桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

兄の他界

2021-10-05 | Weblog
あれは何年前になるか、兄が俺は死ぬ気がしないんだよな、と突然言った。唖然として、いや人間は死ぬからと答えたが、納得できないようで、そうかぁ、俺は死ぬとは思えないと呟いた。
その後、また会ったときに聞いたら、死ぬ気がしないと言うのでお好きにと思って、それから色々とあって会うことは少なくなった。
肺がんだと聞いて暫くになるが、この3日、亡くなったと知らされた。
俺は昔から思っているが、もしかしたら俺と杉山が犯人にされた布川事件は兄貴が作ったこなも知れない。
あの事件があった日、杉山は兄のアパートにいた。丁度、丸井の集金日だったそうで、兄は杉山に「集金人が来たら居ないと断ってくれ」と頼んだそうだ。その通りに午後6時ころに来た集金人に断ったところ、あの怖い人相の杉山だ、泣きそうな顔で何時なら良いのかとか聞かれたと言っている。
俺はアリバイとして兄のアパートに泊まったことを話したが、来てないと言ってると早瀬警部補は言った。
兄は警察の裏付け捜査に対して嘘を答えたのではないのか。
俺たちを犯人と思い込む警察は、これ幸いと深く調べないで終わらせた。で、俺たちに自白を強いた。
原審裁判でも再審裁判でも、この兄の裏付け調書が「存在しない」として提出されなかったのは、捜査ミスが明らかになるからだったのだろう。
俺が29年を獄中に過ごして帰り、初めて兄に会って呑んだときだった。「何でやったって言ったんだ?」と聞いて来た。体験した想いを話すと「そうかぁ、俺ならばやったことでもやってないと言い通すぞ」と、ボソっと言った。
宵越しの金は持たない、飲み代は払わない、家の家電などを勝手に質屋に入れる、人は善いのだが、破天荒な生き方をした兄だ。
もう2度と会わないだろうと思っていたが、亡くなったと聞いて涙が湧いた。悲しいでもない寂しいでもない、哀れを感じるような想いだった。
子供のころに話した記憶がない。鳥籠などを作ったり、抜群に手先の器用だった兄。外を走り回り、活動的だった俺。成長しても電話で人様と話せなかった兄。口八丁の俺。共通する趣味も話題もなかった2人だった。
あれも社会に帰って間もないころだったが、毎日放送が番組の取材をしたときだ、「お兄さんは、俺がだらしないから弟に迷惑を掛けたと泣いてましたよ」と番組作成者が俺にシンミリと告げた。冗談じゃない❗️と俺は怒りを込めて反論した。
公園での撮影が終わって帰る兄は、俺の前に来て「昌司、タバコ銭、ないか❓️」と言ったのだ。長い刑務所暮らしから帰り、必死に生きている弟にタバコ銭。普通の兄貴ならば小遣いをくれるんじゃないのか、思った。
俺が小学生のとき、地域の仲間と成田山へ正月参りに行った。超満員の電車。俺が帽子を落としたらば、兄は必死で取りに戻ってくれた。兄貴として兄を想うとき、それしか想い出さない。
78年の生涯。晩年の結婚だけは良かったけれども、その生活の奔放さに義姉は泣いていた。果たして兄の人生は幸せだったのだろうか。義母の他界で味わった悲しみも痛みもなく、ひたすら侘しい想いになっている兄の他界だ。

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