旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

元祖「哲学者の道」を歩く

2007-12-29 14:13:41 | 

 

 前述したように、ハイデルベルク城からネッカー川をはさんだ対岸の中腹に「哲学者の道」があり、アルテ橋の袂からそれに登る小道がつけられている。かなりの急坂とは覚悟して取り付いたが、想像よりはるかにきつい道で、石畳の急坂を汗びっしょりになり20分はかけてたどり着いた。「道を究める」には努力が要るものだとつくづく思った。
 上がってみると、想像していたより広い舗装の道で、登ってきた小道の方がよほど哲学的であったが、ただ、ここから眺めるハイデルベルクの街、ネッカー川、アルテ橋、ハイデルベルク城などの景観は一級品であった。
 今日の表題に「元祖」と入れたのは、私はこれまで二つの「哲学の道」を歩いているからだ。一つは京都東山の琵琶湖疎水に沿う哲学の道だ。西田幾多郎ほか京都学派が思索にふけったという。
 もう一つは、大分県臼杵市のわが実家にある。私の三弟が家を守ってくれており、庭いじりの好きな彼は、狭い庭ではあるが中央の大きな庭石のまわりに小道をつけ、「哲学の道」と名づけた。私は帰郷するたびにその道を歩かされる。それは全長10メートルに満たず「哲学する」には至らないが、周囲の小枝を避け、くもの巣などに注意しての歩行であるので、それなりの努力は要する。
 それに比し、この「哲学者の道」こそは元祖といえよう。1386年に創設されたハイデルベルク大学は幾多の碩学を排出し、ノーベル賞受賞者だけでも8人を出した。名だたる学者が歩いたのであろう。かのマックス・ウェーバーも歩いたに違いない。彼は1897~1903年間ハイデルベルク大学の教壇に立ち、この道の麓に住んでいたという。退職直後にかの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を出したので、その構想は哲学者の道で練られたのかもしれない。
 ゲーテもショパンも歩いたといわれる。同じ哲学の道にも大小さまざまあるのである。
                     


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