旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

トルコ旅行で何を見るか(3)

2009-08-14 14:32:36 | 

 4日目は、アンタルヤを出発してコンヤに向かい、市内観光を経てカッパドキアがその日の宿。いよいよ中央アナトリアというトルコ内陸部の観光だ。

 コンヤという町は、13世紀にセルジュク・トルコ朝の首都として栄えた町らしい。現在もトルコで一番広いコンヤ県の県都で人口80万人を誇るという。
 そもそもトルコ族が歴史に現れたのは6世紀で、その族長がセルジュクで、当初はイラン地方に大勢力を築いたらしいが、11世紀にその一部がアナトリアに王国を築き、コンヤに首都を置いて13世紀にかけて栄えたと言う。
 当時は、西からは度重なる十字軍の遠征があり、東からは蒙古族襲来、やがて15世紀にはオスマントルコの制覇という正に戦乱時代で、何が何だかよく
わからない。その中で短い期間といえども栄えたとすれば、セルジュク・トルコというのも相応の力を持っていたのであろう。
 町には博物館などがたくさんあるようだけど、半日程度の観光では何一つ歴史の深奥に触れることは出来ないだろう。まあ、町の風貌に接し雰囲気に触れるだけでよしとしよう。

 もう一つこの町を知らしめているものに、「メブラーナ教」という宗教があるとガイドブックに書いてある。その宗教の総本山がコンヤにあるらしいのだ。
 メブラーナ教と言うのは旋回舞踊で有名と言われ、「印象的な白い衣装で円を描きながら踊る独特のスタイル。旋回しながら忘我の境地に達し、神と自分との合一を目指すという」(
るるぶ「トルコ」70頁)宗教らしい。
 こうなってくると全くわからない。踊りながら忘我の境地に入り神と合一・・・というのは日本でも聞いたことがあるような気もするが、「白い衣装――旋回――忘我――神と合一」あたり、私の生活などから一番遠いところにある世界で、若しかしたらこの旅で最も異国を感じる場所かもしれない。

 いずれにせよ、このコンヤから次のカッパドキア一帯が、この短い旅程の中の「ザ トルコ」であることに間違いはあるまい。
                            


党首討論雑感

2009-08-13 10:17:26 | 政治経済

 総選挙の告示を前に自民、民主の党首討論が行なわれ、テレビも新聞各紙も大きく採りあげているので、一言ぐらいは触れておこう。

 毎日新聞一面トップ見出しは「攻める麻生首相、守る鳩山代表」となっている。これを見ると最早与党は民主党(鳩山)で野党が自民党(麻生)の感がする。国内世論はもとより、外国も既にそれを前提に動いているのであろう。もちろん選挙などというものは、開けてみなければわからないが。

 財源問題が一つの焦点で、多くの識者は麻生に軍配を上げているが、私は、「現状のムダに満ちた財政配分」を前提にすれば財源など出て来ないに決まっており、「それを徹底的に見直して財源を引き出す」ことこそが重要課題なので、改革の立場に立つかどうかの問題だと思う。そもそも、貧困、医療、教育などの末期的症状を解決する問題は、政治の重点をどこに置くかの問題で財源問題などではない。限られた税収(必ずしも限られているとは思わないが)を前提にしても、それを国民の生活、国の将来のためにどう重点配分していくかという政策の問題だ、と思う。
   とすれば麻生の主張からは何も出てこず、鳩山の主張にかけるしかない、というのが世論となろう。

 面白いのは外国の反応で、毎日新聞6面に米、中、露、仏、韓の5カ国の見方が載っていた。総じて民主党への政権交代を前提とし、しかし、「代わっても大した差はない」という観測だ。正しいのであろう。
 面白いと言ったのはフランスのルモンド紙の解説で、民主党の優位を前提としつつも、民主党は「自民党や旧民社党、組合活動家から『転向』した人々で成り立っている。(その主張は)必ずしも一貫してない。民主党が弱者救済に重点を置いていても、革新的変化は期待できない」と指摘している(毎日6面)。
 これは面白い。さすがに民主、革新の先進国だ。なんと言っても掲載された5カ国の中では、民主主義の深度においてフランスは一歩先んじている国だと思う。
 フランスから見れば、「転向組の寄り合いに何ができるか」ってなものかもしれない。
                                         


トルコ旅行で何を見るか(2)

