桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

最後のハプニング

2012-11-24 | Weblog
香港から成田行きに乗り、これで終わったと席に座っていたらば、若い中国人カップルが来て、チケットを見せながら、何か言った。勘違いの多い俺のこと、最後にやってしまったかとチケットを見れば、間違いない。
マイシートだと返答したが、まだなんたら言い、キャビンアテンダントがなんたらとかも言う。
ノオ?と聞くから、当然、ノオと返答したが、若い男女は話し合い、男が空いている窓際に座ろうとする。ミスをしたと焦ってしまい、良く聞き取れなかったが、これは若い男女が席の交換を求めるのだと気付き、your want change seat?と言ってみたらば、イェース!だって。
貴方の言ったことが聞き取れなかったて、移って上げたらば、キャビンアテンダントが来て、特別の要求があればやるので言って欲しい、なんて言っていたと思う。
俺が席を移ったらば、周りにいた中国人客の眼が笑っていた。小さな外交だったかも。しかし、言葉が良く判らない1人旅は気苦労が多いわ。

任務終了

2012-11-24 | Weblog
冤罪を体験するのは大変なことで、そう簡単には精神的な傷を克服は出来ない。東電OL殺人事件で無罪を勝ち取り、ネパールに帰ったゴビンダさんも、その傷に苦しめられていることから、体験者の俺が話をしに行ったのだが、何とか任務を果たして来た。
なぜそうなるのか、当事者は自分でどうにもならない精神的な乱れに混乱する。ゴビンダさんも同じ苦悩に悩まされているが、やはり家族が一緒にいるのは大きい。きっと早いうちに克服して、ゴビンダさん自身を取り戻すだろうと、安心して帰国出来た。
昨日、ゴビンダ家から帰るとき、皆さんが「また来て!」と言ってくれ、俺が「早くても来年春以降になる」と応えたらば、「それでは遅過ぎる」と言う。
その明るく、1つの心を感じるゴビンダ家に行けた喜びを感じながら、ゴビンダさん、ラダさん、蓮見さん、ゴビンダさんの姪に甥、それに運転手だったラズクマールさんに見送られて帰国のとに着いた。
楽しかったなぁ!

最終日

2012-11-24 | Weblog
何だか、アッという間に時間が過ぎてしまい、今日(23日)が滞在最終日。
午前中に、蓮見さんが紅茶を買いに行くのに付き合い、午後は昼飯を食べながら、今度は自分のお土産買いに行った。
それにしてもカトマンズの街は、走る車とバイクの巻き上げる埃が凄い。それに犬の糞が落ちていたり、衛生的には悪い。でも、人の眼は穏やかな人が多いように感じた。
今日の昼飯も美味かったし、言われていた腹具合の変調も無かったから、俺はネパールが合うのかも知れない。
午後5時半ころ、毎日車で送迎してくれたラズクマールさんがホテルに迎えに来て、ゴビンダさん宅へ行った。
今日は市内に住み、歌手をしてると言うお姉さん、更にオーストラリアに住んでいる妹さんが帰国して待っていてくれた。
その皆さんで作った夕食をご馳走になり、大歓待された。
来て見なければ判らなかったことが沢山あり、ゴビンダさんのことを抜いても、また来たいと思ったカトマンズだった。
写真は、昼に食べたネパール餃子。これがジュウシーで美味かった!

ひ別世界

2012-11-24 | Weblog


昨日(21日)は、蓮見さんの知り合いの持つ国立公園内にある別荘に来た。
プレムさんという方が持つ別荘は、昔は1つの集落だったそうで使用人もいる別天地だった。
そこにはイギリス人のディニーさんとラージさんが長期滞在中で、ゴビンダさん家族、更に夕方に来たらしいプレムさんの親戚の軍人も交えた10人でパーティーだった。
遥かにエベレストを望み、眼下に谷や集落を見下ろす2000メートル辺りにある別荘は、本当に景観も素晴らしくて時間が停まったような気持ちになった。

