炭坑とフラダンス。
このふたつを結びつけた作り手に敬意を表する。
しかも実話だという。
加えて出演者のアンサンブルが楽しく、
笑えて泣ける娯楽映画の王道を行ってると思う。
その映画とは『フラガール』。
誰にでもお勧めできる映画だ。
フラガール(2006)
炭坑を舞台にすると、それだけでドラマチックだ。
石油に押され、リストラや閉山の危機を背景に、
腕一本で家族を支えてきた無骨な男たち。
煤で真っ黒になりながら、トンネルに潜り込む。
ケンカっぱやくて、単細胞。
そんな男たちを支える女たち。
労働とそれに対する誇り。
しかし、その子供たちは、時代の流れに敏感で、
炭坑など時代遅れだということを肌で感じている。
そこに起こる親と子の軋轢、別れ、そして和解。
こうした炭坑のドラマを今まで何度見てきたことだろう。
古くはジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』もそうだったし、
最近では『リトルダンサー』とか『遠い空のむこうに』とか。
あと、『ブラス!』もそうだった。
こうした映画には、
いわゆるドラマのすべてが詰まっていると言って過言ではない。
そしてフラダンス、だ。
僕は、映画の中で登場人物が踊るだけで嬉しくなってしまう。
ミュージカル映画が好きだということもあるけれど、
歌ったり踊ったりするだけで、
映画がダイナミックになっていく気がするからだと思う。
フラダンスなんか踊れない炭坑夫の娘(そんな映画もあったな)たちが、
教師役の松雪泰子とケンカを繰り返しながら、
次第に上達していき、舞台に立つ喜びを見いだしていく。
人間、悲しくなったら踊ればいい
──そんなことを思いながら、
観客席でリズムを取りながら、映画を楽しんだ僕だった。
特筆すべきは、蒼井優だ。
ラストで美味しいところをすべてさらっていく。
それほど、彼女のフラダンスは素晴らしい。
もともとバレエをやっていた経験を生かし、
楽しく、伸び伸びと踊る姿は、
一瞬、ハリウッドのミュージカルスターと
錯覚するほどのオーラがあった。
この女優さん、やはり侮れないと思う。
このふたつを結びつけた作り手に敬意を表する。
しかも実話だという。
加えて出演者のアンサンブルが楽しく、
笑えて泣ける娯楽映画の王道を行ってると思う。
その映画とは『フラガール』。
誰にでもお勧めできる映画だ。
フラガール(2006)
炭坑を舞台にすると、それだけでドラマチックだ。
石油に押され、リストラや閉山の危機を背景に、
腕一本で家族を支えてきた無骨な男たち。
煤で真っ黒になりながら、トンネルに潜り込む。
ケンカっぱやくて、単細胞。
そんな男たちを支える女たち。
労働とそれに対する誇り。
しかし、その子供たちは、時代の流れに敏感で、
炭坑など時代遅れだということを肌で感じている。
そこに起こる親と子の軋轢、別れ、そして和解。
こうした炭坑のドラマを今まで何度見てきたことだろう。
古くはジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』もそうだったし、
最近では『リトルダンサー』とか『遠い空のむこうに』とか。
あと、『ブラス!』もそうだった。
こうした映画には、
いわゆるドラマのすべてが詰まっていると言って過言ではない。
そしてフラダンス、だ。
僕は、映画の中で登場人物が踊るだけで嬉しくなってしまう。
ミュージカル映画が好きだということもあるけれど、
歌ったり踊ったりするだけで、
映画がダイナミックになっていく気がするからだと思う。
フラダンスなんか踊れない炭坑夫の娘(そんな映画もあったな)たちが、
教師役の松雪泰子とケンカを繰り返しながら、
次第に上達していき、舞台に立つ喜びを見いだしていく。
人間、悲しくなったら踊ればいい
──そんなことを思いながら、
観客席でリズムを取りながら、映画を楽しんだ僕だった。
特筆すべきは、蒼井優だ。
ラストで美味しいところをすべてさらっていく。
それほど、彼女のフラダンスは素晴らしい。
もともとバレエをやっていた経験を生かし、
楽しく、伸び伸びと踊る姿は、
一瞬、ハリウッドのミュージカルスターと
錯覚するほどのオーラがあった。
この女優さん、やはり侮れないと思う。
今月は溝口月間で、今日は「近松物語」と「西鶴一代女」をハシゴ。「西鶴一代女」は初めて見たけど、面白かった。おおこれはすげえって最初のワンカットで分かる気合いの入った映画だった。
これが噂のクレーンか、でたな妖怪長回し!っていうカット連発で、いやー見てよかったです。
小津も成瀬も黒澤もいた50年代の
日本映画の凄さには、圧倒されます。
あの時代とは比べようもないけど、
今の日本映画も悪くない。
この『フラガール』のような、
普通のちゃんとした映画ができる土壌があるわけで。