2009-08-12 13:11:49 | 

 エフェソスの遺跡を見てパムッカレに泊まり、3日目は先ずパムッカレを観光する。
 ガイドブックで見る限りこれがまた珍しい光景だ。あの「純白の棚田 パムッカレ石灰棚」というのは一体何だろう。『わがまま歩き「トルコ」』によれば、「丘陵を流れ下る石灰を含んだ温泉水が、長い年月をかけて白い城を造りあげた。幾重もの岩棚が目の前に立ちはだかる風景は感動的でさえある」(P192)とあるので、これはまた期待していいのではないか?
 棚田といえば、日本の米作りの原点の一つだ。山間の棚田は、短い昼の日照と夜の冷気による温度差が、水の良さとあいまって良質の米を生むのだ。食米の「魚沼産コシヒカリ」も、酒米の「山田錦」も、そのような環境の地に良質なものが出来ている。
 日本の原風景の一つである棚田は、米が育つ緑のイメージであるが、トルコの棚田は純白らしい。しかも温泉水というからイメージは全く違う。ガイドブックには泳いでいる写真など載っているので、若しかして泳げるかも・・・。とにかく水着だけは用意しておこう。温泉でもあるし。

 そのあとヒエラポリス遺跡やアスペンドス遺跡などを見てアンタルヤに向かいそこに泊まる。とにかく遺跡に次ぐ遺跡だ。温泉につかろうとか、白い棚田で泳ごうなんて、とんでもないのかも知れない。
 アンタルヤは「地中海随一の人気リゾート」とあるので、さぞかし風光明媚なのであろう。スケジュールには「ホテルはLグレードのシェラトン・ボイジャーの地中海を望むお部屋をご用意します」と書いてあるので期待しているが、しかし夕刻着いて、翌朝早々にコンヤに向かうようなので、はたして「風光明媚な地中海」を味わう暇があるのだろうか?
 まあ、ここが手作りの旅と違うところで、慾は言えまい。
                             


トルコ旅行で何を見るか(1)

2009-08-11 15:01:53 | 

 トルコ旅行について、いきなり「トルコの酒」から書いたが、これはいささかひんしゅくものであったようだ。時間と金をかけて何も酒を飲みに行くわけではないので――それはそれで値打ちがあるとは思っているが――どんな町を訪ね何を見るのかぐらいは先行して書くべきであったろう。

 実は未だ詳細なスケジュールが決まっていない。泊まるホテルも決定してない。それらが決まり詳細な行程表が配られるのは、出発の2、3週間前のことらしいので、1ヶ月近く先の話だ。それを待ち切れずにあれやこれや詮索するので、ついいやしい酒の話から入ったわけだ。(私個人は、酒がいやしいものとは思っておらず、文化の最たるものだと思っているが)

 まず初日は、成田を発ってイスタンブールへ直行、そこで乗り継ぎイズミールに入り泊、2日目はエフェソスへ向かい遺跡めぐりをやってパムッカレに泊まる。3日目パムッカレとアンタルヤ近郊を見てアンタルヤに泊。アンタルヤは地中海を望むリゾート地だからシェラトンに泊まって海を眺め、4日目はコンヤ(市内観光)を経てカッパドキアに至る。5日目は、カッパドキアのあの変な岩を眺めて空路イスタンブールへ。イスタンブールに2連泊して、いわゆる「東西両文明の結節点」を垣間見て、直行便で帰国というわけ。

 初日のエフェソスは、紀元前にローマ帝国有数の都市として栄えた町であるのでその遺跡が有名。クレオパトラがアントニウスと連れ立って歩いた道とか、キリストの死後聖母マリアがヨハネとともに暮らした場所とか、どうも眉毛に唾(つば)をつけながらガイドブックを読んでいるのであるが、広大な遺跡に興味は深まる。
 半月ほどまえ、確かNHKだったと思うが、この町でクレオパトラの妹のミイラが発掘されたドキュメントをやっていたが、事実なら、眉に唾などつけている暇は無い。初日から「さすがトルコ!」となるのだろうか?
                            
(写真は、「ブルーガイドわがまま歩きトルコ」178頁より)
 


トルコの酒

2009-08-09 14:32:53 | 

 昨夜、来月のトルコ旅行メンバー5人が集まった。5人だけが集まったのではなく、5人を含む「むつみ会」という会の暑気払いをやったのだ。
 われわれ5人がいるので、当然のことながらトルコの話が多く出た。他の参集者のうち4名は既にトルコに行っているので、旅の注意事項も含めてトルコ談義に花が咲いたのだ。加えて、ワインを飲みながらの会であったので、話は勢い酒の話となった。

 イスラム教徒の国に行くのに酒の話はご法度ではないかと思ったが、話を聞いてもガイドブックを見ても、トルコは酒には極めて寛大で、酒屋もあれば飲み屋もあるらしい。特に、優れたワインの国だという評価だ。
 中には、トルコはワインの発祥地であるという意見もある。
 人類が自らの手で造った最初の酒は
ビールとワインで、つまり麦とブドウの酒で、その地が「古代オリエント」地方と言うのは通説。既に5~6千年前のオリエント地方の土器や記録に、そのことは示されている。
 古代オリエントとはどこか? Wikipediaによると「狭義のオリエントは、古代ローマから見て東方にあるアナトリア、シリア、古代エジプト、メソポタミア、ペルシャなどの世界を指す」とあり、冒頭にトルコを示すアナトリアが出てくるので、ワイン、ビールの発祥の地の一つには違いあるまい。

