桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

保護司

2015-03-25 | Weblog
仮釈放で社会に帰る人には、必ず保護司が付く。
帰る住所の近くに住む保護司に対して、仮釈放が終わるまで、月に1度、生活状況を報告に行く義務を背負うのだが、俺も支援者の家に帰ったときは富士見市で保護司がいたし、利根町に帰ったときは、また違った保護司が付いた。
富士見市の保護司は1ヶ月くらいだったので、余り印象はないが、利根町の保護司さんにはお世話になった。元保護観察所の所長をされた方だったせいか、多くの仮釈放者を見ていたはずだが、「桜井さんのように前向きな方は珍しい」と言ってくれ、俺の再審裁判にも理解を示してくれて「お忙しいでしょうから、都合の良いときに、夕飯を食べに来るつもりで来てください」と、有り難いことを言ってくれた。
俺が結婚したときは、その祝う会にも来てくれ「私の女房が桜井さんのファンだ、私の立場上、言ってはいけないことかも知れないが、桜井さんの無実を信じています」と、大変に嬉しい祝辞をくださった。
俺が利根町に帰ったのは、もし再審で勝てないときでも、俺の日常の生き方を見て貰い、利根町の人々に無実を知って貰おう!という思いでだから、この保護司さんの祝辞は嬉しかった。今でも思い出すと目頭が熱くなる。
無事に再審無罪となり、保護司さんとしてのお付き合いは終わったが、利根町で別居結婚だった俺を、何時も温かい手料理で迎えてくれた奥さんへの感謝を込めて、それなりにお付き合いを重ねたけども「もう気にしないで」と言われて、暫くご無沙汰していた。
先日、利根町へ行く機会があり、CDをお届けがてら、久しぶりにお訪ねしてお会いした。
俺は人様との出会いに恵まれた人生だったと、久しぶりに保護司さんとお会いして、自分の幸せの根源を再認識した。

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