北野武監督「首」を見る。
生も死も、愛も憎しみも、喜びも悲しみも、
つまり人間の喜怒哀楽をぜーんぶ笑い飛ばし、
最終的には観客すら置いてけぼりにして、
「お前ら、馬鹿か」と
あっかんべえをしているような。そんな映画。
なぜ「あっかんべえ」かというと、
実際にそういう場面があるからだ。
六平直政扮する毛利軍の僧侶が
備中城主の荒川良々に切腹を決心させるときに
大泣きしながら、
浅野忠信扮する黒田官兵衛にしてやったりと
あっかんべえをする。
なんともまあ幼稚極まるというか、
これが人間の業だといわんばかりの名(迷)場面。
たけし演じる秀吉と大森南朋の秀長、
そして浅野の黒田官兵衛は
まさに3バカトリオというか。
コントまがいに人の心の裏の裏をかきながら
天下統一に近づいていく。
タイトル通り、首が飛ぶ飛ぶ。
ばっさばっさとあらゆる人物の首が斬られていく様は、
苦笑するやら、呆れるやらで、
そのうち首がいくら飛んでも気にならなくなってくる。
加瀬亮扮する信長が素晴らしい。
「皆殺しにきまっとるがや!」と暴れる場面に惚れ惚れする。
自分は名古屋弁ネイティブなので、
信長の罵倒の数々が心の奥まで染み渡る。
まともな人物がいない映画だと思いきや、
実はこの信長、狂気に満ちていながら、
もっとも現実感覚に長けている人物にも見えてくる。
あと、まともな人物といえば、
西島秀俊の光秀と、恋仲の相手、遠藤憲一扮する村重ぐらい。
それにしてもエンケンさん、あのいかつい強面で
恋する乙女そのものなところが可笑しくて可笑しくて。
すべてが笑い飛ばされ、
あらゆる価値観を無にしようとするのは、
これまでの北野映画と共通するものがあると思う。
なんかとんでもないものを見せられたなあ、と、
薄ら寒い笑いを浮かべながら映画館をあとにするわけで。
北野映画の最高傑作だという人がいてもおかしくない。
その反面、愚作中の愚作にも見えてくるわけで。
いまだ結論は出ていないのです。