桜井昌司『獄外記』

布川事件というえん罪を背負って44年。その異常な体験をしたからこそ、感じられるもの、判るものがあるようです。

我孫子駅

2010-01-12 | Weblog
13年前、シャバに帰って来て、あの当時の我孫子駅で思い出すのは、駅の公衆電話だった。
俺が遅くに帰って来ると、必ず電話している人がいた。それは迎えを頼む人たちだったが、俺は迎えを頼む人もいなくて、何時も羨ましく見ていたのだが、あれば何時だったか、寂しくて出る人のいない自宅に電話したこともあった。
今日、我孫子駅に着いて、フッと気付いたが、その公衆電話は、跡形も無く撤去されていた。携帯の普及もあろうが、13年は、やはり長い月日だったと感じた。
公衆電話で迎えを頼んでいた人は、総て携帯なのだろうが、俺は携帯は持ったが、まだ自宅に迎えを頼む人はいない。

賀詞交換会

2010-01-12 | Weblog
労連組合は旗開きと言い、普通は新年会だが、今日参加したJR総連のは賀詞交換会と言う。
民主党の議員、公明党の議員、沢山来ていたし、有名人も多数だった。
俺は署名で協力して頂いたお礼、冤罪を訴える戦いの先達として参加したが、今日は弁護士さんと親しく話した。
布川の闘いの歴史は、真面目に弁護士活動を人している人には感動をもって受け入れられる。今夜も、また新しい広がりを得て、違った人たちに布川事件を知って頂ける展望を持って帰って来た。