は巻十六の巻末に載る歌で、無名人の歌ですので、まず、有名な歌ではありません。そのため、ある種、無責任的に歌を鑑賞することが出来ます。
さて、難訓とされるものは集歌3889の歌の末句「葉非左思所念」です。なお、この歌の鑑賞において、以前紹介した難訓歌と同じように鑑賞には条件があります。それはこの集歌3889の歌は先に置かれた集歌3887の歌からの三首一組の組歌となっており、組歌には「怕物謌三首(怕しき物の歌三首)」と云う標題が付けられ、これら三首の歌の内容を紹介していることです。つまり、鑑賞では「怕しき物」を詠っていることを理解する必要があります。逆に三首が組としてきちんと解釈出来ないのですと、その提案する解釈の前提や解読したとする集歌3887と集歌3888の歌の鑑賞は間違いである可能性が非常に高くなります。
鑑賞にあたって最初にテーマとします原文歌三首とそれに付けられた標題を紹介しますと、次のようになっています。
怕物謌三首
集歌3887 天尓有哉神樂良能小野尓茅草苅々々波可尓鶉乎立毛
集歌3888 奥國領君之染屋形黄染乃屋形神之門涙
集歌3889 人魂乃佐青有君之但獨相有之雨夜葉非左思所念
先ほどの紹介で標題「怕物謌」の表記を「怕しき物の歌」と一般的な訓読みを紹介しましたが、「萬葉集(新日本古典文学大系、岩波書店)」では「物に怕れし歌」と解釈し、他の評釈本とにおいて「怕しき物や事柄を詠ったもの」か、「ある物や事柄を怕れたと云う出来事を詠った」かとの微妙な解釈の相違があります。一般的な歌の解釈では標題の訓読みでは「怕しき物の歌」の方を採用し、テーマとする歌三首を次のように理解します。
<萬葉集釋注(伊藤博、集英社文庫)>より引用
題詞の「怕ろしき物の歌」とは、畏怖の対象となる物(霊・鬼)を題材とする歌をいう。天上・海上・地上それぞれの「怕ろしき物」を詠んでおり、それぞれ独立しつつも、三つ合わせて「怕ろしき物」の様態を表わそうとしたことが知られる。
ここで、その『萬葉集釋注』に示す天上・海上・地上のそれぞれの「怕ろしき物」を詠ったそれぞれの歌と云う解釈の背景を少し説明しますと、集歌3887の歌の一節「天尓有哉神樂良能小野尓」と同じ表現とされる句が集歌420の長歌にあります。その長歌の一節「天有 左佐羅能小野之 七相菅」を「天しある 左佐羅(ささら)の小野し 七節菅(ななふすげ)」と訓じるところから「天尓有哉神樂良能小野尓」を「天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に」と訓じます。そして、その意訳文では「天上にある笹の茂る小さな野原に」と云うようなものとなりますので、歌は天上の神の世界を詠ったものであろうと推測します。
同様に一般的には第二首目となる集歌3888の歌の初句「奥國」は「おくつくに」と訓じて「沖つ国=大和神話での海の国」と解釈します。そこから歌のキーワードとなる「屋形」を「屋形舟」と見当を付け、大和神話での海上の風景に関係ある歌であろうとします。このような推定から第一首目は天上の世界を、第二首目は海の世界を詠っているとしますから、その三首一組と云う前提条件の下、第三首目となる集歌3889の歌は地上の世界を詠ったものであろうと推定します。そして、この推定と標題の「怕ろしき物」との縛りから集歌3889の歌の解釈を試みます。しかしながら、ご存じのように現在まで集歌3889の歌は末句「葉非左思所念」の難訓句を含めて歌全体の解釈が出来ないままとなっています。
困りました。従来の組歌三首の構成推定では、歌は鑑賞が出来ないようです。つまり、従来から正しいとされてきた解読の前提条件も、そこからの解釈も正しいものではないのでしょう。
そこで、逆の視点から考えてみます。その従来の解釈では組歌三首は天上・海上・地上それぞれの「怕ろしき物」を詠っていることになっていますが、その解釈は正しいのでしょうか。例えば、判り易い例として第二首目となる集歌3888の歌の初句「奥國」は「おくつくに」と訓じたとしても海の沖合や神話での海の国を意味する「沖つ国」ではなく、そのままに「奥つ国」と解釈することも古語としては可能です。その時、「奥つ国」は「奥つ城(おくつき)」が墓地や霊を祀る場所を意味し、「奥つ棄所(おくつすたへ)」が棺や墓所を示すように、「霊界」や「あの世の世界」を意味すると解釈が出来ます。この時、「屋形」は辞書には牛車や舟の「人が乗る屋根の付いた箱型の部分」とも解説される言葉ですが、歌が人の生死を詠うものとしますと死者を納めた棺とも解釈することが可能となります。つまり、神話での海の国とはまったく関係の無い、葬儀の場面を詠う歌と解釈が出来るのです。その時、この集歌3888の歌は葬儀=死人と向き合う場面を歌い、内容において生物が生まれもって持つ生理から催される心理的な「怕ろしき物」と云うものになるのでしょう。
