13年前、シャバに帰って来て、あの当時の我孫子駅で思い出すのは、駅の公衆電話だった。
俺が遅くに帰って来ると、必ず電話している人がいた。それは迎えを頼む人たちだったが、俺は迎えを頼む人もいなくて、何時も羨ましく見ていたのだが、あれば何時だったか、寂しくて出る人のいない自宅に電話したこともあった。
今日、我孫子駅に着いて、フッと気付いたが、その公衆電話は、跡形も無く撤去されていた。携帯の普及もあろうが、13年は、やはり長い月日だったと感じた。
公衆電話で迎えを頼んでいた人は、総て携帯なのだろうが、俺は携帯は持ったが、まだ自宅に迎えを頼む人はいない。
俺が遅くに帰って来ると、必ず電話している人がいた。それは迎えを頼む人たちだったが、俺は迎えを頼む人もいなくて、何時も羨ましく見ていたのだが、あれば何時だったか、寂しくて出る人のいない自宅に電話したこともあった。
今日、我孫子駅に着いて、フッと気付いたが、その公衆電話は、跡形も無く撤去されていた。携帯の普及もあろうが、13年は、やはり長い月日だったと感じた。
公衆電話で迎えを頼んでいた人は、総て携帯なのだろうが、俺は携帯は持ったが、まだ自宅に迎えを頼む人はいない。