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Days of taco

やさぐれ&ヘタレtacoの日常と非日常

その偉容は永遠に

2022年05月15日 | 映画など
樋口真嗣監督「シン・ウルトラマン」を見る。
いろんな人がいろんなコトを言うだろう。
なので、見ようと思っている人は
なるべく情報をシャットアウトした方がいいです。
これから書くことは
ぜーんぶネタバレになるのでご注意をば。
でもね。ひと言だけ言わせてください。
本作は長澤まさみに尽きる! 以上。


なぜウルトラマンにカラータイマーがないのか。
なぜ「怪獣」が「禍威獣」で、「科特隊」が「禍特対」なのか。
なぜ登場する「禍威獣」や「異星人」のデザインがアレなのか。
なぜゼットンが「エヴァ」の使徒に見えるのか。

などなど、いろんな疑問や突っ込みが湧き上がると思う。
でも。そんな些末なことはどうでもいい。

この映画で最も重要なのは、
長澤まさみが出ているということだ。
しかもただ出ているだけではない。巨大化するのだ。
それはもちろん、かつての「ウルトラマン」で
フジ隊員が巨大化したエピソードを引用しているわけだが、
だからといって、巨大化した長澤まさみが
まさか、その美しい脚を振り上げてビルを破壊するとは思わなかった。
その偉容たるや、映画史に残るインパクトの強さ。

しかも、長澤まさみに
「お風呂入りそびれちゃった」というセリフを言わせ、
あろうことか、斎藤工演じるウルトラマンに
彼女の体臭をかがせるという展開。
山本耕史演じるメフィラスの指摘よろしく
「変態」以外の何物でもないが、
これほど嗅覚を感じさせる映画も珍しい。
ジョン・フォードの「荒野の決闘」で、
ヘンリー・フォンダ演じるワイアット・アープが、
香水をつけて軒下の椅子で戯れている場面を
彷彿とさせると言ったら突飛すぎるだろうか。

長澤まさみはきっとこれからも第一線で
俳優の道を歩んでいくだろうし、いずれは
大女優と言われる存在になると思う。
代表作もたくさん積み重なるだろう。
でも、お馬鹿なシネフィルの間では、
あの巨大化した長澤さんは素晴らしかった、
と永遠に語り継がれるような、
そんな気がしてならないのです。

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古くて優しくて青春で

2022年05月13日 | 映画など
イシグロキョウヘイ監督
「サイダーのように言葉が湧き上がる」を見る。
コミュ障の少年と見た目コンプレックスに悩む少女の
ひと夏を描いた物語に、
古いレコードにまつわるエピソードがからむと聞いて、
いてもたってもいられず見てしまったという。
そしてまごうことなき傑作であり、
感涙必至のアニメーションを体感する幸せを噛みしめたのでした。


舞台はどこかの地方のショッピングモール。
冒頭から追っかけのシーンが始まり度肝を抜かれる。
あまりのスピード感に、登場人物の関係性が
まったくわからないまま映画は突き進む。
そして主役の少年「チェリー」と少女「スマイル」が
追っかけのドタバタに巻き込まれ、すっ転んで出会う。

そうか、これこそラブコメの王道パターンであり、
ボーイ・ミーツ・ガールの物語なんだと
気がついたときには、すでに映画に耽溺していたという。

チェリーの趣味は俳句。コミュ障なのに、
言葉を紡ぎ出すことに一所懸命になっている。
スマイルは出っ歯であることがコンプレックスで、
いつもマスクで口元を隠している。
歯科矯正をしているヒロインなんて、
しかもアニメで初めて見た、というか。

映画は不器用なふたりが、
徐々にお互いの距離を詰めながらも、
それぞれが持っているコンプレックスが邪魔をして、
想いがなかなか伝わらず、なんとももどかしい。

そんなふたりがバイトをしている
モール内にあるデイケアで、
思い出のレコードを探している老人と出会う。
老人はレコード店を経営しており、
その探しているレコードとは、
50年前に亡くなった妻が
シンガーソングライターだったときに吹き込んだものだった。
しかもそれはピクチャーレコードであり、
老人は穴のあいたジャケだけを持ち、
日々、中味のレコードを探しているという泣ける設定。

