桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

ゴンが逝った

2010-01-17 | Weblog
連れ合いの愛猫、ゴンは、間もなく23歳になろうとしていた。
先週、別れて来たときは、まだ元気でしきりに餌を求めて鳴いていた。年末に、もうダメだと思う日があったのだが、また元気になって食べるようになり、これならば春を迎えられそうと思っていたのに、奈良から帰り、今夜水戸に電話したらば、昨日に逝ったとのことだった。
ゴンは生意気な猫だった。気に入らないと噛み付くし、間違って怒ろうものならば、こっちが忘れたころに飛び付いて噛み付いて逃げるような猫だった。
そんなとき、俺は真剣に怒った。理不尽に噛み付いたらば、どこまでも追い掛けて捕まえ、布団を被せて蹴ってやったこともある。
元来、猫は嫌いだったが、何時しかゴンは家族と感じて、俺の布団に入れて寝るようにもなった。
もう少し一緒にいられるかと思っていた矢先の死。ショックだった。
俺は身近に死を知らない。連れ合いの弟が亡くなったときも、それはショックだったが、共に過ごした時が少なかったから、連れ合いほどには痛みを感じなかった。でも、ゴンは違った。辛いものだね。
俺は両親の死を見ていないが、きっと見ていたらば辛さは計り知れなかったろうと思うゴンの死だった。

菅家利和さん

2010-01-17 | Weblog
一緒に各地に行くのも何回目かになるが、今回は人様に声を掛けられずに終わりそうだったほど、人様の記憶からは消え始めている。
前回の名古屋の騒ぎは凄かった。すれ違う総ての人目を引くし、声を掛けられたが、今日の奈良散策では気付いた人が、数名だった。その一時の騒ぎなどのせいか、菅家さんは体調を崩していて、かなり痩せたし、顔色も悪い。コーヒーを飲み過ぎることなどもあるが、急激な環境の変化は大変だったろうと、どこかに同行するたびに感じる。
奈良での土産を探しに入って店で、最後の最後になって店員から、菅家さんですね!と声を掛けられた。
茶の接待を受けたが、まだ暫くは大変が続きそうだね。

春日大社2

2010-01-17 | Weblog
春日大社の本殿にも詣り、勿論、今度は賽銭を上げて願いごとをした。
芸能の神様だから、それに相応しく、益々人様に語る力を与えて欲しい、唄う力を与えて欲しいとお願いした。
昨日の集会後の懇親会では、話の弟子入りをしたいと言ってくれた方がいたのだが、それは前回の春日大社のご利益!きっと今度の願いも適うことだろう。
おみくじを引いたらば大吉だった。悪い一年になるはずも無いが、よし!だね。
菅家さんは良く無かったが、春日大社の芸能じゃなくて一言主神社の神様に良ければいいんだから!と慰めたらば納得していた。
本当に一言主神社の神様、頼むよ!

春日大社

2010-01-17 | Weblog
春日大社には、前回に奈良を見学したおりに詣でてる。芸能の神様と来ては、話して唄える冤罪者を目指す者として行かない訳には行かない。
今日も東大寺大仏、二月堂と回ってから行った。
前回には気付いたかどうか、途中に一言主神社があった。菅家さんに「良縁を頼んだ方がいいんじゃない?」と勧めたらば、彼は素直に絵馬を買って捧げて来た。
本当に良縁があればいいよね。
俺も一言、頼んだが、賽銭を上げなかったから適わぬ願いかな?

二月堂

2010-01-17 | Weblog
塀の中にいたとき、辛い寒さから逃れる兆しとして、奈良二月堂のお水取り行事を楽しみにいていた。
この報道を見ては、やっと春になると喜んだ。
三度目になる奈良で二月堂に行った。
外観は見ていた通りだったが、堂に上がったらば、何と奈良の街を一望できるのに驚いた。
今年も塀の中では、沢山の仲間がお水取りを待っているに違いない。

奈良散策

2010-01-17 | Weblog
菅家さんが大仏を見たいと言うので、少し奈良を歩いた。
午前9時過ぎの奈良市内は、まだ観光客も疎らで寒かった。
東大寺も中国からの観光客の一団が目立つ他は、余り人がいなかった。
朝の鹿は餌をねだる客がいないせいか、日溜まりで立っているのが目立った。

奈良集会

2010-01-17 | Weblog
昨日の集会は150名を超える参加者で大成功だった。立ち見の人までいたが、聞けば、江川紹子さんが来て名張事件で集会したとき以来の規模だったとか。
菅家さんを取材する中京テレビも入っていたこともあり、本当に盛り上がった。来て良かった!
到着した直後から記者会見。終わっての集会と、菅家さんは疲れたかも知れなくて、体調が悪いと懇親会に参加しないで休んだが、その懇親会も座れないほどに参加者がいた。
懇親会後はカラオケ!
久しぶりに唄ったが、楽に唄えた。
また新しい繋がりを得た一日だった。