 ガイドブックには、われらが旅程の中にあるカッパドキアの赤ワイン(クルムズ・シャラプ)やパムッカレの白ワイン(ベヤーズ・シャラプ)などが紹介されており、ビールもビラと呼ばれ有名銘柄は「EFESエフェス」、また「Rakuラク」という、水で割ると白濁する45度のスピリッツもあるという。
 しかもそれらを、メゼと呼ばれる前菜や、アラ・スジャックという酒のつまみで飲めと書いてある。
 
立派なものではないか! もうこれだけあれば私は何もいらない。
                             


24節気の酒 ・・・ 立秋

2009-08-08 09:30:01 | 

 昨日は立秋。早くも秋が来たのである。
 
このところの天候異変で、今も梅雨が続いているような様相である。今年は夏が来る前に秋が来たのではないか? からりとした夏の太陽も、青空にもくもくと浮かぶ入道雲も、ついぞお目にかからない。
 
入道雲はお目にかからないが発生はしているらしく、山口、北部九州を襲った大雨のニュースでは、気象予報士の方々がいつも入道雲の話をしていた。たしかに、入道雲も発生しないでは、あんなにひどい雨は降ることもないのだろうから。

  この時節の酒は何だろう。と言われても、夏をすっ飛ばしたので秋と言われてもぴんとこない。今から短い夏が来るのであろうが、そのあとに一挙に来た秋では酒も間に合わないかもしれないから、秋の酒を探そう。

  俳句の季語では、新酒も古酒も秋である。新酒は文字通りその年の米で造った生まれたばかりの酒であるが、今は早くてもその年の米の酒は冬になり、むしろ翌春先の方が新酒としてはぴんと来る。私の持論は、昨年冬から今年の春にかけて造った酒を、夏の間寝かせて(熟成させて)、この秋に出すものが本来の酒(特に純米酒)と思っているので、これを新酒と呼ぶべしと思っている。
 
古酒は、昨年造った酒が一年たった今も残っているものを古酒と呼び、従ってちょうど秋の季語に相当することになるのだ。つまり季語の古酒は、単に去年の酒と言う意味だ。前述した私の新酒は古酒の部類に入るのかもしれない。しかし本来の古酒は、少なくとも三年は寝かした酒を言うべきだろう。

    8月も中旬を過ぎて朝晩が涼しくなる頃、気持ちよい冷気の中で飲む古酒は美味しい。昨夜、岐阜県美濃加茂市の『御代桜』の古酒を飲んだ。20年以上熟成させた酒で、「大寒手造り山田錦仕込み長期塾成瓶囲い」とある。
 
毎年この時期になると友人が送ってくれる酒で、まろやかな味と熟成香が何ともいえない。天麩羅や野菜の煮付けなど、日本伝来の食べ物にぴったり合う。一挙に飲むのはもったいない。少し秋が深まるまで保存しながらちびちび飲(や)ろう。

   秋風に中々古酒の酔長し   松根東洋城
                            


米朝関係・・・、夫婦外交の妙

2009-08-07 09:03:09 | 政治経済

 アメリカのクリントン元大統領が、交渉が難航している北朝鮮に突如(?)出かけ、同国に拘束されていた2人の女性記者を連れ帰った。このニュースが紙面をにぎわし、またその評価も多岐にわたっている。

 外交といえば国務長官であるかあちゃん(ヒラリー・クリントン)の役割と思っていたら、元大統領のとうちゃん(ビル・クリントン)が出てきて、腰も軽々と北朝鮮を訪問し懸案事項の一つを解決した。
 かあちゃんの方は、このところ「北朝鮮は駄々をこねる子供みたいだ」などと言って反発を買い、同国に「野暮なおばさんだ」というようなことを言われ、どうもうまくいってない。もちろん「制裁と話し合い」、「硬軟両面」が外交方針のアメリカにとって、かあちゃんのこの鼻っ柱も必要なのであろうが。
 そこで、このところ好々爺風貌の増してきたとうちゃんが、「お前の強面(こわもて)だけではダメだ。女性を連れて帰るのは俺に任せろ」などと夫婦で話し合ったのかどうか知らないが
(話し合ったとすれば、かつて女性問題を起こした夫に女性を連れ帰る役をよくも任せたものだが)、ここは一番、役割に任じたとうちゃんの訪朝となったのであろう。

 北朝鮮にとって、2女性を解放するなどは面子さえ立てば痛くもかゆくもないだろう。相応の人間が出てくれば話し合う用意など常に持ってる国ですよ、ということを世界に示すことだけで十分である。ただ、核廃絶というカードは、少々の面子では手放さないだろう。そこが訪問の評価の分かれ目で、そのことは両国とも十分わかった上でこの手を打ったに違いない。
 つまり、これから先に重要課題があり、まずその道筋をつけるために元大統領の出番があったのであろう。

 それにしても「強面かあちゃん外交」と、「好々爺とうちゃん外交」を組み合わせるなど、アメリカさんも(と言うよりクリントンご夫妻もと言うべきか)なかなかやるもんですなあ。
    09年8月6日(投稿が7日になった)

 


失業者3300万人、賞与1億円受給者4800人!