レコードはどうやって見つかるのか。
そしてターンテーブルにかけられた
レコードからどんな音が聞こえてくるのか。
コンプレックスに苛まれていたふたりは
どのように乗り越え、想いを成就させるのか。
なんか思い出すだけで感涙の連続なのです。

ショッピングモールという、とても現代的でありながら、
温かみのある舞台風景と、モールの外に広がる田園風景。
そして中古レコード屋の店内とレコードジャケの数々など、
美術設定の緻密さと的確さにも感服。

最後に。スマイルにひと言。
きみ、とってもいい子だけど、
そのレコの持ち方はいかがなものか。
とおっさんはひとり
映画館の暗闇で突っ込んでいたんだけど、それはまた別の話。
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おおやけのよろこび

2022年04月30日 | 映画など
フレデリック・ワイズマン監督
「ボストン市庁舎」を見る。
これぞ行政。これぞ公僕。これぞ民主主義。
ワイズマン監督いつもの淡々とした演出なのに、
高揚感と正義感、
さらには勇気と希望まで与えてくれる272分。


市民のために何ができるかを考え、
そして実行する。それこそが行政に携わる者の義務だ。
当たり前と言えば当たり前のことを
本作は4時間以上の上映時間をかけて淡々と写し出す。

警察や消防、保健衛生や
高齢者や障害者への支援など、
多種多様な市民のニーズに、
これまた多種多様なサポートをおこなう人たち。

彼ら彼女らは「人々のために」というよりは、
あくまで「これが仕事だから」という態度であり、
使命感に燃えて行動するのではなく、
業務として市民のサポートをしているに過ぎない。
確かに、市民が受ける公的サービスは
情熱があろうとなかろうと、それが適切であればいいのだから。

映画は撮る対象に近寄るわけでもなく、
だからといって突き放すわけでもない。
絶妙というか独特の距離感はこの監督ならでは。
唯一エモーショナルなのは、
映画に何度も登場するマーティン・ウォルシュ市長だ。
労働者階級出身で、精神疾患の病歴を持つ彼が
市民のために語るいくつかの場面は、どれも感情を揺さぶられる。

前作の「ニューヨーク公共図書館エクス・リプリス」同様、
近作のワイズマンは、人間と社会システムの良い部分に
さりげなく光を当てるものが多くて、ずいぶん見やすくなったと思う。
世評が高いのも頷けるし、
彼の映画はシネフィルだけのものではなく、
広く多くの人たちに見られるようになってきているのは
とても喜ばしいことだと思う。

「ふんふん。ワイズマンはね〜うんぬんかんぬん」
と、偉そうに話すシネフィル(自分、だ)の出番はありません。
役に立たない蘊蓄をひけらかすのはやめて、
私利私欲ではなく、人々のために働こうと思った次第。

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一回休みのあいだに

2022年04月26日 | 映画など
ジャック・リヴェット監督「北の橋」を見る。
パリの街を双六に見立て、
ムショ帰りの女とカンフー使いの少女が
ゴールに向かって進んだり、振り出しに戻ったり。
と、書いていて訳がわからないけれど、
そんな映画なんです。奇天烈かつ摩訶不思議。
遊戯性に満ちたラブストーリーでもあり、冒険譚でもあるという。


かつての恋人から謎のミッションを与えられ、
愛ゆえに危険を冒しながら、
パリの街を徘徊、あるいは冒険するビュル・オジエ。
そんな彼女の前にバイクに乗って現れ、
守護神のような振る舞いをするパスカル・オジエ。
ストーリーを追うとわからなくなってくるので、
映画を楽しむには、このふたりの行動を見つめるしかない。
ビュル・オジエは愛のせいで命を落とし、
パスカル・オジエは、結局守護神であり続けることができず、
遊戯性と虚飾性のなかに埋没していく。
これは喜劇なのか悲劇なのか。そのあたりの落としどころは
観客に委ねられているような作り。

本作が撮られたのは1981年。
ゴダールはこの年の前後に
「勝手に逃げろ/人生」と「パッション」を撮り、
政治的な映画から劇映画に帰還したと言われ
シネフィルのあいだで話題を呼んでいた。
トリュフォーは前年に「終電車」、
そしてこの年に「隣の女」とまさに円熟期。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの中で
最年長ですでに還暦を過ぎていたロメールは
この2年後に「海辺のポーリーヌ」を撮るなど、
驚異的な勢いで傑作を量産していく。

そんな時期にリヴェットは
いかにもヌーヴェル・ヴァーグ的というか、
良く言えば哲学的な、悪く言えば青臭いアートな映画で
独自の路線を進んでいたんだなと思う。




とかなんとか
シネフィル的なことを書いてますが、
パスカル・オジエが出ていたから見たんです。
逃げも隠れもいたしません!

