舎人娘子従駕作謌
標訓 舎人娘子の駕(いでまし)に従ひ作れる謌
集歌六一
原文 丈夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
訓読 丈夫(ますらを)し得物(さつ)矢手挟み立ち向ひ射る円方(まとかた)は見るに清潔(さや)けし
私訳 頑強な男たちが武器の得物の矢を手挟み、的に立ち向かって射る、その的。そのような名を持つこの円方(まとかた)の地は、眺めていて清々しいものがあります。
注意 原文の「丈夫之」は標準解釈では「大夫之」と表記を変えます。この時、「丈夫」は頑強な男たちの意味合いですが、「大夫」は五位以上の官人ですので歌の情景は変わります。また、「圓方」は伊勢街道に関係する三重県松坂市東黒部町説があります。
三野連(名闕)入唐時、春日蔵首老作謌
標訓 三野連(名は闕けたり)入唐の時に、春日蔵首老の作れる謌
集歌六二
原文 在根良 對馬乃渡 々中尓 弊取向而 早還許年
訓読 ありねよし対馬(つしま)の渡り海中(わたなか)に弊(ぬさ)取り向けに早帰り来ね
私訳 山波が美しい、その対馬への渡りの、その海に向かって御弊を手に持ち捧げ向けました。さあ、神も守っていますから早く帰って来て下さい。
山上臣憶良在大唐時、憶本郷作謌
標訓 山上臣憶良の大唐に在(あり)し時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作れる謌
集歌六三
原文 去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
訓読 いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
私訳 さあ、大和の国から離れて大唐に来た皆の者、早く大和の国に帰ろう。難波の大伴の御津の浜の松も、その名の響きのように、吾ら健士を待ちわびているだろう。
慶雲三年丙午、幸于難波宮時 志貴皇子御作謌
標訓 慶雲三年(七〇六)丙午に、難波の宮に幸(いでま)しし時に、志貴皇子の御(かた)りて作らせる歌
注意 「難波宮」は現在の大阪市中央区法円坂付近にあった第二次難波宮を示すます。
集歌六四
原文 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 和之所念
訓読 葦辺(あしへ)行く鴨し羽交(はが)ひに霜降りに寒き夕へし大和しそ念(も)ふ
私訳 葦の茂る岸辺を泳ぐ鴨の羽を畳んだ背に、私の心と比べるような冷たい霜が降りる、その寒い夕べにあって、大和の貴女だけを思っています。
長皇子御謌
標訓 長皇子の御(かた)りし謌
集歌六五
原文 霰打 安良礼松原 住吉之 弟日娘与 見礼常不飽香聞
訓読 霰打つあられ松原住吉(すみのえ)し弟日(おとひ)娘(をとめ)と見れど飽かぬかも
私訳 霰が大地を降り打つ、その言葉のひびきのような、あられ松原の松を伝説の住吉の弟日娘の後の姿として眺めるが、見飽きることはありません。
注意 この慶雲三年(七〇六)の難波宮への御幸は文武天皇のものです。このとき、既に持統太上天皇は崩御されていますので、集歌六六の歌以降は、歌の詠われた年代と記載の順には乱れがあります。また、「松原住吉」は現在の大阪市住吉区安立町付近です。
標訓 舎人娘子の駕(いでまし)に従ひ作れる謌
集歌六一
原文 丈夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
訓読 丈夫(ますらを)し得物(さつ)矢手挟み立ち向ひ射る円方(まとかた)は見るに清潔(さや)けし
私訳 頑強な男たちが武器の得物の矢を手挟み、的に立ち向かって射る、その的。そのような名を持つこの円方(まとかた)の地は、眺めていて清々しいものがあります。
注意 原文の「丈夫之」は標準解釈では「大夫之」と表記を変えます。この時、「丈夫」は頑強な男たちの意味合いですが、「大夫」は五位以上の官人ですので歌の情景は変わります。また、「圓方」は伊勢街道に関係する三重県松坂市東黒部町説があります。
三野連(名闕)入唐時、春日蔵首老作謌
標訓 三野連(名は闕けたり)入唐の時に、春日蔵首老の作れる謌
集歌六二
原文 在根良 對馬乃渡 々中尓 弊取向而 早還許年
訓読 ありねよし対馬(つしま)の渡り海中(わたなか)に弊(ぬさ)取り向けに早帰り来ね
私訳 山波が美しい、その対馬への渡りの、その海に向かって御弊を手に持ち捧げ向けました。さあ、神も守っていますから早く帰って来て下さい。
山上臣憶良在大唐時、憶本郷作謌
標訓 山上臣憶良の大唐に在(あり)し時に、本郷(くに)を憶(おも)ひて作れる謌
集歌六三
原文 去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
訓読 いざ子ども早く日本(やまと)へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
私訳 さあ、大和の国から離れて大唐に来た皆の者、早く大和の国に帰ろう。難波の大伴の御津の浜の松も、その名の響きのように、吾ら健士を待ちわびているだろう。
慶雲三年丙午、幸于難波宮時 志貴皇子御作謌
標訓 慶雲三年(七〇六)丙午に、難波の宮に幸(いでま)しし時に、志貴皇子の御(かた)りて作らせる歌
注意 「難波宮」は現在の大阪市中央区法円坂付近にあった第二次難波宮を示すます。
集歌六四
原文 葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 和之所念
訓読 葦辺(あしへ)行く鴨し羽交(はが)ひに霜降りに寒き夕へし大和しそ念(も)ふ
私訳 葦の茂る岸辺を泳ぐ鴨の羽を畳んだ背に、私の心と比べるような冷たい霜が降りる、その寒い夕べにあって、大和の貴女だけを思っています。
長皇子御謌
標訓 長皇子の御(かた)りし謌
集歌六五
原文 霰打 安良礼松原 住吉之 弟日娘与 見礼常不飽香聞
訓読 霰打つあられ松原住吉(すみのえ)し弟日(おとひ)娘(をとめ)と見れど飽かぬかも
私訳 霰が大地を降り打つ、その言葉のひびきのような、あられ松原の松を伝説の住吉の弟日娘の後の姿として眺めるが、見飽きることはありません。
注意 この慶雲三年(七〇六)の難波宮への御幸は文武天皇のものです。このとき、既に持統太上天皇は崩御されていますので、集歌六六の歌以降は、歌の詠われた年代と記載の順には乱れがあります。また、「松原住吉」は現在の大阪市住吉区安立町付近です。
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