桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

台湾の司法

2018-10-28 | Weblog
台湾の司法の現状を聞いた。
先に台湾イノセンスプロジェクト総会に招かれて行き、日本よりも進んだ人権感覚と冤罪撲滅の意識を知ってはいたが、思っている以上の現実を知り、愕然、呆然たる思いになった。
1982年、初めて拳銃を使った銀行強盗があり、犯人が逮捕。検証のときに橋から飛び降りて自殺した。しかし、その直後に真犯人が逮捕された。
これから台湾司法の改革が始まったそうだ。
警察の取り調べ全録音、弁護士立ち会い、24時間で身柄は送致され、そのときには証拠閲覧権もあるという。再審請求になれば、その事件の記録、総てを閲覧することも出来るとか。
問題は、警察から検察に送致される記録の漏れだというから凄い。
何か問題が起こるたびに法律改正が行われたそうだが、「なぜ法律改正が出来るのですか?」と聞けば、「冤罪だから。それを正すのは当然という空気」なのだそうだ。
日本のように再審で無罪判決があっても「それでも有罪であることは変わらない」と嘯いたり、「再審で無罪判決になったのは証拠を出し過ぎた。以後は出さないようにすり」などと言う検察と違い過ぎるし、社会の意識も違うのかも知れない。
再審で無罪判決があるたびに可哀相に!と同情し、他人の不幸で蜜の味を舐めるだけの社会。
果たして日本の司法は台湾司法に追い付けるのだろうか。
冤罪を作る警察と検察が立法府を牛耳り、冤罪や人権問題に惰眠を重ねる政治家たちを思うと絶望的だが、やるしか無い。冤罪仲間たちが獄中で苦吟し、泣かされている。多くの冤罪被害者は絶望に沈黙している。証拠を捏造するな、証拠を隠すな、自分の裁判の証拠を見せろ!
当たり前が通じる日本司法にしたい!改めて思う台湾司法の勉強会だった。

人間で心

2018-10-28 | Weblog
法律は、何のために、誰のためにあるのか。
当たり前だが人間のためにある。人間が集団で生きて行く上で、他からの理不尽な力で道を曲げられたり、想いを歪められたり、傷付けられたり、損害を被ったりしないように守るために法律はあるはずだ。
自宅内の駐車場にある車からガソリンが漏れ、その駐車場に会った風呂ボイラーと種火に引火して自宅が火事。入浴中の子供が亡くなった。
ところが、子供に学資保険が掛けてあったことから「親の放火、保険金殺人」とされて20年も刑務所に入れられたが、ガソリン漏れの自然発火と証明されて無罪になった。
ホンダ車でガソリン漏れの欠陥を訴える裁判をしたらば、「もう20年の時効が成立しているから裁判はダメ」と判決が出た。
これ、正常な感覚?
確かに法律の時効は20年だ。だから、はい時効ですよ!となるのかも知れないが、この再審で無罪判決を受けるまでは、裁判を起こしたくても出来ないよね。ならば、20年の刑務所生活の間は時効停止。それが人を守る法律なのではないだろうか。
法律の条文通りに判決を書くだけならばロボットに任せればいい。人間が生きるための法律運用として判決をするのが人間裁判官じゃないのか。
警察や検察、会社組織などの力ある存在の言いなりになるロボット裁判官が多くて、ホントに日本の裁判所は、どうしょうもない。