同様に第一首目の集歌3887の歌の初句「天尓有哉」を比喩としますと二句目の「神樂良能」は「ささらの」と訓じても「ささらえ壮士」や「ささら萩」の「ささら」と同じ意味合いや解釈となり、「ちいさな」とか「細小なものが群がっている様」を示すことになります。つまり、表記での「神樂良」を導き出すために初句に「天尓有哉」と置いただけとなり、なにも天上の世界を詠った歌では無くなります。ただ単に「何もいないだろう、生き物がいるはずもないだろう」と思い込むような、そのような小さな笹藪の草刈りの最中に鶉が飛び出して来た驚きを詠うものだけになります。その予期せぬ出来事への反射神経的な驚きが「怕ろしき物」と云うものになると考えます。
さて、第三首目の歌に目を向けますと難訓は末句の「葉非左思所念」の一節だけが訓じることが出来ず、その他の句は訓じることが出来ることになっています。そこで第四句までの意訳文を見てみますと、次のようになっています。
原文 人魂乃佐青有君之但獨相有之雨夜葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君がただ独り逢へりし雨夜(あまよ)の
<新日本古典文学大系>
人魂のまっ青な君が、ただ一人で出逢った雨夜の
<日本古典文学全集>
人魂のような真っ青な君がひとりきりで現われた雨夜の
<万葉集全訳注原文付>
人魂のまっ青な君が一人で、出逢った雨夜の
<萬葉集釋注>
人魂そのままのまっ青な顔をした君、さよう、このあいだのかのあの君が、たった一人、ふわりと現われてこの私に出くわした暗い雨の夜
意訳文を紹介しましたが、さて、「人魂」と云う言葉は枕詞でしょうか。幣ブログでの考えでは枕詞とされる言葉の表記において『万葉集』の時代では漢字表記を工夫した多くの変化に富んだものを見ることが出来ることから、歌の言葉が枕詞なるものとして文学的に形容しても、それぞれの言葉はそれぞれに意味を持つと考えますし、まだ、平安時代後期以降の和歌の世界とは違い『万葉集』の時代では枕詞のような作歌技法は確立してはいないとしています。すると、「人魂」と云う言葉が枕詞であったとしてもそれぞれに意味を持つものとしますと、どのような意味となるのでしょうか。
『万葉集』に「魂」の文字を求めますと巻三に「魄」の文字を持つ集歌417の歌を見つけることが出来ます。この集歌417の歌では「魄」は「親魄(ニギタマ)」と云う熟語の中での文字として使われ、その熟語「親魄」は死亡した人物ですが丁寧に祀られ世に害を為さない穏やかな霊魂のような意味合いで使われています。
河内王葬豊前國鏡山之時、手持女王作謌三首
標訓 河内王を豊前國の鏡山に葬(はふ)りし時に、手持女王の作れる歌三首
集歌417 王之 親魄相哉 豊國乃 鏡山乎 宮登定流
訓読 王(おほきみ)し親魄(にきたま)相(あ)ふや豊国(とよくに)の鏡山を宮とさだむる
私訳 河内王よ。貴方の御気に召されたのか。この豊国の鏡山を貴方の常夜の宮と定め為されました。
すると、集歌3889の歌の「人魂」と云う言葉は「人間の霊魂」を意味すると思いますが、「人魂乃佐青有君」と表記する場合、どのように解釈するのが良いのかが問題になるのではないでしょうか。もし、「人の霊魂を持つ真っ青な顔をした君」と訳す時、この「君」とは生きている人間を示す言葉になるでしょうか。他方、「人の霊魂のような真っ青な顔をした君」と訳しますと、これは当時の「鬼」をイメージします。
ここで「人魂乃佐青有君」が生きている人間を形容するものではないとしますと、別な想像が働きます。それは、文武天皇時代前後に到来したとされる四天王寺庚申堂に祀られる青面金剛童子の洒落ではないかと云う可能性です。
