もう映画は見なくていい、とまで

クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を見る。
とにかくもう、驚いた。
これは、イーストウッドの最高傑作であるばかりではなく、
明日から映画が一本も見られなくなったとしても、
たぶん後悔しない。それほどの映画というか。
「週刊文春」で小林信彦が、イーストウッドの映画がなくなったら、
アメリカ映画は終わる、と書いていたが、それ以上だと思う。
見るべきでしょう。何を置いても。


Changeling（2008）

原題の「Changeling」とは、「取り替え子」の意味。
ヨーロッパのおとぎ話に出てくる、
妖精が可愛い子をさらって、
代わりに連れてくる醜い子のことらしい。
僕は漠然と「Chenge」の「ing」形だと思っていた。
そうなると「チェンジング」になるから違う。

この映画は原題通り、
失踪した息子・ウォルターが戻ってくるのだが、
母親がまったくの別人の子供だったと気づくところから物語は進む。
母親のクリスティンを演じるのはアンジェリーナ・ジョリー。
1930年代の話だが、クリスティンは今でいうシングルマザーであり、
当時のアメリカでは、さぞかし風当たりの強い立場だったと想像する。

戻ってきた息子が別人だと主張しても、
警察はまったく受け入れず、あろうことか、
クリスティンを女性特有の精神疾患だと判断して、
強制入院させてしまう。
当時のロス警察の横暴さが露呈されるとともに、
同時期に起こった、子供の連続誘拐殺人事件の真相が徐々に明らかになっていく。
事件の解明と、ウォルターの行方がシンクロしていくクライマックスまで２時間30分。
まったく息をつかせない物語が展開していく。

この映画にはあらゆるものが詰まっている。
息子を捜し続けるクリスティンの母性と行動。
それを阻止しようとする警察という権力。越えられないハードル。
子供を無差別に殺す殺人犯の罪と罰。生と死。
クリスティンを助けようとする人々の善意と勇気。
再生し、希望を見つけるための道程。

考えてみたら、アメリカ映画というものはこういうものだった。
困難に打ち克ち、希望を見いだす。そうした人々の勇気をたたえるものだった。
そうしたスピリットがあったからこそ、
アメリカ映画は世界中で受け入れられたのだろう。

さらに1930年代の映画や音楽への目配り。
短いが、たまらなくスリリングな銃撃シーン。
ほんのちょっとだけ垣間見ることのラブコメ的描写など、
アメリカの大衆文化へのリスペクトを感じさせる。

イーストウッドはかつて、『許されざる者』を撮って、
西部劇というジャンルに幕を降ろしてしまった人だが、
この『チェンジリング』では、かつての良きアメリカ映画とは
こういうものだというお手本を示しているような気がする。
願わくば、この映画が良質なアメリカ映画の最期の作品になりませんように。
というか、これ以上の映画が今後出てくるのか、
という危惧感さえある。ほんとですよ。

アンジェリーナ・ジョリーは、さぞかしやりがいがあったことだろう。
トウの立った女優が、演技派を目指して挑戦するような役とはちょっと違う。
涙で真っ黒になったマスカラの目元をさらしながらも、実に美しい。
熱演というわけでもない。声を荒げる場面もごくわずかだ。
こんなアプローチの演技は、ものすごく珍しいのではないかと思う。
声高ではないが、女性の自立をテーマにした映画としても素晴らしい。
そんな映画に出たアンジェリーナ・ジョリー。見直しました。
…って今まで見損なっていたわけではないのだが。この人もともと演技派だし。

手放しで絶賛ですが、
すべてのシーンで語りどころがあります。
見た人、是非一緒にお酒を飲みましょう。
もう酔いどれませんから。