享年25という、若くして亡くなったこの女優さん。
本作とロメールの「満月の夜」で
映画史に永遠に残るぐらいの存在感を示してくれているのです。
ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちはみんな、
女優をとても魅力的に撮るなあ。と。

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ようこそ夏の日

2022年04月15日 | 映画など
沖田修一監督「子供はわかってあげない」を見る。
田島列島の原作が面白かったので、
本作もきっと良作だろうと思っていたら、
予想以上の素晴らしさ。
夏の陽差しがまぶしくて、この心優しい青春映画に
おっさんは感じ入ってしまいましたよ。ほんと。


上白石萌歌演じるサクタさんは
部活の水泳とアニメに夢中な高校生。
あるときプールサイドから校舎の屋上で
彼女が好きなアニメの絵を描いている
もじ君の姿を見る。
アニメの話でそこそこ盛り上がり、
サクタさんともじ君は、恋愛モードに突入かと思いきや
彼女の生き別れた実の父親を探す物語になっていく。

超能力があり、新興宗教の教祖となっていた父は、
今や能力が枯渇してしまったようで、
海沿いのひなびた整体院で働いていたことがわかる。

サクタさんとその実父のあいだには、
微妙な距離感がありつつも、
父がご飯をつくり、一緒に食べる場面が積み重ねられるところ。
整体院一家の孫の女の子に
サクタさんが水泳を教えるところなど、
一時的ではあるけれど、
ほぼ家族と言っていいコミュニティができあがる。
彼ら彼女らの背景には、眩しい日差しと海。
なんとも幸福感に満ちた場面が続き、心地良いことこの上ない。

「カムカムエヴリバディ」と本作を見て、
ようやく上白石姉妹のお姉さんがあっちで、
妹さんがこっちというのがわかりました。
実の父親を演じた豊川悦司や
母親役の斉藤由貴、継父役の古館寛治らも好演で、
高橋源一郎が古書店の店主だったりするのも楽しい一作。

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たどり着けない地平

2022年04月10日 | 映画など
レオス・カラックス監督「アネット」を見る。
なんじゃあ、こりゃあ、と
松田優作みたいに叫びたくなったのは自分だけだろうか。
この監督の映画をありがたがるシネフィルたちに
冷や水を浴びせるような怪作ぶりに
翻弄されっぱなしの140分。
いや、あの。褒めてるんですよ。誤解なきよう。


これはミュージカルである。
だから、登場人物がいきなり歌ったり踊ったり、
ときには空を飛んだりしても全く問題ない。
さらに映画自体が実写とアニメの境界をさまよっても
ミュージカルの範疇であれば違和感はない。

と思っていたのに。
いざ、何でもありな描写を見せつけられて
戸惑う自分がいたというか。
なぜ主人公たちの娘がパペットなのか。
冒頭、カラックス監督がしれっと登場して、
やたら可愛い女の子(監督の娘らしい)が出たと思ったら、
そのあと全く登場せず肩すかしを食ったり、
古館寛治に似た人が出てるなと思ったら実は本人だったりして、
どうしてそんなキャスティングをしたのか、とざわめいたり。
映画自体に集中できなかったのが本当のところ。

アダム・ドライヴァー演じる主人公が、
己の才能の限界を感じ、だんだん病んでいき、
ついには才能あふれる妻を殺めてしまう。
そんな男の苦悩を描いたミュージカルであることを
すっかり忘れ、ヨコシマな心のまま見てしまったというか。

