前述したように、ハイデルベルク城からネッカー川をはさんだ対岸の中腹に「哲学者の道」があり、アルテ橋の袂からそれに登る小道がつけられている。かなりの急坂とは覚悟して取り付いたが、想像よりはるかにきつい道で、石畳の急坂を汗びっしょりになり20分はかけてたどり着いた。「道を究める」には努力が要るものだとつくづく思った。
上がってみると、想像していたより広い舗装の道で、登ってきた小道の方がよほど哲学的であったが、ただ、ここから眺めるハイデルベルクの街、ネッカー川、アルテ橋、ハイデルベルク城などの景観は一級品であった。
今日の表題に「元祖」と入れたのは、私はこれまで二つの「哲学の道」を歩いているからだ。一つは京都東山の琵琶湖疎水に沿う哲学の道だ。西田幾多郎ほか京都学派が思索にふけったという。
もう一つは、大分県臼杵市のわが実家にある。私の三弟が家を守ってくれており、庭いじりの好きな彼は、狭い庭ではあるが中央の大きな庭石のまわりに小道をつけ、「哲学の道」と名づけた。私は帰郷するたびにその道を歩かされる。それは全長10メートルに満たず「哲学する」には至らないが、周囲の小枝を避け、くもの巣などに注意しての歩行であるので、それなりの努力は要する。
それに比し、この「哲学者の道」こそは元祖といえよう。1386年に創設されたハイデルベルク大学は幾多の碩学を排出し、ノーベル賞受賞者だけでも8人を出した。名だたる学者が歩いたのであろう。かのマックス・ウェーバーも歩いたに違いない。彼は1897~1903年間ハイデルベルク大学の教壇に立ち、この道の麓に住んでいたという。退職直後にかの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を出したので、その構想は哲学者の道で練られたのかもしれない。
ゲーテもショパンも歩いたといわれる。同じ哲学の道にも大小さまざまあるのである。
②京都の方は、大学の寮委員会の懇親旅行(学生時 代),今年6月に京都を訪れた際に歩きました。日 本の美しい道500選にも選ばれており認定印を取 得するために、もう1回は訪れると思います。
③マックス・ウエーバーは現在から見て、どう評価す べきなのでしょうか。
④実家の「哲学の道」は興味をもって読みました。
2007.12.29 TN
と叫びたかったのだ。もうひとつある。私の友人が歩き始め、「これを何十回も歩けばいいんだな」と、私を横目で見ながら歩を進めたことだ。我が家の「哲学の道」は、それだけ深く複雑なのだ。
tabinoplasma
社会変革運動に参加し、心配したお父さんがアメリカ行きを勧め実現したよう。「哲学の道」が「複雑」であることは64歳になってたしかにそうだという気が
ますますしてきています。それと同時に「解釈するこ
とではなく変革する」ことが大切であるという言葉も
重く受け止めながら生活しているところ。充実した生活をおくられることを祈ります。