2009-08-04 18:08:48 | 政治経済

  日経新聞の731日付と83日付に、きわめて際立った二つの記事が掲載されていた。

 「賞与100万ドル超 4800人に NY洲司法長官発表」(731日夕刊)
  「日米欧の失業者3300万人に  昨年3月から6割増」(8月3日朝刊)

 4800人の対象は、公的資金を受け入れたシティグループなど大手金融機関の9行で、国民の血税を受け入れた金融機関が高額賞与を支払うとは何ごとぞ、というのが記事の主旨であるが、それはさておき、100万ドルといえばざっと1億円ではないか・・・。賞与を1億円とる人は、毎月の給料も相当な額もらっているだろう。何千万円ももらっているかもしれない、少なくとも毎月何百万円はもらっている人がたくさんいるであろう。年収どのくらいになるのだろうか?
 反面3300万人の失業者は、収入はゼロであろう(失業保険などはもらっているだろうが)。
 この差は大き過ぎないか?
 もちろん、賞与金額と失業者人数という質の違うものを同じものさしで比較できないことは分かっている。しかしそれぞれを生活実態に引きなおしてみれば、あまりにも大きい生活差が浮かんできて慄然としたのだ。

 貧しい人々は失業者だけではなく、仕事にはついていても年収2百万円にも満たないワーキングプアが日本には1千万人いると言われている。私が慄然としたのは、先進国にありながら膨大な貧困層を生み、一方に賞与だけで1億円という人間の数もかなりに上り(9社で4800人だから、日米欧全体には相当数いるのだろう)、その格差が当然のこととしてこの世の常識となってきていることだ。
 私は全ての人間が収入に於いて平等であるべしなどという短絡的なことを思っていない。自由な競争の中で、それなりの知恵と努力を出し合い成果を競い、それなりの差が生じることは当然であろう。それが社会発展の活力を生む、とも言われる。
 しかしこの差は大きすぎるのではないかと思ったのだ。もっと言えば、このような差が無ければ「刺激を得られない。活力が生まれない」とすれば、人類はあまりにも大変な社会に足を踏み入れたのではないか、と怖くなったのである。
                             


熱い8月がはじまった。

2009-08-02 12:17:01 | 時局雑感

 8月は暑い。しかも、今年の8月は暑いだけでなく熱い夏になりそうだ。
 思えば日本の8月は、世界初の原子爆弾の被爆、第二次大戦の終結、新生日本の出発という熱い夏の歴史を持つ。オバマ大統領のプラハ演説以来、核兵器廃絶に新たな熱い視線が向かい、戦後日本政治を支配してきた自民党政治に決着をつける気配の総選挙がこの8月の30日に設定され、国民の熱い視線がその一点に向けられている。
 8月の総選挙は初めてというのも、何かの因縁であろうか?

 昨日のニュースで、コラソン・アキノ元フィリピン大統領の死を知った。
 23年前の1986年、上院議員夫人とはいえ一介の主婦であったアキノ氏が、「ピープルパワー」と呼ばれた民衆の力に押されてマルコス独裁政権を倒したニュースは、南の国から「熱い熱気」を運んでくれた。残念ながら大財閥出身と言う制約や、民主主義の未成熟段階での統治の難しさなどで十分な成果を挙げえたとは言えなかったが、アジアの歴史に一時を画すさわやかな出来事であった。
 そのアキノ氏の死は、今の暗い世代を象徴するのか?
 それとも、日本の政治熱戦に、23年前の熱風を死して思い起こさせようとしているのか?

 今朝の毎日新聞トップ記事は、「『ノーモア核』全世界が唱えてほしい」と言う見出しで、「ヒロシマに来てください」というオバマ大統領へのメッセージを掲げている。
 オバマ政権の退役軍人長官である日系人エリック・ケン・シンセキ氏のルーツは広島市であり、親戚に当たる新関顕氏は広島市に在住しており、この機会に「オバマ大統領のヒロシマ訪問」に熱い期待を寄せていると報じている。
 ヒロシマには6年住んだが、その夏は暑く、非核への思いも熱い。
                             


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