こんな映画の見方は駄目だ。
映画を見る行為とは、スクリーンに写し出されるものを
目と耳と皮膚で、感じ取ることだと
大学生のときに教わったはずなのに。

かつて「汚れた血」や「ポンヌフの恋人」で、
切なくも暴走する主人公に
魅せられたシネフィルたち(自分も、だ)は、
邪心があればあるほど、この新作が描こうとしているものから
遠ざかっていく気がするのです。

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不可解さと愛おしさ

2022年04月02日 | 映画など
城定秀夫監督「愛なのに」を見る。
おお。これは傑作でしょう。
情けないけど愛おしい。
ついつい笑ってしまう恋愛と性愛のあれこれを
絶妙な語り口と俳優の好演で描く。


古書店店主の多田(瀬戸康史)は、
店の常連の女子高生・岬(河合由美)にいきなり
「好きです。結婚してください」と言われる冒頭から、
どんどん転がっていくコメディ。

多田には思い人の一花(さとうほなみ)がいるが、
彼女が結婚するという話を聞きショックを受ける。
その一花の婚約者・涼介(中島渉)は、実は浮気者で、
あろうことか、自分たちが結婚する式場の
ウェディングプランナーの美樹(向里祐香)と浮気をしていて…。

男前でプレイボーイ然とした涼介が、
実はセックスが下手だという設定が
とてつもなく可笑しいし、
それに悩む一花が、好きでもない多田と寝て、
生まれて初めて悦びに目覚めるところは
シニカルでありながら、笑いが止まらない。

受けの芝居に徹する瀬戸康史が上手い。
そして、あれだけカッコ良さげなのに、
ダメダメな男を演じた中島渉。この俳優さんは
「いとみち」「偶然と想像」でも好演していて、
きっと近いうちにブレイクするんじゃないだろうか。

本作は、
城定秀夫と今泉力哉のコラボシリーズの1本で、
もう1本の「猫は逃げた」とセットで見ると
面白さが増すことは間違いないです。

それにしても城定監督。
前作「アルプススタンドのはしの方」に続き、
傑作を連発していて、もうブレイクしてますな。
新作は山本直樹原作の「ビリーバーズ」。これも楽しみ。

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涙腺決壊の謎

2022年03月14日 | 映画など
ジェイソン・ライトマン監督
「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を見る。
ゆるくて、とぼけていて、
ご都合主義の特撮コメディなのは昔と変わらない。
なのに、なぜ泣けてしまうのだろう。
そんなに好きだったっけ、このシリーズ。


タイトルロゴが出ただけで。
オバケのアニメが現れただけで。
ゴーストを吸い込む例の機械が出ただけで。
ちっさなマシュマロマンが出ただけで。
ダン・エイクロイドがすっかり老けたけど、
あのいつもの声だと思っただけで。
今や名優となったビル・マーレイも
ゴースト相手に軽妙な台詞を吐くだけで。
バスターズの孫たちが
しっかり遺志を受け継いでゴースト退治をするだけで。
故ハロルド・ライミスへの献辞が
エンドクレジットに出ただけで。
そしてレイ・パーカー・JRの
お馴染みの主題歌が流れるだけで。

泣けてしまったのだ。
何度でも自分に問う。
こんなに好きだっけ、このシリーズ。
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かぶりつき人生

2022年03月09日 | 映画など
ピーター・ジャクソン監督
「ザ・ビートルズ GET BACK
ルーフトップ・コンサート」を見る。

すみません。まずは言い訳です。

ふん。なにがIMAXじゃ。
金さえ払えば、ええモン見せたる、
ちゅう了見が納得いかんのお。
いつからロックはブルジョアのモンになったんじゃ、あん?
しかも上映時間は65分じゃと? 
それで何千円も取るんか、ぶちゃひしゃげちゃれい!
と突っ張っていたにもかかわらず、
周りのビートルズ好きから
あまりにも多くの絶賛の声を聞いてしまい、
いとも簡単におのれの信念を曲げ、
なけなしの千円札を3枚ほど握りしめて
IMAX初体験に臨んだヘタレ(しかも貧乏)は自分です。


とにかく近い。顔が。
ジョンがシャウトするときに
歯の詰め物が見えたりするし、
ポールのヒゲがものすごいアップで迫ってきて、
思わずそのもじゃもじゃの中に
吸い込まれそうな錯覚に陥るというか。
ビートルズに少しでも近づきたいと思うのは
ファンなら誰でも思うことだけれど、
ここまで近くなくても、と思うのは自分だけだろうか。
圧倒的な近さ、臨場感、リアルさは
IMAXすげえ、と言わざるを得ない。