エピソード2

2012-11-24 | Weblog
焦ったし、驚いた。
昨日朝(20日)、蓮見さんが「お湯を沸かしてお茶を飲みましょう」と、俺の部屋に湯沸し器を持って来た。
ところが、良くあると言う停電でコンセントに入れたが、仕用不能。
これをコンセントに入れたまま観光に出掛けてしまい、ゴビンダさん宅を訪問して帰ったのだ。
明日にも備えて、ホテルに近い観光客用商店街でアルコールを買い、帰るときになり、蓮見さんが言った。「あ、湯沸し器をコンセントに入れたままだ。火事になってるかも!」
蓮見さんは面白い方で、ネパール大好きで何回となく来ていて、ネパールには友人も多いのに、余り細かいことら知らない。そして、静かな声で語る方だが、火事の恐れも、その静かな声で言うだけなのだ。
ホテルの見える場所まで来ても、何も変わりはない。しかし、裏口に行くと訳の判らない車がいて、しかもホースがホテルに伸びている。ドキドキ!!
3階の部屋を見上げたが、別に異常なし。フロントに人がいないので3階に駆け上がって部屋に行っても異常なし!!
ホッとしてフロントに戻って鍵を貰い、部屋を開けたらば、異臭!!全然異常なしではなかったのだ。
洗面台の上に置いた湯沸し器は、ヒーター部分が焼け焦げ、臭いが充満していた。
それから蓮見さんも来て、シャワーで流したり、掃除したり、大騒動だった。
停電後、電気が来てのアクシデントだが、この湯沸し器、初めは木製のテレビ台に置いて、そこのコンセントに入れたが、なぜか緩くて抜け落ちてしまうから、洗面台のコンセントに変えたのだ。もし、テレビ用のコンセントが磨滅で緩くなかったらば、絶対に火事になっていたろう。
何かに見守られていると感じた、ゾッとするエピソードだったなぁ。
そのホテルの写真。

エピソード1

2012-11-24 | Weblog






カトマンズの犬は寝ているばかり。あっちにこっちにいるのは野良犬らしいが、めったに起きている犬はいなかった。
夜になると動き回る犬ばかりになるが、猿と同じで、余り攻撃的でないし、滅多に吠えることもない。
猿もそうだが、日本のは攻撃的だ。土地柄かなぁ?

ゴビンダ家

2012-11-24 | Weblog
観光後、4時過ぎにゴビンダさんの家に案内された。ゴビンダさんが日本に出稼ぎに行き、支援者の支えもあって完成した家だが、下を人に貸して生計を立てている。
通された部屋は、新聞で見た、バルコニーのある場所で、ゴビンダさんの母親が寝ていた。喘息があって体調が悪い様子だったが、俺には判らないが、ネパール好きのゴビンダさん支援者で、今回の通訳をしてくれている蓮見さんによれば、母親の話すことは肉体的な不調や愚痴だけらしい。まだ76歳だと言うが、かなり老けて見えた。
そこでゴビンダさんやラダさん、最後は娘さんも来て、今回の目的である話をした。色々な話としか書けないが、来た甲斐のある時間を過ごして、午後8時前にホテルに帰った。
写真は、その部屋。

聖なる川

2012-11-24 | Weblog
地区の名前は聞いて忘れたが、ガンジス川に繋がる川と言われる川辺りに火葬場があるとして行ったのが、聖なる場所。
実際に火葬が行われていて、明らかに肉の焦げる臭いが、火葬場の反対側にいる俺にも届いた。
観光客に地元の人が、そこには沢山いた。
何でも、火葬した後は、総てを川に流すのだとか。
見ている間にも人生を終えた2人が運ばれて来て、何とも言えない感覚だった。でも、あぁして公然と死があり、大勢に見送られるのも有りだと、僅かな時間に感じた。
写真は撮らなかった。

バクタプル

2012-11-24 | Weblog



200年ほど前のカトマンズは、3つの地区に別れて、それぞれに王が存在したとか。その1つの地区がバクタプルで、その名の寺が2個目の観光地だった。
ここはネパール人しか入れない寺院があり、自動小銃を抱えた兵隊が監視していた。
その物々しさはあったが、全体的に空気が優しく感じて、非常に落ち着く地区だった。
ここで昼御飯を食べたが、聞いていたよりも辛さがなくて拍子抜け。野菜カレーで美味かった。飲んだヨーグルトが日本より濃厚!もちろん、美味かった。

カトマンズ観光

2012-11-24 | Weblog


(20日)午前10時半ころ、ホテルに来たゴビンダさん、ラダさんと一緒に、親戚のラスクマールさんの運転する車で観光した。
最初に行ったのが、通称モンキーテンプル。正式名称はスワィアンブナーと言う寺に行った。
昨夜、車とバイク、そこに人が混じった凄まじい交通状況は聞いていたが、聞きしに勝る恐ろしさだった。整備されない交差点に警官は立っているにはいるが、日本人から見ると、いないよりは増しで交通整理をしているだけの感じにしか思えなかった。
自由気儘に走るバイクと車、どこでも横断する人。良く事故が起きないと呆れるような有り様だった。
先ず行ったモンキーテンプル。猿は日本の猿と違い、攻撃して来ない。
寺院は派手なところと地味なところとが混在する、何とも俺の感覚には不思議な物だった。
名前を聞かなかったが、小高い岡に立っていて、そこから眺めるカトマンズは、実に無秩序だった。