この「人魂乃佐青有君」なる言葉が洒落で「青面金剛童子」を表すものであるとのアイディアが成り立つのですと、末句の「葉非左思所念」もまた、なんらかの洒落ではないかと云う類推が働いて来ます。そうした時、「葉非」も「茎は葉に非ず」の洒落であると解釈ができるかもしれません。 そして、この「茎」と云う洒落が導き出されますと、「茎」と「左思」から「鬱鬱潤底松」で始まる漢詩「詠史」を思い浮かべることは冒険ではないと考えます。この解釈における冒険が許されるものですと、集歌3889の歌が示す世界は「雨が降る深夜、一人、お堂に籠って暗闇の中で青面金剛童子と対面している」と云う風景になります。その時、想像するあの世や仏の世界から心に浮かぶ心理的な恐怖があると思います。つまり、この想像からの心理的な恐怖が「怕ろしき物」ではないでしょうか。
以下に紹介した解釈を下にした訓読みと私的意訳文を紹介します。
怕物謌三首
標訓 怕(おそろ)しき物の謌三首
集歌3887 天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々波可尓 鶉乎立毛
訓読 天(あま)にあるや神楽良(ささら)の小野に茅草(ちがや)刈り草刈りばかに鶉(うづら)を立つも
私訳 天上にあると云われている「ササラの小野」、その言葉の響きではないが、「ササラ=小さな」笹の茂る小野にある茅草を刈り、その草を刈る途端に鶉が飛び出したような。
集歌3888 奥國 領君之 染屋形 黄染乃屋形 神之門涙
訓読 奥(おき)つ国(くに)領(うる)はく君の染め屋形(やかた)黄染(にそめ)の屋形(やかた)神の門(と)涙(なか)る
私訳 死者の国を頂戴した者が乗る染め布の屋形、黄色く染めた布の屋形、神の国への門が開くのに涙が流れる。
注意 屋形とは人が乗る箱のことで、普通は牛車の人の乗る部分を示します。ここでは棺を意味し、染屋形とは棺に布を掛けた状態を示します。
集歌3889 人魂乃 佐青有君之 但獨 相有之雨夜 葉非左思所念
訓読 人魂(ひとたま)のさ青(を)なる君しただ独り逢へりし雨夜(あまよ)茎(え)し左思そ念(も)ふ
私訳 人の心を持つと云う青面金剛童子像を、私がただ独りで寺に拝んだ雨の夜。左思が「鬱鬱」と詠いだす「詠史」の一節を思い出します。
<資料参考:詠史 其二 (左思;西晋時代の人)>
鬱鬱澗底松 鬱鬱たり 澗底の松
離離山上苗 離離たり 山上の苗
以彼径寸茎 彼の径寸の茎を以て
蔭此百尺条 此の百尺の条(えだ)を蔭す
世冑躡高位 世冑は高位を躡み
英俊沈下僚 英俊は下僚に沈む
地勢使之然 地勢 之をして然らしむ
由来非一朝 由来 一朝に非ず
金張藉旧業 金張は旧業に藉りて
七葉珥漢貂 七葉 漢貂を珥しき
馮公豈不偉 馮公 豈に偉れざらんや
白首不見招 白首 招かれざりき
おまけとして、本来の『万葉集』は巻十六までで巻十七から巻廿の四巻は資料篇的なものではないかとの説があります。そうしたとき、集歌3889の歌は本来の『万葉集』の歌の最後に位置するものとなります。
そうした時、集歌3889の歌に左思が詠う歌である「詠史」を引用するものとしますと、「詠史」の後半部分「金張藉旧業、七葉珥漢貂、馮公豈不偉、白首不見招」が天平時代以降の奈良時代の政治体制を皮肉るものになりますし、『古今和歌集』に載る壬生忠岑が詠う長歌の一節「人麻呂こそは嬉しけれ身は下ながら・・」とも呼応するものになります。そして、巻十六の集歌3855の歌の世界とも共通するものとなります。
およそ、集歌3889の歌に万葉集第二次編纂時の世相と憤慨・悲嘆を託したのでしょう。
高宮王詠數種物謌二首
標訓 高宮王の數種(くさぐさ)の物を詠める謌二首
集歌3855 蓙莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宦将為
訓読 さう莢(けふ)に延(は)ひおほとれる屎葛(まりかづら)絶ゆることなく宦仕(みやつかへ)せむ
私訳 人を寄せ付けないサイカチの巨木に蔓を延ばし絡み付いたくだらない葛(藤)よ。それでもこれからもそのくだらない葛(藤)の下僕として仕えよう。
注意 漢字では草木の「フジ」を記す時には「葛」が良字です。「藤」は女性や官妓の匂いがあるために格下の文字となります。ここでは葛は藤原を示すあからさまな隠語です。
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