Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

世界平和は自分のため

2010年10月20日 | 読んでいろいろ思うところが
『希望難民ご一行様』の続き。
著者は25歳。東大の院生で、
卒業論文としてまとめたものを再構成して
ルポルタージュの形にしたものらしい。

読んでいて、不思議に思ったのが、
著者は明らかに若者の世代なのに、
ひどく客観的にピースボートに乗り組む若者たちを観察しているところだ。
同世代の若者に対してある種の共感、
あるいはそれと同じぐらいの反発心があったはず、だ。
実はあとがきでそうした感情を吐露しているのだけど、
本編では、著者はあくまで社会学者として
しっかりフィールド(船内だけど)ワークをしているところが興味深い。
さまざまな社会学者の言葉を引用したり、データを多用して解説する箇所などは、
著者の担当教授(のようなもの)にあたる、東大の本田由紀教授ゆずり。
本田教授自身もあとがきで認めているのだが、教授より文体がポップで楽しげである。

ピースボートに乗り込む若者を、
船の本来の目的(世界平和のための運動の一環)を守ろうとする「セカイ型」。
毎日船内で開かれる自主イベントに積極的に参加する「文化祭型」。
世界一周することで、自分がやりたいことを見出そうとする「自分探し型」。
単なる遊びで、安く行けるからピースボートを選んだような「観光型」。
の4種類に分類し、それぞれの若者像にせまっていく。

特に「自己の変革によって世界も救われる」と信じ、
世界中の過酷な国々(アフリカの貧困国や、中東の戦火の絶えない国など)をこの目で見ることで、
自分の中に抱えている問題を解決しようと試みる「セカイ型」の若者たち。
そうした若者について、著者はこう書く。

「今まさに起こっている世界の出来事に興味があるというよりは、
地雷や難民という世界の抱える諸問題の象徴を
自分の問題として受け止めたいだけと言うこともできる。
つまり、彼らが興味があるのは、自分流の世界平和の実現であり、
自分流の世界の受容である」

自分ありきの世界平和、だということだろうか。
ボランティアをする人は、自分が救われたいからする、
という人が少なからずいると聞いたことがあるのだけど、
それと同じニュアンスという感じがする。自分主体。

ピースボートが世界一周に要する日数は約100日。
さまざまな寄港地はあるにせよ、大半の生活は船上だ。
参加した若者たちのあいだでも、濃密な関係が築かれ、
クルーズが終わってからでも頻繁に交流が続いている例が多いという。
世界平和を願っていた「セカイ型」の若者たちも多くの仲間ができ、
ある意味、孤独ではなくなる人も多く、
それまで持っていた自分の問題がキレイに解消されることがあるという。
自分が救われたから、世界も救われた。
そう自己完結してしまうらしい。そして社会に向けた怒りが収まる。
なるほど。世界に問題は残されたままなのだけど。

著者はそこを嘆いている。

しかし著者は敢えて言う「若者をあきらめさせろ」と。
その方が楽で楽しいではないかと主張する。
社会が悪いと声を上げてもしんどいだけだと言わんばかり。
でもやっぱり嘆いている。そのメッセージを受け取った読者(自分も)は、
この先どうしたらいいのか悩むわけなのです。


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