音響もとてつもない。
ポールのベースも、ジョンやジョージのギターの音も
目の前で演奏しているかのように聞こえてくる。
そしてサポートメンバーの
ビリー・プレストンのエレピがなんといっても素晴らしい。
今回、ポールの左後ろにいることが
はっきりわかったのはいいけれど、
プレストンがどんな感じで弾いているのかが
ほとんどわからず、残念。
そもそも彼を撮った素材はあまりないのだろうか。
ビートルズの4人の顔のアップばかり撮っていたのかな。

そういう意味では、
70年の「レット・イット・ビー」にしろ、
今回の「ルーフトップ・コンサート」にしろ、
スタッフやアップルスタジオの周辺に集まる人たちも含め、
「顔」の映画だなあと思ったりする。

道行く人が嬉しそうにアップルの屋上を見る顔。
「迷惑だ」と吐き捨てる通行人の顔。
今すぐ演奏を止めろとスタッフに詰め寄る警官の顔。
顔ばかり映し出される映画だという印象。

ともあれ、
屋上で行われた4人の演奏を録るために、
階下でしっかり録音体制を整えていた
ジョージ・マーティンらがいたこと。
「Dig A Pony」の歌詞をジョンが覚えておらず、
カンペを見ながら歌っていたこと。
屋上まで警官がやってきて、アンプが切られたのを見て、
もう一回繋げるときのジョージのピリピリした感じ。
そのジョージは終始不機嫌であるにもかかわらず、
ラストの方でにかっと笑うショット。
ジョンとポール。なんだかんだと言って仲がいいではないか。
演奏中にふたりが何度もアイコンタクトを交わすのを見て
胸がきゅんきゅんしてしまいました。
懸命にドラムを叩いているリンゴ。
実はいちばん疲れていたのはリンゴではないかという推測。

ことほどさように、
些末なところであればあるほど、
マニア心をくすぐるのがビートルズという存在なのだろう。

大枚はたいて(それほどでもない)見た甲斐がありました。
もし見ていないビートルズファンがいたら、
へえ、見てないの、ふーん。
と上から目線な発言をするかもしれません。
そんなときは、どの口が言うちょるんじゃ、あん?
と罵倒してくださいな。殺(と)ってもいいです。

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少しだけの愛おしさ

2022年03月08日 | 映画など
ケネス(ケン)・ローチ監督
「夜空に星のあるように」を見る。
この監督の67年デビュー作。
ロマンティックな邦題とは裏腹に、
若い子持ちの女性が男たちに
翻弄されながらも生きざるを得ない、
とてもとても厳しい映画。


それにしても、
これだけクズ男ばかり出てくる映画も珍しい。
成瀬巳喜男の「放浪記」や「晩菊」と
いい勝負だ、というのは
シネフィルの戯れ言です。すみません。

ともあれ、
ヒロインのジョイは
泥棒稼業で生計を立てているトムの子を産む。
でもこのトム、子育てに協力するどころか、悪態を尽き、
ジョイに手をあげるDV男。

トムが逮捕されても
どうしても男に依存してしまうジョイは
酒場に勤め、ヌードモデルの仕事をする。
寄ってくる男たちも、金は持っているかもしれないが、
それはそれは最低な連中ばかり。

唯一、トムの仲間だったデイヴだけは
彼女に手をあげない優しい男だが、
このデイヴも泥棒稼業がやめられない。クズである。
結果、ジョイはまた出口のない男遍歴を続ける。

ドノヴァンの曲を
ギターでつま弾くデイヴが愛おしい。
演じるはテレンス・スタンプ。いい役だと思う。
DVをしない男なら、かろうじてまともだという
絶望感というか諦めの心境に至るヒロイン像は
切なくて、哀しい。

登場人物に寄り添いつつも、
決して情に溺れようとしない
ローチ監督の演出はデビュー作から変わらない。
そして、いつも見る者の心に何かを突き刺してくる。
痛くて重い何か、を。
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